外観 2006年8月27〜9月3日
再び軽井沢

軽井沢の夜は涼しいというか寒いくらい。それくらいの方が気持ち良く眠る事ができる。27日早速現場に向うと、外壁が綺麗に塗られていて、屋根、水道やガス、外回りなど、僕達がいないうちにいろんなことが進んでしまっている。やっているところを見たかったという気持ちもあるが、見たところで・・・というのもあるし、プロの人達に任せておけば良いというのもある。とにかく僕が最後に見た現場とはずいぶん違っている。
さて、僕がするのはまず、壁に断熱材を入れる作業。グラスウールという素材のものを壁の中に入れるのだが、これがチクチクして落ち着かなく、できるだけ早く終わらせたい作業だった。このグラスウール作業で2日間。
マサとハメさんが軽井沢入りして別荘に前半のメンバーがそろい、続きがスタートしたって気持ちになった。みんな相変わらず元気そうで良かった。
それから約4日かけて 、僕はチクチクしながらがんばった断熱材を隠すかのように石膏ボードを打ち付ける作業。天井にボードを張る作業が結構大変だ。12角形から斜めに立ち上がる天井の角度をひとつひとつ測っては切って測っては切る。上ったり降りたり、ずーっと上を向いていたので首が疲れた。
再び至君が参加したり、
マサの息子のコウタ君が遊びに来たりする。

作業の様子

9月10日くらいには完成させたいとの事。それまで約1週間、スムーズに進むといい。下の左の写真は、キュウリとナスとシシトウで作った別荘生活のメンバー文字。タクミとよしこがやたら幅を利かせているが、実際はそんな事ない。僕達は、ここにいる間に「はからめ月のカレンダー」を少しでも進めようと思ってはいるのだがなかなかそうはいかない。今回、旅をしながら見てきたものや、聞いてきた事が沢山詰まっているカレンダーにできたらとても嬉しい。

写真右は左からアビ、マサ、ハメさん

仕事を始めてから約1週間がたった。現場に行く車の中や、仕事をしている間、面白いこととか考えたりしているのだけれど、いざパソコンの前に向うと、今日は〜をしました。のような小学生の日記みたいな文章になってしまう・・・・ということは僕は小学生の日記みたいな文章しか書けないっていう単純な事だ。なんて思ったりすることもある。そう、昨日壮大なスケールの夢を見た。何か災害にあった被災地に、小学校からの同級生アックンとサトマサといる。なぜかそこから豪華客船に3人で飛び乗ろうとジャンプ。僕とアックンは船につかまってよじ登れたのだけれど、サトマサは船につかまれずに海の中に落ちてしまった。陸からジャンプしただけだから溺れる事は無いだろうと思ったけれど、「あれ、サトマサってスイミングスクールに通ってなかったし、あんまり泳いでいるところ見たことないなぁ」とか思って客船の中で心配になっている僕とアックンは船内で座っている。そんな事は夢のほんの一部で、夢自体はもっともっと壮大なスケールの夢だったのに、なんだか忘れてしまった。そういえば、今朝起きたらどこかの客船が沈没したっていうニュースをやっていたような。  
 (匠)

眠り猫、お米 2006年8月26日(土)
日光〜田んぼ〜軽井沢

朝6時ごろ、少年野球の試合が始まったようだ。うるさいが、休日に運動公園でテントを張った僕達が悪い。
今日は昼前に日光。神橋が架かる大谷川の水がとても綺麗だった。綺麗な水を見ると自分の血液が綺麗になったような気持ちになると思っているのは僕だけだろうか。東照宮とか見てみる。小学校の修学旅行で来た以来だ。なぜ三猿や眠り猫が有名なのかを知りたい。東照宮はとにかく派手。そして見る物が多い。二荒山神社で落ち着きを取り戻し、佳子はおみくじを引く。その後、僕達は群馬県の秘密基地にある田んぼを見に行った。
穂が立っていた。お米がなっている。ずいぶん早いんだなぁと思う。そして僕達はほとんど何もしていない。しかし何もしていない分やっぱり鳥達と半分ずつになりそうだ。周りの田んぼはまだ穂をつけていないので、あたり一帯でスズメ達の餌は僕達の小さな田んぼに集中している。たのむから全部は食べないでおくれよ。
軽井沢に着いたのは暗くなってからだった。これから約2週間、軽井沢の別荘暮らし第2弾だ。目的は建物の完成、そしてグラスギャラリーの営業開始だ。(詳しくは7月3日あたりのページを見て)とにかく涼しい軽井沢、またまた更新が時々になるので時々見て欲しい。そして「はからめ月のカレンダー」製作中。
  (匠)

