サンフランシスコにて

San Francisco - Day2。 2014年6月30日(月)

サンフランシスコ観光、まずRainbow Groseryというオーガニックスーパーへ。それからヘイトアッシュベリーというヒッピーストリートへ。どちらも小一時間で十分でした。その後エレーンと待ち合わせ、「どこか見たい所ある?」と聞かれても特に行きたいところがある訳でもなく、「グーグルに行ってみたい!」とお願いすると「OK.」と会社に連れて行ってくれました。エレーンとリッチはグーグルで働いています。社内を一通り案内してもらい、フィッシャーマンズワーフまでお散歩。帰りはアプリで呼んだタクシーに乗って車を止めた駐車場まで送ってもらいます。「あと16分で到着する、あと2分で到着する、」と携帯を見ながら私たちが散歩している所にタクシーが来るというすごい便利なシステム。サンフランシスコにはこんな便利なアプリがあるのです。
その後リッチのお家に行き、夕食を食べに行くはずが事件が起こり予定変更という事態になりました。パーキングに停めていた私たちの車の窓が割られ、アリトくんの荷物が盗まれてしまいました。中にはアリトコハルのパスポート、カメラのレンズ、パソコンが入っていました。警察に行き、レンタカー会社に連絡をし、なんとも言えない重たい空気に包まれます。パスポートは再発行をしてもらう手続きをしにLAに早めに戻ることにし、レンタカーはサンフランシスコで換えてもらうとして、あとはお金で買えるもの、唯一お金で買えないものは、旅が始まってから2週間撮りためた写真のデータがパソコンに入っていたということが一番のショック。しばし放心状態でした。
リッチが予約してくれたステーキナイトの予定はキャンセルし、リッチの家に戻って今後の手続きを検索しまくります。エレーンは質屋に連絡、レンズやパソコンを売りにきたら知らせてもらうという手はずを整え、わたしたちはパソコンで大使館を調べます。匠くんが今回の旅のチケットをとっていたので2人のパスポートナンバー、帰りのチケットのコピーなどの必要情報が入っていたのですべてOK。明朝大使館のあるLAに戻る事にしました。
「おなかすているんじゃない?」リッチが食べきれない程のたくさんのピザを注文してくれました。今夜もリッチとエレーンのやさしさに感謝した夜でした。さて、この試練をどう乗り切るか。(よ)
サンフランシスコにて
荷物が盗まれた。後ろ右側の窓ガラスを割られ窓から引っ張り出された形跡。ほとんどの車はドアを開けると警報が鳴るので割った窓から鍵を開けドアを開ける事はしない。場所はジャパンタウン付近のワリと治安の良いと思われる場所。車の中にはみんなのほとんど全ての荷物が入っていた。たまたま後部座席にアリトくんのリュックが置いてあったのでそれだけが盗まれた。二兎を追うものは一兎をも得ず、犯人も素早くそれだけを盗って逃げたのだろう。もしこうしていたら、もし違う場所だったら、もし・・・だったらをいくら考えても写真のデータは戻ってこない。
エレーンとリッチが、最大限のサポートをしてくれたのがとても良かった。さすがグーグル社員、スマートフォンを駆使し戸惑う事無く今やれる事を次から次へと進めてくれた。僕たちの2台後ろに停めてあった若いカップルの車も同じ被害に合っていた。後から警察に行ったアリトコハルエレーンに聞いたのだが、その若いカップルもグーグラー(グーグルの社員のこと)だったという。僕の物は幸い盗まれなかったのだが、「もし盗まれていたら」を考え続けてしまう。今の僕にとって身にまとっている物達って何なんだろう。
飛行機でLAについてからの最初の3日間、僕たちはサンタモニカにあるエレーンの家に泊めてもらっていた。その間エレーンは、トルコに旅行に行っていたので、鍵だけを預かり家を家主のいない家に僕たちはお世話になっていた。もちろんアリトくんとエレーンのこれまでの信頼関係があっての話しだが、「家、自由に使っていいよ、冷蔵庫やお酒も自由に飲んでね」とこんな感じの懐の広さ。家にお邪魔して最初に思ったのは「物が少ない」ということ。部屋の中で目立つ物はテレビ、ベッド、お酒が並ぶラック、雑誌が1冊置いてあるガラスのテーブル・・・。まるで僕たちが来るために全ての物を倉庫に放り込んで、やりすぎるくらい奇麗にしてくれたのでは、と思うほど。(実際にエレーンの家にお世話になる事と決まったのは、エレーンがすでにトルコに行ってからだったので、これが日常の状態というわけだ)そしてエレーンに初めて会ったのは昨日のサンフランシスコ、沢山の感謝を伝えた。そして本日、彼女が働くグーグルのサンフランシスコにある会社を見学。社内をグーグルーッと案内してもらい最初に思った事は「物が少ない」ってこと。みんなの机の上にはパソコンが2台あるだけ、書類というような物はほとんど見当たらない。そして社内中どんなところで仕事しても良いみたい。メルヘンチックなソファーにねっころがりながら仕事するも良し、ランニングマシーンで走りながら仕事するも良し、ビリヤードしながら仕事するも良し。マイナスの気を持ち続けないような社内の環境だ。夜、事件が起こる前リッチの家にお邪魔させてもらった。リッチの家の玄関をクグって最初に思った事は「物が少ない」だった。
物を持ちながら移動している今の僕、できるだけ少なくと思って日本でパッキングしたリュックの中にも旅の間手にしていない物がいくつかある。今回のアメリカ旅に限らず僕が所有している物はどれだけあるんだろう、人生という旅の中でもこの先手をつけない物をどれだけ僕は持ちながら時間を歩いて行くのだろう?現在、実際に重たいと感じている自分がいるのは確かだ。本当に必要な物は何なのか、いま本気で考える必要があると感じた。(匠)


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ヴェニスビーチにて

Yosemite - San Francisco (サンフランシスコ) 2014年6月29日(日)

