本日午前中の現場

ただいま福島 2016年5月27日(金)

途中、岡山、横浜、東京と寄りながらはからめランド到着。怪我や大きなアクシデントも無く無事に帰って来ました。私たちの活動を支えて下さった方々、どうもありがとうございます。熊本入り前日にブースを設けて下さった「大日向マルシェ」、そしてそこで出会ったみなさま。活動支援金を託して下さった方々、どうもありがとうございます。私たちを通して現地の方々への想いを運ばせて頂きました。今回の大まかな支援金の使い道は以下の通りです。

○現地で行動、活動するための燃料(軽油、ガソリン)費。
 (福島ー熊本間往復の交通費には使用していません。)
○支援先で必要な工具類
 (ほとんどは持参しましたが、持参できなかったものに関して)
○支援先、ボランティアベースで必要と思った木材、金具などの資材の一部。
○救出した農機具の燃料や修理部品など。
○被災地で営業しているお店で購入した、支援先や長期ボランティアへの差し入れ。
○現地で活動しているボランティアの食費の一部
○活動日のお風呂代。
○自分が離れた後、現地に常備しておきたい道具、工具類の一部。これから増えるであろう大工系のニーズに対応、技術がある人が飛行機で現地入りできる状況を作るため。
  (持参した道具類は持ち帰るので。)
他。

直接現地での支援としては7月に再度熊本に入る予定です。それまでは福島から後方支援を続けていこうと思っています。現地で過ごした後の後方支援は、どのような状況で何が必要とされているかがイメージできるので、もどかしさが少ないというか、やりやすいというか・・・そんな感じです。
1日も無駄にできない日が続くのは、被災地でも、はからめランドでも一緒なはず。月とカヌーに休み無し!(匠)


関連サイト OPEN JAPAN


本日午前中の現場

熊本を後に・・・。 2016年5月23日(月)

本日熊本を離れる。自分たちにとっては最終日だが、人や物や情報を繋ぎながら日々活動をしている仲間たちには関係ない。今日も1日が始まる。
朝のミーティング風景
新しい朝が来た、希望の朝だ。
時間をできるだけ有効に
本日の現場の場所やニーズを確認。左は東京あきる野市のお寺の住職とおるさん、右は兵庫県で家具工房を営んでいる木工家GAKUさん。
本日解体するブロック塀
南阿蘇のベース。事務作業ができるようにコンテナハウスを1つレンタル。OPEN JAPANは、地元のボランティア団体「南阿蘇よみがえり」をサポートするかたちで活動をしている。
木材は切って解体
熊本を出る前に仲間達が活動している黒川地区の現場に立ち寄る。こちらのお宅からの要望は、古い建具の取り出し。1階部分には軽トラ、BMW、プリウスの車3台。後に自走できるかたちで救出された。作業に入っているのは助さん、岐阜のとおるさん、GAKUさん、ヒロユキさん。
チルホールを使って家を引く
掘り出し作業をしている間に家が倒れてこないように、裏山の木と家の屋根をワイヤーで引き安全を確保しながらの作業。使ったのはスリング×2本とチルホールというワイヤーを1方向に引く超強力な道具。人力でも道具をうまく使う事によって重機以上の力をかける事ができる。
黒川地区の様子、サテライトとなっている公民館。
黒川地区の公民館。ここをサテライトとして、住民の方々のニーズ拾いや、支援物資の配布などを行っている。ひーさー(中)と大ちゃん(右)。
黒川地区の様子
先日、石巻のバンちゃんが開いたトンネル。このトンネルのおかげで、この先の下宿アパートから数台の車を出せるようになった。今回の被災地では車を使えるかどうかで生活が大きく違ってくる。
黒川地区の様子
黒川地区の様子。
黒川地区の様子
住職とおるさんが学生達と一緒に活動している現場。住民の方に描いてもらった間取り図を元に大切なものを救出する。
ボランティアに差し入れ
阿蘇の「菓心なかむら」で購入したお菓子を西原村で活動するボランティアに差し入れ。こちらの現場には日本財団黒澤さん、愛知のスギちゃん、ヤマキさん、那須の桑さん他、被災地で会う顔がそろっている。今回の熊本には多くのボランティアが入っていて、支援の拠点としている場所は違うものの、ボランティア同士で連携を取りながらしながら活動を進めている。(もちろん全てではないが。)各拠点には各拠点の色があって興味深い。
仮設住宅建設予定地
仮設住宅の建設地。ゆっくりだが始まっている。
いきなり団子
先ほど顔を出した黒澤さん達が入っているお宅はカライモ(サツマイモの事)の農家だった。そのお宅のお母さんがカライモの食べ方など説明してくれたのだが95%くらい理解できず、時々聞こえてくる「ダイガクイモ」という言葉をやっと拾えたくらい。それくらい熊本弁はスゴイ。そして熊本にはこのカライモを使った「いきなり団子」という団子がある。簡単に(いきなり)作ってすぐに(いきなり)食べられるから・・・?(名前の由来は色々な説があるみたい)先日、避難所で生活する方に頂いてとても美味しかったので、帰り道、高速のパーキングで買ってあらためて「ん〜ん、美味し〜い。」と。
時間に濃いとか薄いとかあるのであれば、約1週間の濃い時間だった。被災地では、被災者、ボランティア、どちらでもない人、その区別は関係なく、その人の生き方が問われる。目の前にあるものを右に動かすのか?それとも左に動かすのか?目の前に次から次へとやって来る出来事に自分はどのように向き合うのか?1つ1つの言動、行動、立ち振る舞い、姿勢、表情、自分を覆っている全てが剥がされて剥き出しな感じ。誰も見ていなくても自分が自分を見ている。上辺だけの気持ちは誰にとっても上辺だけ。発した言葉は何のフィルターも通さずに突き抜ける。嘘はついても良いけれど、ただただ嘘になるだけ。本当の言葉は、なんか昔から知っているような、母親から教わったような、簡単な言葉ばかりのような気がする。ん?これ、被災地じゃなくても一緒か。(匠)


