大根

放射能測定  2015年8月29日(土)

8月も終わりを迎え、はからめランドでは既に秋の気配です。朝晩ストーブを焚かないと寒いと感じるようになりました。夏の間にできるはずだった大根を収穫し、放射能測定器にかけました。家を空けてほとんど手つかずだった畑の大根は親指ほどのサイズにしかなりませんでしたが、それでも食べられるものがあるというのはありがたいことです。
土の中にできる根の部分と、地表の上にできる葉の部分とに分けてそれぞれ3600秒で計測しました。測定結果はどちらもND(不検出)、検出下限値は9、48ベクレルです。
そろそろミョウガが出始めました。紫蘇の葉も大きくなりました。次は自生しているものを計測してみたいところですが、ある程度の収穫量が必要とされるため今の時点ではまだ測れません。実際のところ、日々の食事に既に使用しています。果たして計測されてしまったらどうするか、これまで計測してからでないと食さなかったものも、市場に出回っているという安心感と手元にあるという感覚で食事に使っています。これが今のこの場所でのわたしたちの感覚、震災から4年、原発から60km、空間線量0.06マイクロシーベルトの現実です。(よ)


ヒーサーと一緒に

ヒーサーと虹  2015年8月26〜27日

石巻でのネパール支援会議後にヒーサーが寄ってくれました。「ずっと来たいと思っていたんだよね〜、」と笑顔で再会です。「日本慣れた?」「もう慣れたよ。」
ヒーサーとは東京に住んでいた時のピースメーカーキャラバン時代に出会ってから、ヒーサーが名古屋でお店を経営していた折に何度か寄らせていただいたご縁からです。思い起こせば宇宙的なつながりの中で出会っているような気がします。ヒーサーとの話はスペクタル、次から次へと会話が続き、どの瞬間も一瞬一瞬、瞬く間に過ぎていきます。
ヒーサーと会う時はいつもそれぞれの生き方でクロスオーバーするタイミングで、お互いに必要な情報交換やエネルギーチャージのために会っているように感じます。最近ときどき思い出す『聖なる予言』という本をもう一度読み返してみたいです。
はからめランドで虹
ヒーサーを見送って、いつものはからめランドの時間に戻ります。このところずっと雨が降っています。台風の影響とはいえ、梅雨以外の雨期が始まったんじゃないかと思うくらい、毎日雨の曇天模様です。電気工事が進まない中、毎日カレンダー制作に集中しています。ふと外を見ればお日様が光を注いでいました。太陽が出た!と思えばあいかわらず雨が降り続いていました。晴れ間の雨、キラキラしていて外に出て虹を探すと…。はからめランド初の虹。これは新しい扉が開く前兆かもしれません。


左からケーイチさん、コータローセンセー、僕

荒井光太郎、来たる 2015年8月22日(土)

旅のまとめや清算もようやく終わり、建築土木作業にとりかかろうと思ったら今日から大犯土がスタート。来週初めに電気工事を予定しているのだが、その準備がまだできておらず手をつけたいところ。犯土の入りの日だけでも避けようかと、今日はテントの中でカレンダー作業をすることにして印刷や製本作業を進めていた。
お昼過ぎに1台の車がやって来た。ここ、はからめランドに何も連絡無しに来る車というと、郵便屋さん、宅配便の車、月に一回電気メーターのお姉さん、時々近所の見学者くらいなものなのだが今日は違った。車から降りた男性の第一声は大声で「こんにちは、荒井光太郎と申します!」だった。「なに〜!?」と僕。いきなり前置きも無く福島の山奥に僕の横浜の中学校3年間の担任の教師がやって来たのだからビックリ。
実は横浜で教師をやっていたケーイチさんという方が隣の矢祭町に引っ越して来られ先日挨拶させてもらった。そのケーイチさんと同じ学校で働いていたのが荒井光太郎だったという繋がりで本日、そのケーイチさんと一緒に訪ねてくれたという訳だ。荒井光太郎とは今年の1月に僕たちの中学校の同窓会を開催した際に久しぶりに再会し、それ以来となる。
荒井光太郎は、「走れコータロー」という歌があるように陸上部の先生だった。(僕は陸上部じゃなかったけれど)走る事が好きだった先生は約1時間の滞在だったのだが、その半分を足の肉離れについての話しをしていた。
それと昔から荒井光太郎が好きだったのが電車。先生のワイシャツの胸ポケットに入ったキラリと光るチケットはなんと「青春18切符」だった。なんと先生、この切符で今日は横浜日帰りなのだという。この勢いはすごい、行動力というか、駆け抜けてるというか、どんな言葉が良いのかわからないがとにかくすごいなぁと感じた。
帰りの電車に乗らなければいけないのでと、あっという間に楽しい時間は過ぎていった。帰り際に「今度はもっと時間を取っていらして下さいよ。次は家もできていると思うのでゆっくり一杯飲みましょうよ。」と僕。「そっかぁ、来週はいる?」と荒井光太郎。「来週!?・・・い、いるかな、たぶん」と僕。「よし分かった、連絡する。じゃあまたな。」と荒井光太郎。ケーイチさんの車でブーンと勢い良く走り去る2人に僕たちは手を振った。嵐が過ぎ去った後、「すごい人だね、あの勢いだったら本当に来週また来そうだね、青春18切符の期間内って言ってたし。」と僕たち。
何はともあれ、中学校の恩師がこんな遠くまで訪ねてくれるのとても嬉しいことだ。そして久々に驚きのある1日だった。ありがとう、コータローセンセー!(匠)


