スイセン

約1ヶ月ぶり、はからめランド 2017年4月24日(月)

約1ヶ月ぶりに我が家に戻ってきた。これといって出発前と変化は無く、留守の間もソーラー発電でトイレのファンなど回り続けていてくれた。
ご近所さんが待ってましたと言わんばかり、インターネットで注文してもらいたい物があると声をかけてくれた。この辺りでは「パソコンとかインターネット良くわからん・・・」そんな感じなので、僕ができる事をさせてもらっている。それ以上に僕たちがお世話になっているので、役に立てる事があるという事が嬉しい。ちなみに注文の品はユンボのゴムクローラー(キャタピラー)。大きく重たく高価な物なので、ネットで買うかどうかでずいぶんと差がある品物。
そのご近所さんが「これ持っていって植えな。」とスイセンの花の株を色々な品種を沢山分けてくれた。今まさにスイセンの季節で、車で通りを走ると奇麗に植えている家の前では自然とスピードが落ちてしまうほどだ。
僕はハワイ旅に出る前に故障したユンボを修理、よし子は頂いたスイセンを株からひとつひとつの球根に分けて斜面に植え直す作業。来年のこの時期、斜面がどのように色づくのか、想像することも楽しみのひとつだ。
タラの芽
そして、暖かくなりやってきました山菜の季節。まずはタラの芽。お隣さんも篭を背負って連日山に入っていく。昨年の放射能測定ではタラの芽は不検出だったので今年も大丈夫だろう、でも一応計ってみるかと検査にかける。待つ事約1時間、検査結果は・・・126ベクレル、高い。タラの芽は毎年計っているのだが、一昨々年、一昨年と数値が下がってきて、昨年は不検出まで下がったのに、今年一気に126bq。一昨々年でも100bq は越えていなかったのに・・・、少し時間を置いて次のたらの芽を収穫して再度検査をしてみたいと思う。ひとまず天ぷらはお預けだ。(匠)


羽田空港にて

羽田空港にて 2017年4月23日(日)

当初ハワイ島で会える予定だった、ハワイ島在住でリトルイーグルという洋服のブランドのデザイナーかおりこさん。結局ハワイ島で会う事はできなかったのだが、僕たちと入れ違いで日本からハワイへ向かうというので羽田空港で会うことになった。今回のハワイ島の旅は、かおりこさんという存在あっての旅でもあったので、話したい事が沢山ありすぎて・・・。
と、夜の12時頃発のかおりこさんと会う約束をしていたら、帰国まもなく石巻のIBUKIプロジェクト(後日詳しくお伝え予定。)の現場から連絡を頂いていたウチラのアニキ、ヒューマンシールド神戸の助さんが2015年4月25日に発生したネパール地震から2年目の三回忌に向けてネパールに行くという。「あれ?いつ?」と聞いたら「明後日23日」と。「羽田?成田?」と聞いたら「羽田」と。「もしかして夜だったり?」と聞くと「夜中の12時半頃」と。「じゃあ羽田で。」って事で、不思議な組み合わせの夜となった。
いつも僕たちを導いてくれ、そしてとても身近な2人の人間が同じ日のほぼ同じ時刻に同じ空港から飛行機に乗ってそれぞれの目的地へ、こんな事ってあるのだろうか?・・・「あるのだろうか?」なんてハテナマーク書いちゃったけれど答えは「あるのだ。」だ。
そこに何の意味が、どんな意味があるのかは僕たちにはまだわからないけれど、何か意味があるんだろうなと、ただただ思う。ちょっと身体から「我」を抜き、何か大きなものに身を任せると、不思議な事が次々と起る、そんな世の中を僕たちは生きている・・・、んだろう・・・、な・・・、きっと・・・。(匠)


帰りの荷物

ハワイ 2017年4月21日(金)

