家の中で

帰宅 2016年8月10日(水)

はからめランドに戻ってきました。二週間の西への旅は、仲間たちとの再会、新しい出会いと経験、見聞を深める旅でした。家があると帰ってきて休めるところがある、そんな当たり前のことがまだ当たり前でない生活では、ひとつひとつのことが努力の結晶です。家で暮らせることに感謝して暮らす、災害にあった方とお話をしていると、森での生活ととても近い感覚を覚えます。無駄なものがない、いうなれば究極のシンプルに至ったときに感じることというのは、みな同じなのではないのかと思います。
今回の旅で「ブッシュクラフト」という言葉を教えてもらいました。直訳すると「未開地生活法」、自然の中で生活するうえでの知恵・技術のことをいうそうです。youtubeで話題になっているprimitive な暮らしをしている人なんてまさにブッシュクラフト。さて、この森で、いよいよ本腰を入れて月のカレンダーの制作がはじまります。(よ)


関連サイト Primitive(原始的な)な暮らしの実践をしている人のサイト「PRIMITIVETECHNOLOGY」


田渕さん、孝さんと

長野県、川上村 2016年8月7〜9日

広島のあと京都で一泊させていただき、長野県川上村までやってきました。「初めまして。」挨拶を交わした孝さんは、アメリカメイン州の友人ギャレットからの紹介です。共通の友人の話ですぐにうちとけ会話が弾みます。孝さんの経営するCOUNTRY BREEZ、秘密の山小屋はまるでメインの森の山小屋に来ているのかと思うほど北米のものに囲まれた素敵な空間でした。
Country Breezeにて
翌朝孝さんがご近所にお住まいの作家田渕さんに連絡をしてくれて会いに行きました。田渕さんもメイン州の友人たちとつながりのある方で、メイン州でカヌーガイドとして暮らしていたアレクサンドラ&ギャレットを私たちが日本に招いてワークショップを開催した際に連絡をとらせていただいたことがあった方でした。まさかここでお会いすることになるとは、旅の締めくくりはいきあたりばっ旅!な感じでした。
田渕さんの飼うミツバチ
ミツバチの生態の話しから始まって、ロシアや社会主義の話しになって、ちゃんとまたミツバチの話しに繋がって話しが終わる、という1冊の本を読み聞かせて頂いたような時間でした。(よ)


広島、原爆の日・灯籠流し

広島 灯籠流し 2016年8月6日(土)

8月6日です。平和記念公園にはたくさんの人たちが集まっています。午前中には平和記念式典が開催され、公園では音楽祭や平和集会が行われています。夜には灯籠流しが行われます。
朝の風景
キャンプ場で静かな朝を過ごします。
ちょっとだけ川下り
地元広島の千春ちゃん、そして長年灯籠流しをサポートし続けてきたシンジョンくんと太田川、水の上に浮かびました。
太田川中流域
太田川、広島の町から近い場所でも山の風景。良い川です。
灯籠流しサポートのためドーム近くにカヌーを運ぶ
昨日、水合わせをした場所から少し下流にある原爆ドーム前にカヌーを運びます。
昨日合わせた水を太田川に
お水を献水します。
8月6日の平和記念公園はこんな感じ
8月6日の平和記念公園はこんな感じです。
灯籠流しのためにみんな並んでいます。
灯籠流しのための長い行列。メッセージを書いた灯籠を流すためにみんな並びます。ちなみに灯籠は1つ600円。
灯籠流しが始まる。
灯籠流しが始まります。今年は、風、潮ともにバッチリな状況。
灯籠流しが始まる。
最初はこんな感じ。
祈りを捧げる風景は、まるでガンジス川のようです。
きれいに流れる灯籠たち。
灯籠流しにはたくさんの方が参加され、たくさんの方が祈りを捧げていました。海外から来ている方の姿も多く、世界中の祈りがこの川から海を渡っていくのだと深く感じました。
カヌー1艇で毎年この灯籠流しを陰で支えてきた人がいました。その方の意思を受け継いだ方から受け継いで…、水の祈りが世界中にとどきますように。
今年の燈籠はいつになく数が多く、流れは穏やかで潮汐もちょうどよくとてもきれいでした。(よ)