Tioga Lake湖畔で目覚めます。伯父から引き継いだMSRストーブでコーヒーを入れました。伯父はクライマーだったので、ヨセミテも訪れたことがあると聞いていました。今回の旅、形見のキャンプ道具が役に立っています。 朝食時に昼食用のラップサンドを作ってサンフランシスコまで移動します。アリトタクミチームが運転、お弁当はコハルとわたしという感じで日々の移動をしています。
サンフランシスコでは宿を押さえました。観光地なのでかなりお高いお値段ですがこればかりは仕方ありません。夕方頃に到着したらすごい人で驚きました。レインボーカラーを身にまとった人たちの列で車が通れずホテルまでたどりつけません。なんとゲイパレードの日に来てしまったという訳です。「すごい…。自由すぎる…。」様々なコスチュームに様々な人種、年齢層、そして様々な体型。おデブちゃんだってぴちぴちボディコンシースルーでおめかし、ご老人だってミニスカートにキラキラレインボーを身にまとい、至るところでハーブの香りが蔓延しています。街中ではたくさんの警察官が警備にあたっています。「サンフランシスコっぽいね。」なんだかわくわくします。今夜はLAの宿をかしてくれたエレーンと会う約束をしているのでシャワーを浴びて急いでレストランに向かい、エレーンとリッチにおいしいシーフードを御馳走になるというスペシャルな夜を過ごしました。(よ)
ヨセミテにて
ロサンゼルスに来る飛行機の中で『アバウト・タイム』という映画を見た。時間というものに関して考えさせられる作品だった。そして飛行機から降りても時間について考えさせられる日々が続いた。飛行機の中でロサンゼルスがあるカリフォルニア州のの現地時間に合わせてから、またヨセミテのあるカリフォルニア州に戻ってくるまでの時間の流れはこんなものだった。まず、アメリカは本土だけで時間帯が4種類ある。(本土以外のアラスカ時間とハワイ時間があるので合計6種類の時間帯がアメリカにはある。)そのうち今回僕たちが旅をしているのは太平洋時間帯と山岳部時間帯の2つの時間帯だ。日本は「+9」カリフォルニアは太平洋時間なので「−8」、そしてアメリカのほとんどの州はサマータイムを導入しているのでさらに「+1」飛行機で合わせた時間は、日本時間から「+16」。次に向かったネバダ州はカリフォルニアと一緒の時間帯。ユタ州に入ると山岳時間帯なので「+1」、次のアリゾナは山岳時間帯だからユタと同じかと思いきやアリゾナ州はサマータイムを導入していないので「−1」、またユタ州に戻り「+1」、ネバダ州に戻って「−1」、カリフォルニアはネバダと一緒でそのまま。
僕は車の時計と自分の時計と本当の時間とがグルグルになっていた。ロードマップを見ると時間帯の区切り線が引いてあるのだが、見て驚いたのは時間の区切りは単純に州ごとではないという事。どこかの州は半分アッチ半分コッチ、どこかの州はほんの一部だけがコッチなどなど。よく見ると西と東が逆転している地域もある。待ち合わせ時間とか、州をまたいだ仕事の締め切り時間とか、面白い事になっているんだろうなぁと想像してしまう。ちなみにアメリカ本土と同じくらい東西に広い中国という国は1つの時間帯しか設定していない。国によって時間の考え方、捉え方が違うのはあたりまえなんだなぁと感じるばかりだ。(匠)


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ゲイラーレイクスにて

Yosemite - Day3 2014年6月28日(土)

ニューオリンズのバンドGlacticのアルバム「Crazyhorse Mongoose」を聞きながらヨセミテ公園内をドライブ、観光地並みに人がたくさんいます。というか、かなり観光地です。今年で国立公園化150周年とのこと、それだけの時間をかけてヨセミテビレッジという村がここに出来上がっているのだな、と実感。公園内にはガソリンスタンド、フードストア、レストラン、スポーツショップ、キャンプサイト、ロッジがあり、ほぼなんでも揃うので気軽に遊ぶことができます。とはいえ、登山を甘く見たハイカーが年間200人ほどレスキューされるそうで、山に入る時にはそれなりの準備と覚悟が必要な山でもあります。わたしたちはビジターセンターでどのトレイルがお勧めか、時間はどれくらいかかるのかをチェックして、ドーム山頂に行けるトレイルと湖までのトレイルの2本を楽しむことに決めました。まるでトレーニングのようなのぼり続きのトレイル、2700mの山なので息がきれます。山頂はやはり気持ちよく、ラップサンドのお昼を食べて下山。次は湖トレイル、こちらも同じ標高でのぼり続き、やっとのことで行き着いた先には桃源郷のような美しい光景が広がっていました。最後の国立公園のトレイルにふさわしい、とても素敵な景色が見られました。
ヨセミテ公園内のキャンプ場が満員だったため、公園外の湖畔のキャンプ場を押さえました。今日は明るいうちにキャンプ地に到着。アリトコハルが写真を撮りにに行っている間、匠くんと二人で夕ご飯を作ります。匠くん「あれ何のゲームだろう。」と隣のキャンパーのゲームに関心を持ち、話しかけに行きます。ルールを教えてもらって一緒にワッシャーという輪投げのようなゲームを楽しみました。今夜はチキンと豆のカレー。二人を待って夜の夕食を楽しみました。(よ)
ヨセミテにて
ヨセミテ国立公園内にはセコイアというとても大きな木がドンドンドンと沢山生えている。他、山の中のキャンプ場にはマツやモミ、ヒノキのような葉の木々が立ち並んでいた。初めて身近に見る事ができた植物が沢山あるのだが、そんな中でアスペンという木のがある。(写真右下)アリトくんが教えてくれたのだが、このアスペン、「世界一大きな生き物」といわれているのである。「?」と思う方もいるだろう。標高が高いところに育ち木肌が白く、パッと見は白樺に似ているアスペン。1本の木はそれほど大きくはないのだが、実は根っこで一帯のアスペン全てが繋がっていて、1本の親木から広がるその広さは数キロメートルにわたるというのだ。触ってみると白樺とはずいぶん違い、手に白い粉がつく。アスペンの林の中に入ると1つの大きな生命体に包まれているような、思っている事が筒抜けで伝わるような・・・そんな気持ちになった。(匠)


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夕日のあたるハーフドーム

Yosemite @新月 2014年6月27日(金)

