背景はカヌーで決まり。 2006年7月31日 (日)
サヨコオトナラ

生まれて初めて朝食にソバを食べた。食べた後、サヨコオトナラと共に活動をしているトッチャン、レオ君、そして僕達の月のカレンダーをどのお店よりも沢山の人に広めてくれているシンコさんを迎えに小淵沢まで。
無事にみんなに会って「さあ出発だ」という時に僕はズボンの裾に足を引っ掛けて転んだ。両手両膝を打った。右手左ひざをすりむいた。痛いよりもかっこ悪い。転ぶなんて久しぶりというかこのズボンと、このサンダルの組み合わせは今までに何度となくしているのにこんな事は初めてだ。頭の中は数日前にバイクにぶつかった事を思い出したりして「これは何かあるのでは・・・・」とか考えて暗いほうへ。車の中では、「こんな転び方をした事がある」とか、「私なんかもっとひどい」とか、薬を出してくれたり、やさしいみんなが笑いながら慰めてくれる。僕は、痛いのには変わりは無いが、痛み以上に頭の中を笑いで埋める努力をする。
そんなことは僕だけの問題で、今日はカナディアンファームでサヨコオトナラのライブだ。前にも紹介した事のあるこの変な名前のバンド、歌のサヨコさん、ギターのOTOさん、ジャンベ(アフリカの太鼓)のナラさんからなるすごく楽しく安心できる音楽家達。今夜はさらにサヨコさんの娘アリワ、フラダンスのトッチャン、ギターにBとレオ君、そしてビッキーの豪華メンバーでのライブ。僕達はステージの後ろにカヌーを置いていみたり、キャンドルを灯したりと会場設営をしてみた。
ライブは最高に盛り上がっていた。毎回サヨコオトナラを見ていると「質の高さ」ってのを感じる。抜けているところが無いというのか、ちょっと抜けたくらいじゃ分からないくらいの大きなものが確かにある。これは音楽家だけではなく僕達にも持てるそれ。それって何だろう?なんて実は分かっているのだけれど。   (匠)


関連サイト: サヨコさんのサイト

片手にカップ、片手にビール 2006年7月30日 (日)
カナディアンファーム

「白いアナグマの祭り」で佳子の知り合いのミチヨちゃん家族に出会った。苗字は肥田さん。旦那さんのタカシ君、まだ1歳のワカナちゃんと3人で明科に住んでいる。僕達は肥田家族と一緒に入笠山の山頂まで登った。息が切れるような運動は久しぶりのような気がする。
そして原村というところにあるカナディアンファームでクラフトフェアをやっているというので肥田家族と一緒に車で移動した。カナディアンファームのオーナーのハセヤンは「廃材王国」という本も出していて、敷地内に何棟も廃材で作った家を建てている。廃材といっても立派な木を使った豪華な建物だ。
そして、今晩は同じく「白いアナグマの祭り」からカナディアンファームに移動してきた、倍音Sの「ビッキー」こと尾引浩志さんのライブ。口琴や、ホーメイ(倍音唱法)を使って音の色や音の波を感じさせてくれるビッキー。人間ができることはまだまだあるんだなぁってビッキーのホーメイを聞くたびに思う。
ライブの後、今晩出会った、近所に住んでいるB(「ビー」※注、人の名前)の居候先のリョウ君の家に、ビッキー家族、サヨコオトナラのOTOさんに便乗させてもらい一緒にお世話になることになった。着いた先は八ヶ岳の別荘地であろう場所にある、とってもヘンテコリンな鉄の柱の家。みんなが、僕達世代の一世代前のパンクスの話で盛り上がっている中、僕は琵琶湖でお世話になった水鳥観察センターのデザインの仕事をした。そして少し水を飲んでからぐっすり眠った。   (匠)


