写真じゃ分かりにくいけれどこんな感じの土地 2009年4月22〜23日 アースディ
発表 福島県塙町(はなわまち)

決定。ついに僕達の住む場所(正確には住もうとする場所)が決まった。場所は福島県東白川郡塙町という所。東京から高速使って北へ約3時間、福島といっても茨城県との県境で気候は北関東といった感じのところだ。結構広い山林、建物無く土地だけ、日当たりが良い所もあり。現在は道が悪く車が入れず、道以外の場所は低木、やぶ、茂み、前に進むのも一苦労。
先日、2人で相談した結果この場所を購入し生活の拠点を構える事を決めた。購入金額は、みんながカレンダーを買ってくれたお金と、結婚時のみんなから頂いたお祝い金(結婚式を挙げていないので残してある)、そして2人のポケットマネー少しとで買える額だ。借金などはしていない(今のところ)、ただ持っているお金で買えるものを買っただけだ。しかし、はからめ号(車)を買ったときもそうだったが、貯めたお金がほとんど何かに変わってしまった。お金=エネルギー、と考えると良い使い方のような気もするが、家を建てたりするための軍資金がほとんど残っていないので、しばらくはテント生活を楽しむ事となる。
マシンを使って次から次へと苗床を作っていく。そんなで塙町に来ている。土地の整備やその他、色々とお世話になっている四季彩菜工房の吉田ファミリー宅で不動産屋さんより土地の説明などを受ける。一通りの説明が終わった後田植えの準備のお手伝いをさせてもらい、そのまま流れで吉田さん宅に一晩泊めて頂く事に。ここ四季彩菜工房では、吉田広明さんを中心に、無農薬・無化学肥料で作ったお米など自然の力を最大限に生かした有機農法で人間の口に入るものを一生懸命作っている。夜はとっても美味しいお酒と有機栽培に関する面白く深いお話、そして塙町の事などなど沢山のお話をうかがった。
23日、朝食を頂き今日は苗床の準備を手伝わせていただいた。吉田ファミリーのみんなは、ひとつひとつの作業がとても丁寧で、1mmほど発芽した一粒一粒のお米もなんだか喜んでいるようだった。苗を育てるのはプール育苗という方法で行なうという。そのためにビニールハウスの中を平らにし、かつ微妙な傾斜をつけるという微妙な整地作業が必要になってくる。僕達はその作業を地道に行なっている吉田ファミリー次男のマーくんの手伝いをさせて頂いた。
初めての塙町1泊が、思いもよらずいきなり有機農法体験になり、僕の頭の中はいろんなものが一気に入ってきてグルングルンしている状態。自然の中で生きるということ、食べるということ、稼ぐということ・・・・・。どんなバランスを保ちながら生きていくか、それを選択できるのは世界中で僕達2人しかいないって訳だ。  (匠)


関連サイト: 四季彩菜工房

tuttycafeの2人、選挙ポスター 2009年4月19〜21日
南伊豆 河口湖

東京代々木公園ではアースデイ東京の2日目が行なわれている今日、僕達は持っているだけじゃ役に立たない選挙権を使うために住民票の置いてある南伊豆町まで車で走った。
お昼過ぎに着いたアビの家でゆっくりさせてもらい、それからお風呂、選挙へ行く。今回の南伊豆町長選挙は、おじさんとおじさんの一騎打ちだ。以前よりこのサイトで僕達も書いている風力発電の問題がこの選挙の大きな論点となる。1人は、今まで町長をやっていたおじさんで風車が身体に害がある事をしりつつ、またいろいろな嘘を通しつつ今まで風力発電を推し進めてきた人だ。もう1人のおじさんは、それを何とかして阻止して南伊豆の自然を守ろうという声を代表して立ち上がった造形作家の人だ。
選挙ポスターを見てみた。はっきり言おう、僕はこれまでにこんな素敵な選挙ポスターを見た事が無い。(写真をクリックすると1人のおじさんの選挙ポスターの拡大画像)
夜は修善寺tuttycafe。お腹の大きなツッチーとユタカさんが笑顔で迎えてくれた。僕は着いてからすぐに眠ってしまったが、3人+お腹の中の1人でなんか盛り上がっていたみたい。
トンボ玉作り、富士桜が咲く林の中 翌日はゆっくりペース。朝、新聞で昨日の選挙の結果を知り世の中そう簡単に変わらないんだなぁとボーっと空を見る。ランチをtuttycafeで頂き、やっぱりゆっくりしてから今日の目的地、富士五湖のひとつ河口湖へと向う。空は曇っていて、もしかしたら見えるかなぁと思っていた富士山も残念ながら見ることができなかった。
着いた先は自在GLASS富士山スタジオという、トンボ玉作りを体験できたり、いろいろなガラス作家のギャラリーにもなっている場所だ。迎えてくれたのは琵琶湖や新島でいろいろお世話になったタイゲンさん。夜はゆっくりといろいろな話ができて良い時間を過ごすことができた。そして1泊の宿をお願いする事に。次の日、僕達2人でトンボ玉を作らせて頂いた。以前軽井沢でトンボ玉のスタジオを建てるのを手伝ったときに1回だけやらせてもらった事があるので、今回は2回目の挑戦だ。結果、よし子は綺麗なマーブル模様のトンボ玉が成功、しかし僕は調子に乗って少し難しいのを選んだら、冷ましている時にパキンと真っ2つ。タイゲンさんとパートナーのアヤさんが「くっ付ける?」「もう一回やる?」などいろいろフォローしてくれたが、なんだか寂しい感じはしなかったので「これが今の僕って事か・・・」とそのまま割れた綺麗なトンボ玉を頂く事にした。
上の文中には書かなかったのだが、この3日間すごく体調が悪く、いろいろと皆さんにご迷惑をおかけしてしまった。なのに、みんな優しくしてくれてありがとう。  (匠)


