昼の風景 2007年9月29〜30日
ウドゥンボートビルダーズミーティング
Wooden Boat Builders Meeting


26日、琵琶湖で開催される「ウドゥンボートビルダーズミーティング」のため、琵琶湖に向って車を走らせた。「ウドゥンボートビルダーズミーティング」とはその名の通り、木で舟を作る人たちのミーティングだ、ちょっと長い名前だが。
29日午前中から続々とボートを積んだ車が集まってきた。車のナンバーはいろいろ横浜、群馬、神戸、名古屋など、スタッフもあわせて30名以上、集まったウドゥンボートは14艇。今回のミーティングは前回三浦半島で行なわれた第1回目に続き第2回目だ。
夕方に僕達が「はからめキャラバン in NewEngland」のスライドショーを約30分、その後みんなで食事という以外は特に決まったプログラムがない、とっても自由な感じのイベントだ。自分達が作った舟を持ちよって見せっこ、それだけで時間がどんどん過ぎていく。孤独なアマチュアボートビルダー、土日を使って、自分で海外から本を取り寄せ翻訳し、奥様にため息をつかれながら、家の片隅に自分で建てた小さな倉庫でコツコツと自分の夢を作り上げている、そんなイメージだ。というのはちょっと言いすぎだがなんとなくそんな感じだ。だから集まった人たちの会話はマニアックそのもの、素人には全く何言っているのかわかりません状態、僕でもわからない言葉が続出、これはすごいミーティングになってしまった。
夜の風景そして「はからめキャラバン in NewEngland」の時間がやってきた。あらら、何話せばいいんだろ?なんて思っているうちに本番だ。しかし人前に出ると意外と言葉が出てくるもだ(下手なりに)、後は長くならない事だけを気をつけてパッパッと次から次へ。そして、ちょっとだけ時間オーバーして無事終了、あぁ良かった。
そして食事、数ヶ月前から「旅のカフェ」を引き継いでくれているキョウコちゃんと、水鳥観察センターのオーナー井上夫妻が用意してくれた美味しい食事で会話がよりいっそう弾む、もちろん内容は「マニアック」。
30日、朝から雨が強くなったり弱くなったりといった天気。それでもセーリングしている人がいたり、雨の中話が止まらなかったりでみんな琵琶湖を満喫したみたいだった。次はいつどこで行なわれるかわからないWBBMだが、ボート、カヌーを造ってみたい方々、また興味がある方は、こちらのWebサイトをチェックしてみていただけると嬉しい。   (匠)


関連サイト: 奥琵琶湖ウドゥンボートセンター ・ ウドゥンボートビルダーズミーティング
アマチュアボートビルダーの情報交換ページ GLーLabo

よくやったでしょ。 2007年9月14〜25日
時差ぼけ1週間  A week with jet lag

久しぶりに10日以上更新しなかった。その間何やってたかというと・・・・お昼の眠さと戦いながら(ウソ、戦ってない。)カレンダー制作、それと僕は髪の毛切ったり、新聞読んだり。
23日〜25日はこのサイトにも時々登場する、群馬県にあるはからめの秘密基地に。そこにある納屋の2階、20畳ほどあるだろうか、そこを綺麗にしてみた。結構な重労働だったが自分達でも良くがんばった、と思えるほど良くがんばった。実はその場所を、できれば僕達はからめの事務所、兼アトリエ、そしてカレンダー製作工場として使えれば良いと思っているが、今後、どうなるか・・・・・?
そろそろ時差ぼけなんて言ってられないし、これから冬にかけてはカレンダーの季節、ということははからめの季節だ。ちなみにカレンダーの出版予定は10月10日頃。今年も素敵なカレンダーに仕上がりますように・・・・・って僕達が神か仏かにお願いしても意味無いか、僕達が作るんだから・・・・・・んっ?・・・・って事はもしかしたら僕達が神か仏なのかもしれないって事かぁ、多分そういうことなんだろうなぁ。   (匠)