関連サイト: カナディアンファーム 倍音Sビッキーのサイト

白いアナグマの祭り 2006年7月29日 (土)
白いアナグマの祭り

人間による環境破壊で、動物達の生活する環境が変わると、ある種の動物の遺伝子が突然変異して真っ白な子供が生まれる事があるという。決して良い事とはいえず、人類への警告と考える人たちもいる。いるはずの無い「白いアナグマ」を見たという話からついたこのお祭りの名前。環境の事をみんなに考えてもらうイベントでもある。
六ヶ所村の核燃料再処理工場で行われようとしていることや、VDFのことなど、今、地球では何が起こっていて、僕達は何を知らされていないかという事を考えさせてもらう事ができた。自分は、「はからめ」は、どこを向いて歩き続けようかと僕はいろいろ考えていた。
そして、今晩も見えすぎな星が夜空に散らばる中「ノーマイクシアター」と題した焚き火を囲んで音楽を奏でたり歌を歌ったりとこじんまりとした迫力のある生のステージをみんなで楽しんだ。
2人で寝袋に入りながらテントから顔をちょっと出しては星を見て、ちょっと出しては星を見てと何度かしているうちに眠たくなって「おやすみなさい」  (匠)


関連サイト: 白いアナグマの祭り

いたる工務店 2006年7月28日 (金)
いたる工務店

昨晩から今日にかけて、至君のうちに泊めさせてもらった。前にも紹介したかもしれないが至君は「いたる工務店」という大工さん。奥さんの留美ちゃん、3人の子供、きち、がく、しなの、と一緒に佐久で暮らしている。3週間一緒に仕事してみて至君から教わった事が沢山あった。動作ひとつひとつが綺麗で、そして理にかなっている、当たり前だがさすが大工。
褒めすぎか。
昨晩、気分は沈んでいたが、至くん家族が4人でインドへ行った事や、子供達の絵の事、写真の事などいろいろ話し、少し元気がでた気がした。そして今日、至君に「白いアナグマの祭り」というお祭りが近くで行われるというのを教えてもらい、高遠の入笠山(にゅうがさやま)へ向った。久しぶりにテントの中で眠る事に。標高が高くすごく星が綺麗に見えた。信じられないが軽井沢で生活をしている時、一度も星も月も見なかったので、すごく嬉しかった。
  (匠)

写真なんか撮っている余裕なし 2006年7月27日 (木)
入ったお金、出ていくお金

今日は、最後の片付けをして別荘を出る。そして、今年初めに仕事を辞めて以来、久しぶりにお給料をもらった。やっぱり嬉しい。「ありがとうございます」と言って本当にありがたく受け取る。
最後に現場に寄って今までやってきた作業とその時の雰囲気を思い返す、いろいろやったなぁと。今晩は、3週間一緒に働いていた至君の家にお世話になることになり、夕方まで時間が空いたので温泉にでも行こうかと。そしていつものように車で行くためにまずバック・・・・・グシャ。「何か荷物が落ちたかな?」と思ったら、どこからともなく人が集まってくる。その場の雰囲気がいつもと違うと思い車を降りてみると後ろでバイクが潰れている。今回の現場の施主である三嶋さんのバイクの前部分がはからめ号の下にめり込んでいる。「ああ、やってしまった、どうしようもない、ああどうしよう。」、というみんなが5年に1回味わうかどうかのあの気持ち。バイクはレーサー使用、全て特別な部品を使っていると言う。聞くところによるとバイクの曲がってしまっているかもしれないという鉄の部品1つ20万円・・・・・数時間前にもらった給料よりも高い・・・・・。マジかよ笑えねぇじゃねーかよ。実際に僕の顔は笑いとは程遠い顔をしていたと思う。試しに走ってもらって部品の点検をしてもらう。三嶋さんの一言「大丈夫そうです。」沢山の不安の中の少しだけが安心に変わる。まだわからないが、周りのボディというのか、機械を覆う部品の弁償をすることになるだろうとの事。みんなは口をそろえて言う「人に怪我をさせなくて良かったじゃないか」と。
お金は回ると言うが、お金が目の前をスルーしていくのを感じた。いくら飛んでいくかはまだ分からないが、いままでの作業とその時の雰囲気を思い返す。数十分前に佳子と「大工道具を買おう」と話していた自分を思い出して少しだけ笑った。   (匠)

