モグラ、ありがとうケビパさん2013年3月31日(日)
いままでありがとう、ケビパさん。

はからめランドの僕たちのテントの前には「ケビパさん」と名付けられた木の切り株がある。ちょうど人間がイスに座った時位の高さの切り株だ。
ある夜、その切り株のそばで焚き火をしながら仲間とともに時間を過ごしていた。すると仲間のうちの一人が、自分の話しの同意を旦那様に得ようと、隣に生えているその切り株に向かって「ね、ケビパさん。」と話しかけたことが名前の由来である。辺り一帯が笑いの渦(大潮時)に巻き込まれた事は言うまでもない。
そんなケビパさん。ストーリー付きという事もあってそれ以上切る事をせずに、天板を付けてテーブルとしたり、いろんな虫たちの家になってもらったり、ある時は僕たちが出かけている時にお留守番をしてくれていたりと、はからめランドの住人として一緒に過ごしてきた存在であった。
しかし今日、そのケビパさんとお別れする日がやってきた。理由は、もう一度よく考えてみたら無い方が良い・・・・。
ケビパさんが居なくなってからの半日、一気に土木作業が進んだ。今まで車がバックでしか入って来れなかったのが、切り返しができるようになったので頭から突っ込んで来れるようになったり。それによって他にもテント近くに駐車スペースを作ったり・・・。
ケビパさんを切るときはちょっと寂しかったけれど、別れは新たなる旅立ちへの第一歩。別れと出会いの風景にぴったりな春に「もしケビパさんが無かったら・・・」を実行してみた。「何だこのタイトルは?」と、もし読んでいたら実在するケビパさんが一番ビックリしている事だろう。
明日4月1日は、須賀川にある「銀河のほとり」でちょっとした大工作業。翌2日から5日まで、石巻市、牡鹿半島の子供たちと京都にて小坊主修行。その後は福島市「にじまる家」にてちょっとした大工作業。「で、家はいつできるんだよ・・・・」が また聞こえる。 (匠)

柵2013年3月30日(土)
結び方

かゆいかゆいかゆい。目がかゆい、喉がかゆい、鼻が詰まっているのに鼻水が止まらない。これ以上花粉症について何か書いても意味が無いからやめておこう。
雨が続く(のにかゆい)。雨が上がっているタイミングをみて畑の柵を作る作業、1日で…かかっても2日で仕上げたいと思っていたのだが、天候の事もあり(花粉症も作業の遅れに影響)3日かかってしまった。
造園業の方々は、交差する竹と竹をシュロ縄で奇麗に結ぶ方法を知っているはずだと思い、あなた管で検索。”おとこ結び”とか”交差結び”とかが出てくるのだけれど、もちろん美しいのだが、なんだかどうもしっくりこないというか納得がいかない。もっとキツくしっかりと、最低の紐の長さで・・・・とか考えているうちに1つの自分なりの完成系にたどり着いた。竹同士の滑りやすさをシュロ縄同士の滑らなさで補う、結構良い結び方だと思うのだけれど如何なものかな、最後が今ひとつかな・・・・。 そんな事しているから3日もかかるんだよ。で、家はいつできるんだよ。と、いろんなところからコメントが来そうだ。だからこのサイトはコメントできるようにしていないのだが。
そうそう話しは変わるけれど、以前検査を受けたホールボディーカウンタの結果をお知らせしていなかったのでここでお知らせ。結果は不検出。塙町の役場に行ったときに、塙町から検査を受けた人間の結果がどうだったのかというデータを見たが、99.8%の人は1mSv以下ということで不検出=健康に害がないという事。僕たちが知りたいのは誰かが言っている大丈夫か大丈夫じゃないかじゃなくて、どれほどの数値かという事なのに・・・・。どこかでは福島県民の細かいデータ取りをしているのだろうけれどね。 (匠)

畑、柵2013年3月27〜28日
満月、実験。

27日、 はからめランドは雨ですが、雲の上では満月です。月は天秤座に位置しています。
今日は原稿を書いたり来年のカレンダーの制作にとりかかったりと、PC作業がほとんどでした。雨の日はデスクワークです。