ヨセミテはアメリカの国立公園の中でも人気度が高く、たくさんあるキャンプ場はどこも予約で一杯で、私たちは日々異なるキャンプ場で眠ることになります。満月のジョシュアツリーから始まって新月のヨセミテで終わる国立公園の旅、いったいこの試練と楽しみはどんな未来を導いてくれるのでしょうか。
今夜は大きな木に囲まれたキャンプ地、このあたりでは熊が出るらしく食材やにおいのついている物たちは鉄で出来た熊よけボックスにしまわなければなりません。(車に入れておくと車が襲われるそうです。)一通り準備をして滝を見に行きました。ヨセミテは予想を上回る規模で大自然が広がっています。クライミングや山歩き、湖遊びなどそれぞれに好きなアクティビティを最高の条件で楽しめるような環境です。今日は滝だけ見てロッジでwifiをつないでいたら時間がすぎてしまいました。大自然を旅をしていてもインターネットをつなぎたい時が出てくるのが今の時代なんだと思った日でもありました。(よ)
ヨセミテにて
僕はヨセミテという名を聞くと「クライマーの聖地」というイメージがあったのだが、クライミングクライミングしているところは、とにかく広い国立公園の一部であった。Joshua Tree以来、アリゾナ、ネバダ、ユタと砂漠を旅してきた僕たちにとっては、奇麗な水がふんだんに流れているヨセミテは、地上の楽園のように感じた・・・人が多い事を除けば。
上の縦写真はHalf Dome(ハーフドーム)と呼ばれている岩山。ちょっと角度的に感じにくいが、球体がパカっと割れたような形をしている大きな岩だ。このハーフドームを登るトレイルもあるのだが、こちらのトレイルは人数制限がかかっており毎日予約でいっぱいだという。予約を取ろうとしていないので正確には分からないが、アリトくんの話しだと2ヶ月前くらいに予約しないと難しいらしい。クライミングで有名なのはEl Capitan(エルキャピタン)という壁のような岩。目の前に行くとクライマーだったら生きているうちに一度は・・・と思わせる壁だ。他にもこの岩にも登りたがる人いるだろうなぁ、この岩にも・・・とクライミングをしない僕たち4人が、あの岩もこの岩もと話しながら楽しんでいた。
Yosemite Village(ヨセミテビレッジ)は、みんなが集まる中心的な場所。ビジターセンターやカフェなどが集まっている。この中で面白かったのはThe Ansel Adams Gallery(アンセルアダムスギャラリー)というギャラリーショップ。アンセルアダムスさんという写真家の作品や、それにちなんだ現代の作品が並んでいるギャラリー。アンセルさんのモノクロ写真の作品を見ていると、自分がここ数年手にしていないフィルムカメラを手に取りたくなる。(これまでも何度も思っているけれどなかなか手にしないのが現実)それほど心が洗われるような気持ちのよい作品だ。
今日は先によし子が書いた通りそんなに歩き回らなかったが、インターネットを使ってこの後の予定のサンフランシスコの宿を予約したりなど、やる事をやる日となった。
夜、みんながテントに入った後、少し歩いてトイレまで。その時に見上げた空には、まるで虹のようなアーチの天の川が空にかかっていた。川が空にかかっているって変な表現かな。(匠)


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モノレイクにて

Great Basin - Yosemite(ヨセミテ) 2014年6月26日(木)

朝8時30分の洞窟ツアーに申し込み、1時間の洞窟見学(1人8ドル)をしました。日本で言う鍾乳洞、今では国立公園として保護され観光ツアーをしていますが、どうやら白人が発見する前にインディアンがみつけていたらしいです。かなり広い洞窟で、90分のツアーもあります。
Tonopahでビールと食材を購入。今日の音楽はアリトipodから Little Featの「willin'」 という曲。今回の旅で何度も聞いているこの曲、歌詞の中にTonopahが出てくるんだよ、と町を通過する時に待ってましたとばかり曲をかけました。かなり荒廃した感じの小さな町で、歌にするような特別さは感じられませんでしたが、ここからヨセミテ国立公園を目指すワクワク度で気持ちを盛り上げて進みます。(よ)
アーチズにて


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塩が干上がった大地にて

Great Basin(グレートベイスン) 2014年6月25日(水)

今日は移動日。遅めの行動でいつも暗闇クッキングになっていることがストレスになってきたので早起きして朝食を作り、早く移動早く到着早くキャンプがはれるようにがんばってみました。そのかいあって明るいうちにGreat Basin NPに到着。ビジターセンターでキャンプ場情報を聞きに行ったら、ちょうどセンターが閉館の時間、ギリギリセーフでした。車で30分、山の上3000mのところにあるキャンプ場に到着、なんと1つだけサイトが空いていました。こちらもギリギリセーフ。早め行動が功を奏した日でした。どうやらこの国立公園には洞窟があるらしく、先着20人の見学ツアーが朝8時30分の回からあるようです。明日も移動日、見るなら8時30分の回がいいね、と明日も早め行動で移動予定です。(よ)
モアブ・グレートベイスンにて


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日が昇るアーチズ

Arches - Day2 2014年6月24日(火)

昨日、少し言い合いになったキャンプサイトをどいてもらったおばちゃんが、なんと今朝、隣のテントサイトを確保したとアリトくん。気持ちよく今日を過ごすためにキャンプ場を移ることにしました。やはり日々いろいろあります。まあ、そんなに大したことではないので4人でのりきっています。国立公園からもう少し遠いキャンプ場に移動し、もう一度テントを張ります。直射日光を遮ってくれる木々が沢山あって、「昨日よりいいね。」とみんなでポジティブシンキング。ユタ州のアイコニックのアーチを見に行き、帰ってきた頃は夜になっていました。今日もまた暗闇クッキングナイト、明日こそは明るいうちにキャンプ地にたどり着きたいです。 (よ)
アーチズにて
Moabの町は、アウトドア人気で多く若者が出入りをしているよう。なぜならオシャレなカフェが多く、街全体がとてもきれい。アウトドアといっても、遊び方は人それぞれ、コロラド川で遊ぶカヤックやラフティング(ゴムボート)のツアー、四輪のバギーというのかガタゴトの道を楽しむ車ツアー、マウンテンバイクでアーチズを走り抜ける人達も。ゆっくり時間を過ごせる素敵な町モアブ、1週間くらいここにいても良いなぁと感じてしまった。(匠)


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アーチズにて

Arches(アーチズ) 2014年6月23日(月)

朝、Canyon Lands NPを出発し、次なる目的地であるArches NP(アーチズ国立公園)へ向かった。Archesに隣接する町Moabで食材などの買い物をし公園内に入ると、園内に1つしか無いキャンプ場は「Full」の文字、満員だ。しかしアーチズ周辺にはキャンプ場が沢山あり、1つ1つ見て回りコロラド川沿いのキャンプ場を押さえることが出来た。両岸を茶色の岩に囲まれ、大量の土色の水が日本の川でいう増水時のようにドーッと流れていくコロラド川。河原はほとんどなく無く、時々お客さんを乗せたラフティング(ゴムボート)が流れていく。そんななので川遊びが出来るような感じではないが、今日明日と川沿いのキャンプサイトで2泊の予定だ。
早速少し日が傾いた頃、Arches NPのトレイルを歩きにいく。アーチズとはその名の通り、岩がくり抜かれてアーチ型になっているものが沢山ある国立公園だ。映画『インディージョーンズ最後の聖戦』のオープニングのロケ地にもなっている場所でもある。今回のトレッキングは、いくつかのアーチを目標に歩くのだが、途中の景色もやはり楽しい物だった。
今日は明るいうちにキャンプ場に帰ったと思ったら、僕たちが押さえたテントサイトに別のキャンパーがいる。アリトくんがテントサイトの確保の仕方などを説明して、申し訳ないけれどどいてもらった。荷物をまとめながらちょっと納得いかなそうな相手の方、口論とまではいかないけれどかなり強い口調で話してくるがアリトくんに論破されて引き上げていく。ちょっとかわいそうな感じもするが、あの口調で話されては優しくする事もできない。僕たちは間違ってはいないのになんだか嫌な感じだねと4人で話しながら今日もビールで乾杯。
気を取り直して、本日の夕飯はアメリカに来たら一度はやらなくてはと前々から話していたステーキナイトだ。ご飯を炊いてはならず、肉だけでお腹いっぱいすることがステーキナイトの条件。これで体内からもアメリカに馴染んでいくことになる。のかなぁ? (匠)
アーチズにて
今回のアメリカ旅、国立公園めぐりのようになっています。「アメリカをキャンプしながら旅をする」というと一番いいロケーションは国立公園のキャンプ場いえるようです。日本と違って自由に河原でキャンプができる環境はなく、基本的にキャンプはキャンプ場でしなければなりません。薪も拾えばいいというわけではなく購入した薪を使うのがルール、一般的にキャンプは非日常のレジャーなのです。郷に入れば郷に従えで、今回はそのルールに則って旅をしています。メイン州カヌーの旅や10年以上前のアメリカ横断旅のときにはもっと自由なスタイルのキャンプをしていたのですが、どちらも地元に住むアメリカ人と仲よくなっていろいろ教えてもらっていたのでできたのだと思います。「きっとどこかには同じようなキャンプ生活をおくっているアメリカ人もいるよ。」と二人で話しながら今を旅しています。わたしたちのライフスタイルはかつてのインディアンみたいな生活なのかもしれません。(よ)