26日、ここまで進んだ。 2006年7月26日 (水)
前半終了

ついに
別荘を出る日がやって来た。僕達は今日、最後の仕事をして一度現場を離れ、また8月前半から作業が始まる予定だ。現場は屋根がかかったので一安心。
長い間書かない日が続くと、書かないということが当たり前になってきて書くのが面倒くさく感じてくる。だけど、ここでやめるのは簡単、そして、なぜか僕の頭はイバラの道を歩くようにできている。ので、約1週間の事をまとめて書くことにする。

今回約3週間の現場作業&共同生活の谷間となる16日から19日午前中までの雨でどうしようもない日々。家を建てるために集まった人間が家を建てることができないときどうやって過ごすのか?もちろん全員違う行動をとる。一日中寝たり起きたりする人、近場の温泉を探す人、美術館に行く人。「人それぞれ、それで良いんだよなぁ」と気が楽になる人、「みんなばらばら、寂しいなぁ」と感じる人がいたかは分からないが。
19日の午後、100時間は降り続いたのではと思われる雨がピタッと止んだ。雨が降っていない軽井沢が不思議に思えた。そして20日にかけて、みんなで屋根の下地になる野地板を張った。建物の中からは空が見えなくなり、家っぽく感じた瞬間でもあった。そして1人助っ人が登場。千葉からキヨシ君という左官屋さんが僕らの仲間に加わった。


左から天井作業、至君キヨシ君、マサさんハメさん

20日〜25日、それぞれ手分けをして仕事をしていく。僕は、天井にパネルを張るための下地材を上向きに打ち付ける腰が痛くなりそうな作業(実際は無理をしなかったから腰は痛めずに済んだ)。その後、外に面する壁に「防風防水防カビシート」をタッカーで貼り付ける。そして、雨で湿った基礎の部分を乾かしながら補強したり、みんなの写真を撮ったりと、毎日あっという間に時間が過ぎていった気がする。その間、他のみんなは、サッシをはめ込んだり、サッシを額縁のように綺麗に飾ったり、外側の天井板を張ったりといった作業。
毎日、別荘に戻ると佳子がご飯を作りながら「おかえりー」とみんなを迎えてくれる。みんなのオカミサンといった感じだ。途中、伊豆からアビの奥さんのリサも来てくれたりと、とても賑やかな日々となった。
23日には施主の三嶋さんや、一緒に働いているガラスギャラリーアームスのみんなと僕達とで別荘でパーティーをした。ビールや太鼓、ギターや踊り、そしてお好み焼きでかなり盛り上がった。次の日24日、一緒に働いていたマサが他の仕事に向うために現場から離れたので夜は一気に人数が減ったように感じた。

左からパーティー、打ち合わせ、建物内側

そして今日26日。別荘で過ごす最後の日。25日にキヨシ君が離れ、今日のお昼にハメさんが離れたので今晩は僕と佳子とアビの3人だ。3週間前にここに来た時を思い出す。一気に人が集まり、一気に人がいなくなった。大変なのは、使いやすいように机や椅子やベッドの配置、調味料の位置まで、動かしたものを全て元の通りに戻すことだ。
   (匠)

15日、ここまで進んだ。 2006年7月17日 (祝)
だんだん形が見えてきた

今日は海の日。海の日だから休みという訳ではないのだが、雨が降っているので今日は休み。12角形から発展したガラスギャラリーの形がほぼ整い、あとは屋根をかけたり、外装内装へとつづく。約1週間のことをまとめて書こう。
11 日、作業5日目。アビ、マサさん、ハメさんが伊豆で作って来てきてくれた12枚の壁になるパネルを一気に立ち上げる。(写真下左)家というより塔といったほうが良いような筒ができあがった。ムーミンの家を思い出す。午後には多分この現場で一番の力作業、これまた伊豆で作ってきた「リング」を完成させたときと同じ高さまで持っていって固定する作業だ。(写真下の下左の真ん中の円形のものが「リング」)5人で高い場所での作業は、力が入るように足場をしっかり組まなければいけない。誰も無理はしない様に考える、一番怖いのはやっぱり怪我だから。現場では経験を積んでいる人ほど怪我には気を使う。気合入れて無理してやっちゃうのがかっこわるく感じられたらかっこいい。

