ツバキの植樹

大祓え。  2015年6月30日 (火)

ツツジをくださったご近所さんが今度はツバキをくれました。お庭のお手入れをしているらしく、翌々日にはスズランと水仙の球根もついてきました。そういう訳でカレンダーのデザイン作業をしつつ、植物を植える作業をしています。
スズランも移植
今日は大祓え、半年分の邪鬼を祓うご神事が行われる日です。茅の輪をくぐったりお菓子を食べたりしている人もいるでしょう。茅の輪をくぐる代わりに「山に芝植えに、川に水汲みに。右に一回左に一回、三周四周…」半年分の邪鬼を植物に祓ってもらっている感じです。デスクワークに入ろうとすると植樹作業に引き戻され、厄を植物に祓ってもらって無事明日を迎えられると思うと気持ち晴れ晴れ、来年きれいな花を咲かせてくれることを祈ります。(よ)


ブナの植樹

植樹祭。  2015年6月25〜27日

25日、ユンボが直ったとの連絡を受け、急遽取りに行きました。帰って来てすぐに横浜からゲストが到着。もう5時だし飲み始めるか〜と早々にスタート、前回に引き続きアリトコハルカップル来ランドです。夜も更けてから「スターウォーズ」を見ていないというコハルのためにスターウォーズナイト、テントの一面にスクリーンを下ろし上映会です。途中アリトくんが何度も「コハル起きてる?」と聞いていましたが、うとうとしていたのは匠くんだったようです。
ツツジを頂く
「前回の旅が楽しかったのと大きくなった鉢植えのブナを植樹したい。」との連絡をもらい、はからめランド二泊三日の植樹旅が決定。まずミッションであるブナを植樹する場所のロケハンをします。ここにしようというところのまわりの雑木をチェンソーで伐採して日当りを確保します。匠くんが山仕事をしている間、私たちは道の砂利敷き作業をします。お昼をはさんで午後に植樹というところで「ツツジ欲しいか?」とご近所さんが連絡をくれて、匠くんが軽トラで取りに行きました。「植樹の日に植物くれるって偶然だねえ。」なんて話していたら、帰って来た軽トラを見てびっくり。荷台から葉がワシャワシャとはみ出ているではありませんか…。「お、大きいね…。」三人とも同じ言葉をつぶやいていました。
ブナの植樹
まずはブナの植樹です。ユンボで穴を掘ってバケツで水を入れて土に水を含ませます。そこに植木鉢から出したブナの苗木を入れて泥水となじませその上から土をかぶせてミッションコンプリート。「これでのびのび、根っこも伸ばせるよー。」みんなそれぞれいろいろな声をかけて成長を祈りました。次は大きなツツジの植樹です。これが思ったより大変な作業で、みんなで協力して植えました。「ツツジさん、がんばって〜。」
季節は夏、しかも大犯土の期間、決して植物を植えるのに適しているとは思えないのですが、どちらも持ち主さんと樹木との関係上今日になりました。これまで誰かの木を植えたことがないのに偶然が重なってはからめランドにブナとツツジがやってきました。これはGreen Peopleからのメッセージかもしれません。
植樹記念に10年後へのタイムカプセルを埋めようということを思いつきました。「酔った勢いで書かないように明日の朝書こうね、」今夜はひとりを除いて飲み過ぎず穏やかな夜を過ごしました。
タイムカプセル
27日、朝食後はタイムカプセルミーティング。けっこうまじめに中身を考えます。考えながら
コハルは「モミジが欲しい〜」とスコップ片手に苗木集めに精を出しています。山から都会へと旅立つモミジたち、きっと新しい世界にワクワクドキドキのことでしょう。
まるで学校で試験を受けているかような真剣なまなざしで鉛筆片手に10年後へのメッセージを書きました。メッセージと一緒にそれぞれの思いついた一品をケースに入れていざ埋蔵。なんだかイベント性の高い植樹祭となりました。おいしい食事に気の合う友だち、自然の中で楽しいアイディアを出し合って、豊かな時間をありがとう。次回はギラギラとした街で飲みましょうか。(よ)