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キャニヨンランズにて

Canyon Lands - Day2 2014年6月22日(日)

朝、まだみんながネボケマナコな頃、パークレンジャーが僕たちのキャンプサイトに立ち止まり車から降りて寄って来た。「その薪はどこから持ってきたんだ?」と。結果から話すと、僕たちは罰金75ドルをアメリカ国に払う事となった。理由は国立公園内の枯れ木を拾って焚き火をしていたからだ。正確に言うと”枯れ木を拾った”からだ。しかもキャンプサイトの2、3メートル裏にある既に剪定されている枯れ枝だ。国立公園内の植物を拾い集めることを禁止する法律に引っかかったという訳。薪は指定された物をスーパーなどで買わなければいけないのだ。それにしても厳しい。ちょっと注意をしてくれれば・・・と思うのだが、何を思っても状況は変わることはない。そこから何かを学ぶか、ただただ仕方ないとショボーンとするか。僕たちは4人で、今置かれている状況や、なぜこうなったのか、そしてどのように今の状況を自分たちに落とし込み笑顔になれるか、知恵や考えを出し、話しあった。4人旅の良い所だ。
午後、Canyon Landsの約16kmのロングトレイルトレイルを歩くことになった。特に大きな目玉的な何かがある訳ではないコースなのだが、所々に心をくすぐられるような場所がある素敵なトレイルだ。Needlesという針山のような場所を抜けると、目の前にはファンタジー映画のセットみたいな風景が広がる。そして草原のまん中を歩いた先は、岩と岩に挟まれた細い通路。実はこの日のトレッキングは時間と携帯する水の量を見誤ってしまった。水をちびちび飲みながら駐車場に着いたのは夜の10時前だった。こちらは夜9時頃は夕焼けが奇麗な頃、10時近くになるとフラッシュライトが必要な時間だった。キャンプサイトは既に星が奇麗な暗い夜。レンジャーに持っていかれなかった少しの薪を使ってお湯を沸かしはじめ、朝の罰金を昨日のように感じながら4人でビールを飲んだ。(匠)
キャニオンランズにて
「一日一試練」、この言葉はコハルが使い始めた言葉で、ジョシュアツリーの水のない灼熱の炎天下のトレイルでの過酷なトレッキング、ザイオンの山の頂上の断崖絶壁強風の中での撮影ということからはじまりました。今では楽しい思い出となり、鍛えられたのか絶壁女子として我先に山の絶壁に座って笑顔をつくるという得意技にまでなるというアリトコハルライフが育まれています。
今朝のレンジャーの一件はわたしたちにとっての一試練、その日のはじまりの一件だったので一日中考えこんでしまいました。そしてロングトレイルスローペースで帰りが暗くなってしまうというトレイルでこれまた試練続き、お陰でレンジャーのことなど考えている余裕無く安全に帰ることだけに集中できました。本日の学びはスーパーポジティブシンキング、日々得ることがあると思ってがんばります。(よ)


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キャニヨンランズにて

夏至のCanyon Lands(キャニオンランズ) 2014年6月21日(土)

焚き火で朝食を作り、キャンプ場を後にします。Canyon Landsまでは50マイルくらい、途中Trading Postに立ち寄ります。道中Trading Postに寄るのには理由があるのです。アリトコハルが探しているものがあるのです。なかなか気に入ったものが見つからず、次の町で探そうということになりました。2時過ぎにCanyon Landsに到着。テントサイトで簡単クッキング、今日はアボカ豆腐丼。アボカドと豆腐、ネギを醤油とワサビであえて出来上がり。ご飯はお湯だけ沸かせばOKというアルファ米。疲れてお腹がすいているときには簡単に作れるものが一番です。
今夜は暗闇クッキングを避け日暮れまでに帰って来ようとメニューも決めて夕方5時半からSlik Rockというトレイルを歩きました。アリトくん曰く小さなグランドキャニオンというこの景色。ここの国立公園ではトレイルを外れて歩いてはいけないとの注意があります。長い年月をかけて育つコケのようなバクテリアがいたるところに生息していて、踏みつけないように歩く場所に目印の石がおいてあります。
今日は夏至。日が長いです。8時30分に帰って来てもまだ薄明るさが残っています。今夜のメニューはパスタ屋で働いていた経験を持つアリトくんによるアリパス。ニンニクを刻みオリーブオイルで炒め、タマネギ、パスタソース、赤ワインで煮込んだトマトソースはとても美味しかったです。焚き火クッキングとキャンドルの明かりで夏至ナイトを楽しみました。(よ)
キャニオンランズにて


関連サイト arito photography 


モニュメントバレーにて

Lake Powell→Monument Valley(モニュメントバレー) 2014年6月20日(金)