左は道路から見た現場、右は別荘での食事風景

12、13日、雨や晴れや曇りの繰り返しが続く。「晴れたぁ」と思ってブルーシートをめくると雨が降ってきて、またブルーシートをかけると雨がやむ。13日、少し早めに仕事を切り上げて別荘へ帰ると大きな虹が目の前に現れる(写真下真ん中)。写真はその一部だが、空が広いので大きな半円描いていた。赤橙黄緑青藍紫、赤の外側にも何色か、紫の内側にも何色かが見えるような気がするほど濃く綺麗な虹だった。メキシコでは9色の虹が見えると聞いた事があるが、嘘ではなさそうだ。
14日午後、佳子と木材を買いに松本まで車で約2時間。買い物の途中、上高地から流れる梓川のほとりに、2、3年前に僕の足(ウチモモのやわらかいところ)を噛んだソラという犬が住んでいるので会いに行く。桂木一八(かつらぎいっぱち)さんという陶芸家のお家だ。久しぶりにソラに会うとかわいそうに皮膚病に苦しんでいて薬で治療中。僕に再度噛み付く元気は無くなっていた。敵ながら早く元気になってもらいたいものだ。今夜は奥さんが留守で一八さんが一人だというので夕飯時を一緒に過ごさせてもらった。「成功という言葉を使うから人生がややっこしくなるんだよ」など、一八さんの作る作品をそのまま言葉にしたような話を聞かせてもらった。

左から天井、虹、日に焼けちゃうよアビ&マサさん

15日、やはり今日も雨が降ったりやんだり。今日は角度定規というものを使いまくった。上から見たら12角の発展型、横から見たら約24度の傾斜屋根。それの接点の角度は計算したくないし、計算してもその通りになるわけがないので、1回1回角度を計っては木に移して、丸ノコの角度を調節してから材を切る、それの繰り返し。時間はかかるけど、僕にとっては結構面白い作業だった。
16日朝、現場に向って作業を始めようとしたら雨。屋根張りの作業は雨が降っていると危ないので中止し、施主の三島さんのガラスギャラリーを訪ね、トンボ玉作りを体験させてもらった。(写真下左)冷やすのに時間がかかるので、できたものは後日渡しに来てくれるとの事。夜、軽井沢から車で30分ほど走った御代田にある「あむねじ」というお店で「13ヶ月の暦の講演会&ライブイベント」があるというので行ってみる。(写真下右)「はからめ」のカレンダーにも書いてある7月25日の「時間をはずした日」というのは「13ヶ月の暦」からきているもの(持っていない人は今年の年末に買って!)、何か新しい収穫があるかもと思い足を運んだが、時すでに遅し、講演会はお昼に終わっていた。が、面白い人と出会った。「あむねじ」の主の仏智(ぶっち)さんは女性で、なかなか見ることができないくらいヘンテコな人。しかもそのヘンテコパワーがすごく強く、それをちゃんと絵や言葉といった形にしたりして表現をしている素敵な人だ。話していてヘンテコさ加減が気持ち良く笑ってしまうほど。そして、その仏智さんにちょこっと紹介していただき匠さんという音楽家に会った。あまり話はできなかったが、小学校の頃から何度も「匠」という一文字を書き続けてきた仲間として、会えたことだけでとても嬉しかった。

左はトンボ玉作り体験中のマサさん、右はあむねじでのライブ

そして、今日17日も朝から雨。日本各地で大雨とテレビがしゃべっている。仕事はお休みで、以前から行こうと話していた温泉へ行く事にした。ハメさん、マサさんはお疲れの様子なのでお家でごろんちょ。アビと佳子と3人で車で約1時間、高峰温泉に行った。温泉好きのアビと「熱くないから長く入っていられるね。」とか言ってゆっくり浸かっていたら、湯当たりを起こし帰りの車の中で眠ってしまった。明日はハレて、屋根もハレると良いけどなぁ   (匠)