28日、晴れたので畑に着手しました。前回から一週間経過したので、再度EM菌、ゼオライト、麻炭を散布しました。熊や鹿はいないのですがイノシシはいるらしく、どこも畑を荒らされると聞きます。実験結果を食べられてしまわないようにと、畑の周りに柵を作ることにしました。間伐した杉と竹を用いてボルトとシュロ縄でとめていきます。わたしは竹を切るところくらいで、あとは匠の技でもくもくと作業をしていきます。
天気がいいのでテント内の掃除をしました。絨毯や布団を干して床を水拭き、入り口の土を出して道具の片付け、靴やぞうきんを洗って干して、としているうちにあっという間に日が暮れていきます。テント生活、狭いとはいえ暮らしているといろいろ使っていない箇所があるものです。お片づけヒーリングで放射能と花粉除去、食事をつくって今日の作業は終了。掃除をして一日が終わってしまいました。昔の人は朝から晩までずっと働いていたのでしょうね。現代人のわたしにとって、タオルの手洗い11枚はけっこう大変でした。電気を使わない洗濯機があればなあ。(よ)

梅、水郡線2013年3月23日(土)
蔵開き

昨年に続き水戸にある明利酒類株式会社の蔵開きに参加させてもらった。水郡線に乗って、最寄り駅の東館(ひがしだて)から水戸まで約1時間半。実は初めて乗った水郡線。2両編成で久慈川沿い、林の中、民家の脇など魅力的な景色を楽しめるところが良い。
沢山の人で賑わっている会場では、水戸黄門、助さん、格さんによる抽選会。その場で焼いてくれるどら焼き120円や樽酒1杯100円、利き酒1回100円などなど。司会進行役の2人組のお笑い芸人の自分のサイン色紙をかけたジャンケン大会では、見事勝ち残った女の子が、その芸人さんの名前を知らなかった事が面白かったり・・・。芸人さんは「僕たちの見えるところには捨てて帰らないでね」と優しく言っていた。
以前、僕が仕事をさせて頂いていた会社の社長がここの酒蔵の家の息子さんということがあり、昨年からおじゃまさせてもらっているこの蔵開き。社長の同級生や仕事仲間などが、酒蔵に隣接する社長の実家に集まり、美味しいお酒やお料理を頂き楽しい時を過ごす。芸者さんの姿もちらほら。人生経験が豊富な方々から色々な話しを聞く事ができた。年に一度のこの日を楽しみにしている方も多いよう。社長のおかげで僕たちのカレンダーを使ってくれている方々が多いのが嬉しいところだ。
今年は電車で来たので終電があるため、終わりがあるところが飲み過ぎないための良いところ。山暮らしをしていると「終電に間に合うように・・・・」という言葉がとても新鮮で、なんだか口にしながらニヤッとしてしまった。 (匠)


関連サイト 明利酒類株式会社

ジャガイモ、空2013年3月21〜22日
フキノトウが顔を出す。

21日、畑に植える種ジャガイモ北海道産だんしゃく3kgを購入しました。大きなジャガイモは縦半分に切って、2〜3日断面を陰干ししてから植えるそうです。少しだけ持っていた堆肥をぱらりと入れ、準備をしました。大根の種も購入。いよいよ畑が畑らしくなってきました。
風邪花粉症で寝込んでいた匠くんが復活してきました。花粉症がまだつらそうですが、起き上がってこられるようになりました。春になる頃に体の変化を通してデトックスできてよかったのでは。浄潤先生のお話を聞いてからは風邪をひくのもいいな、と思っています。
huフキノトウ、ミニバラ22日、そろそろフキノトウが顔を出す頃では、と毎日地面を観察していました。本日見つけました、フキノトウ。とっても小さいのですが、数個ちらほらと。天ぷらにしてもいいし、フキ味噌もおいしいし、そこで気になる放射線量。測定できるほどの量はありませんし、測定できる所までも遠いので、食べるか否かは自分次第。昨年の町のデータを見ると15ベクレルとありました。多少下がってはいても7.8ベクレルくらいはありそう(勝手な推測です)な気がします。ちょこっとだったら食べても大丈夫かなぁ。でも放射能含まれていると思いながら料理するのも気になるぁ。こうして大地からの恵みを感謝していただきにくい環境になりました。福島県以外にも同じような思いをしている人たちがいるでしょう。土、風、太陽、水、地球と共存するために今出来ることは何なのか、これまでの知恵を学びながら今の時代の生き方を見つけていくしかない、日々そう感じながらはからめランドで生活しています。(よ)