今日は移動日。次の目的地Canyon Landsを目指します。シャワーを浴びて氷を買って旅の準備をしているうちに出発が午後になりました。予定を計算し、そんなに急いで移動しなくても大丈夫だということになり今夜は途中のキャンプ場で一泊することにしました。道中車を止められる場所で昼食を作ります。ナイフ一本、まな板なしで野菜を刻むのも手際よくできるようになり、料理に不便な環境での食事も楽しめるように色と景色とおいしさで旅の疲れをカバーしています。
アリゾナ州に入りデザートセージという植物を見つけました。束ねてスマッジを作り車内で乾燥、車がいい香りにつつまれています。
Navajo族の居留地に入るとTrading Post という看板が出てきます。かつてインディアンが白人に物を売っていたときの言葉の名残で、インディアンジュエリーやお土産物などを売っているお店です。それとは別に道路脇に屋台が出ていて「OPEN」と書かれていたら、そこではインディアンが自分が作った物を直接売っています。こちらはTrading Postよりも価格が安く本人から購入することができます。わたしはMonument Valleyへ向かう道路脇でNavajo族の男性からグリーンターコイズのピアスを購入しました。Navajo語で「ありがとう」は「アヒェー」と言うそうです。
「モニュメントバレーはアリゾナ州のアイコニックだよ。」とアリトくん。アイコニックとは象徴的なという意味で、ここまできたら入場料を払ってでも見ていこうということになり20ドル(車1台4人)で景色を堪能しました。道中Trading Postめぐりをしていたらキャンプ場のあるDevil's Canyonの到着が夜の10時をまわってしまいました。さすがに疲れ、ワインとチーズとパン、簡単なサラダの簡単な食事、コハルは疲れてお休み、匠くんが焚き火を起こしてくれてアリトくんと3人で飲みながら夜を過ごしました。 暗くなってからのキャンプ場、暗闇クッキングというちょっと避けたい状況が多いのですが、共同生活4人、それぞれに旅のスタイル、目的もあり、思い通りにはいかないということも含めてのRoad Tripです。(よ)
レイクパウウェル/モニュメントバレーにて


写真 : 今日のメイン写真も匠(クリックで拡大) / 関連サイト arito photography 


アンテロープキャニオンにて

Antelope Canyon (アンテロープキャニオン) 2014年6月19日(木)

朝焼けのグランドキャニオンを見るために5時に起きてキャンプ場を出発しました、外の温度は0℃。昨日に比べると体感温度はもう少し暖かいような気がします。アリトコハルは写真撮影、わたしは岩の上で朝焼けを見ていました。匠くんもカメラを片手に自分の時間を過ごしていました。岩の先端でヨガのポーズをいくつかやってみたのですが、恐怖心からなのでしょう、いつもならできるポーズがすんなりできないという経験をしました。10センチ先はグランドキャニオンの絶壁、落ちたらという恐怖が体をブロックします。こういうところでは瞑想がむいています。空と谷の間に座り、朝日を浴びながらいい時間を過ごしました。
水と氷を補給してAntelope Canyonに向かいます。ここはNAVAJO NATION、Navajo族の地です。わたしが17年前にアメリカ横断旅をしたときにはNAVAJO RESARVATIONと表記されていました。今ではRESARVATION(居留地)とは言わないようです。Antelope CanyonはNavajoの地にあるのでアメリカ国立公園ではなく、入場料として1人20ドルにプラスしてNavajoへのPermitとして1人8ドル、合計28ドルという金額がかかります。「オレ、3回見たことあるからいいよ。」とアリトくん。コハルと3人で見に行きました。これはすごい。ほとんどの人は写真を撮りにくる、もしくは写真を撮りまくるのが分かります。ツアーで入場するのですが、カメラも携帯も持たないで見に行ったのは私だけで、ガイドさんが驚いていました。自然界の不思議、なんとも形容しがたいすごい光景でした。コハルが今回の旅で一番見たかった場所だと言っていました。
今夜のキャンプ地を探しに出発。Lake Powellという大きなダム湖があり、湖畔におしゃれなキャンプ場があるという情報をネットで見つけました。一泊26ドル、他より高めですがとてもいいキャンプ場、今日は明るいうちにビールで乾杯できてみんな大満足。ゆっくりした時間を過ごしています。(よ)
グランドキャニオン・アンテロープにて


写真 : 今日のメイン写真は匠 / 関連サイト arito photography 


グランドキャニオンにて

Grand Canyon(グランドキャニオン) 2014年6月18日(水)

朝日を浴びたBryce Canyonの写真を撮るために4時半に起きました。寒いとはいえ日の出はいつも清清しい空気で包まれています。その後みんなは仮眠をとって再び目覚めて朝食。最近こういうパターンが多いです。朝日写真、寝る、朝食、テントを片付けて出発。みんなが寝ている時間がわたしののんびりタイムとなっています。
誰もが聞いたことのある国立公園グランドキャニオン。今日はここを目指します。アメリカの3大国立公園のひとつ、かなり人気度が高いのでキャンプ場が空いているのか心配です。案の定夕方に着いたらもう一杯でした。夕日の沈むグランドキャニオンを見てから夜道を40マイル程戻りJacob's Lakeという町のキャンプ場(18ドル)でキャンプ。気分を盛り上げるためにスモークサーモンにブルーチーズとパプリカオニオントマトをのせてレタスで巻いてバルサミコで味付けしたオードブルを作りました。外食をしない分、たまには贅沢していい素材を買っています。(よ)
グランドキャニオンにて
Grand Canyon に向かう途中、山の木が真っ黒に燃えた後の景色を目にした。「山火事があったんだね」とみんなで話しながら車を走らせる。山火事っぽいけれど、青々した木々も育っているし、火もこれくらいで済んだんだ・・・と思いながら先へ進み丘を越えた時に見えた景色は衝撃的だった。生きている木々が完全に無くなり完全なる山火事跡の景色が広がった。道路の両サイド見渡す限り黒く焼けこげた木の幹が立ち並び、地面にあたる日差しを遮る枝や葉は無い。この広く乾燥した大地でこんなに広い山火事が起こった時、どのように消火の段取りを組むのだろうと想像してみるが、想像できなかった。陽が入った大地は新しい緑色が低く育ち始めている。どんな状況になっても、地球はゆっくりゆっくりと回復していくのだなと感じた。
Grand Canyonは、その名の通りグランドなキャニオン、でかい。Grand Canyonには、北側から眺めるNorth Rimと南から眺めるSouth Rimがある。僕たちはNorth Rimに行くことに。もちろんそのデカすぎるGrand Canyonの大きさにはびっくりさせられたが、訪れた人たちを迎い入れてくれるロッジが豪華すぎてこちらもびっくりだ。Grand Canyonの湧き水を汲める場所の隣には、でかい無料製氷機。公の場所にある製氷機を初めて目にした僕は、旅に必要な氷を補充させて頂いた。どんだけお金をかけて作ったんだろうと思わせるロッジのロビーではソファーに座りながら絶景を眺められる。外に出ると絶景を背景にくつろぎながらチェスを楽しむ人たちの姿も。「リッチすぎる」を感じる。アメリカの良い所なのか、アメリカの国立公園の良い所なのかは今のところ分らないが、そのリッチ感を誰でも感じることができるし、その絶景ポイントなどを誰でもちょっとしたハイキングで楽しむことができるようになっている。一定のルールを作り、自然を守りながら自然を楽しむというシステムが確立されているのがアメリカの国立公園にはあることは確かだ。(匠)


写真 : arito / 関連サイト arito photography 


ブライスキャニオンにて

Bryce Canyon(ブライスキャニオン) 2014年6月17日(火)