別荘からの風景 2006年7月9日 (日)
軽井沢の別荘で生活

今日は日曜日。日曜だから休みという訳ではないのだが、雨が降っているので今日は休み。軽井沢に来てからの事をまとめて書こうと思う。
3日の夜、暗くなってから軽井沢駅に着くと今回のガラスギャラリーのオーナーである三嶋さんが迎えに来てくれて、1ヶ月使わせてもらう別荘に案内してもらった。今晩は僕達だけ。明日、伊豆からアビがやってくる。その後2人がやって来てしばらく5人での共同生活。近所のスーパーでネギトロ巻き、そば、かきあげ、を買って食べてたら、すぐに寝てしまった。やはり移動は心も体も疲れるが、今日から当分の間、移動しなくていいんだ。ちょっと気が楽。
4日、起きると周りは緑に囲まれていて、まさに「軽井沢の別荘」といった雰囲気だ。朝、現場に荷物が届くというので向った。別荘から車で10分くらいのところにある現場に着くと、これから一緒に作業をする「いたる工務店」の至君に会い、早速荷物下ろし。これからお世話になるスーパーやホームセンターを下見して、夕方、アビが到着。3人で夜を過ごす。
5日、ゆっくり過ごす。伊豆からマサさんとハメさんが到着。2人とも60歳を超える筋金入りの人間(?)と事前に聞いていたので、僕達の頭の中でいろいろ想像が膨らんでいたが、話したらとてもやさしいので、ひとまず安心した。

左は基礎、右は2日目

僕以外の4人、この写真はまじめな顔をしている6日、早速作業開始。今回建てるガラスギャラリーは「打ち出の小槌型」の建物。子供が描く、袋に包まれた飴玉(両端がクッとひねってあるやつ)のような形だ。リボン型と言ったほうが分かりやすいか・・・。一緒に作業をしている4人、左からハメさん、、マサさん、アビ、至(いたる)君。至君は軽井沢から少し離れた佐久という場所で大工さんをやっている。他の3人は、伊豆から来たいつも一緒に大工仕事をしているミュージシャン。大工さんじゃないのは僕だけ。名前は誰にも負けないくらい大工っぽいけれど。
7日七夕、作業2日目。今日は写真(右上)あたりまで。日本各地で行われている七夕祭り、最近は飾り物がプラスチックやら電飾やらで何の味気も無くなっている、変わらないのは竹の青さだけだね、なんてハメさんが話す。そして七夕は僕と佳子の結婚記念日。大阪の井上さんが持たせてくれたワインを頂き、みんなの結婚話で盛り上がった。
8日、作業3日目。今日も快晴。首の部分が日焼けで痛い。普段日焼けには気を使っていたので、こんなに痛いのは10年ぶり位。標高が1000m位あって太陽に近いからかなぁ、なんて素人っぽい考え方をしてしまう。そんな痛がっている僕の隣には裸で作業しているマサさん(ズボンは履いている)、やはり筋金入りだ。みんな口をそろえて伊豆より涼しいと言っている。

そして、今日は朝から雨。みんな、それぞれの時間を過ごす。僕はパソ 。僕はパソコン??c?????いたり、佳子はいつか僕が作ったかぎ編み棒を使って切ったTシャツを編んでいたり。アビは図面を書いている。マサさんハメさんは寝ているのかな・・・・・。  (匠)