移動はこんな感じ 2007年9月13日 (木)
日本へ  Back to Japan

朝6時起き。部屋の掃除をして、魚達に別れを告げ地下鉄の駅まで歩く。2ヶ月前、「帰りは荷物が増えて大変かなぁ」と思っていたが、思ったよりも荷物が少ない、もっと買い物しちゃえば良かったかな・・・・。
地下鉄と電車で1時間弱、ニューアーク国際空港。次の瞬間飛行機の中、次の瞬間成田空港、次の瞬間京浜急行、次の瞬間横浜の実家、あっという間だね。
みなさんご存知だろうと思うが、僕達の仕事は生活そのものであり、この僕達の仕事に休日は存在しない、時々なまける事はあるが・・・・。この経験、それはこの2ヶ月に限ったことではなく今までの経験すべて、そして今まで繋いできた友だちの輪などをフルに使って今日を生きる、それが僕達の今日の仕事だ。勘違いかもしれない、勘違いでもいい、今しか僕にしかできない事があると思い込みながら、これからも日々を一生懸命生きることにしよう・・・マンガとか読みながら。  (匠)

ジャッキーに頼みごとを聞いてもらっている、匠・佳子・ジャッキー 2007年9月12日 (水)
アメリカキャラバン最終日
America caravan final day

1日2回、カルロス家の魚にエサをあげる。明日の朝、僕達は空港、僕達が明日いなくなってから、カルロスと愛ちゃんが帰ってくるまで4日間ほど家が留守の状態になる。その間魚のエサは自動餌やりマシンを使うのだが、いきなりセットして出掛けて「もしかして動いていなかったら・・・・」なんて考えたくないので、僕達がいる間に使い始めることにする。
今日はジャッキーと一緒に過ごす予定。午後、電話してマンハッタン島からちょっと北にいったところにある地下鉄の終点で待ち合わせ、そしてジャッキーの家まで車で連れて行ってもらった。近所にある大きな湖の公園を3人で散歩。ニューヨークシティから少ししか離れていないのに、こんなに緑豊かな山の中を歩けるなんていいなぁ・・・。明るいうちにジャッキー家に戻り、ご飯の準備、シャンパンをポン、グラス片手にいろんな話。家の中は家族の写真やジャッキーが好きなものがあらゆるところに飾ってあり、まるでジャッキーミュージアム。ジャッキーは学校(カレッジ)の先生で、日本の文学を教えていた事もあり、「Genji Monogatari」とか「Basho Matsuo」とかの名前が会話に出てくる。そして、舟を作る道具や、材木などが揃っていて、とってもウドゥンボートが大好きなのが伝わってくる。
とっても美味しい夕食を頂き、帰りはNYの摩天楼(っていうのかな?)夜の景色を見ながらカルロス家まで送ってもらってしまった。ありがとうジャッキー。
家に帰り、残ったビール1本を2人で飲んで、荷物をまとめる。自動餌やりマシンはちゃんと動いている、良かった。そして僕達はアメリカでの最後の夢を見るために眠った、明日は朝6時起床予定だ。   (匠)

声を上げる人たち、メイン会場のような場所 2007年9月11日 (火)
911 グランドゼロ、ニューヨーク
911 Ground Zero, NewYork

空は今日がニューヨークシティーにとって特別な日であることを知っているかのように朝から雷大雨。UPS(宅配便)はさすが、僕達が荷物1つに大金を払っただけあり、バーモントからの荷物を予定時刻通りに届けてくれた。これでやっと電気ビリビリ、パソコンをガンガン使える。「良かったぁ」と思いながらも「これは、電気を湯水のように使う大量消費社会の現れか?電気、石油、戦争、そして今日・・・・」なんて事が頭の中をよぎる。しかし、そんな事思っているだけでは何も世の中が変わる訳もなく、いつものように僕達は電気まみれになり、一気にサイトの更新を行った。
お昼過ぎに小雨になってきた頃、僕達は地下鉄に乗りワールドトレードセンター跡のグランドゼロに足を運んだ。約2ヶ月前に僕達がNYにたどり着いたときに1度行っているので2回目だ。僕の中では毎回神戸を訪れるときの感覚に似ている、「僕が生きているこの時代この場所で、一瞬で数千人の命がなくなったんだ」と、そしてそれに付きまとう、なんだか誰かに見られているような感覚。