進水式

W&C CANOE進水式 2015年8月14〜15日

14日夕方、甘湯温泉からご一緒させていただいているワカユキご夫妻と共に菅沼に到着。上杉ご夫妻の待つロッジにて夜の宴に参加させていただきました。駐車場に止めてある車に積まれたカヌーを見てほれぼれ「白、いいですね、きれいですねー、」などなど感嘆の言葉を述べるとどうやら新しくなったハイエースのことだと思われたよう。「カヌーですってば!」車もケビエースからマビエースへと新しくなり、カヌーもWood & Canvas になりました。今日はその進水式に呼んでいただけるという光栄な機会です。
ウッド&キャンバスカヌー
15日5時、装備をして水辺へと赴きます。静かな湖畔に雨上がりの澄んだ空が映えています。まさにハレの日、すべてが祝福しているかのような日、Wood & Canvas Canoeの進水式を取り行いました。セージを焚きカヌーを浄め、ケビパさんミエさんマービーご家族、ワカユキご夫妻、わたしたち、そして大地と空へと煙を返します。広島の「太田川、水への祈り」で合わせたお水を新カヌーと菅沼へと注ぎ水への祈りを捧げました。カヌーにシャンパンを捧げ、お二人の船出とともにお花をちらして祝福しました。
白い Wood & Canvas Canoe
今日は終戦記念日です。白いカヌーの伝説を思い出しました。ネイティブアメリカンに伝わるお話です。昔イロコイ族で争いが絶えなかった頃、白いカヌーに乗った青年が「暴力より話し合いを」と平和を訴え争いを停めに行ったそうです。その青年の名はピースメーカー。かつて東京に住んでいたいたときに友人と「ピースメーカーキャラバン」という名で活動していた時にたまたま知った伝説でした。戦後70年、ピースメーカーが日本から世界に漕ぎ出していく時が来たような、まさにその始まりの気配を感じた進水式。カヌーから水へと、祈りは世界を巡り人々を包み込むでしょう。(よ)


関連サイト Mob@KeviKevi


お茶の指導

甘湯温泉 2015年8月13〜14

11日朝横浜着、しばし旅の疲れを癒します。鈴木家母妹甥と食事会。
12日匠妹誕生日、ケーキを焼いてから外出。広島旅のおまけ、東京で再会。
13日6時出発、渋滞を避け那須へと向かいます。四万十旅アフターパーティ、トコちゃん別荘甘湯温泉にて一泊二日を過ごさせていただきました。料理家のお母様の素晴らしいお料理と源泉掛け流しの温泉、楽しいお仲間達に迎えてもらい甘湯温泉を堪能させていただきました。匠は鎌倉千家、わたしはエロ千家からご指導を受けお抹茶指導もオツな企画。豊かな時間とあたたかいおもてなし、ありがとうございました。そして旅の締め、スゲー沼と言われている菅沼へと向かいます。(よ)


夜明けの富士山

岡山〜琵琶湖。 2015年8月10

昨夜岡山の友人宅「あるでばらん」にお世話になり、久しぶりに睡眠をとりました。夜にもかかわらずふみさんがお風呂、ビール、桃を用意して待っていてくれてとても嬉しかったです。
「太田川、水への祈り」と時期同じくして、岡山ではしゅんちゃんが世話人として福島の母子の保養を受け入れていました。その中のお1人が「あるでばらん」のショップにあった月のカレンダーを見て、わたしたちのことを知っていると話したそうです。懐かしい人との再会、出発前に宿舎に会いに行きました。奥会津の金山町で子どもキャンプをしていたときの参加者カイさん母娘です。その後一気に関東まで駆け抜けようと思ったのですが、ひらめきが起こり琵琶湖へ立ち寄りました。急なことだったので会えない人もいましたが、カオルさん大西くんワダマキちゃん村尾さんが会いに来てくれました。おかりした物をお返ししに10月27日に再び伺う予定です。徹夜で走った高速道路、明け方の富士山と朝日が美しく輝いていました。(よ)


関連サイト あるでばらん


大聖院にて

長崎原爆の日 2015年8月9日(日)

9日長崎デイ、ご縁ある方々と広島の平和記念公園にて11時02分集合で黙祷を捧げました。その後の宮島、大聖院にも同行させていただいた後、私たちは一足先に旅立ちました。広島滞在あっという間の6日間。祈りに始まり祈りに終わる、この時期を広島で過ごすということは供養という言葉を忘れてはならないと感じた日でもありました。(よ)


