偕楽園を散歩、黄門ファミリー。2012年3月24〜25日
ちょっと水戸に

「ヒカエヒカエ〜ヒカエオロ〜、コノモンドコロガメニハイラヌカ〜。」とこの写真は午後何時くらいに撮ったかな。
朝早くにはからめランドを出発し向った先は、水戸にある明利種類株式会社が行っている年に1回の蔵開き祭り。
僕にとって現在1人だけ、「社長」と呼ばせてもらっている方がいる。以前僕が派遣として働かせていただいた会社の社長だ。その社長のご実家が水戸であり、この酒蔵であるという縁から本日この蔵開き祭りに参加させてもらった。酒蔵を見学させていただき、お酒をいただき、ご馳走をいただき、いろいろいただきっぱなしの時間を過ごさせていただいてしまった。
翌朝、水戸もそろそろ梅が見ごろ、そしていい天気とくれば偕楽園。金沢の兼六園、岡山の後楽園に並び日本の三大公園といわれている梅林が素敵な公園だ。のんびり散歩、梅の香りに包まれた庭園の中をゆっくりと散歩。来年のカレンダーの絵に偕楽園を描こうかななんて話しながら、のんびりとした時間を過ごす事ができてなんだか良かった。
そしていつもと違う道を通ってはからめランドまで2時間くらい、意外と近い水戸。はからめランドのある塙町からは水郡線でも来る事ができる都市だ。またいつのタイミングか電車でも来てみたいなぁと思えた。みんなも偕楽園などなど、ぜひミトいたほうがいいよ。  (匠)


関連サイト 明利種類株式会社

お料理中、こんな感じ。2012年3月13〜20日
雪どけのはからめランド

13日の朝は、はからめランドで迎えた。昨晩は気が付かなかったが、雪の重さ(豪雪地帯に比べたら大した事ない)でテントの上から、タープを支えていたツカがずれ、テントをつらぬき、穴が開いていることが分かってショック。気を取り直して雪下ろしをする。
突然だけれどトイレの話し。はからめランドのトイレは外に仕切りを作って穴を掘ってあるだけだ。そろそろいっぱいになってきたので、上から土をかぶせて地面としてトイレを移動。50cm位ずらしてまた穴を掘り仕切りを移動するだけで新しいトイレとなるわけだ。
用をしたあとは米ぬか、おがくず、コーヒーかす等を上からばさっとかけるというのが僕たちのルールである。掘ったばかりの暗い穴、その暗闇に消えていくウンチ。しかしその上から明るい色の米ぬかをふりかけると、まるで科学捜査隊が犯人の指紋を浮かび上がらせるようにその形が鮮明になる。ので、それを楽しめない人、特に女性など気になる方はフワフワしたおがくずでその形をぼかすという技もあるし、コーヒーかすで見た目を暗闇に葬り去るという技もある。
以前は山に入って好きなところに穴を掘って用をたしていた。トイレがない空間ほど清潔綺麗なものもないなぁとか思いながら。しかし冬になると地面がカチカチに凍ってしまうため山の中の腐葉土に覆われたところまで行かなければ地面が掘れないという現実が目の前に立ちはだかった。そんなこともあり現在のスタイルになったのだが、毎回穴を掘らなくても良いというのは思っていたよりも快適だということに気がついた。匂いもほとんど感じないし、雨の時なんかは特にありがたさを感じる。ちなみに建てる予定の家にはコンポストトイレを設置する予定だ。
煙突掃除、こんな感じ。僕が幸せに生きていく上で大切だと思っている1つに「全ての物事を絶対的な観点から捕らえる」ということがある。つまり、何かと比べる事をせずにその状況を感じ思うことを大切にするということだ。その反対、相対的に物事を感じるというのはどういう事かというと、例えば日々ウォシュレット付きの水洗トイレで生活している人が、はからめランドのトイレを使った時にそれと比べるということ。何かと比べ優れている、何かと比べて劣っている、そんな事を考えている時間ほど、あとに残らないものもない。自分の身に起こった出来事、仕事、遊びも全て、今の状況をしっかりと感じるためにはその絶対的な考え方がどうしても必要であると僕は思っている。何とも比べない人生を生きる、そんな事をちょっと気にしながら生きると「幸せ」が少し見えてくるような気がする。誰かの相対性理論がこの世をガチガチに固めているのであれば、絶対性理論で、時ほぐれたらいいなぁって思う。
17,18日と2日間、雨が続き地面はヌカヌカ、四駆のはからめ号もスタック、ランドから抜け出せない。ああ、砂利が引いてある隣の家と比べたら・・・・・・・ああダメダメ、比べちゃダメダメ。
19,20日と2日間、風が続きテントが飛ばされそうな勢い、晴れているのに外作業もままならず。ああ、硬い普通の家と比べたら・・・・・・・ああダメダメ、比べちゃダメダメ。
19日、毎朝何気なく聞いていたラジオ番組「ラジビタ」が最終回。4年間続いたというこの番組のコンビ、ムラカミノブオさんとカンザキユウコさんはよく旧暦の話しを話されることもあり、好きで聞いていた番組だったので残念だ。(はからめランドの情報源はラジオのみ、しかもNHK第一のみ、なので選択肢はなかったのだが・・・・。)
20日は春分。昼と夜の長さがほとんど同じになるのがこの日。お昼と夜が仲良くしてそうな日。みんなも仲良くね。 (匠)