お昼ごはんはお弁当。佳子がみんなの分を作ってくれる軽井沢の別荘で生活 まかない編

今回の別荘生活、好きな食材を買って好きな料理を作っていいというのでキャンプ生活から一転したクッキングとなりました。昆布と鰹節でおだしとったり、素材を選んだり、と楽しんでいます。みんなおいしいよ、といってくれるので今のところは上手くいっている感じ。好きに、とはいえ、お肉はほとんど食べなかったり、生魚を食べないとか、人それぞれ好みがあるので一日の半分、何をつくるかを考えています。ヘルシーで菜食向けのいいレシピがあったら是非はからめにメールしてくださいね。現在は玄米中心の菜食、ときどき魚でチャレンジしています。お料理したあとのお皿洗いをみんなが交代で手伝ってくれるようにアビがアドバイス。共同生活っていろんなコミュニケーションが生まれるので勉強になります。料理、洗濯、掃除。日本の女性はあたりまえにこなしているけれど、どこまでやるか、どうやって一緒に参加してもらうか、ここで訓練してみようかな、なんて思っています。コミューン生活みたいでしょ。
料理といえば、四国の四万十塾、長野の遊学舎(現在、神稲いのちのフロンティア)、琵琶湖大阪キャラバンの井上さん
、東京のBeGood Cafeなど、みな美味しくて楽しい食事のスタイルでした。ここから学ぶべきこと多し。人の出会いがはからめを成長させてくれています。 (佳)

なぜかこういう写真を撮りたがる 2006年7月3日 (月)
軽井沢に向けて

「あやしげセイドウくん」に「またね」と告げて軽井沢へ向けて車を走らせる。今晩から約1ヶ月軽井沢に住む事になる。ガラスの体験工房を建てる大工仕事だ。
途中、時間が無いため仕方なく普段は乗らない高速道路。「やっぱ早いなぁ」と感動するものの、「やっぱり高いなぁ」がついてくる。
暗くなってから軽井沢駅に着くと今回のガラス工房のオーナーである三嶋さんが迎えに来てくれて、1ヶ月使わせてもらう別荘に案内してもらった。今晩は僕達だけ。明日、伊豆からアビを含めて3人がやってくる。しばらく5人での共同生活。近所のスーパーでネギトロ巻き、そば、かきあげ、を買って食べてたら、すぐに寝てしまった。やはり移動は心も体も疲れるが、今日から当分の間、移動しなくていいんだ。ちょっと気が楽。
※ここ軽井沢の別荘はインターネット繋がらない。そして、これから大工じゃない僕が大工仕事をするので結構疲れて帰ってくると思う。だから頻繁に更新ができないと思うけど、作業進行状況や、どんな工房になるのかなど、できるだけ書こうと思うので、これからもたまに覗いてみて。   (匠)


関連サイト: 三島さんがすでに経営している Glass Gallery Arms

ブラウンタビー 2006年7月2日 (日)
ブラウンタビー

たくさん寝た後、朝ごはんをたくさん食べて、食材をたくさん頂き、井上さんと大阪見学に。午前中からディープな大阪を案内していただいた。
井上さんに別れを告げて、東大阪にある友達夫婦のユンボ君とコエダが経営しているブラウンタビーというお店を訪ねた。古着や雑貨を扱っているブラウンタビーは、気取ってなくて、僕の好きな感じの素敵なお店。お店に集まってくる人たちの顔は笑顔にあふれていて、「いい感じで回っているんだなぁ」と思った。これもユンボ君とコエダの人柄か・・・・。お昼は、お店の前でバーナーを組み、お客さんも一緒に
パスタを茹でて食べた。そんな事ができてしまうお店ブラウンタビー、大阪に寄った際には「いつも、はからめがお世話になっています。」と遊びに行ってみよう。
ユンボ君とコエダに別れを告げて、次に向った先は、昨日連絡を頂いた俣野さん。僕達は川や湖をカヌーで行くとき、そこの水を汲み、次の場所まで運んで水を流し、そして混ざった水をまた汲んで次の場所まで・・・・。といった事をしながら水をつなげる旅を続けている。その水を運ぶ容器が情けない事にペットボトル。「いつか素敵な入れ物が見つかるよ」とか言ってペットボトルを使い続けていた。そしたらそれを知った俣野さんが「たまたま整理していたら、ダンテ・マリオニが吹いたガラスのビンが出てきたからもし良かったらどうぞ」と言ってくれたので早速頂きに行く事に。ダンテ・マリオニが誰なのか全く知らなかったが、俣野さんに会いそのビンを見せてもらったとき、「まさにこんなボトルが欲しかった」と思った。なんの変哲もない普通の透明のビン。「インディージョーンズ最後の聖戦」でインディーが沢山の杯の中から選んだ、いかにも普通の木の器を思い出させるような、見飽きる事がないというのか、とにかく普通のビンだ。「使っているところをダンテに見せてやったら喜ぶよ。」と俣野さんは言ってくれた。
俣野さんに別れを告げて京都、松尾大社の近くに住む友達「あやしげ」の家へ。「あやしげ」といっても妖しげな訳ではなくあやちゃんとしげちゃんという夫婦&セイドウくんという1才ちょっとの男の子の3人家族のこと。しげちゃんは宮大工さん。あやちゃんは自然の声を人間に伝えるインタープリター(通訳者)。北海道出身の2人に美味しい幸(さち)を頂き、またまた布団で眠らせてもらった。今日はいったい何人に別れを告げたのだろう。
※サイトをアップしたとき6月29日の「グリコまでの道3日目」を丸々消してしまった事に気がついた。しかも久しぶりに佳子が書いてくれた日。すごく申し訳ない気持ちはここに書いたからといって癒される事はないが・・・・ごめんよ、しこ。また書いてもらうのも変なので、読めた人はラッキーということで今日はおしまい。   (匠)