午前中にZionを出発、次なる目的地Bryce Canyonを目指します。ユタ州はモルモン教徒の州、3.2%以上のアルコールは基本的には手に入らない州なのです。よってアルコール度の低いビールしか買えないという事情に、昨日飲み干してしまったバーボンの空瓶を見ながら「もっと買っておけばよかった。」とお酒事情の教訓を得ました。早めに到着しBryce Canyonのキャンプ場にテントを張ります。ここは標高8000フィート、かなり涼しいです。Navajo Loopというトレイルを歩き、キャンプ場に戻ってくる頃には「寒いね。」と持っている服を全て着込むという事態に。こんな日に冷たいビールしかないなんて。やっぱりバーボンは常に備蓄しておかなければということが身にしみた夜でした。(よ)
ブライスキャニオンにて
BryceCanyonの色は、赤い岩肌に深く青い空、岩から生える緑の松。こんなに乾燥した岩の大地に大きな松が育つのが不思議に思える。毎日いろいろな物事を見て感じると、その都度日本と比べてしまう。色について思ってみる。目の前に広がる大地があまりにも広く大きく、太陽にバキっと照らされ、そして空気はカラッと乾燥している。気持ちや態度が大きくなるのは当然だ。アリトくんはアメリカで写真を撮り続けて、その後日本で写真を撮り始めた時に、その色になかなか慣れなかったという。この大地に立つとその意味が分かる。はっきりと色が違うのだ。この大地で撮る光の色と日本で撮る光の色は違う。もちろん全部が全部ではないが、はっきりしているアメリカとはっきりしていない日本。アメリカにもいろいろな色を表す言葉が存在するだろうけれど、日本の色を表現する言葉の多さと美しさを改めて素晴らしいと感じた。「はっきり」という感覚は、色だけでなく人間の言動にも通じるということは言うまでもない。その人間の性格や態度をつくっていく中で、大地から受ける影響がとても大きいということを感じる。その大地が人間を形成し、その形成された人間と大地が力を合わせて、次世代の人間を育てていく、そんな感じなのかなぁなんて。(匠)


写真 : arito / 関連サイト arito photography 


エンジェルズランディングにて

Angel's Landing(エンジェルズランディング) 2014年6月16日(月)

今日はZion N.P.有人くんお勧めのTrail "Angel's Landing"を歩きます。Emelald Poolという名のTrailを歩き、途中のピクニックエリアで作ってきたサンドイッチを食べました。アメリカのスーパーではたくさんの種類のパンが売っているので、毎日野菜を挟んだおいしいサンドイッチを作っています。トルティーヤの皮で巻いたり、12種類の穀物が入った雑穀パンやベーグルにはさんだり、イングリッシュマフィンやピタパンなどもあっていろいろ楽しめます。
国立公園の中にはたくさんのTrailがあります。キャンプ場やロッジがあって、国立公園の中に泊まって山歩きや沢歩き、景色を楽しむという遊びが盛んです。各Trailは楽しめるような工夫が凝らされていて見所満載、よく考えてつくられているのだなあと感心します。日本のようにキャンプ場でBBQだけをして過ごすというスタイルではない山遊びがアメリカの国立公園キャンプの醍醐味です。(よ)
ザイオンにて


写真 : arito / 関連サイト arito photography 


ザイオンにて

ZIon(ザイオン) 2014年6月15日(日)

人気のあるNational Parkのキャンプ場はすぐ一杯になってしまうため、午前中到着を目標に朝6時にZion National Park(ザイオン国立公園)を目指して出発、11時30分に到着。South Campgroundが空いていました。1泊16ドル、2泊することに決め、仮眠をとって公園内を走る無料のシャトルバスに乗って River Walk Trailまで向かいます。1時間くらい歩道を歩き、そこから先は沢を上っていきます。どこまでもどこまでも行けてしまいそう、暗くなりかかって来たので行ける所まで行って戻ってきたら夜9時をまわっていました。スパニッシュオムレツを作りクレソンを飾って遅めの夕ごはん。シンプルなキャンプ料理でも手作りサンドイッチや自炊夕ご飯はごちそうです。(よ)
ザイオンにて
日本では、車で走った先で眠くなったら車を止めて、広い所があればテントを張って一晩過ごし、朝になったらテントを畳んで出発。とお気軽な感じだが、僕たちの旅しているアメリカはそうはいかないようだ。こんなに広い所があるのだからどこで寝ても、どこで車を停めても、と思うのだけれど。実際に今朝はLas Vegas近郊のRed Rockという休憩所で朝起きたのだが、朝6時頃、車をトントンと、「もうすぐレンジャーが来るよ」と管理人のような方が声をかけてきた。優しい方だったので、その場は笑顔で「はいよー」って感じだったけれど、やはり聞いていた通り抜かりがないなぁと感じた。よってこの先はできるだけ早くキャンプ場に着き、テントサイトを確保してから行動に出るのがいいねとみんなで話し合った。4人での旅は、4人での共同生活。今まで僕たちが培(つちか)ってきた「共同生活の極意」を発揮しながら旅は続いてゆくのである。
Zion NP(ザイオン国立公園)で沢歩きは、久しぶりに大量の流れる淡水とふれあうことができた。JoshuaTreeでは、水の無い砂漠の中だったのでとても嬉しかった。(匠)


写真 : arito / 関連サイト arito photography 


Joshua Tree にて

Joshua Tree → Las Vegas(ラスベガス) 2014年6月14日(土)