Webチーム、お料理教室2012年3月12日 (月)
312

312、去年わたしたちは、小名浜の避難所となっていたところに水を配りに行きました。原発から40kmくらいのところだったと思います。その後原発から遠くへ逃げようと、暗闇の中を空になった水タンクだけを積んで走りました。雪が降り、とても寒い日でした。車の中で、キャンプでよっちゃんからもらったアルファ米を食べながら、信号の消えた道路をひたすら走り続けました。
あれから1年が経ち、石巻でこの日を迎えました。今日、はからめランドに帰ろうと思います。
午前中匠くんはWEB会議、わたしはゆかりさん主宰の料理教室に参加しました。石巻の郷土料理おくずがけと竹の子ごはんを作りました。講師は大街道でこれからお店をオープンさせるかみのさんご夫妻、参加者はみなボランティア。1年経って、石巻のためにみんなが集まって、こういう形で地元の人を応援できるようになったのだなあ、と時の経過を感じました。
夕方になり、とうとう夜になり、ようやくはからめランドに到着しました。震災から1年を、ようやくはからめランドで迎えることができます。 (よ)


関連サイト OPEN JAPAN

3月11日石巻にて2012年3月11日 (日)
311

311、皆さんいろいろな想いを抱え、それぞれの場所でこの日を迎えていることでしょう。私たちが石巻を拠点に活動しているボランティア団体「ボランティア支援ベース絆」が、本日より「OPEN JAPAN」(オープンジャパン)に名称が変更になりました。やっていることは何も変わらないけれど、今後ともよろしくお願いいたします。
さて、本日のはからめ暦は昨日に引き続き、地元石巻のAshさんに思ったことを文章にしていただきました。それではAshさん(タイピングは隣でふみえちゃん)よろしくお願いいたします。 (はからめ)

震災から一年が経ちました。大原から朝、石巻市内のベースへ戻る途中の道すがら、一年が経って既に見慣れているはずのたくさんの瓦礫や廃墟、何もない空き地を目にしました。
一年が経過したからといって、まだまだ復興とはほど遠い石巻の現状を目の当たりにすると、節目でも区切りでもないと感じてしまうのは僕だけではないはずで、まだ多くの被災者の方々が心穏やかな日常を取り戻すためには、時間がかかるとまざまざと思います。
朝の助さん、湊中午前中は絆ベースでブロードウェイカフェをやりました。あさやんがマスターで。"がんばろう東北"の前掛けがとても似合っていました。カフェにはゆきおちゃん、チャーリー、ゆかりさん、よしこさん、ピースワーカーズの麻子さんなど、懐かしいメンバーが揃って思い出話に花が咲きました。
昼になってみんなで日和山公園に徒歩で向いました。地震の時刻に震災の犠牲者の方々へ鎮魂の黙祷を皆で捧げるためです。まだ痛々しい爪痕が残る市内を抜けて日和山をのぼりました。途中、たくさんの市民の方々やボランティアと思われる人々がいて、皆日和山を目指して歩いていました。
日和山は石巻市内を一望できる山で、特に被害のひどかった南浜町も見渡すことができる公園があるとことろです。慰霊祭が執り行われておりましたが、公園内には皆で一緒に同じ場所で黙祷を捧げたいという人たちがたくさんいらっしゃいました。公園内の思い思いの場所で2時46分、サイレンの音を合図に黙祷を捧げました。皆が無言で祈っている時、上空にはヘリコプターが飛び、あの日のことが思い出されましたが、今日はあの日と違ってほんのり暖かく穏やかな日和だったため、沈痛な思いの中にも身体を優しく包まれているような気がいたしました。
ベースにてカフェタイム急遽仙台から石巻に来たチャーリーがポツリと一言「来て良かった」とのこと。僕もそう思いました。人には一人で様々な思いに囚われて整理がつかない時があります。特に震災のことに関しては、そういう収集ができない悶々としてしまう時が。それは被災者の皆さんはもちろんですが、ボランティアの皆さんも同じです。そういう時、仲間と一緒に祈りを捧げることで、理屈ではなくそういった人に説明できない、自分だけのつらい思いを皆と共有できたような、そんな感じがしたのだと思います。
手に手を取り合って、というと気恥ずかしいですが、これからも仲間たちと一緒にがんばっていけたらなと、上を向いて歩いていけたらなと、そう思った3月11日でございました。 (文 ash、写真 コージ)