関連サイト: tuttycafe  自在GLASS富士山スタジオ

岡野さんの演奏、人人アースデイ 2009年4月18日 (土)
アースデイ東京

昨日の雨もあがり、今日は気持ちのいいお天気となりました。代々木公園で開催されているアースデイ(地球環境の日)に足を運びました。渋谷の坂を上っていくとシェルパ斉藤さんにばったりと会いました。近況報告をして、15万人がごったがえす公園へと足を踏み入れます。入ってすぐ小林崇さんに会いました。小林さんは日本中にツリーハウスをつくってます。先日テレビで小林さんの特集番組を見たばかり。
いろいろな人たちがそれぞれのアピール法で地球の日のイベントに参加しています。わたしたちは久しぶりに会う友人たちに今後のはからめの展開を報告、お祭りで賑わう代々木公園から、明治神宮へと足を進めます。明治神宮の境内ではソーラーエネルギーでライブが行なわれていました。先日琵琶湖へ来てくれたミュージシャンの岡野弘幹さん、HALKOさん率いるシャンカーズの心地よい音を芝生の上で聞きながら、気づけば二人とも裸足になっていました。各地で行なわれているアースデイ、来週は伊豆で、5月には名古屋でも開催されます。なにかアクションを起こしたい人、この日をきっかけにするの、オススメです。 (よ)


関連サイト: アースデイ東京  アースデイ伊豆  アースデイ愛知

SLOW-FLOW YOGA 2009年4月16日 (木)
SLOW-FLOW YOGA

横浜に帰ってきてから旅の余韻に浸る間もなく、4日間YOGAの講座を受講するために荻窪へ通いました。ここでは「人生を楽しむ」というコンセプトで、ゆっくりと流れるように行なうヨガを教えてもらいました。受講している方々はみんなとっても美しい人ばかり。ズンバやエアロビクス、ピラティス、ヨガのインストラクターの方々が日本全国から集まりました。朝から5時間の講座も集中しているとあっという間に過ぎていきます。ここで教えてもらったことを実践して、自分のヨガ的ライフスタイルを深めていきたいと思います。 (よ)