EM菌散布、土起こし2013年3月20日(水)
春分の日、実験開始。

昼夜の長さが等しくなる頃、「自然をたたえ、生物をいつくしむ」という趣旨の国民の祝日、今日は春分の日です。春分の日の前後3日間計7日間を春の彼岸といい、日本独自の仏教行事が行われます。
日に日に暖かくなり雪も溶け、大犯土小犯土の期間も終わったので畑の実験を開始しました。
今日は曇り、時折お日様が顔を出しますが、寒くもなく暖かくもなく風もなく穏やかな日常風景です。安全なぬかが手に入らなかったので、EM菌を散布することにしました。実験はEM菌とゼオライト、そして麻炭の3つを撒いて土の線量を計測し、作物を植えてその作物に含まれる線量も計測するというもの。今日はまず散布して土起こしをするところまでやってみます。前回ぬかとゼオライトを散布しましたが、線量の変化は見られませんでした。本日の空間線量0.16、畑の線量0.16〜0.18マイクロシーベルト。ここに3つを分けて散布し、土起こしをしてまぜます。小さな畑ですが、一人で土起こしとなるとけっこう大変でした。農業をしている人たちは働き者だなあと思います。土作りからはじめて種を蒔いて雑草をとって収穫してその実りをいただいて、とても豊かなサイクルです。はからめランドの畑は実験場となりました。無理せずマイペースでやってみようと思います。(よ)

竹薮、わさびの花2013年3月18日〜19日
はからめランド

先日手入れした竹薮の片付け作業をしています。切った竹から枝葉を落とし、まとめて片付けるという地道な作業です。枝葉の線量0.18マイクロシーベルト、竹薮地面の線量0.24マイクロシーベルト、はからめランドの中ではけっこう高いということが分かりました。午前中1時間、午後1時間、作業時間を決めて行うことにしました。
生活しているテント付近の空間線量は0.13、テント内0.15(テントの中の方が高かった!)、ぬかを撒いた畑0.15、ゼオライトを撒いた畑0.16、テント前0.16、散布による大きな変化は見られませんでした。雪が溶けたので実験を再開してみようと思います。匠くんは季節柄なのか風邪なのか、陽気が暖かくなったとたんに寝込んでしまいました。移動中や子どもたちの相手のときにくしゅんくしゅんとらないようにと市販の花粉症の薬を飲んだら眠気と疲労が襲って来たそうです。そのまま数日経っても様態は改善せず、食事以外は起きていられないほどになってしまいました。ひとまず梅醤番茶とビタミンCをとって寝ています。花粉症って、ここまでひどい症状になるものなのでしょうか。これまでの疲れもあるのかも。この後も予定があるので、今のうちにゆっくり休んで回復してもらいたいと思います。 (よ)