遠野、見えないけれど炭焼き釜の前で。 2006年8月24、25日
遠野

24日朝、八戸の海、日の出を見た。26日にまでに軽井沢に着こうと決めたは良いが、青森からただただ車を走らせるのはもったいない。けれどゆっくりもしていられないので、以前から訪ねたいと思っていた岩手県遠野に住む菊池アキラ、晶美(まさみ)夫妻に会いに行った。晶美は佳子が始めてカヌーに乗ったときのパートナー、そしてアキラさんに会うのは今回が始めて。山や雲や夕焼けが映る川をみて「日本の風景とはこれよね」と口に出してしまう、遠野はそんな所というか遠野の今日はそんなだ。夕飯の支度をする前に近所に住むアキラさんのご両親に野菜をすごく沢山頂いた。聞くところによると、どうやら自分達では食べられないくらい沢山作っているらしい。友達も加わり、その野菜プラス菊池家が用意してくれたお刺身や美味しいお酒などでおなかいっぱいご馳走になった。ワサビを作っているアキラさんの話や晶美のとにかくいろんな話、遠野の話などで盛り上がる。晶美は僕が知っている人間で2番目に沢山しゃべる人の3倍しゃべる。お世話になった2日間で無口な人間の一生分を話していた。しかし、その話すことのほとんどが興味深い内容というところが興味深い。
25日、昨晩一緒だったスダッチがいる近くのコテージに寄り、炭焼きをしている方々と会う。少し話した後、遠野に別れを告げ、軽井沢を目指して車を走らせるが、疲れていたので郡山近くでテントを張る事にした。
写真2枚目は遠野に着く前に寄った岩手県の龍泉洞の地底湖。こんなに透明な水は見たのは初めてだった。42mも先が透き通って見える世界一の透明度らしい。  
 (匠)

何も無ければ、全てがある森 2006年8月23日(水)
六ヶ所村 核燃料再処理工場

朝7時30分発、青森行きのフェリー乗り場。売店で僕はなぜか「全国ネズミ捕りマップ」なる本を手にしてこんな本が出ているのかぁ・・・なんて思う。昨晩は函館山の上で眠った。何万円の夜景だかを見ようとしたが霧が濃く全く見えなくて、その場で眠ってしまったというわけだ。
フェリーに乗って青森まで。青森の着いたら以前より行きたいと思っていた六ヶ所村にある核再処理施設に向った。その途中、警察官がはからめ号の前に立ちはだかる。広場へ誘導され「スピード違反の取締りをやってまして・・・・」25kmオーバー、3点減点、18000円罰金。今朝、生まれて初めて手にした本と、もうすぐゴールド免許と思っていたほど違反をしていなかった僕。予兆を感じる力が足りなかったというのか・・・。
で、しょんぼりばかりしてられない六ヶ所村。村に入ると「みんなの力で成功させよう核燃料リサイクル」みたいなニュアンスの看板があちらこちらに。「〜反対!」の看板はひとつも見ない。反対派は相当辛い思いをさせられているのだろうと感じる。村人の影がほとんど見ないのにあちらこちらの施設がやけに新しい。村の偉い人たちは沢山お金をもらっているんだろうなぁと感じる。僕達は核再処理施設を見渡す事ができる六ヶ所原燃PRセンターに行ってみた。もちろん「核再処理はこんなにすばらしい事なんですよ」といった事をPRする為の施設だ。そんな施設に本当の事があるはずがない。花王やライオンといった企業がスポンサーについているTV番組で合成洗剤は
水を確実に汚している事実を言うはずが無いのと同じだ。展望台から見える施設はウラン濃縮センター、低レベル放射性廃棄物埋設センター、などなど。事実、ここの再処理施設が海に流す排水からは日本全国の原子力発電所から微量に漏れる放射能の1年分が1日で排出されている。誰がそんなところの海で獲れた魚を食べたいと思うのか?だれがそんなところで子供を育てたいと思うのか?何十年も経たなければ影響は目に見えない。今はまだ大丈夫だというのか?
この国で60年前、原子爆弾を落とされた地獄のような大地を、肌がドロドロに溶けた人間がゾンビのように歩きながら何を考えていたのか、その人達と同じ国の人は今、何を考えているのか?それと同じ物だと誰もが知っているのに・・・・・。  
 (匠)