ミネと、田中先生を囲んで 2009年4月11〜15日 (土)
同級生と会う

4月の第2土曜日、毎年やってくるこの日は僕にとって少し特別な日である。何年前だろう小学校6年生の卒業式の日、担任の田中先生が皆に伝えたのは「4月の第2土曜日(当時は第1だったか・・・?)に皆で集まろう」と行った内容の事だった。それから僕達は毎年のように先生の住む鴨居駅に集まる事になった。皆というのは、先生が卒業させたクラスの生徒全てであり、上は2年上、もっと上は違う小学校の卒業生、下は2年下、そのまた下といったようにいろいろな世代が入り混じっているので結構面白い。来る人は限られてはいるが、毎年同じ人に会え1年間どんなだったかを話すのも楽しみの一つだ。そんなで今年も何人かが鴨居駅近くの居酒屋さんに集まった。何年たっても先生は先生である、時々指導が入る。お酒も飲めない小学生によく毎年集まろうなんて声をかけてくれどうもありがとうございます、と僕は先生に伝えた。
14日、昨年一緒にカヌーで那珂川を下った同級生のミネと会う。ミネはいろんな雑誌のアートディレクター。そしてミネが紹介してくれたツルちゃん、スギちゃんと一緒にドジョウを食べた。南伊豆の風力発電の話で盛り上がる。都会の真ん中で他の人からアビやリサの話が出てくるのがとても違和感がある。都会は遅くなっても容赦なく続く。2件目にはタクシーで向う。電車はないので家(ミネの家に泊めてもらった)まではタクシーで帰る。
朝起きるとミネの奥さんスミちゃんにおはよう。朝ご飯を頂き目黒駅で「またね」の予定だったが、少しお茶でも飲もうかとか言って「またね」は数時間先になった。人間は自由であり、生き方は人それぞれ360度×360度どの方向に向って生きていっても良いわけである。それなのにミネとは随分と違った生き方にもかかわらず何となく同じ方向に向っているような気がした。  (匠)


関連サイト: ミネのデザイン事務所((STUDIO))

ウリンボ(イノシシの子供)と戦うモカ、この感じがとても好き 2009年4月8〜10日
美麻村 大町

琵琶湖から横浜に向う途中、遠回りではあるが、ここ数年間足を運んでいなかった長野県美麻村に立ち寄る事にした。美麻村ではガタさん、トシ子さんの山の中で生活をしているご夫婦を訪ねた。2年前か琵琶湖で最初のカヌーができあがった時の進水式の日に訪ねてきてくれた以来の再会だ。
夕方明るいうちに家に到着する事ができた。前に訪れた時には無かった石釜に既に火が入っている。「今晩はピザを焼こうと思ってね」とトシ子さん。4人とも会った瞬間から話が止まらない。今まで話せなかった事が、あれも話して無い、ってことはあれも話してないと次から次へと口から出てくる。そうこうしているうちに釜の火が落ちて温度が下がってしまったりして皆で笑ったり。夜はアツアツのピザと少しのお酒でいろんな話に花が咲いた。
「もう1泊くらいゆっくりしていったら」とのガタさんの声に気が抜けてしまったのか、カヌーデイ前からの解こうと思っても解けなかった緊張が一気にゆるんだらしく、少し体調を崩してしまった。次の日は山を少し散歩したくらいでほとんど何の役にも立たないダメ人間と化していた。夕方温泉に浸かった後、フキノトウの天ぷらなど、美味しいご飯を頂いた。そして、オカリナの音が僕を寝床へと誘った。
10日午前中、丸2日間本気でゆっくりさせてもらい体調もなんとか復活。ガタさんトシ子さんに別れを告げて、近所でカレー屋さん兼宿屋「青空屋台のおうち」を営んでいるミユキちゃんとヨウちゃんを訪ねた。突然の訪問にもかかわらず暖かく迎え入れてくれた。
ヨウちゃんミユキちゃんと、ガタさんトシ子さんモカとそして今回どうしても訪ねたいと思っていた大町商店街のなかにある酒屋さん横川商店。ご主人の横川さんと会うのもやはり数年ぶり。ここ横川商店は古くから続いてきたお店が数年前の火事によって全焼してしまい、横川さんが考えに考えた末、再建されたお店だ。横川さんは火事になる前や再建に至るまで路地裏でひっそりとお店を続けていた頃に本当によくお世話になった方だ。再会するなり「カレンダー使わせて頂いてますよ」と、近所で取り扱ってくれているお店がオープンしてそこで買ってくれたのだという。「ありがとうございます。」あれ、でも、誰が?僕達はカレンダーの取扱店を全て把握しているけれど、大町商店街にお店は無かったはずだ。「すぐそこですよ。車ここに止めて歩いていってみてください。」と横川さん。歩いていってみると「グリナーズビレッジ」というお店ができている。八木さとしさんという地元の議員の方と奥さんで始めたお店だという。カレンダーは「青空屋台のおうち」のヨウちゃんとミユキちゃんから紹介してもらったのだという。今回は奥さんと神無月生まれのカンナちゃんに会い少しお話をさせて頂いた。(僕は八木さとしさんに何年か前にお会いしているのだが、彼は覚えていないだろうそんな感じの会い方だった。今回は会うことはできなかったが。)そしてまた横川商店に「ただいま〜」と戻る。そして今までの話、これからの話、お酒の話で時間が過ぎていく。そして以前横川さんに紹介していただいた正月屋というお蕎麦屋さんでお蕎麦をすする。ここ正月屋は僕達にとって日本一のお蕎麦屋さんだ。蕎麦湯を飲み終わった後、昼寝をしてからお会計。暖簾(のれん)をくぐり外に出ると「これが蕎麦だよ。」と2人で満足満足。
これが正月屋、グリナーズビレッジ再び「ただいま〜」と横川商店へ、本題のお酒選びだ。運転の無いよし子は試飲させて頂いている。今回はなぜかコールマンのソフトクーラーが車に積んであり、その中には既に道に残っていた雪が敷き詰められている。そうすることによって冷えたままのお持ち帰りが可能、これで選べる幅が広がるという訳だ。
信州に別れを告げ横浜まで高速で移動。暗くなってきた頃、東京の道路を走る僕達の目の前、東の空にオレンジ色にひかる丸く大きな月が現れる。その月はなんだか僕達に「約1ヶ月の旅ごくろうさま、良かったよ」と言っているようだった。と何の根拠もなく勝手にお月様を解釈し、お気楽な感じで無事に横浜にたどり着いた。 (匠)