じゃがいも

光と影が真っすぐに曲がるところ。 2015年6月25日(木)

はからめランドの初収穫、じゃがいもを掘りました。過去3回ほどチャレンジし、親指の爪サイズくらいにしか大きくならなかったじゃがいもがなんと今年、食べられるくらいの大きさに育っているではありませんか。しかも一つ植えて一つ収穫だったものが二つもついている!畑経験者が聞いたら笑うでしょうが、これまでできなかったものができると嬉しいものです。無農薬無肥料のじゃがいも、かわいいです。普通でしたらこのまま食卓にあげるのですが、機械を設定してじゃがいもをカット、測定器にかけて放射能を測定しました。検体660g、測定時間3800秒で調べた結果、ヨウ素セシウムともに不検出でした。ああよかった、ホッとしました。待っている間、もしも検出されたら食べるか食べないか、何ベクレルだったら食べるかなどを考えていました。こういう不安を抱えている人、福島のみならずいるでしょうね。購入するのだったら0ベクレルのものがいいでしょう、でももし自分で育てたものが0ベクレルでなかった時どうするか。スーパーでは99ベクレル以下だったら放射能の表示なしで売られています。農薬や化学肥料を使って育てられた海外産のものと、無農薬無化学肥料で自分で育てたものに例えば7ベクレルの放射能が含まれていたらどちらを選択しますか?日々こんな選択に直面して暮らすのはかなりハードですね。でもそういう世の中になってきているということです。パブリシティでは復興や応援などいい面ばかりに光を当ててくれますが、その影になっている部分も含めてひとつのものであるということを実感した3800秒でした。(よ)


夏至のはからめランド

夏至 2015年6月22日(月)

建築中の家は床を張り終え、次は電気配線というところで止まっています。電線を埋設させるためにユンボで土地のゾーニング中、大きな石がたくさん出て来てユンボが壊れて現在修理に出しています。なかなか見つからない壊れたパーツが奇跡的に見つかり、あとは直るのを待つのみとなりました。開拓開墾には時間とエネルギーがかかります。日本をつくっていった先人達はどれだけの努力を注いでこの国を住みやすい国にしていったのかと考えます。今の私たちが普通に暮らすということひとつとっても先人達が一生を捧げてきた国づくり町づくりがあってこそ。町が作られ仕事が作られそして法がつくられて安全が守られて今があります。時代とともに法が変えられ人々の生活が変化していくことになっても、その方向性は経済ではなく人間に重きを置くべきであり、人間あってこその町であり国であり経済であるということを忘れてはならないと思う毎日です。
梅雨時期のじめじめ感を感じつつ、もくもくとカレンダーデザインに集中しています。 建築作業ができないときにはデスクワーク、夏至を迎えいよいよカレンダー作業も佳境を迎えています。(よ)


那珂川にて

水の上、陸の上、社員研修  2015年6月17〜18日

東関東中心に店舗を展開している「WILD-1」という名前のアウトドアショップがある。このお店の社員研修を四万十塾ガイドのもと1泊2日で那珂川にて行われたため、そのサポートにやってきた。今回よし子は別行動でカレンダー制作、そして僕はカヌーなので、まさに「月とカヌー」といった感じだ。
集まった人数はスタッフ含めて24名、大人数での川下りだ。カヌーのツアーだからカヌーがメインなのは確かだが、始まりから終わりまで野外生活での知恵が詰まったツアーである。火や水の使い方など、四万十塾のスタッフや僕も含めて1年の半分を外で暮らしているような人から学べる事は多いはずなのだが、それは人によって違うのだ。「ドアの外で生活しましょう」と商品を販売する方々にとってどんな1泊2日だったのだろう・・・それは人によって違うか。(匠)