911に関して分からない事や引っかかっている事があれば何でも聞いてくれと声を上げている人たち、僕達が灯したのは和ろうそく 「思ったよりも人がいないね」と佳子と話す、雨だったせいもあるのだろう。僕達は今日ここで何が行われているのかを知るためにグランドゼロのまわりを1周。あらゆる所にパトカー、警察、そして柵がしてあり、1箇所に人が集まり、大きな力を持たないように防いでいるようだ。グランドゼロに向かうメイン的な場所にちょっと人が集まれる場所があるが、ここは次なる建設予定の事が大きくディスプレイされているのが目立つ。亡くなった方々の名前がズラーっと書いてあるが、祭壇のようなものは無く、人々が持ってきたメッセージや花などは所々に置いてあり、1箇所にはまとまっていない。この亡くなった方々の名前を羅列してあるものがグランドゼロの周りにはいくつかあるのだが、どの名簿の最初にも「911 HERO」というような言葉が書いてある。僕はこの「HERO」と書いてあるのがなぜなのか理解できない。一被害者をヒーローなどと祭り上げ、堂々と人前でその言葉を使っている、これは大半のアメリカ国民がおかしいのか、それともそんなふうに受け取る僕1人がおかしいのかと思ってしまう。
近くに拡声器で大声を出して盛り上がっている集団がいる。何を叫んでいるのかというと、「政府は911の調査報告をするべきだ」という事、英語を聞き取ったわけではないが配っているチラシや沢山の人が着ているTシャツから理解できる。事件に関するアメリカ政府の調査報告が嘘だらけで、世界中からの色々な質問に対し何ひとつまともに答えず、色々な事を隠し通しながら時が過ぎるのを待っている事はみんな知っているだろう。(もし知らなかったあなたは、残念だがTVや新聞をただ鵜呑みにしているだけの人間と言っても過言ではなく、そして「べつにいいじゃんそんな事言っても何も変わらないし・・・・」というその考えを通すのはあまりにもダサくてつまらない。)それを踏まえたそんな世の中で、僕達はどう生きていくべきかを考えなければいけない、そして生きなければいけない。「はからめ月のカレンダー」を持っている人は今日の日付に「Memorial day」と書かれているのが見えるだろう。この日は世界中の人ほとんどが何かが起きた事を知っている。そしてこの事に関して本当のことは知らされていない今でも、既に分かる、感じられる何かがあると思っている。誰かさんによる真実の発表、そんな事を当てにして待っていのはあまりにも時間がもったいなすぎるし、もしかしたら既にどうでもいい事なのかもしれない。自分でそれを感じて動いているのであれば。  (匠)

「911グランドゼロに集合」のチラシ、ジャッキーとチーズケーキ 2007年9月8〜10日
ニューヨーク アメリカ自然史博物館
American Museum of Natural History

忘れたものは仕方がないが、何とか方法を・・・と思いキャサリンに電話、残り少ないバッテリーでメールチェック、やっぱり都会では電気が無いと寂しい。結局ダグラスにUPS(宅配便会社)を使って送ってもらう事に。急ぎなのでかなり高額だったが。
9日、ウドゥンボートスクールで仲良くなったジャッキーに連絡をして会うことに。彼女はニューヨークで学校の先生をしていて、僕達の生活を話したらとても気に入ってくれたみたい。話す英語も僕達に合わせてくれてゆっくり、ありがとう。お昼ごはんを一緒に食べた後、ニューヨークの街中をドライブ、そしてNYスタイルのチーズケーキを食べて、僕達が帰国する前日12日にジャッキーの家に遊びに行く約束をして分かれた。

たまには外でビールでも、恐竜と佳子 10日、今日は1日ずーっと行きたいと思っていたアメリカ自然史博物館。思った以上にすごい。アメリカ大陸を中心に世界の動物、鳥、魚、爬虫類などどれをとってもすごくリアル。これは動物園や水族館よりも面白い。そして恐竜、いままでこんなにたくさん恐竜の骨を見たことなかった。大きい、本当にいたんだ・・・・。そしてローズセンターという宇宙のことを展示してある面白い空間。プラネタリウムみたいなんだけれど映画みたいなやつを観た。アメリカって感じ。
そして僕達はダコタハウスの前(ジョン・レノンが撃たれちゃった所)を通って「ここがあの悲劇の空間かぁ・・・・」って思いながら結構良いところ住んでいたんだなぁとそのアパートをみあげていた。帰りに「クイーっといっぺーやってくかぁ」なんて言いながらビアガーデンみたいな所に入ってビールをクイーっと飲んだ。これからの「はからめ」をどうするか・・・そう、はからめ会議だ。帰ったらまずはカレンダーを完成させなくちゃ・・・・といつも話している事とか、NYってホント人種まぜこぜだねとか、べつに会議って言っても普通の会話なんだけれどね。  (匠)