ハワイと呼ばれている島に初めて足を運ぶまで、僕の頭の中のハワイは小学生の頃からのまま、奇麗な海、リゾート、ヤシの木、バカンス、とか多分みんなも想像がつくであろうそんなような物だった。そしてこの1ヶ月の旅で自分にとってのハワイのイメージが大きく変わったのは言うまでもない。
どこに行った、何をした、というのは過去のテキストを読んで頂ければ分かると思う。
ハワイに行く目的を僕は「暦とカヌーの勉強」としていた。その意気込みもあって、リトルイーグルと共同で作っている暦、ムーンサークルカレンダーの元となっているハワイアンムーンカレンダーに触れる事もできた。そしてさらに人間が自然と繋がっている事を感じられる暦を作れると感じることもできた。
人間が繋がろうとしている「自然」とは・・・、植物、動物、大地、海、星・・・、言ってみれば人間が「自然」という言葉を使うとき、それは人間以外の全てのことをさすのであろう。本当はその中に人間も含まれているのだけれど。
その「自然」の変化を人間が感じられる事は全て感じ、つかみ取りながら航海する術が「トラディショナルウェイファウンディング(伝統的航海術)」だ。この術を人間は使う事ができるという事を証明し、そして使える人間を増やす活動が、古代のカヌーを復元させたホクレア号、そして現在修復中のマカリイ号などのハワイを中心に建造された海洋カヌーだ。このカヌー、昔は次の島を見つけ、その島々をつなぐための道具であり、そのためのウェイファウンディングだった。しかし現在は新しい島を探す事も、生活の場所を移動させる事も、そしてそのために命をかけて航海する事も必要とされていない時代。では何のためにこの時代にカヌーに乗り続けるのか?答えは僕たち人間=自然が持つ能力を表に出すため、そしてその能力を使って次の時代に行くためだ。
ハワイに行く前、僕がこれから作っていこうと思っているカヌーは主に淡水、川などで水の上を自由に行き来するリバーカヌーであり、海洋カヌーとはちょっと違うけれど・・・ってな事を感じていた。しかし何のために今カヌーに乗るのか?という目的が一緒だと分かった時、カヌー、暦、自然、ありとあらゆる物事が完全に繋がったと感じる事ができた。
この先「迷い」ってものがどんどん無くなっていくだろうという上向きの気持ちの良さ、これを僕はこのハワイの旅で手に入れたとはっきりと実感している。
ここに行けばこれを見る事ができてこう感じられるからこう良くなるよ、だから行ってみたらいいよ・・・なんていうのは全く意味のない言葉。いま、僕が自信を持っていえるひと言は「導かれてください」かな。導かれたい先を感じているのならば必ず、必ず導かれるから。(匠)

P.S.帰りの飛行機の中で見た映画「モアナと伝説の海」には、ウェイファウンディングの事や、ハワイ島の神ペレのこと、フラの事など、色々詰まっているのでぜひ見てほしい映画のひとつ。


帰りの荷物

ALOHA 2017年4月20日(木)

朝6時、ピーターさんがスムージーを作ってくれました。そしていつものように自家製のコーヒーを入れてくれます。別れはいつも淋しいですが、「これがはじまりだね。」と笑顔で出発。空港まで走る車の窓から「あれ、ALOHAだよね。」「Aでしょ、Lでしょ、Oだよね…。」雲のかたちがALOHAに見えるのです。ALOHAとはハワイ語の挨拶の言葉です。「さようなら」という意味もあります。ただ、その「さようなら」に悲しい意味は含まれていないとの事。また、感謝と敬意をあらわすハワイのスピリットを感じさせてくれる言葉でもあります。フアラライ山から昇る朝日とALOHAに見送られて空港にたどり着き無事にお世話になったレンタカーを返却しました。
無事に飛行機に
1900年代に船で入植し、サトウキビの仕事で生計を立て、第二次世界大戦では差別され収容されながらもその後農業やコーヒー栽培などハワイの文化に貢献してきた日本人。ハワイ島の人口でも日系人がその1/3を占めるほどだそうです。日系2世や3世、そして4世ともなると日本語も話せませんし、見た目も日本人ではなくなります。でも彼らは姓にカネコやキムラ、ヤマザキなど日本姓をつけています。勤勉な日本人の血が少しでも入っているということを誇りとしているのだそうです。実際にわたしたちもハワイでハワイに住む日本人にとてもお世話になりました。ここに来て、ハワイがとても近く感じられるようになりました。(よ)