助っ人助さん

助っ人助さん参上 。  2015年6月14〜15日

雨とともにテントの傾いた入り口(傾いているのは全体なのですが…)がいよいよ危ない感じになってきました。土台の木が腐ってテントが沈みかかっています。匠くんが車からジャッキを持ってきてギリギリ応急処置をしています。「これ以上は…。次は解体だ。」
雨が止み午後、石巻から助さんが来てくれてOPEN JAPAN から運んだ放射能測定器の設置をしてくれました。100kg以上ある重たい機械なので運ぶのに躊躇していた矢先の助っ人助さん、その名の通り助けていただたき感謝です。「何か手伝うことない?」とおもむろに積んである薪を見て薪割りをしてくれました。夜は石巻でのことやネパールでのことなど話は尽きず、差し入れの氷とお酒に話が弾みます。
翌朝はネパール風の朝食を作って旅の話などをしていたらユンボの修理工場から電話がかかってきました。暗ーい声の匠くん。どうやら前回壊れたショックで他の部分も壊れてしまい、そのパーツ取り寄せに一週間と更なる修理費がかかり割れた部分はくっつきはしたけれど以前のようには使えないとのこと。もうユンボの話題もしたくない感じです。形ある物は壊れる、世の中の法則ですからね。
助さんは長野へと旅立ち、匠くんは「カレンダーやろう。」と落ち込みに蓋をしてPCに向かっています。(よ)


水タンクを清掃

はからめランド、火と水。  2015年6月13日(土)

昨夜テントに無事到着し、泥のように眠りました。
朝起きてストーブに火を入れ、沢水の水道をチェック。
「水タンク掃除した方がいいな。」「煙突掃除も必要だと思うよ。」
午前中水タンクを洗いました。タンクの中に上半身を突っ込んでたわしでこすってある程度きれいになったらスポンジで洗い、最後はきれいなタオルでふきとります。かなり大変な作業なので二人で交代しながらなんとかやりきりました。それから水を溜めること1時間、その間は水は使えません。その間に煙突掃除です。「これまでで一番詰まってる…。」
6月は衣替えシーズンです。梅雨時期でもあり、一年で一番日が長い夏至のときです。気温湿度ともに上がりものも腐りやすく衛生にも注意が必要です。はからめランドの衣替え、火と水をきれいにしました。それからお風呂をわかして気づけば夕方、あっという間の一日、明日こそはカレンダー作業です。(よ)


大原小学校にてクラシックコンサート

石巻DAY3 大原小学校、牡鹿中学校  2015年6月12日(金)

朝8時、あたご荘さんにご一行様をお迎えに行き、大原小学校で開催するコンサートの準備をします。大原小学校のすぐ下にはOPEN JAPANの古民家再生IBUKIプロジェクトの建物があります。コンサートのお誘いとご挨拶に大原浜の石森区長さん宅へ伺いました。「お茶でも飲んでって、どうぞどうぞ、」と逆にお誘いくださって、ずいぶんご無沙汰していたのでお話も伺いたいとお邪魔させていただきました。話はIBUKIプロジェクトの話になります。遅れている工事のことや現状についてなど、大原の住民の方は区長さんに聞いてくるとのことで、今後区長さんはじめ大原の方々とのコミュニケーションが大切だと痛感しました。お互いに分らないことがあるまま進める前にお話できてとてもよかったです。
IBUKIプロジェクトの古民家、現在の様子
「クラッシックですか〜、演歌がいいな〜。」と笑顔でおっしゃる区長さん。奥さんは天童よしみが好きなんだそうですが、「ちょっと行ってみっかな〜。」とコンサートに足を運んでくださいました。信濃町からのコンサート隊の方々は大原小学校の校歌を練習してきてくれていて、みんなで一緒に歌いました。子どもたちの声が体育館に響きすごく感動的なコンサートでした。
牡鹿中にてクラシックコンサート
次は11時に牡鹿中学校でコンサートです。車とバスで回送し牡鹿中学校に向かうと、校長先生が出迎えてくれました。「お久しぶりです!お元気そうですね!」震災時に湊中学校の教頭先生だった増子先生が今牡鹿中学校の校長先生になられていたのでした。「あの当時はお世話になりました。どうぞ校長室へ。」「準備は大丈夫だから校長室へ行っておいで。」と助さんにも再会を喜んでもらってしばし増子先生とお話するお時間をいただきました。
牡鹿中生徒によるソーラン
「震災後ね、高知県でお話をする機会をいただいてね、四万十のとーるさんにも連絡をしたんですよ、映像を使わせてもらってね、お元気ですか、よろしく伝えてください。今日はコンサートの後に生徒がソーランを踊ってお返しするんで、是非見て行ってくださいね。」と校長先生のおつとめ姿を見て時が経ったのを感じました。あの当時湊中学校は避難所になっていて学校再開どころじゃなかったため、学校で見るのは生徒と先生ではなく、避難者と先生方とボランティアという姿でした。思えば震災直後、石巻でいくつもの学校に行きましたがどこも避難所となっていたので、学校が学校となってから訪れたのは今回が初めてだったかもしれません。
コンサート隊は生徒のソーランに感動し、信濃町と牡鹿半島の方々との交流が育まれました。昨夜佐々木さんの言っていた「震災があって、人は1人では生きていけないんだってことがわかったんだ。」とおっしゃっていた言葉がよみがえります。誰かと話したり、誰かのことを気にしたり、そういう中から生きる力がわいてくるものなのかもしれません。そんな気持ちを胸に、コンサート隊のみなさんをお送りして私たちはOPEN JAPANの事務所に戻りました。
湊中に植樹した桜「ミナコちゃん」の現在
もう一泊して仲間と語らいたい気持ちをこらえて測定器を車に積み込みます。みんながんばっている、わたしたちもやらなきゃね、となんとか今夜中にはからめランドに到着目標で走ります。
( 4枚目の写真は震災後に湊中学校の校庭に植樹した桜の様子。湊中学校再開にあたり、同校卒業生でありボランティア仲間であるカヌークラブ会長宅に移植、愛情を受けすくすく成長中。)