おかし作り、全員集合2013年3月16日(土)
にじまる家

福島市のにじまる家に、保養キャンプとして金山町で開催していたふくしま子ども元気村の参加者たちが集まりました。わたしたちと会うのは約1年ぶりの元気村のみんな。子どもたちがからだもこころも大きくなっていて、成長を感じました。子どもたちがお菓子作りをしている間、お母さんたちにはヨガ教室を開催し、しばしこころとからだをリラックスする時間を持ちました。匠くんはトイレの修理など、建物のメンテナンスをしていました。たくさんの仲間がこの建物を修理改装してここまで至っている様子がわかります。みんなに応援されて、にじまる家があります。
ヨガが終わって「さあお菓子をいただこうか、」というところで外で作業している匠くんから「虹がでているよー!」との声。みんな走って玄関に飛び出すと、空には大きな虹がかかっていました。「にじまる家に虹がかかったー!」とみんなおおはしゃぎ。心配事もありますが、今を前向きに生きる力の方が勝っています。玄米菜食のおいしい夕ご飯をみんなでいただいて、子どもたちはお絵描きや段ボール工作、お母さんたちはお茶会で情報交換、楽しい話や気になる話など、時間はあっという間に過ぎていきます。震災があったからこのような場をつくるに至ったのですが、こういう場って被災地でなくても、震災がなくったって、あったらいいと思いませんか?今の福島での活動の中には福島以外の場所でも役立つことがたくさんあるのではないかと思います。世界のひな形が日本にあるとすれば、日本のひな形が福島にあるのではないか、そんな気がします。ここで行っていることはいずれ他の場所でも役に立つのではないか、そう感じるのです。
みんなで夕食、ヨガみんなを送り出した後、けいちゃん&みゆきんぐと話しました。たくさんの仲間が心配している中、わたしたちもこの場所でどう活動していくのか気になっていました。わたしたちがいる部屋の線量は0.16マイクロシーベルト、外は0.18〜0.2マイクロシーベルトでした。
石巻で出会った熊本出身山形在住のふくちゃんが一日ずっと子どもたちと遊んでくれました。おかげでこちらはお母さんたちとゆっくりお話することができたのですが、「ふくちゃん、どうだった?(疲れてない?)」と聞くと、「僕、保育士になるのが夢だったんです。楽しかったです。」「じゃあここはみんなが夢を叶える場所にしようよ。」「ここを素敵なカフェにしたら、地元の人でやりたいって人が出てきそうだよね。」「そうなんです、いずれは地元の人に引き継ぎたいんです。」「4月頃かそれ以降でも、アースデイカフェやらない?アースデイウィークっていうのもいいよね。手作り市などのマーケットなんかも楽しいかな。」「八百屋さんやりたいです。」どんどんアイディアが湧いてきました。いろいろな人が関わることによって、 ポジティブなエネルギーが集まってくるのだと感じました。もはや、保養や被災地支援というイメージを超えて、ここに関わる人たちの夢を叶える場所として、にじまる家が存続していけたらいいな、と思います。そのためのお手伝いをしていこうかな、そう思いながらにじまる家をあとにしました。(よ)


関連サイト にじまる家

IBUKIスタート2013年3月12日(火)
新月 IBUKIプロジェクト 作業開始!

「神秘性」「寛容さ」をつかさどる魚座の新月の今日、古民家再生IBUKIプロジェクトの作業が実際に始まった。修復工事の主任は、フジロックフェスティバルや、アースデイ東京、そして新潟で行われていた「大地の芸術祭」などで素敵な建物、空間を次から次へと生み出す「空間工作舎バイブレーションズ」のバブさん。そして茅ヶ崎で大工さんをやっているヒトシさん。この日の作業はバブさんとヒトシさんで、解体するべく場所を解体するという予定だ。
しかし予定は予定、現場にいた助さんのポケットからツメジャッキやエンジンカッターという、普通の人はもちろん大工さんでも持っていない道具が登場。それらを使って家の一部分を持ち上げて、詰まっている物を取り除き、少しずらしてから落とすといった大掛かりな作業がいきなりスタート。現場では色々な物事や予定が動き、それによって思っていなかった方向へとむかう。時には良い方へ、時には悪い方へ。「いいね、いいねぇ」と作業が進んでいくと、石巻を出る前に一度IBUKIを見学してから・・・・というご一行が作業現場を訪ねてきてくれた。沢山の人に見られながら手を動かす人たちは、なんだか仕事が速い感じがする。見学に来た方の中にも大工さんがいたりと、皆で知恵を出してさらに生み出された良い流れが時を抜けていくのを感じた。ミュージシャンは観客が多いライブでは、思っている以上のパフォーマンスを見せる。僕がビリヤードをする時はギャラリーが多い方がほど「Pool Shark」と呼ばれる(ホントか?)のと同じ感じ。人が集まると1足す1は3になるって事、それがよくわかる。
夕方、やはり夕日が奇麗な大原浜だ。この夕日を古民家から眺めながら日々の 「おつかれさま〜」の1杯を飲める日がくる、そう信じて前へ前へ進んでいこう。
さて僕は、このIBUKIプロジェクトでどんな役割をしているのだろうか?今まではチラシやちょっと進みが遅いWebサイトなどを作ったりしているのだが、今日の工事スタートを機にこれからもっと進み具合や現地情報を発信していくつもりだ。難しい事を簡単に、みんなに分かりやすく伝える事ができたらなと思っている。のでよろしこ。(匠)