岩の上でヨガ。空が広い、青い、風が吹き抜け光が眩しい。朝食を作ってコーヒーを入れランチの準備をしてRYAN Rock Hill Trailを歩きます。灼熱の乾いた大地、ここは水のない国立公園です。頂上でベーグルにピーナッツバターとバナナを挟んでコーヒーを飲みながら絶景ランチ。下山して247号線でBarstowへ向かいます。
BarsowのスタバのwifiでLas Vegasの宿や周辺キャンプ場をネット検索します。到着は夜になるけれど今夜中にべガスへ行こうということになり、急いでスタバの駐車場でサンドイッチを作り時間節約、車中で食べて夜11時Las Vegasに到着。土曜の夜、宿は満室。遊んでから夜中に走って近くのキャンプ場まで行こうということになりました。
カジノは匠くんだけがCrapsというゲームにチャレンジ。30ドル分で勉強して気づけば二時すぎ。車で移動、キャンプ場は閉鎖されていたので見つけたRed Rock の休憩所で明け方の仮眠をとりました。(よ)
満月の下
Joshua Tree NP のキャンプ場で今回の旅の初テント。周辺のキャンプサイトを見回すとまず気がつくのはテント。テントの仕様がアメリカだ。日本でもアメリカ人が使っていたテントを見た事があるのだけれど、それはほとんどがメッシュでできていて、気休め程度のフライシートが付いているだけ。その時僕は「こんなテントじゃダメなんじゃ・・・もうちょっとまじめに作ればいいのに・・・」と思った記憶がある。しかし今日わかった、それは間違っていなかったんだと。逆に僕たちのテントはフライが外せないテントなので暑い。
とにかく乾燥している。 乾燥しているということは、当たり前だけれど全ての物がすぐに乾く。濡れた洋服はすぐに乾く、汗もすぐに乾く、ドライヤーの売れ行きは良くないんじゃないかな。切ったパンは食べるまでの数分間で乾いてしまう。中には、いつまでたってもしっとりとしたパンは、乾燥しない何かを添加しているのだろうと感じてしまう。ポテトチップスみたいなお菓子は、開けたままにしておいても湿気らない。湿気るって言う言葉がこの季節のカリフォルニアには無さそうだ。
Joshua Tree National Park。ジョシュアツリーという面白い形をした木がこんなに沢山あるんだとびっくり。来る前まではジョシュアツリーが何本か生えているだけなのかなと思っていた。しかし実際にはジョシュアツリーが森のように沢山生えていて、ヘンテコな岩山の風景が至るところに見ることができる、変な岩に変な木な場所。やっぱり来て見てみないと分らないことってあるんだなぁと感じた。(インターネットで調べれば分るんだけれどね。)朝、上の写真を撮った。タンクトップのはだけ具合、帽子をかぶって肩を少しすくめている感じ、頑張ったのを分って頂けると嬉しいのだが・・・。
夜はラスベガス。夜中の1時過ぎに勉強の末、Crapsというゲームに参加。僕にとってはなじみの無いゲームだったが、なぜこのゲームが面白いのか、なぜみんな盛り上がっているのかを理解できることができ、1歩踏み入れた感覚を感じることができた。手持ちのエネルギーは30→10→32→0。自動的に次なる目標ができてしまったという訳だ。(匠)


写真 : arito / 関連サイト arito photography ・ Google画像検索


満月の下

満月のJoshua Tree(ジョシュアツリー) 2014年6月13日(金)

Barns and Noble で地図を購入。旅のお酒と食材をつめてFwy10でJoshua Tree National Parkを目指します。
Visitor CenterでNational Parkのカードを80ドルで購入。これでアメリカの国立公園への入園がすべて可能となります。Jumbo Rock Site Campground 一日10ドル。アメリカのキャンプ場の利用の仕方は合理的です。まず誰もいない入り口で置いてある箱の中から封筒をとります。封筒に必要事項を記入し、切り取り線で切った半分をテントサイトの番号に貼って、封筒にお金を入れて封をして入り口の箱に入れて終わり。管理人さんが後で見回りに来てチェックするというシステムです。岩に囲まれたキャンプサイトにテントを張って、Skull Rock Trailを歩きました。夕日写真を撮って、今夜はジャーマンポテトとウォールナッツサラダで乾杯。
夜中の満月を歩いて月明かりで写真を撮りました。今回は3人が撮影を楽しむ旅となっています。(よ)
満月の下
今までのロサンゼルスの街中の運転はアリト君におまかせして、Joshua Treeに向かう途中、今回初の運転。コハルが「匠くん、左走ってる。」という場面もあったが、これからのロングドライブ楽しみながら右を走っていこうと思う。僕が初めての人にカヌーを教える時、「漕いだら舵、漕いだら舵」って念仏のように唱えながら漕ぐといいよと言うことがあるのだが、今回は自分自身に、「ハンドル握ったら右、ハンドル握ったら右」と言い聞かせている。
Joshua Treeの看板が見えてくると助手席のアリトくんがIPodから次なる音楽を選曲。流れてきた曲はもちろん・・・。(匠)


写真 : arito / 関連サイト : arito photography


ヴェニスビーチにて

VENICE BEACH(ベニスビーチ) 2014年6月12日(木)

クーラーボックスを購入、飲み物を購入、ホームセンターやギターセンターなど趣味のお店にも立ち寄り、ヴェニスビーチで写真家有人くんによる撮影会。夜はマークとタパスを楽しんで明日の準備に帰ります。オフロードのポルシェでバーまで送り迎えという南カリフォルニアの解放感も今夜まで、明日からはキャンプで自炊の旅がはじまる予定です。(よ)


買い物

SANTA MONICA。 2014年6月11日(水)

飛行機はロサンゼルスに到着し、無事にアメリカに入国。車を借りてサンタモニカまで走ります。旅の仲間である写真家、鈴木有人くんの友人マークに会って、彼が今ちょうど旅に出ていて空いているというエレーンの部屋に案内をしてくれました。LAでの滞在の数日間、こちらのお家を使わせてもらえるというラッキーな展開に。
旅の準備の買い物をしたり、サンタモニカを散歩してマークのお勧めレストランで一緒に夕食を楽しみました。カリフォルニアの空は広く青く、光に満ちていてとても爽やかです。(よ)


旅立ち

旅立ち。 2014年6月10日(火)

困難が訪れたときにどう対処するか、トラブルが生じた時にどう対応するか、起きてしまったことを嘆き悲しんでも何ももとには戻らないので、そこから何を学ぶか、その出来事にはどんなメッセージがあったのかを読み解いていくことに考えをシフトしていくほうが建設的です。今朝もヨガのレッスンを受けながらずっとそんなことばかり考えていました。
さて、今私たちは羽田空港にいます。ぐるぐるめぐる困難を乗り越え、飛行機に乗ります。降り立った地ではどんなエピソードが待っているか。
困難に遭遇したときにひとりなのか、仲間がいるのかによってずいぶんその難易度が異なります。今回は1人じゃないので、助け合いの精神で乗り越えられるということを学びました。(よ)

今回の旅はスズキ、スズキ、スズキ、コスギの4人でアメリカの西あたりを車での旅。羽田空港0時5分発の飛行機、約9時間でロサンゼルス。そこ後どんな旅になるのか誰が知っているんだろうか。お楽しみに。(匠)


草むしり

梅雨といえば。 2014年6月8〜9日

梅のシーズンです。はからめランドを後に、19時の待ち合わせに間に合うように関東に向かいます。途中梅エリアに寄って梅を採取してきました。例年では完熟した頃にいただくのですが、もう今日のこの時間しかないので青梅の状態でいただきました。量も少なめですが、梅干しを作らないのは寂しいので今年は5キロだけですが梅干しの準備をしました。樽に入れて汲んできたお水につけて一晩おきます。急いで京急で品川に向かって待ち合わせに間に合いました。
9日、横浜で目覚めます。朝から梅のヘタ取りです。まだみんな寝静まっているのでそーっと作業をします。きれいにひとつひとつふいて樽の中で塩と合わせます。今年も梅干しを作れる幸せをかみしめながら樽を寝かせます。久しぶりにヨガのレッスンを受けに行き、明日の準備で気がつけばあっという間に日が暮れていました。 (よ)


ミニバラ

発芽。 2014年6月7日(土)