関連サイト: American Museum of Natural History

ニューロンドンでバスを待つ、ハレショフさんデザインの「アレリアン」 2007年9月7日(金)
ミスティック・シーポート、そしてニューヨーク
Mystic Seaport
and NewYork

今日は早起き、朝早くみんなに別れを告げて、ダグラスが運転する車に荷物を詰め込み出発。そして僕達3人は、ミスティックという町に向かって移動した。『ミスティック・ピザ』という映画で有名になったと言っているが僕はその映画を観た事がないので分からなかった。
今日の予定は、ミスティック・シーポートに行ったあと、ダグラスにニューロンドンまで送ってもらい、そこからバスに乗り夜にニューヨーク到着。バーモントから車で約4時間ほど走り、ミスティック・シーポートの館長をしていたというダグラスの友達に会いに行った。博物館に無料で入れる招待券を頂き、お昼ご飯までご馳走になってしまった。
ミスティック・シーポートは船と港の博物館といったところ。造船や漁に関する色々なものが展示されている。写真の舟はボートのデザインで有名なハレショフさんという人がプライベートで乗っていたという舟、名前はアレリアン。確かにラインが綺麗だ。ダグラスは「このボートはパーフェクトです。」とか日本語で言いながら写真を撮りまくっていた。
この船は中身が見えるようにわざと修理しないで展示してある、巨大倉庫の一部 ひと通りぐるっと回った後、ミスティック・シーポートで働くダグラスの友達のおかげで、表に出ていない大多数の船の倉庫に案内してもらい、自由に見学させてもらった。500隻の舟(ほとんどが木造船)、200個のエンジン、その他、それぞれの船につけるセール(帆)や、パドル、オールはもちろん、セールを織る大きな機械、樽、なんだか分からないけれど素敵なものまで、とにかく驚く広さに驚く物の量だ。「この端っこの暗い所においてある船はこの先100年以上動かされそうにないなぁ・・・」とか思いながらミスティック・シーポートを後にした。ニューロンドンで約40分遅れのバスに乗りダグラスに別れを告げた。今回の旅でダグラス、そしてキャサリンには本当にお世話になった。本当にありがとう。
ニューヨークの地下鉄、旅のはじめにこの街に着き2人で毎日のように歩き回ったおかげで道に迷うことなくカルロス邸に。カルロスは今、愛ちゃんと日本を回っている。それが分かっていたので事前に自由に部屋を使って良いと言ってくれていた。1人1泊$100が当たり前のニューヨークで泊めてもらえる場所があるだけでどれだけ嬉しい事か。ムーチャスグラシアス、カルロス愛ちゃん。
部屋に着き、荷物を下ろし、ふあぁ〜と言ってからシャワーを浴びる。スッキリして出てきてメールでもチェック、パソコンの電源を入れる・・・・・・・・あれ、無い・・・・・・オーシェッ!ケーブルをダグラスの車の中に忘れてきた!カメラの充電器も一緒だ!オーーシェーッ!!パソコンの電源は2時間もてばいいところだ、サイトの更新どころかメールもろくに書けやしない。あーどーしーよー、まずは疲れたから寝てみるか。  (匠)


関連サイト: MYSTIC SEAPORT

佳子が用意したプレゼントはくじ引きでみんなの手に、左から匠・佳子・ボブ・カレン・ウィラ・キャサリン・ダグラス 2007年9月6日(木)
バーモントの仲間
Our friends in Vermont