うっすらと虹

メリーモナーク 2017年4月19日(水)

水曜日の朝にはコナの港に大型客船が停泊します。毎日ラナイ(ポーチ、日本ではベランダ)から海を見渡しているので、客船が来ると今日は水曜日だと分かります。
ハワイ島ヒロではイースターの後の水曜日からメリーモナークというフラの祭典が開催されます。世界中から人が集まり、選ばれたフラのダンサーたちが踊りを披露する3日間です。今日はその前夜祭。わたしたちにとっては旅の最終夜です。
ハワイのナンバープレートも虹
晴れているのに雨が降っています。ラナイからフアラライ山の方を見ると、虹がかかっていました。
「珍しいなぁ、コナではあんまり虹見られないんだよ。」 手すりに小鳥が二羽やってきました。「珍しいことがあるなぁ、鳥がお別れを言いに来たのかなぁ。」
コナで夕陽を見ながらピーターさんと「乾杯しましょう。」 といつものひとときがはじまります。
ここで過ごす夕陽の時間がとても好きでした。
次なるバナナ
ピーターさんと家族のように過ごさせていただいた数日間、旅の話は尽きることなく、1968年から続くストーリーは今も継続中です。「あのとき横浜港から見た夕陽が一番きれいだったなぁ。あの夕陽をいつも探しているんだけど、まだあの夕陽にはお目にかかっていないよ。」見える景色はそのときの心境によるものなのだと頷きます。ハワイ島最後の夜です。ここではいつも風のメロディが流れていました。


Makalii号

ヘイアウ 2017年4月18日(火)

ハワイアンのお祈りの場をヘイアウといいます。日本でいう神社のようなところだそうです。日本の神社のように誰もが中に入って参拝できるわけではなく、そこは聖なる祈りの場であるので、立ち入りが制限されているところもあります。海の目の前や見晴らしのいいところなどに行くとヘイアウと表示された場所に出会います。
ピータさんと
ハワイ島はペレ信仰が今も続いています。ハワイアン(先住民)の考え方と白人(外国人)の考え方の違いはこのペレの意のままに自然を敬うか、人間の暮らしやすいように自然をコントロールしようとするかで異なることが多々あるそうです。溶岩の流れのままに自分たちが住居を引っ越すか、ダイナマイトなどで溶岩の流れをコントロールして町を残すかなど、対立している部分もあるそうです。
ボルケーノ国立公園にてキャンプ
長く滞在していると白人しか行かないお店、白人しか行かないビーチ、ハワイアンの祈りの場所と暮らし方が違っていることがわかります。(よ)


ケイコさんと

コナ 2017年4月17日(月)

5日ぶりにコナに戻りました。ハワイ島を廻ると同じ島なのに場所によって気候が全然違うことがわかります。雨が多く蒸し暑いジャングルに囲まれている東側、溶岩台地のVolcano、雨は少なく涼しくてからりとしているコナのコーヒー地帯、景色も人の動きも違いがあって興味深いです。
小夜子さん、ピータさんと
5日ぶりに会うピーターさん、ちょうど小夜子さんが来ていて、パホアやボルケーノで出会った人や旅の話をしていると、そろそろこの旅の終盤が近づいていることを感じます。(よ)


マクーマーケット

ファーマーズマーケット 2017年4月16日(日)

ハワイ島では曜日毎にいろいろなところでファーマーズマーケットが開催されています。食事や買い物、友人と待ち合わせたりと、楽しい集いの場です。朝日を拝んでVolcanoのキャンプ場を出発し、パホアで開催されているマクウマーケットに行きました。
ケイコさんと
ケイコさんジュンコさん、アキさんカヨさんファミリーに再会、ヌーディストビーチを教えてもらいました。「行ってみようか。」
すごいロケーションにすごい人、お祭り状態です。海で波を楽しんだあと、再びWarm Pondに浸かって塩を洗い流してからThe Villageでケイコさんと日付が変わるまで話していました。(よ)