余市川、ゴール後、まだトマトが沢山ある。 2006年8月20〜22日
1泊2日 余市川の旅

20日、いろいろ体験した一万年祭を後にして札幌に住むヒロアキ君とサオリちゃんを訪ねるため車を走らせた。はからめ号には一万年祭で再会した札幌近くに住む静御前も一緒だ。夜、静御前宅近くにある回転寿司屋さんに3人で入った。北海道は回転寿司でもすごく美味しいという噂は本当だった。僕は大好きなタコを2皿食べてとても満足。静御前を送り届け、10時ごろヒロアキ君サオリちゃんに再会。明日カヌーに乗って川を下ろうと話して眠りにつく。
翌21日、久しぶりに家庭の食卓朝ごはんを頂く。ご飯が美味しい。今日明日と1泊2日の予定で余市川という札幌から車で2時間弱、小樽近くの川を下る事に。スタート地点近くの農家に旅の間使う水を頂くためお願いに行くと、
「トマト持っていくかい?」と大きなトマトを30個ほど頂いた。トマトをかじりながら、お昼ご飯を河原で食べてカヌーに荷物を詰め込み早速出発。今日は少しだけ下った所にある河原で野営。石ころが少し大きかったが、人工物がほとんど見えない素敵な河原だった。トマト料理を含むご飯を食べて、焚き火を囲み、雲の隙間から見える星を眺めながら、いろんな話をした。
余市川22日、雨が降っているなかコーヒーとか飲んだり、トマトを使った朝ごはんをたべたりと、ゆっくりとした朝を過ごす。本日の
ゴールは余市湾、海だ。途中倒木をノコギリで切りながら進み、ジャングル探検隊の気分を味わったり。釣りをやっているおじさんは僕達を歓迎してくれなかったが、カワセミやヤマセミが歓迎してくれているようだった。お昼ごろ川幅が広くなり、余市の街が見えてきて、余市川河口でゴール。わかってはいるけれど川と海は繋がっているんだなぁと実感する瞬間だ。荷物を車に詰め込んだ後、宇宙のにおい漂う余市川温泉に入ってリフレッシュ。余市は宇宙飛行士の毛利さんの故郷らしく街全体が宇宙に染まっている。いたるところに張りぼてのスペースシャトルが転がっていたりするのが気になる。 内容の濃い1泊2日の旅を終え、2人に別れを告げて僕達は北海道の門、函館へと向った。   (匠)

アイヌモシリ 一万年祭 2006年8月17〜20日
アイヌモシリ 一万年祭

18年目を迎えるこのお祭り、かつてアイヌの集落があった場所で毎年お盆にアシリレラさんというアイヌの伝統継承者がこの地を守り開催しているお祭りです。毎年たくさんの人たちが日本各地、外国からもやってきます。わたしは4年ぶりに参加させてもらいにきました。
釧路川を下ってからようやくたどり着いたときにはテントがたくさんはられていて、わたしたちは川向こうをキャンプ地としました。川の流れで4年前とはずいぶん地形が変わっていて、雨が降り続いたらこの河原も増水するんだろうな、と思っていたら、何とその通りになってしまい、朝を迎える前に撤収することに。テントを残したまま夜のうちに非難した人もいました。びしょびしょになりながら次のキャンプ地を探し、砂利道の前のいちばん高いところにテントを張って、ここならまず大丈夫、と再び生活をはじめ、夜になりやっと眠りについたころ、匠くんが「石が流れる音がする。起きろ。」の一声で目を覚まし、暗闇の中テントを開けると目の前が川になっていました。大きな石が流されるくらいの水量にまでなって、道が降り続く雨で川となってしまったのです。夜中のうちにキャンプ地のみんなで石や廃材を積んで堰をつくり、キャンプ地に水が流れてくるのを防ぎました。みんな必死です。ここで眠りにつくのは不可能と判断し、朝まで車に非難しました。
濁流の貫別川朝になり雨はやみ、ようやく人と触れ合う余裕がでてきたころみんなはどうしているんだろう、とステージ近くを見に行きました。テントを流された人たちがかなりいたようですが、死傷者も出ず、みんな無事。この会場がいっきに難民キャンプみたいになりました。幸い、囲炉裏も薪も食材も無事だったので、ここに来た人は誰でも休めるようにしようとわたしたちも3度目の家作りです。4年ぶりにあったれいこさんは川の近くでテントを張っていて、やはり2晩も撤収を経験し、その夜の恐怖心を語ってくれました。「かつてこの場所は2回も強制移住をさせられたアイヌの人たちの集落だったんだよ。今回の祭り、それを体験したね。」