朝は早く目が覚めた。コーヒーを飲みながら考える。旅の目的はゴールする目的地ではなく、途中で会った人たちとの一瞬一瞬を楽しんだり、その切なさを感じたり、思ってもいない事が次から次へと起こったり、そんな事から最後は確かに大事だけれど目を向けなければいけないのは途中、その内容であると思う。
僕が学生だったときの、あるポスターをデザインする課題の事を思い出す。僕は目立つような大胆かつ斬新な(ホントかな?)ポスターをさっさっと作り提出した。これで良いだろうと思って提出したそれは「意味がない」という一言で返された。「あるポスターを作るなら、その歴史的背景やそれに関わった人の話などを調べろ、結果はどうでも良い」と先生、心の中で「はぁ?なんだこのじじぃ偉そうな事言いやがって、結果がどうでもいい訳ねーだろ」とその時思った。が、なんだか旅をしていて思うことは、旅っていうのはその先生が言っていた事によく似ているって事だ。結果はどうでも良いのではなく途中の集まりが結果なのだから途中、その中身がしっかりしていて充実したものであれば結果はその通りになるだけだ、気にする必要はない。ゴール地点の事を考えながら旅をする訳ではないという事だ。大切なのは中身だ。生きるのだって同じかもしれない、どんな死に方をしようかなど考えながらでは今を生きられない。大切な一生を悔いの無いものにするためには今を一生懸命生きられるか?それに懸かっているような気もしなくもない。
はて、そんな訳で(どんな訳?)コーヒーはとっくに飲み終わっていて、今晩は僕達の「さよならパーティー(ダグラスによるとアメリカにこの習慣は無いらしい)」を以前訪ねたボブさんとカレンさんの家でしてもらうことに。佳子はみんなに人数分プレゼントを用意するというすごい事まで。焚き火を囲んでみんなで色々な話をして笑ったり驚いたり。夜はもちろんシュガーハウス、野生の音だけが聞こえる中、静かに眠りについた・・・・須賀先生、まだ生きてるかなぁ・・・・  (匠)

焚き火を囲んでたくさんお話、左から匠・佳子・ジャック・マルゴ 2007年9月4〜5日
ジャック&マルゴ in オールドフォージ
Jack & Margo in OldForge


3日、アメリカ側のナイアガラから南に少し走るとバッファローという街にたどり着く。街の中心まで車で走るが、どのお店も閉まっていてなんだかやる気ないなぁ・・・・なんて思ってしまったが、実は今日は休日、しかもレイバーデー(労働者の日)だからどのお店も閉まっていて当たり前、と電話でダグラスが教えてくれた。そのゴーストタウンのようなバッファローからウドゥンボートスクールで仲良くしてもらったジャック&マルゴに電話をして3日から4日に掛けてお邪魔することになった。
2人が住んでいるのは以前ダグラスとキャサリンが連れて行ってくれたアディロンダック博物館の近く、山の中オールドフォージという所だ。僕と同じクラスだったジャックは直さなければいけない古いカヌーを持っていて、そのためにウドゥンボートスクールに来たという。見せてもらったが直しがいのある綺麗な形のカヌーだった。そしてマルゴは羊の毛から糸をつむぎ、そしてそれを自分で織ってしまう創作意欲あふれる素敵な人。2人とも僕達をとても暖かく迎い入れてくれた、ありがとう。その夜、僕はこの旅で初めて座ってテレビを観た。日本人選手がいるチーム同士が戦うメジャーリーグや、よくわからないけど盛り上がっているよくわからない番組、映画はケビン・コスナーの「ワイアットアープ」、僕が好きだったドラマ「冒険野郎マクガイバー」の主人公を演じたリチャード・ディーン・アンダーソンが出演しているドラマもやっていた。
蓮の池から湖まで4日、ここ数日間、日が暮れるのと共に眠り、日の出と共に起きる生活をしていたが昨日の夜は目が赤くなるまでテレビを見ていたので今日はゆっくり起床だ。今日はとってもいい天気。コーヒーを飲み、ジャックがパンケーキを焼いてくれ、それを高級メープルシロップ頂いた。そして2人で家の庭からカヤックを浮かべて2時間ほど水の上。小さな無人島でゆっくりしてから帰る途中、僕は生まれて初めてクマを見た。かなり近い所で親子と思われる2頭、ちょっとびっくり、邪魔してごめん、クマさん。
お昼はジャックがサンドウィッチを作ってくれた。おしゃべりをしながらゆっくりとした時間をみんなで楽しんだあと、僕達は ジャック&マルゴに別れを告げてこのショートトリップの最終目的地バーモントのバージェンスという街、そう車を貸してくれたダグラスとキャサリンの待つ家まで気を抜かずに帰った。約2000マイル(約3200km)の旅は無事に笑顔で締めくくる事ができた、本当にいろんな人にお世話になりながら・・・・。  (匠)