関連サイト: 青空屋台のおうち 横川商店

4人で写真、この荷物が・・・。 2009年4月7日 (火)
しばしお別れ

3月25日にメイン州から日本にやってきたギャレットとアレクサンドラ。それから約2週間、いろいろな時間を一緒に過ごしてきた。そして今日、彼らが関西国際空港からメイン州へと帰っていく。
「最後別れる時は寂しくなっちゃうんだろうなぁ・・・」なんて思いながらはからめ号を運転して関空まで。車の中に流れる山根麻衣さんの歌声にアレクサンドラが「これは誰が歌っているの?」と反応を示す。最後の日だからといって特に変わった事を話すわけでもなくただただ関空へと向う。
余裕を持って出てきたので空港でゆっくりする時間があった。カートに荷物を乗せて世界中どこにでもありそうなサンドイッチ屋さんでサンドイッチとコーヒーで少し遅いブレックファースト。コーヒーを飲みながら4人で日本で出会った沢山の人たちの名前を挙げていっては、みんなの顔を思い浮かべる。
そしてチェックイン。スムーズに行くかなと思いきや、上の写真に見える長い箱、これが引っかかってしまった。中にはアレクサンドラがずっと使ってきたパドルのパターン(型)と隙間におみやげなどの荷物。アメリカからこっちに来るときは何の問題もなく来れたのに、同じ条件で今回はエクストラチャージ450ドル(4万5千円位)払って持ち込むか、この場で処分するか、の選択を迫られた。これは困った・・・・450ドル払うのはバカバカしい。結局ケースとパターンは僕達が預かる事に、そして僕がなぜか偶然持っていたコールマン印のリュックをプレゼント、その中に荷物をまとめて一件落着。
別れ際、寂しいことに変わりは無いが、これから先の大きなものに向ってスタートしたぞという気分がそれに勝り僕は「すぐに会えるよ」と一言、寂しさを、喜びで打ち消した。そしてボディーチェックに吸い込まれて行く彼らに何度も何度も「ありがとう」と手を振った。
帰り道2人でいろんな事を振り返る。良かった事、楽しかった事、反省点などなど。夜は琵琶湖高島まで走り明日出発の準備をした後、高台から琵琶湖を眺められる小笠原邸にお世話になる。ご夫婦と今までの事、これからの事などなどいろいろなアドバイスを頂きながら楽しい夜を過ごさせていただいた。  (匠)