関連サイト OPEN JAPAN

植樹の様子、安全祈願式2013年3月11日(月)
3.11 IBUKIプロジェクト安全祈願式

2年目の3月11日がやってきた。少し前までこの日、この時間を福島で過ごす事を考えていたのだが、一昨日の「南境生活センター集合」や昨日の「みなと食堂」、そしてこの先の建設的なプロジェクトと感じている古民家再生IBUKIプロジェクトの安全祈願式が本日行われる事もあり、石巻で過ごす事に決めた。
古民家再生IBUKIプロジェクトが発足してから1年半。ゆっくり、徐々に、少しづつ進めてきた様々な内容や方針、みんなの力で形にしていこうと頑張ってきた。しかしどう進めてきたのかなど、外に対してブログや他、いろいろな方法で伝える事ができずにいたような気もしている。中でも地元の方々とのコミュニケーションが何よりも大切である。その部分を助さんはじめ、遠く愛媛から何度も何度も足を運んでいる代表の神野さん、牡鹿半島に移住してきたチセちゃん、そしてもうすぐ移住?の奥田さん、他多くの方々の笑顔や技術で牡鹿半島の一部となり新しい輪を作り上げている。地元大原浜の方、牡鹿半島の方、石巻市内の方、ボランティアのみんな、これだけの方々が3月11日にここに集まったという事実、確実に輪ができているのだと感じた。
40名以上が集まって行われた安全祈願式。強風の中、夏になったらこの風をさえぎる屋根の下に沢山の笑顔があふれる姿を想像しながら工事の安全を願った。
夜の時間、海午後は石巻の市街、渡波(わたのは)地区にある明神社にてNPOスマイルシードによる植樹を行い森作りへの第一歩を踏み出した。植えたのはユズの木。宮司さんの話しによると震災前にもユズの木が境内に生えており、そのユズを毎年ある方が採って宮司さん家族や近所の方々にに配っていたという。その方が2年前の津波で亡くなってしまい、その想いも込めてユズの木にしたと話してくれた。後ほど桜の木も植樹するとの事。森に囲まれる明神社を想像してみる。
地震発生の2時46分は、海を見ながら時間を過ごした。目の前にあるのは青く透き通った空、輝く太陽、そしてそれを映し出す海、この奇麗な自然は地震や津波の仲間なんだなって思った。(匠)