関連サイト 南阿蘇よみがえり ・ OPEN JAPAN


本日午前中の現場

支援のかたち。 2016年5月22日(日)

今日の午前中は、信濃町からボランティアに来ている大ちゃんと大津町で牛舎のブロック塀を解体。午後は別れて僕は西原村のコイシさん現場、よし子と大ちゃんは熊本市で開催されている「江津湖くまもとリデザイン」というマルシェイベントへ。(匠)
朝のミーティング風景朝のミーティング風景。
時間をできるだけ有効に物資倉庫とするテントの中敷というかスノコというか、地面に直接物を置かないようにする床を製作。限られた時間でできる事をぱっぱっと。
本日解体するブロック塀
大洲町の牛舎の塀を解体。家主さんが大津のボランティアに相談したところ、解体したものを運び出す事はできるけれど、解体自体をボランティアにさせる事はできないと断られたという。自分ではできないのと、がれきの無料受け入れの期限が今月末に決まったのとで、早く何とかしなきゃと思っていたところ、昨日僕たちのの車に目がとまったとの事。 木材は切って解体
まずは屋根を外してブロックの上に乗っている木材を解体。ここを切るとどこが崩れるか・・・を常に考えながらの作業だ
塀を壊す

あとは日頃のストレスをハンマーに込めて振るだけ。(もちろんよし子は写真用。)
家主の宝物は人によって違う
午後、僕は西原村の現場へ。貴重品や、大切なものを家の中から取り出す作業。明治時代の建物を約50年前に移築したという母屋の中から、ご先祖のお位牌、遺影、金庫などを取り出す。1階部分からは取れるものを取り出したが、遺影があったであろう場所にはアクセスできず。
床を抜く。
そうした場合は、2階部分から入り、場所を検討付けて床をチェーンソウで抜いて上からアクセスを試みる。今回は床を抜いたらすぐに遺影を発見できた。家の構造など見えないところを想像する力も要求される 。
重機と一緒の現場
作業は重機と一緒に。
満月の下で
今日は満月。
江津湖くまもとリデザイン
午後はベースの買い出しを終えてから、熊本に移住した東京時代の仲間イクくんファミリー「とぅから家」がマルシェに出店するときいたので会いに行きました。「江津湖くまもとリデザイン」というイベントで、水辺の大きな公園にたくさんの家族連れが集っていました。
一緒に行った大ちゃんは「こういうきれいな場所久しぶりだね。」ヘルメットをはずして誇りだらけの服を着替えています。壊れた家や亀裂の入った道、土砂崩れの山の付近でわずかな時間しか過ごしていないわたしたちがそう感じるのですから、地元の方々のこころの揺れ幅ははかり知れないと感じます。
「とぅから家」が東日本大震災で熊本に移住してから5年、奥さん文美ちゃんは無事出産し、家族みんなで子育てしています。「とぅから家」わこちゃん、マサくんからお話を伺い、農家さんや生産者さんの現状を教えてもらいました。家が大丈夫だったとしても農業に専念する時間を裂いて片付け作業をしていたため、作付けが遅れてしまって間に合わない、当初は炊き出しなど人のために時間を使って頑張っていたので、自分たちのことができていないと感じて今は自分たちのことを頑張っているなど、震災の影響は様々です。
「こういう場所が必要なんだよ。震災後みんなどこへ行けばいいか分からなかったんだよね。こうして家族や友人同士が集える場所があるっていうだけでいいんだ、出店数少ないとか、イベントの規模じゃなくてね。」「できる人たちはもとに戻っていかなくちゃならない。お店も再開させて、売り上げもあげていかないといけない。」現場の声を聞きました。
江津湖くまもとリデザイン「とぅから家」は動物性のものや乳製品などを用いないお菓子、加工品を作っています。パティシエのイクくんの腕は東京時代から数段パワーアップし、味も見た目もすばらしいものでした。「買って支援をお願いしたら、お陰さまでジャムが完売したんだ。ありがたいよね。」とわこちゃん。旦那さまのマサくんは生産者を支援する活動をしていて、現在農業ボランティアのコーディネートをしているそうです。
「江津湖くまもとリデザイン」主催者のナカツさんにお話を伺いました。他県の方はどんな支援ができるのか、今何が必要なのでしょうか。「熊本産のものを購入したい、熊本フェアをしたい。」との問い合わせがあっても、流通のシステムを持っていない個人農家さんが個別に対応するのは採れる野菜の種類や送料の問題もあり、実は手間だそうです。
「だったらJAに熊本県産でと産地指定してくれるほうがありがたいですね。JAは流通のシステムありますから。ただ、有機で育った豚肉が欲しいとか、そういう特別なものでしたらこちらも流通のある個々の農家さんを紹介することはできます。あとは、一番いいのはお金ですね。」買って支援する、募金を集めて必要なところに届ける、そういった支援がいいとのことでした。
「とぅから家」でも支援金を募っていて、農家さんを支える活動にあてています。農業支援したい方は是非農業ボランティアとして来て頂くか、支援金をおくっていただくか、そういう形で応援することも熊本支援になります。
わたしたちの最初の現場は倒壊した納屋から重機で農機具や肥料を取り出す作業でした。農家さんにとってこの時期畑や果樹園に手を入れなければ必要量収穫できない可能性があります。ライフラインが整った地域でも、このように人の助けが支えになることがまだまだあるのです。(よ)