ボルケーノ国立公園にてキャンプ

Volcano 2017年4月14〜15

キャンプできるところを探してここまでたどり着きました。わたしたちと入れ替えでThe Villageに滞在していたバンクーバから来ていたゲストのユウヤくんアユミちゃんからキャンプ情報をもらいました。「昨日Volcanoでキャンプしていました。ここにキャンプ場があります。」
ボルケーノ国立公園にてキャンプ
ハワイ島で旅人が自由にキャンプする事はとても難しく、州の公園などキャンプできるような場所でキャンプをする場合は事前に市に申し込んで許可を得なければなりません。場所や許可を取る手間を考えると旅行者が容易にキャンプするにはやはり国立公園のキャンプサイトがいいようです。
以前行ったキラウェア火山の中に再び入り、キャンプサイトでキャンプをすることにしました。
ボルケーノ国立公園にてキャンプ
バックパックにテント寝袋鍋などのキャンプ道具を入れて旅をしてから3週間、ようやくキャンプできるところを見つけ、大地にテントを張って眠ることができました。しかも、溶岩の上、キラウェア火山の上で。
ボルケーノ国立公園にてキャンプ
ジャガーミュージアム展望台から見える燃え盛っている溶岩だけでなく、カラパナで道を塞いで海に流れ込んでいる溶岩を見に行くトレイルもあります。国立公園内の道を車で1時間程走り、更にそこから往復 10マイル(16km)歩きます。「ここまで来たら、行ってみよう。」途中立ち入り禁止の場所が多々あり、湯気がゆらゆらしています。ガスも発生しているため、風向きによってはこのトレイルも最後まで行けない場合もあるようです。反対側のカラパナサイドから来た人たちもいて、ナイトマーケットがあったあの場所からここまでがつながっていたのかと思うと、大地をのみ込んでしまうほどの自然の壮大さを感じます。
ボルケーノ国立公園にてキャンプ
海に流れ込む溶岩から立ち上る水蒸気はすごい迫力、これぞ地球の息吹。今も流れ続けている溶岩を見ながら、地球が生命体として生きていること、そしてこの島がそのいのちを感じさせてくれる貴重な島であることを体で感じました。(よ)


The Village

The Village 2017年4月13日(木)

パホアの町から車で走ること15分、まさにジャングルと呼ぶのにふさわしい大自然溢れる場所にケイコさんのオーガナイズしているThe Villageがあります。ソーラー発電、雨水利用、コンポストトイレ、果物は実り、星は満天。すごいところです。
そして初めましてのケイコさんともまた共通の知人友人がたくさんいて、初めてなのに初めてじゃない出会いを感じました。ハワイ島、導かれてここにやってきたような気がしています。
The Villageにて
わたしたちが寝泊まりしているゲストハウスの1階は「NEST」という名の学校で、ヨガのティーチャーズトレーニングをしたり、ワークショップをしたりする場所になっています。
「ここに棚を作って、リトルイーグルの服を置こうと思っているの。あそこにコアの板があってね、。」ちょうどゲストハウスを増築中で、大工のカーティスさんが仕事をしていたので道具を借りコアの木をサンディングしています。コアの木はハワイに生息する木で、かつてはカヌーに使われたり、今ではウクレレやお土産物の木工作品などで目にする磨くと光沢が出るとても貴重な木です。

夕方隣の農園に住むリッチーも一緒にWarm Pondに行きました。Warm Pondと呼ばれるその場所は温かい水が湧いているところに海水が注いでいてプールになっています。人々は泳いだりシュノーケルをしたりしています。日本人からすると海水の入ったぬるい温泉みたいな感じ、今日はこれでお風呂に入ったことにしようと思います。(よ)


カラパナのナイトマーケット

Kalapanaのナイトマーケット 2017年4月12日(水)