関連サイト OPEN JAPAN

湊中学校の様子、南境生活センターにて2013年3月10日(日)
1日限りの復活、「みなと食堂」

3.11を前に、炊き出しをしていた湊中学校武道場にてみなと食堂を一日だけオープンしました。事前告知もぎりぎりでしたので、どれくらいの人が来るのかまったく予測できませんでした。たった一人の人しか来なかったとしても、その人が穏やかな気持ちで暖かい食べ物とお茶を飲みながらしばし時間を過ごせるといいな、との思いでした。 前と同じようにカフェコーナー、ディッシュリユースコーナー(セルフの食器洗い場)を設置し、花を飾ったテーブルに椅子、そして音楽を準備しま す。マッサージコーナー、似顔絵コーナーもあります。今回のメニューは大鍋による山形風の芋煮とたい焼きです。11時オープンと同時に人がぱらぱ らと入ってきます。いつの間にか用意した60席は満席になっていました。「なつかしい。前とまったく同じようになっていて驚いた。テーブルもコー ヒーの場所も、あのときと同じだね。」「電話もらって、来たんだよ。会えて嬉しいよ。」「仮設にいても誰とも会わないんだけれど、連絡もらって久しぶりにみんなで会えたら、話ができてとてもよかった。またみんなで会いたいと思った。」「あの時の楽しかったときのこと思い出す。また一緒に野菜切りたいね。」
石巻にて 校庭に出ると、校舎に大きな垂れ幕がかかっているのが見えました。そこには「いまからここから」「感謝」という言葉が書いてありました。一体誰なんだろう。大掛かりだから、個人じゃないよなぁ、と不思議に思っていると、ここによく食べに来ていた湊地区にある佐勇水産の奥さんが、校長先生に許可をとってかけてくれたと教えてくれました。「もう工場の再開は無理だと思っていたけれど、ここでぽつりとその話をしたあと、たくさん のボランティアさんが工場の泥だしをしてくれて、再開することができました。」と奥さんは話します。「あのときがあるから今がある。校長先生から一日だけ炊き出しをしに来ると聞いて、みんなに思いを伝えたくてかけさせてもらったの。」 味付けはIBUKIプロジェクトの味の要、 愛媛SOHSOHから来たわーちゃんが腕をふるい、たいやきははっちゃん、たくさんのボランティアさんたちもかけつけてくれ、用意していた150 食はあっという間に完食、たいやきは400匹という大盛況なみなと食堂でした。あのときと同じように片付け、車に荷物を積み入れて南境生活セン ターに戻ります。と同時に明日の炊き出しの準備、一息つく暇もありません。まるでかつての炊き出し班のときのようです。明日で震災から丸2年、3月11日オープンジャパンはタケちゃんこと吉澤武彦が新代表となります。これまで代表としてみんなを引っ張って来てくれ た助さんこと吉村誠司氏と木村とーる氏の代表としてのおつとめラストナイト、「明日から普通のおじさんに戻ります。」とみんなを笑わせてくれる助さん、普通のおじさんに戻らせないための思考を練って、みんなで感謝を伝える夜となりました。(よ)


関連サイト OPEN JAPAN

湊中そうじ、生活センターズ2013年3月9日(土)
南境生活センターズ

集まってきたボランティアさんの得意技を生かして、今日も石巻ボランティアベースは動いています。明日復活する湊中学校武道場のみなと食堂の準備 に向かいます。一年以上そのままになっていた空間はほこりだらけ、あのときから時が止まったままでした。まずは大掃除です。どこから手をつけていいのか途方に暮れそうになりましたが、10名のお掃除隊のおかげできれいになりました。「わたしここが泥だらけのときにも泥だししたんだよね。」「縁ありますね。」「彼はここが母校なんだよ。」時の経過とともに移り変わる町並みを肌で感じ、町の復興と時の止まったままの状況とを行ったり来 たりしながら、かつての作業場と同じ環境で時を過ごしました。今日は風が強く、道路の両脇に何も無くなった吹きっさらしの土地にはコンパネが飛ん だり、電車が止まって踏切で車が立ち往生していました。明日は穏やかな日になりますよう、みなと食堂で暖かいお鍋を作って、心を寄せる人たちをお待ちしたいと思います。 夜、南境生活センターに人が集まってきました。約50人、縁ある人たちがひとりひとり報告の時間を持ちました。埼玉からきたのんちゃんの得意技 で、ユーストリーム配信で生中継をする手はずを整えこの場にいなくてもみんなの声をきけることになりました。震災から2年、それぞれの場所でできることをしています。(よ)


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石巻にて2013年3月8日(金)
石巻にて福島ミーティング