関連サイト とぅから家 ・ 南阿蘇よみがえり ・ OPEN JAPAN


阿蘇のお宅にて

ご縁をかたちに。 2016年5月21日(土)

3日前、閉店間際のホームセンターでコンパネや木材を購入しようとレジで並んでいたら、同じくレジに並んでいるご夫婦から声をかけられた。「この材料は家を作る時にも使えるのでしょうか・・・?」蛍の光をBGMにお話を伺うと、2年前に千葉から熊本に引っ越してきて震災に遭い、現在避難所で寝泊まりしながら半壊と診断された家を修復中であるとのこと。
業者さんは大忙しでなかなか取り合ってくれない状況で、もし良かったらアドバイスだけでも頂けないかという事だったので、本日阿蘇市のご自宅によし子と2人でお邪魔させて頂いた。家中のほとんどの土壁が崩れ落ち、その撤去作業はすでに阿蘇市を中心に活動するボランティア団体ZENの方々が行ってくれたという。所々の天井は落ちていて家自体が歪んでいるのが分かる。家主さんとお話をさせて頂き、キッチンの部屋だけでも壁を塞ごうと、早速車から道具箱、丸ノコ、インパクトを取り出し作業スタート。昼過ぎまでかかったが、何とかキッチンを塞ぐところまで完了。家主さんと一緒に、今後の進め方などを話しながらの作業だった。お昼ご飯を一緒に食べながら震災後1ヶ月間の話しなどなど伺う。
今回の熊本地震、国から受け取れる支援金は、被害調査の結果「全壊」で100万円、「全壊、再建」で300万円、「半壊」3万円、「大規模半壊」条件付きで50万円、「一部損壊」0万円。
本日伺ったお宅は「半壊」なので3万円。それと別で、災害救助法に基づく「住宅の応急修理」というものがあり、業者を通して上限約58万円の修理費が補助される制度がある。(このお金は直接業者さんに支払われる)などなど、人、世帯によって様々なケースがある。(匠)
学生達も参加やはり今日もラジオ体操から。
朝食をみんなで作る学生達と一緒に朝ご飯を作る。現場に行く準備をする人も。
阿蘇のお宅で作業
阿蘇のお宅。崩れ落ちた外壁はすでにボランティアが奇麗に運び出してくれた後だった。
阿蘇のお宅で作業、筋交いは必須
ただ壁を貼るだけではなく、震災前よりも強度を出すため、筋交いなどの補強部材を入れる。自分の家を作る時に筋交いは作りまくったので、すんなりとはめ込む事ができた。 阿蘇のお宅で作業、囲われたキッチン
なんとか塞がったキッチンの回り。
6月にオープン予定のブックカフェ「Quilp」