翌日は晴れて、アシリレラさんのもと、カムイノミ(お祈り)が行われ、無事お祭りが終わりました。今回のお祭り、人それぞれとても深い経験をしたみたいです。わたしはありえないと思ったことでも起こりうる可能性があるってこと、そして災害時に自分はどう動くべきかってことを考えるようになりました。 (佳)


関連サイト: アシリ・レラ公式サイト  「イメル レラ」

さなえちゃん、ジンさん、佳子 ・ 夜の風景 2006年8月16日(水)
ストロベリーハウス

イチゴの家。とよく勘違いされるのはストローベイルハウス。「ストロー」はジュースを飲むときに使うストローで中が筒状のワラの事、「ベイル」は「包む」、わらに包まれた家、わらを包んだ家か、とにかくわらで作った家だ。
昨日からお世話になっている「わっか」の基地、ガッテンの家は、そのストローベイルな家だ。家の中は何もしなくても夏は涼しく、冬は氷点下を割らないという。中で過ごしていると自然に包まれているやわらかい落ち着きがある。
ガッテンをはじめ、わっかのスタッフが忙しく動いている中、見えないけれどはからめの新商品「壁掛けキャンドルホルダー」を持っているさなえちゃん(写真左)と、わっかスタッフのジンさん(写真中央)に別れを告げて「アイヌモシリ一万年祭」が行われている二風谷へ向った・・・・・、が途中暗くなった来たので無理をせず清水あたりで車を停めて、小雨の降る中、ご飯を炊いて、お味噌汁作ったりと、いつもの生活。車の音が少しうるさかったが、テントを張って 明日二風谷に向う事にした。  
 (匠)


関連サイト: ガイドステーション わっか

釧路川 2006年8月15日(火)
くしろがわっか

旅の途中に出会った人とカヌーの話になると「じゃあ釧路川とか下られたんですか・・・?」と聞かれることが多い。その度に下った事がない僕は「良い川だと聞きます、下った事は無いんですけど・・・・」と答てえていた。カヌーに乗るようになってから何度となく話に出てくる釧路川という名前の川、今日その川を下った。
14日、以前四万十で出会った、ガッテンとサナエちゃん達がいる「ガイドステーションわっか」を訪ねた。「わっか」は釧路川を中心にカヌーやネイチャーボートを使ってガイドをしてくれるところだ。ガッテン達に久々に再会し、明日改めてお邪魔する事にし、僕達は屈斜路湖の湖畔でテントを張った。
15日早朝、カヌーに荷物を積み、屈斜路湖から流れが始まる釧路川へ。これがみんながクシロガワクシロガワ言う理由かぁ・・・と、ダンテビンに入った水を釧路の水に合わせながら思う。空は曇ってはいたものの、水はエメラルドグリーンの透明度を保ったままもっと濃くした色。これは晴れたらやばいぞ・・・・そんな感じ。細かい蛇行が続く。曲がるまで曲がった先が見えない(あたりまえか)。上流部は倒木、中流部は岩を避けながら「ついに北海道の川を下っているんだね。」とか話しながら。
夕方、ガッテンに迎えに来てもらい、今晩は「わっか」にお世話になる。佳子はミチト(ガッテン、さなえちゃんの息子)から釣りのイメージトレーニングを受け、シュウタ(ミチトの弟)をダッコしている。忙しい時期に訪ねてしまって申し訳ないとは思いつつゆっくりさせてもらった。夜はお酒を飲みながら川の話や、北海道の話、ニュージーランドの川に繁殖した藻の話などなどガッテンが建てたストローベイルハウス(わらの家)のなかで眠くなるまで・・・・。  (匠)