AM6:30大原を出発、市内ベースへと戻ります。途中、炊き出し支援をしていた湊中学校に寄りました。武道場は片付けた時のまま、何もなくがらんとしていました。あさやんとワカ、千葉さんとで校庭に植えた記念樹のサクラは寒そうにしていましたが、しっかりと根を張っている様子でした。あさやんの目が潤んでいるような気がしました。日和山の眼下を通り抜け、7:30朝のミーティングに出席。今日はそれぞれおもいおもいの場所で黙祷を捧げることになるでしょう。
3月11日石巻にてにこにこ団のユカさんとピースワーカーズの麻子さん、あさやんとでエントランスを片付け、山梨の家具屋さんにつくっていただいたテーブルとイスを並べ、花を生けました。「今日はストーブに火を入れて、一日明りを灯しておこう。」と助さん。この日に石巻に帰ってくる人も多いと思われます。
PM2:46、みなベースから慰霊祭や神社、おもいおもいの場所へ黙祷を捧げに行きました。誰もいなくなったベースで匠くんとわたし、麻子さんと三人で屋上にあがり、セージを炊いてろうそくに火を灯し、黙祷を捧げました。旧北上川河口から海まで見晴らすと、川のそばで手を合わせている人たちが見られました。あの日から1年が経ちました。 (よ)


関連サイト OPEN JAPAN

三熊野神社の参道2012年3月10日 (土)
ろうそく@大原

今日は、地元石巻に住んでいるAshことあべちゃんがはからめ暦を書いてくれました。ありがとうございます。(はからめ)

大原で区長さんをはじめとした地元の人たち、愛知の高校生たち、奥田さん、とっちさん、チセちゃんの大原常連組のボランティア、はからめのおふたりで竹で作った灯篭を準備し、熊野神社から浜まで2列に設置作業をしました。
残念ながら強風のため、ろうそくに点火してはしては5分もたたずに消えてしまうなど、悪戦苦闘。奥田さんの判断により急遽大原の集会所へ灯篭を移動させて屋内で点灯しました。
アクシデントはあったものの、集会所の電気を消して沢山の和ろうそくの灯火はとても幻想的でとても素敵でした。そして、地元の人たちと震災で亡くなられた方々に対するご供養と鎮魂の祈りを共にしました。
集会所にて震災から一周年の前日の夜に地元の人たちと今までがんばってきた長期のボランティアの皆さんとこの時間を過ごせたことはとても有意義で忘れられない夜となりました。集会所にいた皆さんはそれぞれの想いを胸に暗闇の中に力強く光る和ろうそくの灯火を見つめていました。震災に対する想いはそれぞれですが、みなさんの未来はきっと明るくより良い方向に進んでゆくことでしょう。
古民家再生プロジェクトも順調に始動しております。今後も前進あるのみです。がんばってまいりましょう。以上あべやすひこ(Ash)

ありがとう、あべちゃん。今回使わせていただいた和ろうそくは、時々はからめ暦にも登場する琵琶湖高島の和ろうそく屋さん大與よりご提供頂いたもの。明日11日は、琵琶湖の水鳥観察センターでも和ろうそくを灯す時間を作るとの事。「場所は違えど同じ時間を生きている仲間がいる」これがこの1年、ほぼ毎日、常々感じたことかな。 (匠)