太田川・水への祈り

太田川・水への祈り  2016年8月5日(金)

今年も太田川に水を運びました。今回は自分たちで山から取水した福島県塙町の水と、ボランティア活動をさせていただいた熊本県阿蘇の滝のほとりの湧き水、太田川の上流三段峡で汲んできた硬度9の超軟水、宮城県石巻市からは旧北上川の灯籠流しのときに友人が取水した水、大三島の藤田さんから預かった大峰山(奈良県)の水を運びました。他にも広島県、山形県、滋賀県、東京都、他各地からも水が集まりました。
朝の風景
8月4日、柳瀬キャンプ場に到着後、匠くんはここから約1時間ほどカヌーで川の様子をチェックに出かけました。当日のカヌー隊に参加したいとの連絡もいただいていたのですが、昨年より水量が減っていて岩が出ているポイントが多く、初心者をつれて行くには厳しいコースと判断したため、今回はゲストを連れずに安全に水を運ぶことにしました。

ゆるやかな太田川
5日朝8時柳瀬キャンプ場を出発、岩場と釣り師に注意しながら、川旅をします。色の着いた白鳥みたいな珍しい鳥、白や金色、紅の鯉やけっこう大きな亀が泳いでいました。カヌーに近したづいては横切って、まるで運んでいる水に会いに来ているかのようです。
堰はポーテージ
途中、高瀬堰でポーテージ、今回は水門を明けずに手運びしました。
町に近づくと景色がかわる
ここからはのんびりコース。大きな川幅でゆったりと流れる太田川、日差しにさらされます。途中河原に上陸してサンドイッチをつくって昼食をとりました。日影は橋の下しかありません。流れは穏やかですが、漕ぐのは一苦労です。だんだん町に近づいてきました。
原爆ドーム前
午後2時すぎ、原爆ドーム前に無事到着しました。
お水合わせ
午後5時、ポプラ前にて集まった方々と水合わせを行いました。
お水合わせに集まってくれた水達
いろいろな人がやってきて、すべて導かれていると感じた時間でした。やはり水の祈りの力はすごいです。(よ)