今回、月のカレンダーを取り扱ってくれていた阿蘇市にある「コムシェヴ」というお店がどうなっているのかとても気になっていました。作業の日程を調整して是非会いに行こうと決めていました。連絡をとってみると新しいお店になるため準備をしているとのことで、新しくお店をはじめる渕上さんと、「コムシェヴ」をやっていた仁美さんに会いに行くことになりました。
3代続く「菓心なかむら」というお菓子屋さんの仁美さんが、バター等の乳製品を用いないお菓子も販売したいと隣に構えたお店が「コムシェヴ」。仁美さんは「コムシェブ」を昨年で閉め、今は「菓心なかむら」に専念しているそうです。
そして「コムシェヴ」だった所は渕上さんが「Quilp」という名のBook&Cafeとして6月にオープンする予定。渕上さんは阿蘇神社のすぐそばの家に住んでいたのですが、地震で全壊となってしまい、もうそこには住めないそうです。6月オープンに向けて一生懸命準備をしているところでした。
4人で話していると、仁美さんに会いに来たご家族が「10年くらい前から月のカレンダー使っています。」と輪に加わってくれました。彼らは東日本大震災の翌日に神奈川から熊本に移住したのだそうです。
ボランティア活動とはどんなことをしているのか、震災から何を学ぶべきかなどへと話が深くなってきたころ、私たちの車を見て通りがかった人が声をかけてきました。聞けば、実家のブロック塀が倒れそうなので壊してほしいとのこと。ボランティアさんにお願いをしているけれど、壊れたブロックを運び出すことはできるが、今ある倒れそうなブロック塀を壊すことはできないと言われて困っているのでなんとかできないかとのことでした。
わたしたちの車には、「災害支援」や「DRT-JAPAN 重機ボランティア」といったステッカーが張ってあります。そのステッカーを見て声をかけてくれたのです。明日で活動最終日のわたしたち、もう明日行くしかないね、と現場の状況を伺って約束を取り付けました。
仁美さんたちには帰る前にまた寄りますと告げ、今しか時間がとれないと急ぎ足で阿蘇神社へお参りしました。参拝後、電話が鳴って購入してきて欲しいものの伝達を受けます。今夜は阪神淡路大震災の頃のお仲間から差し入れがあったのでみんなでバーベキューだそうです。夕食の心配はしなくていいけれど、頼まれた買い物を届けないとお肉が焼けないということ。今夜も閉店間際のホームセンターに滑り込みセーフ、毎日ひとときも無駄にできません。(よ)
阿蘇神社
阿蘇神社、現在の様子。
夜、東海大学の学生達と・・・。
夜は学生、地元の方、そしてボランティア、それぞれのお話しや気持ちをシェアする時間。阪神淡路大震災や、東日本大震災のときの話しなど、実際に被災地で過ごした方々のリアルな声が、ボランティアや東海大学の学生達に響く。
今日は、先日ホームセンターで話しかけてくれた方のお宅の支援に入り、明日は今日話しかけてくれた方の支援に入る。もしあの時間にあそこにいなかったら、今日のこの時間は全く別のものになっていた・・・という訳で「縁」を結びながら阿蘇の地を走る今日と明日だ。正直言って自分の意思ではなく、目の前にいる人達が笑顔になる事を考えたら次の行動が決まっちゃう、そんな感じだ。ちなみにホームセンターや道端で声をかけられるのには理由がある。先にも書いたが、車には「災害支援」ステッカー、そして常に身体に「たくみ」と名前が書いてあるテープが貼ってあるからだ。もし「たくみ」という名前を見て大工仕事できるのかなぁと思い声をかけてくれたとしたら、「たくみ」の名前に恥じない時間をその人と一緒に過ごしたいものだ。生まれた時からハードル高いなぁ・・・僕。(匠)


関連サイト 南阿蘇よみがえり ・ OPEN JAPAN


朝の風景

東海大学の学生と・・・。 2016年5月20日(金)

