メープルシロップ、最後の仕上げ
Hawaii 2017年3月23〜25日

ハワイに来ています。
Taylor&Makiちゃんおめでとう。式のはじまりにハワイ式チャントをあげてくれたのはかつてホクレア号(スターナビゲーションで航海した海洋カヌー)のキャプテン、マウリリさんでした。
レインボウバードランデブーにて
匠母雅子さんと雅子さんの親友洋子さんと一緒にパールハーバーを訪れました。昨年安倍首相がオバマさんと式典に参列した記憶も新しく、日本人にとって広島・長崎と同じように戦争の傷跡を辿る場所でした。レインボウバードランデブーにて
偶然にも「Steave Kimock Band」のライブを発見。ツーリスティックなワイキキの夜をBlueNoteで満喫。




メープルシロップ、最後の仕上げ

3月11日 2017年3月11日(水)

6年ぶりにメープルシロップを作りました。かえでの樹液を集めて1/40になるまで煮詰めます。採取できる時期が限られていることと、手間と時間がかかりますが、難しいことではありません。何日間かかけて樹液を集め、さらに何日間かかけて煮詰めます。そんなにたくさんは採れないので、ありがたさも一入、このひとしずくたちはまさにゴールドです。
レインボウバードランデブーにて
3月11日、急な事ですが都内で知人と会う事になりバスで上京しました。ニューはからめ号は車検中のため、二人で高速バスのチケットを取りました。荷物も持たずに軽装で東京駅に到着。翌日バスで帰る身軽な旅です。震災でいろいろなものを失った人たちから、「もうものはいらない」と聞きましたが、時間とともに人々の記憶や感情や考え方は変わっていくものです。変わらないものなどないのかもしれません。人の心も住む場所も、変わらないと思うものさえも変わるのがこの世界の常です。だとすれば、何事も変化していくと心得て生きるしかありません。毎年この日になると、様々な感情とともに、少ないものでシンプルに暮らしていこうと思います。(よ)




牡鹿半島食堂いぶき

石巻・牡鹿半島食堂オープン間近 2017年3月5

石巻市街から車で40分ほど、牡鹿半島の大原浜にある津波に耐えた古民家を修復して、レストラン兼、地域のコミュニティースペースにしていこうという「古民家再生IBUKIプロジェクト」。
このIBUKIプロジェクトが今年春に「牡鹿半島食堂いぶき」という名前でようやくオープンする事が決まった。実は「牡鹿食堂いぶき」の方が響きが良いんじゃない?と意見をした事があったのだが「半島」をあえて付ける事には理由があった。元々ココは石巻市ではなく、牡鹿町という地名が合併に伴い石巻市となった地域で、牡鹿というと地元旧牡鹿町の人だけというイメージが地元にはあるとのこと。そこで、「半島に住むみんなで」という意味合いを含ませて「牡鹿半島食堂いぶき」という名前にする事に決まった。といったように常に地元の方を向きながら物事を進めてきた経緯がある。上手くいく事もあれば、そうでない事も。そんなこんなで時間がかかってしまったが、地元に寄り添いながら、という事からは外れずにゆっくりとだが今日まで進んできたという事を、修復された古民家の屋根の下で実感した。
でかい手すり
朝、地元の大工さんに頼んで作ってもらった手すりを、工房から古民家に移動させる作業。大きくて長くて重たい。
長い・・・

2tダンプでなんとか運ぶ。
人力
できるところは人力で。
ワカメの仕分け作業ボランティア
SMFGボランティアの方々は漁業支援。牡鹿半島の小渕浜という港で全盛期のワカメ作業。上の写真は茎の堅い部分と、先の傷ついた部分を切り取って仕分けする作業。
塩蔵ワカメの箱詰め作業ボランティア
こちらは早朝に収穫し塩蔵したワカメを箱に詰めて出荷するまでのお手伝い。昼の決まった時間までに箱詰めできた分でその日の出来高が決まるので、みんな真剣な表情。毎年この時期に石巻に来ているボランティアの方もいて、1年ぶりの再会を喜んでいる漁師さんの姿も。
古民家の見学
漁業支援ボランティアが終わり、バスに乗って石巻を離れる前にIBUKIの建物を見学。古民家修復の責任者であるBubbさんから説明を受けるみんな。
蔵の見学
こちらは古民家に隣接する蔵。修復して津波の被害を後世に伝えるスペースにしようと残した。蔵の前面の壁のみを当時のまま残し、残りは一度解体して地元の大工さんに下の写真のような状態で建造してもらった。蔵の扉には津波が来たラインがそのまま残っている。(上の写真はそのラインを助さんが説明しているところ。)
修復中の蔵
古民家のスペースは地元や県外からいらした方々が楽しく笑いながら食事をする事ができるスペース。そして震災、津波の事を学び考える蔵のスペース。そんな位置づけで考えたら良いのかなと思った。人がお祈りしている姿を見ながら楽しくビールは飲めない。
IBUKIの会
せっかくIBUKIのメンバーが集まったのだからと、夜はOPEN JAPAN代表のタケちゃんも来てくれてオープンまで後1ヶ月とせまる「牡鹿半島食堂いぶき」の今後の流れをみんなで情報共有。IBUKIプロジェクトの代表である愛媛に住む神野さんはちょっと遠いので参加できなかったが、何を決めるという話し合いではないのだが、気持ちの情報交換ができたいい時間だったと思えた。
OPEN JAPAN活動報告書
もうすぐ311を迎える。この節目はOPEN JAPANの節目でもあるので、昨年の活動などをまとめた活動報告書が刷り上がった。昨年は熊本や北海道、岩手県などでの災害があった。実際に災害現場でどのような事を考え活動しているのかなど現地で動いている仲間たちの言葉を載せているので、興味がある方は下記OPEN JAPANのWEBサイトからダウンロードできるので、ぜひ見てみてちょ。(匠)