今日も雨が降っています。畑を見たらキュウリの芽が出ていました。ひまわりの芽も出ていました。植物にとっては恵みの雨、大地を潤すいのちの雨です。南伊豆のジャングルにいたときには、雨の日にはお買い物や用事をすませに山を下りて過ごしていました。はからめランドでも雨の日には外出率が高いです。昨日はお隣の棚倉町に用事があったので出かけました。最近見つけたとてもおいしい天然酵母のパン屋さん「get well soon」があるので、帰りに寄らせていただきました。今までおいしいパンが手に入らないと思って自分で焼いていたのですが、こんなに素敵なパン屋さんがあることを知ったのでこれからは楽しみがひとつ増えました。国産菜種油もこのお店で手に入り、お気に入りのお店が見つかって嬉しいです。
草むしりをしていたら小さなバラのつぼみを発見しました。二年前に麻子さんからいただいたミニバラの花が咲きました。家を空けることが多いので鉢植えを地植えしてみたところ、サイズは小さくなっていましたが根付いたようです。植物が生き生きとする季節です。
ハチクのタケノコが3本出ていました。早速タケノコご飯を炊いていただきました。今年はたくさんの山の恵みをいただきました。フキノトウからはじまり、シドケ、ワラビ、ウド、ウルイ、セリ、ミツバ、クレソン、フキ、イタドリ、タケノコ、山アスパラ。たらの芽とコシアブラからは線量が検出されたのでいただきませんでしたが、それでも山に暮らしているとこれだけたくさんの恵みをいただけるのですからありがたいです。この季節になると山に住んでいれば食べる物はあると教えてくれた美麻のガタさんの言葉を毎年思い出します。(よ)


関連サイト get well soon


草むしり

梅雨入り。 2014年6月6日(金)

雨が降っています。昨日関東地方が梅雨入りしたとのニュースを聞きました。はからめランドは北関東に近いので、ほぼ同じく梅雨入りモード。今日は二十四節気でいう芒種(ぼうしゅ)、芒(のぎ)を持つ植物の種をまく時とあります。アスファルトに覆われた都会と異なり、ここでは全ての場所から種が芽吹きます。この時期の雑草のめまぐるしい成長には目を見張ります。雨の隙間をみはからって抜けやすくなった雑草を引き抜いておきます。ちょっとでも放っておけばテント周りもジャングル大帝になってしまいます。石を敷いても石の隙間から、砂利を敷いても砂利の上までも、植物にはすごい存続能力が備わっているのだと実感させられます。(よ)


間伐後

森の管理人。 2014年6月5日(木)

山の中に木を切り出しに行ってユンボで引いて切り開いた台地で製材しています。山の中とは杉林のことで、約20年くらい放置された間伐のされていない、人の手の入っていない杉林です。昨年きらめきをしたものを切って製材しているのですが、木がひしめき合って切った木が倒れず隣の木々にひっかかって運び出すのも難儀な作業。匠くんが細い木や曲がった木を切って間伐をしはじめました。気の遠くなるような作業ですが、やらなければずっとこのまま、少しでも手を入れれば太陽が差し込む隙間が出来て森の中も明るくなります。山に住むということは、山をきれいに保つ管理人という役目を担うことなのだとつくづく思いました。人の手が入ると山は歩きやすくなります。人の入らない山はうっそうとしてなかなか歩きづらいです。自然の力には圧倒されますが、少しずつできることをしていくこと、それを継続していくことが山で暮らすということなんだと分かってきました。(よ)


ユンボ直し

製材とは・・・。 2014年6月3日(火)

毎日毎日製材だ。ここ1ヶ月くらい、作業時間があればとにかく製材。製材しなければ家はできないので、「後何本かぁ・・・」と、言いながら日々コツコツ進めている。
気持ちよく製材をするためには機械のメンテナンスが必要。機械とは具体的にチェーンソウとユンボ。まずはチェーンソウ。知っている人もいると思うがチェーンソウはこまめに「目立て」をする必要がある。「目立て」とは切れなくなった包丁の刃を研ぐのと同じ感じで、チェーンソウも何もしないとすぐに切れなくなってしまうのだ。目立ては棒状の丸ヤスリで行う。決められた角度にヤスリを当ててシャー、シャーと。目立てをするタイミングでチェーンとそれを支えるバーをばらしてオガクズを取り除き、キレイキレイにする。きれいにしてナデナデしてあげると期待に応えてくれるのが僕のチェーンソウだ。
ユンボのメンテナンスは、関節部分にグリスを注入する以外はなかなかそうこまめにできない。できない事はないのだが、ユンボ自体が大きいので大仕事になってしまう。なのでユンボが動かなくなって初めて壊れている箇所に気がつく。実は昨日もまた壊れてしまった。キャタピラーの張りが緩んでしまって、張ろうと思ってもテンションが掛からなくなってしまったのだ。今までの経験から、ウチのユンボが壊れた場合のほとんどが、壊れている部分に手が届かなかったり、見えなかったりするのものだ。今回もそうだった、キャタピラーを張るためのグリスが漏れているのだがどこから漏れているのかが見えない。そういう場合、まず部品をばらすしかない。悪い箇所が見えるまでばらす。キャタピラーを外して鉄のローラーを外す。キャタピラーはとても1人で持つ事はできない重さなので、持とうとする事もしない。ローラー1つ20kg以上、腰が完治していないコルセットな僕は、横着をせずに足場をしっかりと片付けて完璧な状態で作業に取りかかる。今回は珍しく自分で原因を見つける事ができ、部品を叩いて直して完治させる事ができた。どこかが壊れるたびに、機械の構造など沢山の事を知る事ができる。これはこれで嬉しいのだが、できれば壊れてほしくない。
「機械のメンテナンスを制する者は、製材を制す」と言っても過言ではない。製材ばっかりしているからといって、木ばっかり触っている訳では無く、手を油だらけにして鉄を触っている時間の方が長かったりするものだ。 (匠)


薪積み

種まき。 2014年6月1日(日)

6月になりました。皐月新月の日にひまわりの種を蒔きました。今日は畑にキュウリの種を蒔きました。山菜のように自然に育ったものをいただくのが好きなのですが、やはり収穫する量や食べやすさ、料理のしやすさを考えると野菜の種を蒔いてみようという気持ちになります。
苅払機を回して道の草刈りをします。このままいくとジャングルになってしまいそうなので、手がつけられるうちに苅っておかなければという気持ちです。山の生活はいなくなったとたんにすべてがもとに戻るので、今出来ることをやっておかなければという意識でやっています。
匠くんが製材した端材の片付け作業もたまっています。丸鋸で軽トラ一杯分の薪を切って、薪割り薪積み。日々考えすぎる頭の中が作業をすることで整理されていきます。草むしりと薪割り作業はいい瞑想トレーニングです。(よ)

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