ベースの大工作業もほぼ終わり、細かい作業は日々少しずつ手を加えていくことにして、匠くんは重機を使う現場に入ることになりました。わたしは、ほぼ完成したベースの整理整頓、食事の準備と事務仕事をしています。水道がないのでここでは湧き水ポイントに毎日水を汲みに行っています。トイレは仮設トイレを2つ設置しています。電気も使えます。小さい冷蔵庫と一升炊きの炊飯器などの電化製品の電源はドラムにさして使っています。ガスはプロパンを使用、2口のガス台で料理をする環境が整いました。
「南阿蘇よみがえり」の拠点となっているカフェロハスに「ここでキャンプ出来るんですか?」と男性が1名訪ねてきました。「スタッフが誰もいなくて分からないので対応してください。かなり若いんです、学生です。」と留守番の方がオープンジャパンのベースにつれてきました。お話を伺うと、東海大学の学生で、被災した下宿先にお世話になるのは申し訳ないからキャンプしたい、とのことでした。
夕方、東海大学農学部の学生とOBの6人がやってきました。キッチンが完成し環境も整ったので、学生を夕食に誘いました。被害の大きかった東海大学付近の現場で作業をしているオープンジャパンのメンバーは戻ってきている学生を見ていて、ヘルメットの着用や、安全靴や踏み抜き防止の中敷きを使っているのかと気にかけていたところでした。活動の安全性を諸先輩としてアドバイスします。明日の作業から、ベースにあるヘルメットの貸し出しと靴の安全面もサポートすることになりました。わたしたちはみな次の世代を育てていくことの大切さを実感しています。彼らがお手本となり、他の学生たちに作業面での安全性を伝えていくことも大切な役目です。コンビニで食事を購入するという彼らに今日からこのキッチンを共同で使っていこうと提案、食材などもサポートしていこうと思います。ベース環境が整うと同時にボランティアを支援するベースとして機能していくことになりました。 (よ)
朝のミーティング朝6時半からラジオ体操。その後各自準備時間、この間に朝食も。8時から朝のミーティング、本日の進行役兼書記は数日間一緒に活動している21歳ユウト君。自分ではユウトう生ではないと言っていたが、地名や作業内容など漢字がすらすら出て来て大人達が感心。このように司会進行役は、毎日交代で色々な人に経験してもらうことになっている。
西原村の現場
僕は午後、南阿蘇のベースから車で40分ほどの場所西原村の現場へ向かった。オープンジャパンからはコイシさんが西原村のニーズとボランティア活動の調整してくれている。
傾いた納屋から軽自動車と耕耘機、田植機の計3台を出して欲しいというニーズ。今回の納屋は構造体が少ないという事と、車両を引き出すルートが限られているため、屋根が崩れないように何本もの柱を補強しながらの作業となった。一緒に作業にあたった静岡から来た大工の鈴木さん。「鈴木です。」「鈴木です。」という事で、大工さんはヤッサン、僕はタクチャン。
大工のヤッサン、さすが建物の見方が早く、行動も早い。傾いた屋根を支えている箇所にその辺に転がっている材で素早く柱を設置。力がどの方向にかかっているか、どこならば切っても良いかを2人で話しながら車を引き出す準備をどんどん進めていく。
西原村の現場
「これは危険だよ。ボランティアの仕事じゃねーよ・・・。」とヤッサン。”だからヤッサンがここにいるんですよ”と心の中で僕。
西原村の現場
小石さんのヘルプもあり、無事に3台の車両を無事に救出。凹んだり、パーツが外れたりはしていたものの、エンジンもかかり使える状態のまま運び出せた。
夜、東海大学の学生達と・・・。
東海大学周辺の黒川地区には、沢山の下宿アパートがある。ほとんどの下宿先では、大家さんが学生達のご飯も作ってくれ、大家さん、そして同じアパートに住む仲間達がとても仲が良いのだという。大学は7月まで休校なのだが、全壊した下宿先の大家さんを助けるためにみんな集まり昼は作業。そこにいると大家さんの負担が増えるので、自分たちでどこかキャンプできる場所を見つけようとして、OPEN JAPANのベースにたどり着いたという経緯。夜は学生達から色々な話しを聞き、明日からどのように行動するかを話し合う時間となった。
黒川地区ではアパートに住んでいた学生が今回の地震で家の下敷きになり亡くなっている。現場に入っているボランティアに聞くと、その亡くなった学生さんが暮らしていたアパートの大家さんの落ち込んでいる様子を見るのが辛いという。「被災された方々の心のケアをしていかなければ・・・」とよくいわれるが、ではどうすれば良いか、そこに答えはない。答えを求めずに寄り添い続けるしかないのだろうと・・・。(匠)


関連サイト 南阿蘇よみがえり ・ OPEN JAPAN


本田体育館避難所にて

本田体育館避難所  2016年5月19日(木)

朝のラジオ体操参加者は3名。オープンジャパンでは朝食後8時からミーティングです。現場が遠い場合はミーティング前に出発します。
本日の活動は、黒川地区重機作業、西原村重機作業、益城町でカーシェアリングの車の引き渡し、本田体育館の避難所炊き出し終了に伴う機材の撤収、運搬、 ベースの大工作業など、10名が活動予定。現場で現地ボランティアと合流して作業をします。午前中匠くんはベースの大工作業、わたしはヒーサーと一緒に車の搬送、午後から本田体育館避難所へ向かい炊き出し終了に伴う機材の撤収、運搬作業をしました。はからめ号で匠くんも合流、「南阿蘇よみがえり」のチームをサポートしてすべての機材を片付けます。はからめ号は益城町まで、わたしはヒーサーと立野地域まで運びます。運びきれない荷物は往復してすべて片付けみんなでせっせとお掃除。本田体育館避難所の炊き出し場所はすっかり何もなくなりました。
何もなくなった炊き出し場所、みんなちょっと寂しそうです。片付けているときに避難している方から「これまでありがとうございました。」と言われたときにはみんな涙をこらえていました。ひとつ終わってまたひとつ始まる…。支援はこれで終わりじゃない、炊き出しが終わったあとの次の展開も始まりそうです。
帰り際、数年越しの友人と会ったので写真撮ろうよ、とカメラを出したら避難所に寝泊まりしている子どもたちが集まってきて、みんなで何回もジャンプ写真を撮るという楽しい時間をプレゼントしてもらいました。最後は見えなくなるまで手をふってくれて、ここでのコミュニティがあたたかく育まれていきているのを感じて胸が熱くなりました。
たくさんの人たちが今までと違う生活をしています。水がない中での生活、家を失い、家族以外の人たちとも一緒に暮らす生活。子どもたちは避難所から学校に通っています。学校から帰ってくると「おかえりー。」とボランティアのお兄さんお姉さんが迎えてくれます。何人かのボランティアは外にテントをはって一緒に暮らしています。大きなうねりの中で、確実に世の中が変化しているのを感じます。(よ)
朝のミーティング
朝のミーティングはこんな感じ。
NEWベース、使い始めている。
まだ出来てはいないけれど、少しずつ使いはじめる
バンちゃんとユウトコンビ。
午前中、大工作業を一緒にしていた21歳ユウトを石巻からやって来たバンちゃんの現場(黒川地区)に送り届け作業に入ってもらう。バンちゃんはここの現場の事を「トンネルプロジェクト」と言っている。ここは東海大学の学生寮。数日かけて学生たちの食料や、車などを救出したのだが、その車がどの道を通っても公道に出られないのである。そこで、家を全て撤去するのは時間がかかるので、倒れたがれきの中にトンネルを開け、10台ほどある車の公道へと繋がる道を造る作業だ。
トンネルプロジェクト現場付近の様子
トンネルプロジェクトの現場、黒川地区の様子。
テントプロジェクトで出来上がったテント村
本田体育館避難所の裏はテント村。犬と一緒に生活ができるスペースとして喜ばれているという。
木山ベースに集まる消防士達
益城町の木山ベースでは消防士たちが力を発揮。若い消防士を実践現場で鍛える隊長。電気が来ていないと言われている家の作業でも、家の外の電線には電気が流れている。地震でそれらがごちゃごちゃになり、誤って通電している電線を切ってしまう危険な事例がすでに2件起きているという。ここ木山ベースは、そういった危険な現場に足を運び入れる技術系のボランティアが集まるちょっと特別なツワモノ達が集まるベースだ。
嘉瀬東小学校
嘉瀬地区ある避難所。本田の体育館避難所の炊き出しが終了したため、使い切れない食材などを他の避難所に届けて回る。ここの避難所のムードメーカーであろうゲンさんはカヌー乗り。カヌーの話し、九州の素敵な川の話しで盛り上がった。
本田体育館避難所は今日からお弁当
本田体育館避難所は今日からお弁当。
OPEN JAPANのベース
OPEN JAPANのベースはちょこちょこと、いろいろな人の手によって作られていく。
1日フル回転の重機君たち
1日フル回転の重機君たち。