「水曜日はカラパナでナイトマーケットがあるよ。」とアキさんから教えてもらいました。
「ヒロ方面でどこかキャンプできるところ知っていますか?」「ケイコさんに聞いてみたら分かるかも。」とパホアに住むケイコさんを紹介してくれました。
カラパナのナイトマーケット
ケイコさんと待ち合わせて、カラパナのナイトマーケットに連れていてもらいました。この場所はかつて溶岩が流れて町を覆い尽くしたとき、聖地であるその場所だけ溶岩が流れ込まずに残ったところです。道が溶岩で塞がれてしまって、そこより先へは行く事ができません。ここは先日雅子さんと一緒に3人で訪れた場所でした。
ナイトマーケットはその場所を守っているハワイアンの家族が開催しています。
「あのカウンターの中でお酒を売っている女性はペレの絵のモデルになった人でこの家族の4番目の娘。あのバンドもみんな家族、一番前で踊っている人はこの町のプロパンガス屋の奥さん。」溶岩に塞き止められた道の果てにたくさんの人が集う夜です 。(よ)


さかな

海 2017年4月11日(火)

この島の海に来て感動しています。海に行くとシュノーケルをしている人たちがたくさんいます。ピーターさんに道具をお借りして体験してみました。色とりどりの魚たちと一緒に泳いだ経験は忘れられません。遠くにイルカの群れが泳いでいるのが見えました。
さかな
この島にはイルカやクジラ、 ウミガメなどの生き物たちが一緒に暮らしています。ハワイ島には世界の16ある気候帯のうちのツンドラ気候と亜熱帯気候を除く14の気候帯があるそうです。植物も動物もとても豊かです。
さかな
福島に住んでいるわたしたち、 震災以降、海に触れる機会がなかったことをあらためて感じ、この島に来て海で泳げることがとても有り難いことだと感謝しています。(よ)


ゴミ拾い

SCENIC POINT 2017年4月10日(月)

ワイメアの町からコナに戻るハイウェイの途中にSCENIC POINTと表示された見晴らし場があります。高台のその場所から海までの大地が見渡せる場所です。数週間前に見晴らしを楽しもうと車を止めた時に目にしたものは広い眺めと投げ捨てられたゴミでした。
溶岩の通り道
「ここ、溶岩の通り道だったんだね。ゴミを拾ったらもっといい場所になるよね。」
気がかりだったことを実行するタイミングがやってきました。先日ゴミ処理施設に行ってゴミの捨て方を学んだので、誰にも迷惑をかけずにゴミを捨てられます。灼熱の中ゴミ拾いをしていると洞窟を見つけました。ハワイ島は火の女神ペレの島だといわれています。ペレは溶岩で覆い尽くした大地に神秘的な形をいくつも残しています。ハワイ島にはこういう場所がたくさんあるそうです。きれいになっていい眺めになりました。
ゴミ捨て
ゴミを車に積んでいると、ガードレールのはじっこにビールが2本置いてあるのを見つけました。
「ペレからの贈り物だ。」 と匠くん。(夜、本当にペレからの贈り物だと信じて飲んだ匠くんはお腹は痛くなっていませんでした。)
贈り物
ハワイでは今日が満月。コナの夜はしっとりといい雨が降っています。ハワイアンムーンカレンダーによると満月は4日間続きます。(よ)


クッションはハワイアンキルト

ラウハラとキルト 2017年4月9日(日)

ハワイにはいろいろな手仕事作品があります。その中でも惹かれたものがラウハラ(ハラという植物の葉)を編んで作られた作品です。以前カオリコさんからハワイ土産にいただいていたポーチがラウハラで作られたものでした。今回そのラウハラで作られたマットやバッグなどを見て素敵だなぁと関心しています。ハラの木はいろいろなところに自生しているので、作り方を学べば自分で作れるようになりそうです。
ラウハラ
もうひとつはハワイアンキルトです。 ピーターさんカオリコさんのお宅にはハワイアンキルトのクッションがいくつも置いてあります。キルトのパターンは植物などをモチーフにしていていて、その種類がいくつもあります。糸が劣化しているものを数日かけて直してみました。やってみるまで分からなかったその細かさと複雑なパターンに興味津々、手仕事作品は土地の文化をあらわしていてとてもおもしろいです。 (よ)


リサイクルセンター

リサイクルゴミ処理場 2017年4月8日(土)