哲学の道、食の道 2009年4月6日 (月)
大切なこと

今日は京。市内を走るバスの1日乗車券500円を4人とも買いバスと徒歩でいろいろ回る。三十三間堂、清水寺。ここで俣野さんと待ち合わせし八坂神社、祇園、昼食、錦市場。そして俣野さんが去ってゆく。そのあとみんなでフリータイム。待ち合わせ時間場所を決めて自由行動。買い物したり、川を見たりしていたみたい。僕達はなんちゃらカフェでコーヒーを1杯。そして、どうしても行きたいと言っていた銀閣寺近くの哲学の道を歩く。京都の桜は今週がピークじゃないかと思うほど満開、すごい良いタイミングで彼らはやってきたんだなぁ。哲学の道では哲学っぽい事は話さなかったが、夕ご飯を一緒に食べた居酒屋さんでは、沢山哲学っぽい事を話す。この日は居酒屋さんに入ったけれど誰もお酒を1滴も飲まなかった。
僕達が彼らに出会ったのは、2007年、ローリン・スローというカヌーを作る人の工房を訪ねた時にたまたまギャレットが働いていて、たまたま僕達がキャンプできる場所を探していた時に、たまたま「うちでキャンプしていいよ」と声をかけてもらったのが始まりだ。そのローリンの工房に足を運んだのは、その近所で同じく工房を構えるジェリー・ステルモックを訪ね、「近所にいるから行っといで」と紹介してくれたからだ。ジェリーを訪ねたのはWooden Boat Schoolでカヌーの作り方を習い「遊びに言ってもいい?」ってちょっと強引だったけれど言ってみたら「もちろん」と言ってくれたからだ。アメリカに行っていなければジェリーにも会っていない。俣野さんが「アメリカに行きたくありませんか?」と声をかけてくれたからだ。俣野さんに会っていなければカヌーを作るとか、アメリカ行くとかの話は無い。南伊豆のアビが俣野さんを紹介してくれたからだ。それはちょっと強引だったけれど南伊豆に行ったあの時1度しか会った事のないアビを訪ねたからだ。2006年、南伊豆に行っていなければアビには会っていない。南伊豆に行ったのは南伊豆の「いしがまや」というピザ屋さんの武重さんと東京のアースデイで出会ったからだ。武重さんがカヌーを作った事があり、僕がアスファルトの上にカヌーを置いて、ただただ水の話を通りすがりの人としていた僕とカヌーに興味を持ってくれたからだ。
今でも覚えている。アースデイから旅を始めようと2人で決めていた。あるエリアをコーディネートしていたよし子に「たくみ君、水のブース担当ね」と言われ、「どうしようかなぁアスファルトの上だしなぁ・・・・」なんて考えていた。特にやることも見つからずに出した答えは、「とりあえずカヌー持って行って座っていよう、後は何とかなるだろう。」だった。
そんな事を考えていったらどこまでもさかのぼれるし、出会った人たち1人1人の出会ったその瞬間がその状態でなければいけなかったって事になる。いろんな考えができるが、そのうちのひとつ確かに言える事は「アスファルトの上にカヌーを置いてビール飲みながら水の話をしていなかったらギャレットとアレクサンドラとこのように会うことはなかった。」という事だ。大切なことは、今、この時間が、本当に大切な時間なんだと、本気で感じることだ。  (匠)