関連サイト OPEN JAPAN


高政さんにて

石巻DAY2 牡鹿半島へ 2015年6月11日(木)

昨夜の総会後、場所を変えて練習という名のミーティングが午前様まで続き、みんな少し疲れ気味な様子でベースで朝を迎えました。石巻カヌークラブの会長&会長夫人も共に過ごし楽しい夜でした。
匠くんが議事録をまとめている間、放射能測定器まわりの整理をしました。周辺機器でベースで使えそうなものなどを代表のタケちゃんに相談しつつ、ある程度片付け終わったところで女川町に向かいます。長野県信濃町からクラッシックコンサート隊が来石しコンサートを開いてくれるツアーに同行させてもらいます。
アーティスト5名(ピアノ、フルート、バイオリン、ソプラノ、ソプラノ)、応援隊20数名、計30名ほどのご一行様が大型バスで到着。総ガイドはOPEN JAPAN理事の助さん、助さんの地元信濃町のみなさんは二度目の来石の方もいて、事前に3回ほど今回のツアーのミーティングを全員でしてきているというだけあって動きがスムーズです。女川町にあるかまぼこメーカー「高政」さんに伺い、店長佐藤さんから震災時のお話を伺いました。女川の町が津波で流されていく映像を見て、その後佐藤さんが社員を守るためにとった行動や5日間娘さんと連絡がとれずにいた震災当時のお話を聞き、ハンカチを手にする方々も。みなさんは音楽で交流するだけでなく買って支援もするつもりで来ている、と箱入りのかまぼこをたくさんたくさん注文してくれていました。
御番所公園展望台より金華山を眺める
その後仮設住宅でコンサート隊とバスで町や山を見ながら宿へ向かうツアー組とで別れました。匠くんが運転するはからめ号がツアー組の大型バスを先導して女川町の町立病院やかさ上げしている町内を見学、わたしはバスに同乗してマイク片手にバスガイド(?)、開通したコバルトラインを通りながら、震災当時女川原発も避難所になっていて、火が使えない原発内にあたたかい炊き出しを届けに行っていたお話などをさせていただきました。御番所公園で金華山ときれいな夕日を見て、みなさんとは今夜のお宿小渕浜のあたご荘さんの前でお別れしました。