関連サイト ボランティア支援ベース絆 ・ 大與

ゆかりさん(石巻かほく)、古民家の前で2012年3月8日 (木)
本日の活動@石巻

まもなくOPEN JAPANと名称変更になる石巻ボランティア支援ベース絆、本日の活動人数は42名でした。
ミーティング終了後、仮設住宅の一人暮らしのお年寄りに毎月3kgのお米をお届けする「サンライス元気村プロジェクト」に30名が出発、津波で流された写真を持ち主にお返しする「写真プロジェクト」は3名で、牡鹿半島の鮎川の公民館で活動をしています。「カーシェアリング協会」は事務所を大瓜仮設住宅の中に移しました。
「古民家再生IBUKIプロジェクト」は、東京からグラビティフリーのデジョーさんエイジさんが協力してくれるという友人豊田さんを連れて来石しました。絆で話をしたあと、牡鹿半島大原浜へと向かいました。助さんから説明を受け、大原の区長と会談。その後奥田さんの案内で鮎川を回りました。今後計画書を作成し、協力を仰ぐ体勢を整えていくことになります。
三越オープン、にこまるクッキー個々の活動も始動中。ゆかりさんの「つながる・つたえるプロジェクト」では、3月12日(月)に中央公民館で料理教室を開催します。今回のメニューは「郷土料理おくずがけと竹の子ごはん」。調理室にて、9時から13時、参加費1000円で現在募集中です。石巻の郷土料理と旬の竹の子ごはんに興味があるボランティアの参加大歓迎です。
料理教室の申請書を出しに行ったら、事務室の阿部さんが「ゆかりさんが新聞に出ていましたよ。」と、教えてくれました。前回開催した料理教室の記事が3月7日の「石巻かほく」に掲載されています。
しばらくお休みしていた石巻の「にこまるクッキープロジェクト」が再開しました。カフェももさんが仙台でお店をオープンし、ももさんは仙台で、石巻ではこれまでにこまるクッキーを一緒に作ってきた斉藤さんとお友だちとの3人で、週に3回のペースで作っていくことになりました。クッキー作りは3人で分担して手際よく進んでいました。仕事と生き甲斐、楽しみの要素をすべて含んだにこまるクッキープロジェクト、子を持つ3人の母が一生懸命にスタートしました。今後応援支援をしていただきたいプロジェクトの一つです。
駅前の商店街に三越がオープンしました。シャッターの閉まっていた商店街にも何店舗かが開店し、少しずつ駅前も活気付いてきました。三越には長蛇の列、人も車も行きかって、町が呼吸しているのを感じます。 (よ)


関連サイト 石巻ボランティア支援ベース絆

採寸するあゆう、雪の古民家2012年3月3〜5日
ひなまつり@古民家再生IBUKIプロジェクト

2日夜石巻絆ベースに到着、金曜日の夜はまだボランティアさんも少なく、女子部屋にはわたし一人でした。
3日朝、雪により東北道が通行止との情報、高速バスや自家用車で向っている人たちの到着時間が大幅に遅れました。
「あわてても仕方にないよ、大原時間でいこうよ。」と、土地の時間感覚を体感しながら、大原の集会所に到着しました。
松山からシェフ神野さん、地元事務局の奥田さんチセさん、東京から施工チームのバブさんあゆうさん、そして全体を統括する助さんと、大原浜区長さんはじめ、災害対策本部のおじさまたちと夜のひなまつり懇親会を開きました。鮎川から漁業経営者若手のケイさんも参加して、これから進んでいく古民家再生IBUKIプロジェクトに向けて気持ちをひとつにしていきます。
4日、市内絆ベースに戻り、事務作業。今こちらで活動しているみんなとコミュニケーションをはかります。
5日、啓蟄、虫も目覚める頃です。石巻市内は昨夜から雪が降り一面銀世界でしたが、朝には徐々に雨に変わり、春が近づいてきているのを感じます。
牡鹿復興祭の告知、ランチタイム今日は大原の仮設住宅の集会所で昼食会を開いて、仮設のみなさんに古民家再生IBUKIプロジェクトに向けての協力を仰ぎました。いらしてくれたみなさんには3種のパスタを楽しんでいただいて、今度は地元の食材を使って地元のお母さんたちの料理も教えてもらいたいね、もちより一品パーティもいいね、などの意見交換もでき、前回よりもぐっとみなさんと近づいた食事会となりました。
「どうもありがとう。次を楽しみにしているよ。」「今度はわたしも何か作ってくるよ。」「楽しかった。どうもありがとう。」何よりもみなさんの笑顔がこの場をいい集いにしていってくれています。
古民家の方は使えるガラス窓をはめたり、バブさんの図面を見ながらあゆうさんが寸法をはかったりと、ちゃくちゃくと次の段階へと歩みを進めています。
大原地区以外の地域の方々とのコミュニケーションも大切です。「集まれる場所がほしい、そこで何かできたらいいな、」「地元の食材を生かせる場所ができるね。」「わたしもこんなことをやりたい。」このプロジェクトが進む事によって、牡鹿半島に住むいろいろな人たちが期待を膨らませているのを感じます。鮎川の魚屋ケイさんが「これまでボランティアの力をかりてきた。そろそろ自分たちの力で立ち上がろう、そして、応援してきてくれた人にありがとうっていえるようになろう。」と言っていました。
仕事をまわしていくための流れをつくること、地域のコミュニティの場をつくること、そして過去から未来へと伝えていく歴史をつなげること。この大原の古民家を再生し、IBUKIを注ぎ込むことで、みんなの思いを実現していきたいと思います。 (よ)


関連サイト 石巻ボランティア支援ベース絆
2012年4月<  >2月