桜の木を植樹、パドルの型を受け継ぐものたちへ 2009年4月5日 (日)
Keepers of the trail

昼過ぎには四万十を発ち、晩は京都で眠るのが本日のスケジュール。それ以外は決まっていない。
朝1人、昨晩ご飯を食べていた場所と同じ場所で目が覚める。誰かが毛布を掛けてくれたみたいだ。朝ご飯を食べ、アレクサンドラの了解を得てパドルのパターン(型)を写させて頂いた、四万十塾と僕達はからめそれぞれに。そしてアレクサンドラから1冊の小さな本を頂いた。それは「カヌーの乗り方」という本でポケットに入るサイズ、価格は1ドル。だけどもう売っていない貴重なものだ。みんなでその本を広げ1ページめくるごとに「うわぁ〜」と声がもれる。最後のページにはアレクサンドラからこんなメッセージが書いてある。「Keepers of the trail」、伝統を受け継ぎ伝えてゆく者、といったニュアンスか。大切なのはそのスピリットを受け継ぐ事であり、物質的な物にさほど価値は無い。形あるものは壊れるからだ。受け継いだ何かから先人の思い、そのまた先人の思いを感じる事ができるかどうか、そして自分はストローになりその思いを伝えていくべき人間・・・・そんなところにその言葉の答えが見え隠れしいてるような気がする。
アッチャンと、ダンテビンととーるさんの願いでギャレットとアレクサンドラに四万十塾の庭に桜の木の苗を植樹してもらう事になった。桜の季節にやってきた2人にとっても日本との繋がりが増えて嬉しかった事だろう。
普通なら(普通って?)まあコーヒーでもとか言ってコーヒー飲んだりしてゆっくりしてお昼を食べるか食べないかして出発するかもしれなかったが、皆の気持ちは”もう一度川に出たい!”だった。出発の準備をして一同、少し上流の口屋内まで。口屋内といえばこの方、僕はギャレットとアレクサンドラに彼の事を「四万十川の辞書」と説明したが、まさにその通りだと思う、四万十川の生き字引アッチャンだ(彼の事を酒井青年と呼ぶ人もいる)。アッチャンいわく四万十川の漁師さんはポールに榊(さかき)の木を用いるという。といってわざわざ実物を持ってきてくれた。なかなかまっすぐな榊の木は無いのでは・・・・と聞くと、山に行った時に使えそうだなと思ったものを次に折れた時の為にとっておくんじゃい、と話してくれる。榊の木はまっすぐではないが重さ、粘り共にバツグンなのだという。そんな内容をアレクサンドラがメモに残す。四万十川で一番古い口屋内の沈下橋の下でギャレットとアレクサンドラに最後のデモンストレーションを見せてもらう。綺麗だ、無駄無く入れる力で、とても力強くカヌーを前進させる、美しい。僕達はダンテビンに四万十川の水を混ぜ次なる場所へ(これが最後か?詳細は後ほど)。
”このみ”にて、ポーリングデモンストレーション お昼近く、中村の町まで皆で走り一緒に昼食を。中村で昼食といえば、そう、”このみ”のお好み焼きと焼ソバ。そこでカヌーデイから四万十川までいろいろあった事をみんなで思い出しながら、ケン君、ジョン君のシャキン!シャキン!ヘラさばき。小麦粉がダメなアレクサンドラには特別メニュー山芋このみ。最後の最後まで抜かりない四万十塾のおもてなし。そして名残惜しい気持ちを次なる気持ちに大変換し、今回いろいろな時間を僕達に与えてくれた四万十川に別れを告げる。
京都まで走る車の中は、アレクサンドラがカヌーデイのWell Canoe パーティーときに買った岡野弘幹さんのCDが流れている。後ろの席で2人はぐっすりお休み。僕は運転しながらいろいろな考えが次々と湧いてきて、覚えておかなきゃ、これも覚えておかなきゃと、頭の中で沢山の匠が走り回っていた。
明日は最後の丸1日、京都を一緒に回ろうと約束をして秘密基地まで無事に送り届けると、僕達は毎度お世話になっているマサ日和邸でバタンキューガァー。  (匠)


関連サイト: 四万十塾

ポーリング、地図で説明 2009年4月4日 (土)
四万十川 ポーリング編

朝起きると、人数が1人増えていた。琵琶湖でパドル製作ワークショップにも参加してくれたタマちゃんだ。自分で削ったパドルはまだ仕上がっていないので、お披露目はお預けだった。今日は合計8人の仲間で川下りだ。
出発の前、またギャレットが草むらでゴソゴソしている。すると今度は数本の竹を両手に抱えて現れた。そう、みんなの分のポールを作ってくれていたのだ。黙々とみんなの事を考え行動するギャレットにみんな感謝していることだろう。
さっそくみんなポールで漕ぎ出すが、これが中々難しい。まっすぐ進まない。だけどとーるさんをはじめスタッフのみんな、すごく楽しそうだ。パドリングの世界は水と触れ合っている時間が長い分、どんなパドリングを見せられてもそんなに驚かないが、このポーリングで下っていくという感覚には僕も含めて新しいおもちゃをプレゼントしてもらった喜びみたいなものを感じた。雨が降っているんだかいないんだか分からないくらい熱中した、ってな事をよし子に話したら「ずっと降ってたよ」と一言いわれた。
みんなでイメトレ、ポーリング雨の中ランチを食べる、なんだかそんなに辛い雨でもない。麺ならいくらでも食えるというケン君、麺でもご飯でもいくらでも食えるというジョン君という素晴らしいお腹の持ち主のガイドに恵まれ、茹ですぎたかと思われた麺も綺麗さっぱりみんなのお腹の中へ。
お茶を飲んで少しゆっくりとした後、カヌーに乗り込み午後の部がスタート。そして本日最大の瀬、みんながパドルを握って超える瀬をギャレット、アレクサンドラは竹ポールを握って挑む。カヌー前方にポールを撞きスピードを殺してゆっくりと進んでいく。パドルで操作していると短い距離の間にカヌーをグンと寄せる作業が必要だったりするのだが、このポーリングができると流れの中でピタッと止まることができるので、忙しい動作が必要なくなってくる。そしてゆっくりと落ち着いて水の流れを選び少しすすんでまた選びを繰り返すうちに自分の行きたいところ、乗りたい水に乗っかる事ができるという訳である。さらに、行きたければ上流に上っていくこともできるのだ。このカヌーの動きは僕も初めて見たもので、なんだかギャレットとアレクサンドラに手品を見せられているようだった。
そして今晩は川原ではなくガイドハウスに戻ってディナータイム。一緒に川に出る前の会話と、出た後の会話は当たり前だけれど違うものだ。みんなパドルを持ってイメージトレーニング?でもグリップを下にしてポーリングのイメージトレーニングみたい。にしても沢山話した、全員英語で!・・・・・?   (匠)