関連サイト 南阿蘇よみがえり ・ OPEN JAPAN


OPEN JAPANベース製作中

南阿蘇 OPEN JAPANベース  2016年5月18日(水)

地元ボランティア「南阿蘇よみがえり」の現場支援チームとして、オープンジャパンが南阿蘇にベースを構えています。南阿蘇周辺の倒壊した家屋から重機を使ってものを取り出す作業や、西原村での活動コーディネー ト、ボランティアの受け入れ、ニーズによって活動は多岐にわたっています。 熊本に来てからいろいろな場所で仲間と遭遇します。炊き出しや避難所のサポート、個人宅の片付け、ニーズ探し、エリアも異なっていますがみな顔を会わせれば情報交換して協力しあっています。
匠くんはオープンジャパンのベース作り(大工作業)をしています。車中泊、テント泊のボランティアが長期にわたる円滑な支援ができるよう、簡易キッチンを作り、ミーティングがしやすいような環境を整えます。わたしは事務局のイチゴちゃんと一緒にベースの整理整頓、地元ボランティアさんのところへご挨拶。ゴミの処分方法を聞き、お隣さんとのコミュニケーションをはかりいろいろ教えてもらいました。今日はボランティア支援ベースづくりの一日となりました。(よ)
OPEN JAPANベース
朝は、いつもの通りラジオ体操から。
OPEN JAPANベース
テント内でのミーティング。
OPEN JAPANベース
既存の建物を利用して箱を作る。元々建っていた構造物には釘やビスを1本も打たないというのが今回のコンセプト。さてどう出来上がるか・・・。ふらっと顔を出してくれてキッチンのテーブルを作ってくれたのはクリリン。


関連サイト 南阿蘇よみがえり ・ OPEN JAPAN


益城町、梨農家宅作業現場

益城町にて作業  2016年5月17日(火)

現地の状況、雰囲気をできるだけ分かりやすく伝えられればと思いながら書く事とする。
車で今回の被災地を回ると、誰が観ても全壊の住宅が密集している地域が、広範囲に渡って点在しているのがわかる。中心の1カ所がとてもひどくてその回りがジワジワ、ではない。そして地震被災地域の中心ともいえる阿蘇大橋など、多くの橋や道路が通行できなくなってしまい、通常5分で行ける場所が迂回して40分、&通れる道が限られているので時間帯によっては大渋滞といった感じ。眺めの良い民家が建ち並ぶ集落は瓦の屋根がブルーシートで覆われた風景となっている。