関連サイト: ガイドステーション わっか

ハマさんと花火大会 2006年8月13日(日)
帯広花火大会

11日午前中、フェリーの中を満喫。揺れるお風呂に入ったり、ブルース・ウィリスとミシェル・ファイファーが夫婦役の映画を見たり。午前11時前、苫小牧に着くと何事も無かったように陸に下りて車を走らせていた。
北海道で始めてのお昼ご飯はホッキ貝が有名な苫小牧でホッキ丼。北海道では15日〜20日に二風谷(にぶだに)というところで行われるアイヌのお祭り「アイヌモシリ一万年祭」に行くことや、釧路川くだりを予定している。
北海道に着いたらあの人に会おうと思っていた人が何人かいる。そのうちの1人がはからめキャラバン5月8日に登場している那珂川で出会ったハマさんだ。早速連絡をしてみると13日に帯広で行われる花火大会に行くとの事。そんなに遠くないので帯広まで走り始める。途中、この後行くことになる二風谷でテントを張って1泊。北海道には本州とは違った空気が流れていることを感じる。
12日、朝ご飯を食べ日高にある図書館で「はからめ月のカレンダー」をちょこっと制作。今年のカレンダーは旅をしながら少しずつ作っているので、完成を楽しみに。昼過ぎに帯広に着きハマさんとネコのサスケに再会。早速ビールで乾杯。花火大会は明日なのに帯広川の河川敷には前日の昼から車がずらーっと並んでいる。一番良いと思われる場所は、意味があるのか分からないけれどトンガリやギザギザが付いていてエアーブラシで「浜崎あゆみ」とかの絵が上手に描かれているピンクや紫の車達がビニールテープとかで陣取っている。次に良いと思われる場所にはキャンピングカー、ほとんどが北海道ナンバーだ。その次位に良いと思われる場所にハマさんが僕達の車が入る1台分の場所を空けておいてくれた。お互い離れていた約3ヶ月の出来事などを話しながら夜は3人で前夜祭の気分だった。
13日花火大会当日。とにかく今日はゆっくりデー。朝起きたり、昼に寝っころがってみたり、夜はもちろん花火を見てみたり。花火といっても特別な花火ではなく、みんなが想像できる花火大会だ。花火大会の面白さよりもハマさんやハマさんが旅で出会った人達と僕達が出会うことが何よりも楽しかった。   (匠)

仙台からフェリー 2006年8月10日(木)
北海道?

今年の夏、北海道まで行くという予定があったが、軽井沢の大工仕事や日数的な問題があって行けないかなぁなんて考えていた。が、今僕は北海道苫小牧行きのフェリーの中でこの文章を書いている。
阿武隈川から少しでも北へと仙台まで。昨日9日に郡山を出発したのだが、お昼ごはんを安飯屋で食べたらどうやら睡眠薬が入っていたらしく2人とも睡魔に襲われたどり着けなかった。仮眠を取ったつもりが辺りが暗くなってきたので白石というところの公園でテントを張らせてもらった。
今朝、まだどこへ行こうか迷いながら地図を見ていたら、仙台から北海道までフェリーが出ている事に気がつく。2人で話し合い北海道へ行くできるだけの事をしてみようとフェリー会社に電話し、昼過ぎにフェリー乗り場にたどり着く。すると本日は満席と言われ、僕達は「キャンセル待ち」というやつをやってみる事に。夜の出港時間前にもう一度ここに来るまでは今晩どこで寝るか分からない、だけど僕達はそんな毎日だから特別な気持ちはしないけれど。時間が空いたので松島までドライブ。松が生えた島が沢山あるから松島なんだね、とか言いながら。
夜7時半、フェリー乗り場受付ロビーの前にはキャンセル待ちのカードを持った人達が集まっている。僕達が乗りたいと思っている船はフェリー・オブ・ザ・イヤーに選ばれるほど人気の船らしく受け付けのおねーさんはキャンセル待ちのことを「難しいかも」
とボソッと言っていた。なんだか合格発表を待っている気分、とてもドキドキする。結果一番安い席は空かなかったが少しお金を出して乗れることになった。片道2人で約4万5千円、復路のことを考えるとかなりの出費だが、今は今しかないと今思い今動いてみた。
こんなに大きな船に乗るのは生まれて初めてだ。とにかく大きい。さっき船内のホールでイタリア語の歌を聴いてきたのだがその歌手がこの船は全長199,9mだと言っていた。バーもある、お風呂もある。缶ビールは250円と良心的。外のデッキに出るとまん丸お月様が海を照らす。
明日10時ごろ北海道に着く予定だ。それまで船内を満喫しよう。北海道に行こうとして良かった。
  (匠)