関連サイト: 四万十塾

箸を削る、四万十川を下る 2009年4月3日 (金)
四万十川 パドリング編

朝、四万十塾ガイドハウスで日本食の朝食を頂き、さっそくカヌーを積んで上流の方へ。
途中、産地直売所に寄ってちょっとお買い物。するとさすが地元の方々に愛されている四万十塾、顔見知りのオンチャンが大きなキノコとヤマトテナガエビを持たせてくれた。
沈下橋の下流でベースキャンプ。ケン君、ジョン君がランチを準備してくれている間、ギャレット、アレクサンドラは竹で箸を作る。メイン州には四万十にあるような太い竹は生えていないらしく、友だちへのおみやげか沢山箸を削っていた。面白いのは彼らのナイフの使い方、手前に歯を向けてぎゅっと柄を握り、引くように削っていく。知っている方も多いと思うが日本とアメリカの木工道具の使い方は面白いように逆なのだ。日本はほとんどのの道具を引くときに力を入れて削ったり切ったりするのに対して、アメリカはほとんどの押すときに力を入れるように道具が作られている。通常、ナイフは特に引くとか押すとか決まった作り方はされていないが、やはり使い方が逆である。皆が皆ではないが、日本が引けばアメリカは押し、日本が押せばアメリカは引くのか・・・・なんて考えてしまう。
美味しくランチを頂いた後、もうちょっと上流まで車で移動。カヌーに荷物を積み込み、沈下橋をくぐってスタート。琵琶湖で作られたウッド&キャンバスカヌー×2艇が四万十川に浮かぶ。
川原でディナー、ポーリングギャレット、アレクサンドラに僕達が一番最初に作ったカヌー(赤)に乗ってもらった。乗り心地はどうだろう?僕達が乗っているW&Cカヌー(青)の乗り心地はまずまずだ。今までは静水でばかり乗っていたので、なんてこと無かったが今回初めて川の流れの上で乗ることに。もちろん瀬も越えるし、浅いところではガリッといく事もある。でも、どれだけ絶えられるのか、速い流れのなかでどれだけ操作性を保てるかなどなど、知りたいことは沢山あり、それはどれをとっても次へと繋がる貴重な経験となることに間違いはない。
途中、ウェットな人もいたりして楽しい川の上の時間を過ごした。
ベースキャンプに到着するとギャレットが草むらに入ってゴソゴソしている。姿を見せるとなにやら竹の棒を手にしている。そしてギャレットは何も言わずにカヌーを水に浮かべ、その棒でカヌーを操る。これはポーリングとよんでいるカヌーの操作法だ。これはパドルがささらない、浅く流れのある場所でとても効果的な技だ。ギャレットはこのポーリングを含めたパドル以外でカヌーを操る方法をまとめた本も出版している。その名も”Beyond the Paddle”、パドルを超えて・・・とかパドルの向こうに・・・といった感じかな。
知る人ぞ知る四万十塾のディナーに皆で驚き頂きますをすると、あたりはだんだん徐々にゆっくりと暗くなっていく。お腹がいっぱいになった頃、なぜか栓が開いているバーボンで焚き火を囲んで静かにいろんな話をする。久しぶりに川原で眠る、小石が背中にちょうど良い。 (匠)