祈

「祈」 2015年8月7〜8日

7日、リトルイーグル主催の明日開催の「祈」というコンサートのお手伝いのためにはからめ号で荷物の搬入作業と準備をしました。あれやこれやと前日準備は朝の5時までかかりました。
8日、朝8時出発、広島市内の流川教会で12時スタートのイベントです。3年前の福島、宮城石巻、仙台ツアーに同行したアリシア・ベイ・ローレルさんや、イノウエオハナバンドをはじめ、沖縄、広島からもたくさんのミュージシャンが参加しています。物販、駐車場係、送迎、搬入搬出などなど、とにかくできることをやり遂げました。(よ)


関連サイト リトルイーグル


広島平和記念日・灯籠流し

広島平和記念日 2015年8月6日(木)

今回の広島の旅。最初は8月6日広島平和記念日の夜、広島市内で行われる灯籠流しをカヌーでサポートする事からはじまった。川の流れや風、そして潮の満ち引きによって灯籠が、1カ所に溜まってしまったり、陸に上がってしまったりしているのをカヌー1艇を使って上手く流すお役目だ。
今年の2月22日、この広島で灯籠流しサポートのお役目を受ける事を決めた後、「太田川・水への祈り」が決まり、この次にある8日のリトルイーグル主催の「祈」への参加が決まった。
2月22日は、今年初めに亡くなった僕のカヌーの師匠の師匠であるバウさんのお別れ会の日だった。その日の夜、今回もいろいろお世話になっている岡山の薬効シルク染め「あるでばらん」中村シュンさんと、広島で「あきおおた国際音楽祭」を続けている中川ケイコさんから話しを頂き、8月6日は広島で時間を過ごす事に決めた。実はこのカヌーで灯籠を寄せるというのを10年前に始めたのがバウさんであり、その話しをなぜかバウさんのお別れ会に頂いたので・・・「あぁ、そういう事ね。」と心の中で。(仕組まれていたな、これは。)
僕は8月6日を広島で過ごすのは初めてだ。町全体の人々の心に片寄りの無い、フラットで統一された意識を少し感じる。この日の広島は何かが違うのがはっきりと分かる。
暗くなり始めて来た頃、ろうそくに灯された火が人々の理想的な生き方が描かれたイメージを照らし水の上を流れはじめる。そのイメージが「平和」なのかな。
8月6日は人=水がこの町に集まってくる。そして想いに火を移し、水に流す。カヌー1艇でできる事は限られているが、1つ1つの留まっている想いを1つ1つ丁寧に流す役目、ただそれだけをやり続ける気持ちにふと気がつく。(匠)
(※注意、8月6日前後に許可が無くカヌーなどの小型船で灯籠流し区域内に入る事は禁じられています。)


太田川・水への祈り

太田川・水への祈り 2015年8月4、5日

夜中3時、太田川源流地点の聖湖に到着、 朝になってからお水を汲みました。そこから三段峡に向かいカヤック教室を営んでおられる小林さんと三段峡ホテルの高下さんにご挨拶。「太田川、水への祈り」に参加する友人と待ち合わせて水のきれいな三段峡にカヌーを浮かべ、しばしの時を過ごします。午後ベースとなる柳瀬キャンプ場に移動、明日の朝ここから太田川を下ります。
夜の交流会には椅子が足りなくなるほどたくさんの方々がいらしてくれました。広島の方々が差し入れを持って来てくれたり、フラを踊ってくれたり、きこりのキャンドルを灯してくれたり、太田川のほとりで楽しい夜を過ごしました。
太田川・水への祈り5時起床。車の回送チーム、食事の準備チームに別れて行動します。
7時過ぎ、急遽岡山から水を運びに「あるでばらん」のしゅんちゃんふみさんがクリスタルボールと友人を連れて到着、三段峡から郁さんも到着、焚き火学会松波さんも、いいだしっぺの圭子さんも到着。ぞくぞくと人と水が集まってきます。13名で祈りのサークルをもち、8名がカヌーで出発する運びとなりました。
太田川・水への祈り
今回初カヌーとなる松波さんは匠くんの前に、わたしの友人はわたしの前でドキドキスタートです。4月に下見した時と比べて随分水量が減っていました。石や岩が見えていてコースを選んで進みます。沈一艇、すばやく復活。高瀬堰を越えたところでランチタイム。午後からチーム二名と合流し10名で無事ゴールまで漕ぎ着けることができました。
それぞれが持ち寄った水を合わせます。静かに祈る時間を持ち、合わせたお水を太田川へと流します。水合わせの儀式には遠方からもたくさんの人たちが参加してくれました。この祈りのために旅をしてきたのだと思うと力がすっと抜け、心地よい脱力感とともに無の境地です。(よ)


関連サイト 太田川・水への祈り ・ らぴっどカヤックスクール
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