関連サイト: ブラウンタビー 俣野さんのサイト

ついに道頓堀 2006年7月1日 (土)
グリコまでの道 最終日

今日は最終日、本当にグリコまでたどり着けるのか?なんて「?」を書いても写真を見ているから何の意味もなく、皆さんのおかげで大阪までたどり着く事ができた。
昨日炊いたご飯の残りを朝ごはんに食べた。昨日の計画では、午前中の風がない時間に距離を稼ごうという事だったが、起きてみるとすでに強烈な向かい風が。午前中も向かい風が吹くということを覚えて僕達は出発した。
淀川から、大阪市街を流れる大川に入るときに水門が閉まっており予定外のポーテージ(カヌーと荷物を陸を運び、その箇所を越えること)をすることになった。井上さんと松原さん(井上さんの友達)のサポートでかなり重たい荷物を運んだが無事に水門を超える事ができた。大川に入り少し進むと大阪城が左に、そして中之島近くにあるギルドギャラリーに立ち寄る。ギルドギャラリーはちょうど今日がオープニング。大川が見渡せるとても分かりやすい場所にあるギャラリーだ。パーティー会場で少しだけ「はからめ」の紹介をしていただき、出展している作家の方やその友達の方々に見送られながら道頓堀に向けて出発をした。
道頓堀に入るには水門を通らなければいけない。すでに申請済みの許可証を持って僕達はカヌー1艇で水門の前に立ちはだかった。夜7時、小さなカヌー1艇のために大きな水門が開く。少し進
むとちょうど道頓堀に入るところでソースの匂いがしてきた。「これがほんまの大阪や!」とは言っていないが、心の中ではそんな気分。そして、えびす橋、はからめのために水鳥観察センターから駆けつけてくれた館長の村尾さんが写真を取ってくれた。ここは大阪、やはりしなければならないグリコのポーズ。4泊5日の目的?を一応達成し、ゴール地点の大阪ドーム近くへ。ゴール地点は水辺のバー。おしゃれな若者が綺麗な光に包まれながらコロナビールとか飲んじゃっている所に突然カヌーで現れる。暖かく4泊5日の旅のゴールを迎えてくれた。そのバーで「無事到着、皆さんありがとうの会」 。お店のオーナーの山崎さん、ものすごい重病と付き合いながら片手にビール、もう片手にタバコ。生きている意味、本当に幸せな人生、僕達に出来ること、などなど「僕達がやっている事は間違いではない」と僕は言われている様な気に勝手になっただけか、とても意味のある話をしていただいた。そのあと、想像を絶する?井上さんの自宅でご家族の皆さんにお世話になり、たくさん食べ、たくさん飲み、たくさん話して、久しぶりの布団でぐっすり眠る。琵琶湖と大阪は本当に水で繋がっていた・・・・・・。  (匠)


関連サイト: 新旭水鳥観察センター 俣野さんのサイト 村尾さんのサイト

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