関連サイト: 四万十塾

天狗高原、松山ユースの大統領 2009年4月2日 (木)
四国カルストをぬけて四万十川へ

松山ユースホステルの朝食は沢山の外国人と一緒だった。ギャレットは納豆も平気で食べ美味しいと言っている。
チェックアウトの時間を決めて下のロビーで待ち合わせしていると何やらよし子が守護霊と対話をしている様子。実はこの松山ユースのオーナーであるその名も大統領はすごくスピリチュアルな方。なんて思っている間になぜか僕も守護霊と対話。大統領の手から次から次へと不思議なものが出てくる。不思議な水、不思議な座布団、不思議なイス、などなど。ギャレットとアレクサンドラは初め何がなんだか分からない様子。しかし、よし子が一生懸命説明すると興味を持ち始め、4人で大統領を囲みいろんな実験を行なうことに。出発時間が1時間は遅くなったかな。
大統領に別れを告げて、今日僕達が目指すのは明るいうちに四万十塾。途中、天狗高原、四国カルストと幻想的な峠を越えて四万十川の上流にたどり着く。明日から下る四万十川の始まりをぜひ見てもらいたいと思い、ちょっと遠回りだが四万十川の源流点に寄ることにした。196kmの四万十川がここから始まっていると思うと、山と海は水で繋がっていて、そして日本とメイン州も水で繋がっている、水はみんなを繋ぐものだという事をあらためて実感させられる。
四万十塾に到着、四万十川源流点夕方ギリギリ暗くなる前に故郷四万十塾のガイドハウスにたどり着く。とーるさんをはじめ、ケン君、ジョン君が暖かく迎え入れてくれる。ここ四万十塾の生活スタイルは、メイン州での2人の生活スタイルと同じだったり似ていたりするところが多い。隅々まで気になっているようだ。夜は皿鉢(さわち)に美味しいお酒で、楽しく明るい時間を過ごさせていただく。テーブルを囲み、みんなで話をしている姿を少しだけ客観的に見て僕は、2年前メイン州でギャレットとアレクサンドラに会った夜、火を囲んで話をした時に、「四万十とメインを繋げたいなぁ」と思った自分の事を思い出していた。明日は待ちに待った川の上だ。そう、今日の1杯よりも、明日の1漕ぎ、飲みすぎ注意、早く寝よっと。 (匠)


関連サイト: 松山ユースホステル

道後温泉でさっぱり、無料の宝探し 2009年4月1日 (水)
四国に入る、道後温泉に入る

早起きが得意になったみたいだ。朝、銀閣寺の駐車場から車を出してパン屋さんで4人分のパンを買う。ギャレット、アレクサンドラを迎えに行き、はからめ号のトリップメーターをゼロにしてから出発だ。車のなかでブレックファーストは、先ほど買ったパンと、コーヒー、ハーブティー。
京都に別れを告げて大阪、神戸、明石、そして淡路島、鳴門。四万十との行き来が多い僕達は、何回この橋を渡った事だろう。今日の目的地は松山、高松手前で高速から降りシタミチを行く。途中、琴林公園という場所で車を止めて浜辺に出る。アレクサンドラは砂に埋もれている割れた陶器の破片の模様が気に入ったみたい。初めは、「僕達日本人にとっては珍しいものじゃないよぉ」なんて感じで思っていたのだが、僕も気にして手に取り始めると確かに綺麗な物がある。大切なのは珍しいかどうかじゃなく、今それを見て美しいと思える心なんだ・・・・・なんて綺麗な海を見ながら思う。
「高松に来たんだからヤッパリ」と、うどん屋さんに入る。うどんの種類をガンバって説明しているとアレクサンドラが小麦粉が苦手だと初めて口にする。えっ、って事は朝のパンとか・・・・、まあいいか、アレルギーではないようだし。メニューはうどんの他にもあったのでアレクサンドラはカレーライスを注文、ギャレットと僕達はもちろんうどん。お腹いっぱいになった後、高松では栗林公園(りつりんこうえん)という日本庭園のようなところに立ち寄りのんびりとした時間を過ごした。
夕方頃、本日のお宿である松山ユースホステルに到着し、そのまま荷物を置いて道後温泉まで歩く。僕は初めて道後温泉に訪れたのだが、こりゃ確かに強烈だ。脱衣所の雰囲気や湯舟の真ん中にドカンとある湯釜というのか石でできたものは、よく分からないけれど完璧な空間を作り出している。入り口から入って出口から出るまで空想の旅をプレゼントしてもらったみたいだ。湯上りにちょっと町をぶらぶら、夕飯は近所の居酒屋風なお店で定食。お酒をほとんど飲まないギャレット、そして全く飲まないアレクサンドラの2人と一緒にいると僕達も自然と飲まなくなる。けれどこの夜は、その後運転もなかったから瓶ビール1本を注文し、3人で飲んだ。ワークショップの事などを思い出して笑ったり、素敵な気分になったりとカタコト英語での会話が面白いようにはずむ。時々日本語を話すと「僕って日本語上手だなぁ」って思ったりするのも面白い。全ての日本食を美味しい美味しいと食べてくれて、温泉も大好きな2人との旅はなんだかとっても気が楽だ。さて、明日はどんな日になるのだろう?  (匠)

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