OPEN JAPANがベースをかまえている南阿蘇で目覚めた僕たちは、昨日立ち寄った益城町のお宅で作業のため、いつもより少しまじめにやったラジオ体操の後ベースを出発。通行止めのため迂回する道路はグリーンロードという名前で、阿蘇の風景が一望できるとても気持ちの良い山道だ。
作業内容は、潰れてしまった納屋の下にある大切なもの、使いたいものを救出するという内容。朝集まった作業ボランティアは僕とよし子の2名、プラス「タクチャン、重機置いていくから・・・」と昨日、日本財団の黒澤さんが置いていってくれた3t のハサミ付き重機。
今日の作業の流れを写真と共に順にみて頂こうと思う。これは、現在被災地に重機やチェーンソウを持って入っている技術系ボランティアが行っている作業の基本的な作業の流れでもある。
益城町、梨農家宅作業現場
作業は、ヘルメット、安全靴、踏み抜き防止中敷など安全第一。
ソーラーパネル、使えるものを丁寧に取り外す。今年の春に自分の家にソーラーパネルを取り付けたばかりで、こちらではソーラーパネルを外している自分、なんだか不思議な気分。
益城町、梨農家宅作業現場
屋根を四角く切り抜くのだがその場所を決め、道を確保。
益城町、梨農家宅作業現場
持ち主の方に事前に聞いてある「取り出したいもの」を確認しながら。今回は運搬機という機械と農薬。こちらのお宅は梨農家で今この時期に撒かなければいけないという農薬や肥料が中にあるという。普段、できれば無農薬のモノを食べたいと思っている僕たちが、最初の現場で取り出すものが農薬。なんだか不思議な気分。人によって大切なものは違うのだ。
益城町、梨農家宅作業現場
作業する人数と時間にもよるが、がれき回収時(まだいつになるか見当もつかないが・・・)に素早く持っていって頂けるように、鉄、瓦、木材と分別してまとめておくと親切。
益城町、梨農家宅作業現場
チェーンソウで屋根を切ってから重機で掴み屋根を開ける。この時できるだけ屋根の構造を破壊しないようにする 。穴の大きさは取り出したい物に合わせた大きさ 。
益城町、梨農家宅作業現場
先日信濃町でダンプと重機を渡した助さんが再び現地入り、うちらの現場を訪ねてくれた。屋根の下に入る度に、家主さんが「あぶない、あぶない」と繰り返す。大地震を数回に渡り経験した方々が感じている「怖さ」は僕たちが思っている以上である。
益城町、梨農家宅作業現場
黒澤さん達が戻って来てくれて作業継続。屋根の下敷きになっているものを取り出すと屋根が崩れる危険性があるので、梁などの構造物を支えるための束(ツカ、タテの柱のようなもの)を作り設置、固定。もちろん家の構造や、荷重がかかっているところを読み取る力が必要である。常に安全を確保しながら次の作業へ。
益城町、梨農家宅作業現場
気持ちはもちろん全ての使えるものを取り出してあげたいが・・・。「どこまで・・・」という問いに答えはない。「やってあげたいやさしさと、それに伴う危険性とのバランスが難しいね」と黒澤さん。いろいろな作業は家主の方と相談しながら。
益城町、梨農家宅作業現場
無事に運搬機救出。出すまで使えるかどうか分からなく半分あきらめていたお父さんの笑顔が嬉しかった。エンジン洗浄機や、発電機、チェーンソウなどの道具類、他、農家特有の機械を数点救出。
益城町、梨農家宅作業現場
こういう時間がとても大切だなぁと感じる。
このように基本的な部分はあったとしても場所や要望によって状況は様々。あらゆるケースに臨機応変に対応しなければいけいない。
ブルーシートの風景

ブルーシートの風景 ホームセンターはやっている。
明日はOPEN JAPANのボランティアベースを雨風しのげるものにする作業。朝から作業できるように資材の買い出し。被災地域のホームセンターはほとんどオープンしている。

今回、被災地に入って右も左も分からない自分たちがすぐに活動を行えるのは、災害直後から現地に入ってその流れを作ってくれた方々のおかげ、みなさんありがとう。(匠)


関連サイト 南阿蘇よみがえり ・ 日本財団 ・ OPEN JAPAN


益城町木山サテライト

熊本入り  2016年5月16日(月)

本日の熊本の天気は雨。オープンジャパンのボランティア活動は休みの予定とのこと。現状把握にちょうどいいタイミングかなと、まずは被害の大きな益城町で活動している重機系ボランティアチーム「DRT-JAPAN」の木山ベースにご挨拶。東日本大震災をはじめとするあらゆる災害現場で活躍 しているチームの拠点です。事務局ミユキさんが当初から現在に至るまでの状況を教えてくれました。今日も雨の中、現場で作業をしているというので場所を教えてもらい訪ねました。
益城町、雨の中の活動
災害現場にこの人あり「DRT-JAPAN」クロさん率いる現場です。「ソーラパネル外せる?明日雨止むから、この現場入って。」「分かりました。」
着いて早々、現場が決まります。状況からするにやることはいくらでもありそう、ただどの現場もそうですが、よく考え慎重に行動できる人間ということが前提です。
南阿蘇、オープンジャパンの支援ベース
それからオープンジャパンのベースとなっている「南阿蘇よみがえり現場支援チーム」のキャンプ地へ行き、打ち合わせと現状把握。被害のあった地域は広域で、それぞれ動ける仲間たちが活動場所によってベースを構えていて、とにかくどこも人手が足りないと実感しました。重機が使えるオープンジャパンのメンバーは倒壊家屋から貴重品や必要な物を取り出す作業をしています。人のために一所懸命働き、自分たちのことは最小限の暮らし。午後は下山して町のリサイクルショップへ行き必要な道具を購入、スーパーで食材を購入。ベースに急遽キッチン用のテントを立てて夕ご飯を作りました。「ここでお米初めて。」「みそ汁初めて。嬉しい」明日は現場で作業のあと、 オープンジャパンのベースを雨風対策使用に、そして食事が作れる(食べれる)環境に改善することに決まりました。(よ)