その後わたしたちは助さんの計らいで一週間の予定で岡山からOPEN JAPANにボランティアに来ているアオイちゃんと、小渕浜で牡蠣の養殖をしている佐々木さん宅へお邪魔し 一晩の宿をお世話になりました。佐々木さんとはカヌーで瓦礫撤去作業をしていたときにお世話になったご縁で、今でもなつかしく交流させていただいています。OPEN JAPANの仲間で、震災後に大原浜に移住したチセちゃんも来てくれて、今日初めて牡鹿半島に来たアオイちゃんにとっても震災当初のお話や今の状況など生の声を聞けた機会はとても貴重だったと思います。


関連サイト OPEN JAPAN


オープンジャパンの総会

石巻DAY1 OPEN JAPAN 総会  2015年6月10日(水)

震災時にボランティアとして通っていた石巻のボランティアベース、OPEN JAPANの総会に出席するために北上しました。一年以上ぶりの石巻、訪れるごとに街の変化を目の当たりにします。仙台あたりから二車線になった高速道路や集合住宅の建設、復活した田畑など、津波のあとの街がどんどん変化して行く様子はまるで生き物のようです。人が生きていれば街も生きているのだと実感します。
総会で会う仲間たちとはいろいろな場所で会う機会があるため、人への久しぶり感はさほど感じませんが、街への久しぶり感に不思議な感覚を覚えました。変化し続けている様子にわたしの感覚がついて行けず、何かに取り残されている感を感じます。震災時から時が止まったままの福島での生活がそのギャップを生み出しているのかもしれません。
総会はスカイプ参加者3名も含め計10名、継続していくプロジェクトの展望、新たなプロジェクトの提案、そして緊急支援活動ではネパールから帰国後の助さんの報告とともに明後日からネパール入りするヒーサーとスカイプで話しました。
スカイプにてspace カーシェアリングの活動は石巻でのモデルケースをつくり、事業としての展開も社会的に理解を得てきました。今後この取り組みに復興庁も携わっていくことが決まり、社会変革への第一歩がはじまったのを感じます。
牡鹿半島の古民家再生IBUKIプロジェクトも資金が集まり来月には再スタート、秋への完成を目指します。地元のコミュニティの場となるよう、雇用を生み出し生き甲斐をつくること、津波にあった古民家に息吹を注ぎ込みおいしい食と健康を育む場所となるように本格始動に入ります。
わたしたちがこれから取り組む福島での活動の承認もいただきました。OPEN JAPANが繋いでいるものたちが日本を支え、人々のためになる活動を通して個々に目的に向かって飛躍していくことを確認しあった会議でした。


関連サイト OPEN JAPAN


カレンダーの絵を描いたり。

はからめ月のカレンダー2016 2015年6月6日(土)

2015年のスケジュールを年末から逆算してみた。そんな年間予定を立ててみた結果、今週は2016年度版のカレンダーのデザインをしている。
ちょうどユンボくんが壊れてしまって建築作業がストップしている。具体的な次の作業というのは電気工事。電気屋さんに来て頂き、最後の電柱から母屋まで電線を引っ張ってもらうのだが、約100mの距離を埋設する予定なのだ。(地面を掘って電線を通すということ)最低60cmの深さで100m 以上・・・、ユンボくんが直ってからにしよう。
そのユンボくん、ただいま近所の修理工場に入院中。壊れてしまったパーツを自分でも探しているのだが、ヤフーオークションとかでは出てはいなく、日本全国の業社さんにメール、電話しまくってみても探し当てる事ができない。新品で買ったら43万円+消費税、何だその金額はぁっ?ってくらいビックリな金額。ガクンとなっている時にいつもお世話になっている矢祭機工の金澤さんが、難しいけれど何とか溶接してみるよとおっしゃってくれた。実はこのパーツ、厄介な事には鋳鉄(ちゅうてつ)、みんなが鋳物(いもの)とよんでいる材質なのだ。鋳物は分子の構造上、熱を加えると非常にもろくなりやすく、溶接が非常に難しい。なんでよりによってこのパーツが・・・って感じなんだけれど仕方がない。という訳で、今はその溶接にトライしてくれるという金澤さんを応援するのが唯一できる事となっている。
ユンボくんの入院によってあきらめがついて、カレンダー作業にとってはちょうど良かったかもしれない。これからの夏、秋、そして冬、それぞれの季節を有効に使うために今日も暦作りに精を出そう。 (匠)

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