スーパーで買い物、小学生のころから知っていたナイアガラの滝を実際に感じた。 2007年9月3日
ナイアガラの滝
Niagara Falls


3日、昨日の夕方、ナイアガラの滝まであとちょっとってところで張ったテントの中で朝、目が覚める。さっとテントをたたみ滝に向かって走る。1時間も走らないうちにまず見えてきたのは遠くに見える白い雲のようなものの柱、「なんだあれは!」まさかと思ったがその通りだった、滝の水しぶきだ、大きすぎる。そして今まで見たことがない太さの虹、太すぎる。走るにつれ右手には滝へと続く川が轟々(ごうごう)と流れる。これは単に僕の癖なのだが、川や湖などを見るとこんなふうに簡単に想像してしまう。「もしあそこにカヌーに乗った僕がいたら・・・」と。そして生まれて初めて想像しなければ良かったと本気で思い、また次の創造を初めてしまう。本当に怖い、が癖は簡単に止まらない。「あそこにいたら、あの流れに乗り換えて、なんとかあそこまで行きたいけれど、もしあそこまで行けなかったら・・・・」、こんな頭の中だ。
とても高い駐車料金($18)を払いゆっくりと滝を眺める。こんな大量の水がいまここで移動している・・・・こんな事って本当にあるんだなぁ、上のほうの水、無くなっちゃいそうだけど、だけど今始まったことじゃないし・・・なんて考えながら。昨日トロントで駐禁きられた事や、今まであった嫌な事などを流すには充分すぎる量の水だ。そして僕達は数日間のカナダの思い出を胸に国境を越えた。ただいま。そしてアメリカに来て少し安心している僕を僕は不思議に思った。   (匠)

朝起きると目の前に朝日、カナディアンカヌーミュージアム 2007年9月1〜2日
ピーターボロウ〜トロント
Peterborogh〜Toronto


1日、今日はピーターボロウという街にある「カナディアンカヌーミュージアム」だ。町の中心からちょっと外れた所にあるこのミュージアムは昔、ピーターボロウカヌーカンパニーの工場だった所。おそらく世界一多くのカヌーが集まっている場所であると思う。博物館に着くと駐車場に車が3台くらいしか停まっていなかったので「しまった休みか・・・・」と思いながら、地味な入り口を開けてみると外見からは想像できない綺麗なところ。そして、これでもかというくらい色々な種類のカヌーが置いてある。カヌーが好きな人間にとってここは天国だ。中でもネイティブアメリカンの作ったバーチバークカヌー(白樺の皮カヌー)の展示はとてもエキサイティングだった。そしてピーターボロウからトロントに行く途中でテントを組み立てた。

太陽が2つ、トロントの街を散歩2日、今日はトロントの街を散歩だ。駐車の標識を見てここなら大丈夫だろうと街をぶらつく。たまたまやっていたアンティーク市に行ってみたり、街のど真ん中っぽい所に行ってみたり、チャイナタウンに行ってみたりとかなり広い範囲を歩き回った。そして車に戻るとフロントガラスの所に黄色い紙が・・・駐禁きられた。ショック、$30の罰金だ、あ〜めんどくさい、どこにどうやって払うんだろう・・・・なんて2人で話しているとお婆さんが寄ってきて「大丈夫?」と声を掛けてくれた。(トロントの街はほとんど英語表記になっていて英語を話す人がほとんどのような気がする。)黄色い紙を見せると「近日中にカナダに戻って来ないんだったら大丈夫よ。わざわざカナダの警察がアメリカまで追うものですか、何も気にせず行っちゃいなさい」と、しかしうちらはアメリカどころか日本まで帰るんだからどうでも良いけれど、車を貸してくれたダグラスとキャサリンに何か届いたりしたら迷惑だ。そう考え1週間の期限がある間にバーモントに帰る予定なのでそれから考える事にした。ちなみに罰金はインターネットからも払えるようになっている。にしても悔しい、大丈夫だと思っていた所に停めてダメだっていうのは・・・2人とも車の中の口数が減っている。しかしこんなときこそ元気を出して先に進め、ションボリしていても何ひとつプラスになる事はない。明日はナイアガラだ。 (匠)


関連サイト: The Canadian Canoe Museum

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