関連サイト OPEN JAPAN




昔々亭慎太郎さんの落語会

石巻・復興公営住宅 2017年3月3〜4

石巻、まず最初の活動は、復興公営住宅で行われる落語会と炊き出し鍋のサポート。今回色々な方の話を聞いて感じた事は、仮設住宅から復興公営住宅へ移った方々の現状が、僕が想像した以上に厳しいという事だった。仮設で仲良くなった人同士で一緒に新しい復興住宅に移り住むといった話は聞かない。ひとつひとつの家庭それぞれの事情でバラバラになっていくのが現状だ。
この復興住宅という団地に住む事をきめた方々、同じ団地同士みんな一緒にという気持ちになれないのにはいくつかの理由がある。そのひとつに、ここは終の住処と感じている人が多く、そこでトラブルや自分が住みにくくなるような人間関係を築きたくないという恐れから、他人と知り合う事を躊躇してしまう傾向があるのだという。実際に建物の造りが仮設住宅とは違い、隣の声も聞こえないほどきっちりしているため、他人とのコミュニケーションを拒み家から出なければ、本当に1人になれてしまう。そう言う意味で仮設の方が良かったとの声も聞こえてくる。
炊き出し鍋の仕込み風景
少しでも住民の方に外に出てきてもらい、笑ったり話をしたりする時間が作れればと今回復興住宅の集会所で行った落語会と炊き出し鍋。
足を運んでくれたのは落語家の昔々亭慎太郎さん。前回も仮設住宅でご一緒させて頂き、昨年は熊本の震災でも避難所などに駆けつけてくれた方だ。そして僕たちと一緒に支援をしてくれているのは三井住友フィナンシャルグループの有志ボランティアの方々。九州、関西、東京など全国から30名を越える方々が継続的に現地に足を運び支援を続けてくれている。そしてそのアテンドをしているのは、おなじみOPEN JAPANの理事でもある吉村誠司こと助さん。
炊き出し鍋を食べながら

そして何よりもこのような復興住宅の方々とつながれるのは、地域に根ざして活動を続けている方々のおかげである。OPEN JAPANの代表でもあり日本カーシェアリング協会の代表でもある吉澤武彦ことタケちゃん。タケちゃんはじめ、カーシェアの仲間たちが、被災地での車をシェアする取り組み「カーシェアリング」のもとコミュニティーを作り、住民の方々と関わり、現状を常に把握してくれている。だから僕たちがポンと久々に石巻に来ても1からじゃなく活動ができる訳だ。
復興住宅集会所
上の写真、これが復興住宅とその集会所。ほとんどの住民の方は入居して1年経つが、集会所を使った集まりやイベントは少なく、あっても人が集まらないと自治会長さんは言う。
集会所のキッチンはガスではなくIH。あれだけ電気に頼っていたら何もできなくなると感じたはずの「石巻」が電気がなければお湯も沸かせないIHコンロを・・・。聞けば「ガスは危ないから」とか言うのだろう。今後大きな地震があったとき、ここはみんなが集まる場所と想定していないのかな。そしてそのIHコンロを必要とする今回の炊き出し鍋を作るのに使っただけで10回くらいブレーカーが落ちた。60Aの契約、IHは1口最大の火力で30A、それがx2口。それだけで落ちるだろってところにエアコンが一番大きな部屋に2台、そして和室に1台。落ちない訳がない。ここの電気代などは仮設住宅の集会所と違い、住民の方々で払っていかなくてはいけないので、そう言う事を含めて最低限の60A契約なのだろうけれど・・・。集会所でおばあちゃんたちが料理作っていていきなり電気が切れたらどうすれば良いのか分からないだろうなぁ。
今回の炊き出しは、念のために用意してきたプロパンガス&五徳セットが大活躍。鍋はギョウザ鍋。ギョウザはいつもお世話になっている亀戸餃子さんが送ってくれた餃子を使った味噌ベースの鍋だ。東京にある亀戸餃子さんは中越地震の被災地や、東日本大震災の被災地のみならず、いろいろな被災地で活動するボランティアや住民の方々に、今でも継続して餃子支援をしてくれているすごい気持ちの持ち主。東京に住んでいる方、ぜひ亀戸餃子をごひいきに。
復興住宅の畑
上の写真は集会所の手前にある畑。希望者にこの小さな枠の畑を貸してくれるシステム。もちろん部屋から出るきっかけとなるのだろうけれど・・・。
お金がありゼロから作る町、そして住宅・・・。人間が現時点で考えられる最高の物をできるだけみんなが満足するように作るはず。そう考えると現時点ではこれが人間の考える最高の町計画だということになる。そうであるならば、僕が思う世界とはほど遠い・・・、遠すぎる。
語り部バンちゃんのお話
復興住宅集会所の片付けを終え、明日の活動現場でもある牡鹿半島へ。夕飯をボランティアの皆さんが泊まる小渕浜の宿で一緒にごちそうになった。夕食後、これまた311以降いろいろな被災地で活躍する石巻在住、そして震災の語り部でもある萬代好伸さんことバンちゃんの話を聞かせて頂く。今年ももう少しで3月11日がやって来る。東日本大震災の被災地ではこの時期になると、思い出したくなくても思い出さずにいられず、普段頭の片隅にあるあの時の光景が表に出て来てしまう時期でもある。この何とも言葉にできないドヨンとした感じ・・・、石巻には三月病という言葉があるのだという。(匠)


関連サイト OPEN JAPAN ・ 昔々亭慎太郎 ・ SMFG CSR室 ・ NPO萬ちゃん



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