北海道からきたがってんと一緒に、南境生活センターに準備したものを運び入れ、段取りを話し合います。同時進行でこれもあれもやらなければ、と頭 をひねりながらオープンジャパンベースに帰ってくると、福島からけいちゃんとミユキングが到着していました。持参してきた検体を放射能測定器で測 ります。今後の福島活動についてがってん、ひーさーを交えて話し合いました。「なぜ自分の住んでいるところだけ…・」と声を詰まらせながら話すミ ユキング、私たちはここで悲しみ苦しみの涙を流しながら、どうにも出来ない憤りを分かち合います。話しても答えはないし、どうすればいいかは誰に もわかりません。福島に残って活動する選択、福島を離れて活動する選択、それぞれに悩んだ末に決めたことです。その選択に今も悩み続けながら…。 誰か助けてくれるなら助けてください。言葉にしても仕方のない叫びを今日も感じながら、今を過ごしています。(よ)


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石巻にて2013年3月7日(木)
石巻オープンジャパン

ピースワーカーズ麻子さんとよっちゃんと共に福島県南相馬から石巻まで走ります。福島では福島の重みを感じ、石巻ではここで共に活動していたとき のエネルギーを思い起こしながら話をします。石巻の町が一望できる馬子山にのぼり、震災から2年が経過しつつあるこの町を眺めながらひとときを過 ごしました。こうして一緒にこの瞬間を過ごしている仲間がいるから今があるのだと実感します。 3月11日を目前に全国から人が集まってきます。震災から2年が経過するこのときに、9日にはかつて拠点とさせてもらっていた南境生活センターに 集まり報告会をしようという企画、10日には避難所として炊き出しをしていたみなと食堂で一日だけ復活みなと食堂元気鍋、追悼キャンドルを灯して 地域の人たちの拠り所をつくろうという計画、11日には牡鹿半島古民家再生IBUKIプロジェクトの安全祈願式、渡波明神社で追悼と炊き出しイベ ント、それぞれの思いを胸に準備をすすめています。なつかしいメンバーも集まって、ベースが少しずつにぎやかになっています。(よ)


関連サイト OPEN JAPAN

星野道夫さんの写真とともに・・・2013年3月5〜6日
星のプロジェクト

八ヶ岳ピースワーカーズ有志による写真家星野道夫さんの写真展を福島県の二つの小学校で開催しました。 5日須賀川市仁井田小学校にて、A全版サイズの大きな写真を30点ほど飾り、星野さんの絵本の朗読と星野さんに影響を受けアラスカを旅するように なった中島カズヤさんのスライドショーを通して、子どもたちに大自然の雄大さと人生の可能性を感じてもらえるような企画を、山梨からきた4名の チームが届けてくれました。子どもたちはとても興味を持ち、一緒に設置したカヤックに乗り込んで大はしゃぎしていました。 小学校の校庭にはモニタリングポストが設置されており、校庭の線量は0.16マイクロシーベルトと表示されていました。これは除染後の値で、中庭 はもっと線量が高いため生徒の立ち入りは禁止されていました。学校裏の林の中は0.3マイクロシーベルト以上、ガイガーカウンターのアラームが鳴 ります。 夜は須賀川にある自然食レストラン銀河のほとりにてタテタカコさんのピアノ弾き語りライブを開催しました。美しい写真と音楽は人生に潤いをもたら してくれます。わたしたちもそのエネルギーに助けられています。そしてそのエネルギーを運んでくれる仲間に心から感謝しています。 6日南相馬市原町第二小学校にて写真展とタテタカコさんのライブを開催、生徒さん方だけでなく、先生方、保護者の方々も美しい写真に魅せられてい ました。 途中通った飯館村は空き家になっている家々が多く、閑散としていました。ところどころで値は違いますが、0.7マイクロシーベルトを超えるところ もあり、人が住めない区域なんだな、とあらためて考えさせられました。 先の見えない不安の中での生活に、星野道夫さんの写真と文章は闇を照らす一筋の光のように思えました。見る人の心にきっと何かが響いたのではない でしょうか。(よ)

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