阿武隈川 2006年8月8日(火)
阿武隈川

獏原人村から水を求めて猪苗代湖に行こうと思ったら、途中郡山の近くを流れる阿武隈川に出会う。やっぱり川を下りたいと昨日の夜は阿武隈川沿いでテントを張った。そして朝、日帰り気分の荷物で出発。初めての川なので無理がきく2人だけの旅は、約18kmの道のりならぬ川のり。川海苔はただただ美味しい。下り始めると気持ちの良い瀬がいくつかあり、僕もなんだか嬉しくなってきたみたい。護岸工事されていない景色もあり、「とってもいい川だね。」と2人で言葉にするが、その後に「水が汚いけれど」が付いてくる。少し匂ったりもする。すごくもったいない気持ちになった。今日下った阿武隈川、すごくいい川。水が綺麗だったら大人も子供も老人もみんなで遊べる素敵な川。
僕がもったいないと言うのは、救いがありそうだから言うわけであって実際、流域に住む人間の少しの努力でこの川は変わるというか元に戻る感じがした。このことは逆に、流域に住む人間の努力が少しも感じられない川とも言える。しているのかもしれないけれど僕には感じられなかった。これは大人も子供も老人も馬鹿も天才も水の上に浮かべばすぐに分かることだ。川と人が離れている。街を見れば馬鹿みたいに東京を目指し、川を見れば救いの無いドブ川を目指しているようだ。
さて、水合わせ。今回始めて登場するのは、琵琶湖の俣野さんに頂いた、ダンテ・マリオーニが吹いたガラスのビン。器が那珂川で拾ったペットボトルから、この世に1つしかない何の変哲も無い素敵なビンに変わった。大阪ドーム横を流れる尻無川からここ、阿武隈川へと水が繋がった事になる。
今回下っている途中、この川ならまだ大丈夫と思いながら飛び込んでみた。汚いとは言うけれど、魚も住んでいるしハグロトンボやカワセミだっている。動物達がいなくなる前に人間が気がつかなければいけない。
  (匠)

満月祭 2006年8月4〜7日
満月祭 in 獏原人村

福島県の獏原人村というところにやってきました。ライブ盛りだくさん人も車も盛りだくさん。ここは個人の私有地らしく、何やってもよいところだからといわれて(持ち主にじゃなくて友達にいわれた)どんなところなんだろう、どんな人が集まるんだろう、と観察すれば、みんな原人みたい?でおもしろいところ。きれいな川が流れていて、そこで水浴びするのが毎日の楽しみとなり、薪も充分あるし、焚き火で毎日ご飯を作って日々の生活は原人化してきました。まあ、いつもとあまり変わらないといえば変わらないか。この祭りで一番喜んだことは、出会った藍ちゃんという女性から四万十塾にクニというスタッフが入ったというニュースを聞いた事。多分、このニュースきいてこんな喜んだ人、この祭りで私たち以外いないだろうな。四万十塾長とーるくんさぞかし喜んでいるだろうと、しばらくその話が酒の肴になりました。 (佳)


関連サイト: 獏原人村満月祭

田 2006年8月2日 (火)
はからめの田んぼ

田んぼの様子を見に行った。普通は草取りやら水加減やらで毎週もしくは毎月田んぼのお世話をするものなのだろうけど、今は旅の最中なので行けるときに行くしかない。ちゃんと育っているだろうか、どきどきわくわくちょっと心配しながら田んぼへ行くと、やった!元気に成長しているではありませんか。そして稲を囲むように草も生い茂っていて、かなりワイルドなはからめの田んぼとなっていました。 (佳)

アジール八ヶ岳 2006年8月1日 (月)
お世話になりました、アジール八ヶ岳

昨日、カナディアンファームでサヨコオトナラのライブが終わった後、再び鉄の柱の変な家にお世話になった。この鉄の柱、実は線路のレールを曲げたもの(写真)。家主と家主よりも家主っぽいB。2人が住んでいるこの家を「アジール八ヶ岳」と命名したみたいだ。ここ数日間は本当にゲストハウスのようだったので宿帳も作ったという。もちろん僕達も書かせてもらった。
昨日の夜は焚き火を囲んでいた。みんなの見守る中、ついに琵琶湖から大阪湾への旅の途中に形を作ったお猪口風の焼き物を焼いてみた。なぜかみんなも緊張する中、オレンジ色に燃える炭の中へ乾ききった器を放り込む。野焼きというやつだ。朝、早起きした佳子に笑顔があふれる。「焼けてたよ。」次々に起きてきた人が次々に喜ぶ、嬉しい。口をつけてみたりした。
お別れする前にみんなで写真を撮った。僕のF3(ニコンの一眼レフカメラ)の白黒フィルムにもみんなが写っているがいつ現像するかは僕にも分からない、からみんなはもっと分からない。
サヨコオトナラと行動を共にしているウメちゃんに紹介してもらい小淵沢付近でVDF(てんぷら油から作ったディーゼルエンジン用燃料)を入れることができた。はからめ号に初めてVDFだ。  (匠)

 2006年4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月