瓦はがし

南阿蘇にて  2016年8月1〜3日

OPEN JAPAN がサポートしている「阿蘇ボランティア支援ベース」。ここでのボランティア活動は、天候による作業中止日以外は毎日行われている。夕方の夕立(かなり激しい)や、日中の日照り(こちらもかなり激しい)を考慮して、朝6時15分ミーティング、早く作業に入り、早めに切り上げる体勢を取っている。日々の活動内容はリンク先のfacebookページにてチェック。
かわらすライダーを写真に撮っている大家さん
8月1日、僕は東海大学の学生寮が点在する黒川地区に入り、ある寮の大家さん宅での作業。地震直後、瓦が崩れて応急的にブルーシートを張ってしのいでいた屋根を全て落とし、トタン板を張る作業。
ブルーシートを張る際、瓦に釘やビスを打つ事ができない場所が多いので、砂や土を土のう袋に入れ、それをいくつか間隔を開けて紐で結び繋いで、左右両方の勾配にたらすように置くという手法をとる。そして今回、その土のう袋とブルーシートをはずしてからトタンを張るのだが、その作業効率を妨げるのが劣化した土のう袋なのだ。1日中屋根の上でこの熊本の日差しを受けている土のう袋の劣化するスピードはとても早く、特に砂を詰めた土のう袋は全く掴み所がない状態。土を入れた土のう袋は、雑草が生えていて可愛い感じ、こちらは一塊になっているので扱いやすかった。土か砂、何を入れるかでここまで差が出るとは、応急処置した方々もなかなか想像できにくかっただろう。
瓦を落とすのは地元のボランティアたっつぁんの考案した「瓦スライダー」を使う。1枚の瓦を傷付けずに滑らせる滑り台のようなもの。もちろん廃棄する瓦であればそのままダンプの上にガシャンガシャンと。これがあるかないかで、屋根の上を重たい瓦を持って歩く距離がかわるし、その体力を他の所にまわす事もできる。素晴らしい発明だ。
屋根張り作業
屋根の上は暑い、熱い。普段よりも多い間隔で休憩を入れてもなかなかキツい作業だ。僕は結果屋根の上での作業は今日1日だけで終わったのだが、毎日のように需要がある屋根の上作業のボランティアには頭が下がる。
ちなみに今日はよし子と現場が別れたので僕はこっちで、よし子は昨日も入った地獄温泉での作業を行っていた。
夕立
阿蘇の夕立はスゴイ・・・・と思いながら、「こんな時はお風呂でも・・・」と、夕方、ベースのすぐ近くにある温泉へ。受付の方と地元の方が話しているのを聞くと、「毎日こんなすごい雨、異常気象だよ」と。どうやら例年の阿蘇ではないようだ。鼓膜が破けるんじゃないかと思うようなカミナリが落ちる。昨日、トレーラーハウスを貸してくれる団体が来て、阿蘇ボランティアベースに設置していってくれた際、「女の子達で、夜の雷が恐い子がいるからここで寝られたら良いね」なんて話していたけれど、女の子どころかこの雷は僕も怖い。
朝のミーティング
朝のミーティングの風景。6時15分からなのでラジオ体操よりも早く、ミーティングが終わったらみんな動き始めるので、ラジオ体操をやる習慣は現在ストップ。
地獄温泉清風荘の館内
8月2日、本日はよし子と共に地獄温泉。地獄地獄と言っているが、正確に言うとこの地域にある温泉は、地獄温泉の「清風荘」と垂玉温泉 の「山口旅館」の2件。阿蘇ボランティア支援ベースではこの2つの旅館にボランティアを入れている。僕たちが「今日は地獄行き〜」なんて言っているのはこの2つの旅館の支援の総称として「地獄」という言葉を使っているということとなる。
山口旅館の入り口
こちら垂玉温泉「山口旅館」
カレーライスランチ
本日はYMCAという国際色豊かな団体と一緒に作業。僕は山口旅館前の土砂をひたすらダンプを使って運び出す作業。よし子は作業ボランティア約50人分の食事を、地獄温泉の料理長と一緒に作ってくれていた。ちなみに地獄温泉は男兄弟三人が経営していて、みんな彼らの事を地獄三兄弟と呼んでいる。みんなその名にふさわしい貫禄のある男性。料理長は三男のススムさん。
カレーライスランチ
崩れた家から掘り出してきた調理器具を「使えるかなぁ〜」と言いながら引っ張り出してきてくれ11時頃には特製カレーライスが完成。ランチタイムが始まって間もなく「すげーなぁー」とススムさん。ボランティアのご飯の盛り方が半端無く、すぐにおかわり用のご飯を炊き始めていた。
地獄温泉、館内の様子
こちらは地獄温泉「清風荘」、土砂が流れ込み床を剥がして泥だし作業。
地獄温泉、館内の様子
地獄温泉「清風荘」。ボランティアが入る事によって、地元の方々の気持ちが上向いてくれているのを日々の話しの中から感じる事ができる。
牧場の中
地獄に行く公道はまだ開通していなく、作業に向かうには牧場の中を通らせてもらったり、急遽山を開いて新しく作った道を通る。景色はものすごく良い。
キルプ書房
3日の午前中、阿蘇ボランティアベースを後にして次なる目的地広島に向かう。途中、阿蘇にオープンしたての「キルプ書房」に立ち寄る。オーナーの渕上さん、そして「菓心なかむら」のヒトミさんとゆっくりとした時間を過ごさせて頂き、心の充電完了。 (匠)

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