関連サイト 南阿蘇よみがえり ・ OPEN JAPAN


信濃町にて  2016年5月15日(日)

那須の高速PAで目覚め、朝のラジオ体操後、ユンボを積んだ2トンダンプとハイエースの2台で長野県信濃町を目指します。ヒューマンシールド神戸 代表、オープンジャパン理事の吉村誠司氏(通称:助さん)にダンプを届け、一足先にハイエースで熊本を目指します。福島を出発して熊本まで 1600kmの旅、那須で会った仲間の思いと清々しい信濃町の美しさを活力にひたすら交代で運転、日付変わって17日朝に熊本に到着しました。(移動中写真撮りませんでした。)(よ)


関連サイト OPEN JAPAN


大日向マルシェ

大日向(おおひなた)マルシェ  2016年5月14日(土)

熊本に行く事を決めてから出発まで時間が少なかった事もあり、誰にも声をかけず気持ち単独で行く事も考えたのだが、僕たちと同じ気持ちの人達が多くいるはずと思い、那須に住む「那須野が原生きものネットワーク」の飯沼さんに声をかけさせて頂き、本日行われる大日向マルシェでブースを設けて頂ける事となった。
支援物資の呼びかけ?現地ではどんなものが必要なの?足りないものは?お金が良いの?自分たちにできる事って何だろう・・・などなど、現地の声が聞こえてこない現状というものがある。そんな中で、少しでもこのイベントの後に直接熊本に行くと言っている僕たちを通して少しでもリアリティーを感じて頂ければと思っている。
実際に大日向マルシェでは沢山の方々と話し、沢山の方がたからご支援の声、そして支援金を託して頂いた。思いが先にある行動は、しないよりは、した方が良くなる事が多いんだと感じた。飯沼さん他、大日向マルシェのスタッフのみなさん、「少しですけど・・・」と支援してくださった方々、そして「道中の眠気覚ましに」と、商品を支援して下さった出店者の方々、ありがとう。僕たちは沢山の方々の思いと共にはからめ号を西へと走らせるのだ。


関連サイト 大日向マルシェ ・ OPEN JAPAN


熊本へ向かう準備

熊本へ向かう準備  2016年5月13日(金)

時間ができたので・・・じゃなくて、時間を作れたので、熊本に行ってきます。現地に入ってどう動くかはまだ分かりませんが、行ってきます。
明日、那須で行われる大日向マルシェにて、心同じくしている方から支援を募る機会を頂きました。那須近郊の方は良かったら会いに来てください。
これまで現地で活動する仲間たちの後方支援に回っておりましたが、この度、現地に足を運び約1週間の支援活動を行ってまいります。「支援といっても何を支援すれば良いのかわからない」「物が良いのか、お金が良いのかわからない」「お金を支援したところでその使い道がわからない、見えてこない」という声があると思います。そのような方々の思いが私たちはとてもわかるので、私たちの活動にご支援いただいたお金の使い道は、現地で決めようと思っています。なぜなら私たちも分からないからです。(ちなみに福島からの往復の交通費に、これから募る支援金は使用いたしません。)そして活動の報告はこちらのページを中心に行う予定です。支援金の使い道を事細かくは報告いたしませんが、被災された方が笑顔になる支援のみに使用する事だけお約束いたします。
という訳で本日は準備日。昨日車検からあがったばかりの「はからめ号」と、OPEN JAPANの2tダンプに助さんユンボなどを積み込みしています。現地での活動をイメージしてあれも持っていこう、これも持っていこうと準備をしております。

上記、ご理解頂いた上で私たち「月とカヌー」の活動を、今回の現地入り、その後の福島に戻ってからの後方支援も含めてご支援下さる方はこちらのゆうちょ銀行口座までよろしくお願いいたします。
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●ゆうちょ銀行→ゆうちょ銀行
振込先 ゆうちょ銀行
02210−5−120451
名義 月とカヌー

●他銀行→ゆうちょ銀行
振込先 ゆうちょ銀行
店名 ニニキユウ
普通 0120451
名義 月とカヌー
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通信欄に「震災支援」とお書きください。

私たちの仲間OPEN JAPANは、今回の熊本地震だけでなく、東日本大震災をはじめ多くの支援活動を細く(たまに太く)長く続けている団体です。そして支援金の使い道がはっきりしています。こちらへの支援もよろしくお願いいたします。
0PEN JAPANのWEBサイト

とりあえず、明日14日(土)は、はからめ号とダンプの2台で那須の大日向マルシェ他、明後日15日(日)は長野県経由ダンプ&ユンボを助さんに渡し、その後はからめ号1台で一気に熊本までの予定です。


関連サイト 大日向マルシェ ・ OPEN JAPAN


石組み

写真とひと言、5月。  2016年5月8日(日)

↑大体の石を組み終わった様子。

もう少し・・・が長い
「1つ石を組めば1つ石が無くなる」を念仏のように唱え・・・。

山菜採り
友人と山菜採り。

パズル
階段の上は石畳。パズルが好きな僕。

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