今日はピーターさんのお仕事がお休みなので、家のゴミをまとめて処理施設に運ぶお手伝いをしました。ハワイ島のゴミ出しのシステムは至って簡単。ビン、カン、ペットボトル、ダンボールのリサイクルできるものとそれ以外のゴミに分けて自分で処理施設に持ち込みます。
バナナ、黄色くなってきました。
Rubbishと書かれたゴミ捨て場に一般ゴミを捨て、Recycleと書かれたコーナーではお金になるビール瓶、ペットボトル、カンとお金にはならないダンボール、その他の瓶とに分けられます。お金になるといっても、購入したときにすでにリサイクルデポジットが含まれた金額で購入をしているので得をしているわけではないのですが、戻ってきた金額を聞いて、いいシステムだなぁと思いました。
「いくらになったと思う?」とピーターさん。
「6ドル。」「はずれ。ヒントは20ドルから30ドルの間。」
「28ドル。」「当たり。」
1ドルあたり116円だとすれば、3248円です。シンプルで分かりやすく、リサイクルしようという気持ちにさせられるシステムですね。

午後はお客様、小夜子さんノリコさんミキさんが来て8人で食卓を囲み、賑やかな夜となりました。小夜子さんはリトルイーグルのご縁で月の手帳を使ってくれていました。初めましてがぐっと近くなります。イルカが来るハーバーの場所を教えてくれました。 (よ)


Big Islandでバグース

Big Islandでバグース。 2017年4月7日(金)

ヒロに滞在しているアキさんとカヨさんが週末ピーターさんのところに泊まりにくると聞き、楽しみにしていました。
「会ったことある?和歌山でバグースというお店をやっている人たちだよ。」
初めましてだったのですが、共通の知人、友人がたくさんいました 。月のカレンダーを使ってくれていたのですぐになかよくなりました。
Big Islandでバグース 地球を旅した人たちは今、宇宙を旅している感覚で旅を続けているのかもしれません。
ハワイ島の溶岩が吹き出ている火山や海、生い茂る植物や食べた事のない果物など、初めて目にするものばかりで感動しています。そして旅の出会いは何よりも有り難い贈り物です。
ハワイ島はハワイ諸島の中で最も大きい島です。みんなハワイ島のことをBig Island(大きい島)と呼んでいます。この島は面積の大きさだけではない、宇宙の広さを感じさせてくれる大いなる島であると感じます。
月が満ちていくように、日に日にこの島のエネルギーの強さも感じています。 (よ)


Makalii号

Makalii号 2017年4月6日(木)

ホクレア号というカヌーの名前を聞いた事がある人は少なくないと思う。1975年に建造された航海カヌーの名前だ。GPSどころか羅針盤(コンパス)も持たずにハワイやミクロネシア、ポリネシアの島々を自由に行き来することなど不可能だといわれているのが現代。しかしその何百年も前にカヌーでそれが行われていたということを実証した最初の船がホクレア号、カタマラン(カヌーを2隻平行に繋げたもの)のカヌーだ。1976年の処女航海が成功した後、ホクレア号はヒーローの様な存在となり、ハワイアンの誇りともなった。ホクレア号は、太陽、月、星、風、波を読み解いて航路を決める伝統的航海術(「スターナビゲーション」とも)を実証したのだ。
そのホクレア号と同じように伝統的航海術を通して自然と人間のつながりを取り戻す活動として他にもカヌーが建造された。その中にハワイ島で建造されたカヌー「Makalii(マカリイ)号」がある。Makalii号
今日はそのマカリイ号を修理している現場を訪ねさせてもらった。紹介してくれたのは先月ホノルルで行われたテイラーとマキちゃんの結婚式で伝統的なハワイの儀式を行ってくれたマウリリさん。偶然なのだが必然というやつで不思議な?がりだ。
Konaから車で1時間ほど、Mahukona harborにある大きな作業場に入るとドカーンと大きなカヌー。たまたま近所の小学生くらいの学生が校外教室みたいな感じで来ていて、航海士チャッドさんが彼らへ説明をしていたので、学生に紛れ込んで話を聞かせてもらった。
その後、 航海士ショーティさんが時間を作ってくれ、いろいろと話をさせてもらった。 船の上での食事の事や生活の事、星や太陽、の事、曇っている時の事などなど。マカリイ号は今年の夏に修復が終わり、新たな航海に出たり、教育のプログラムに使ったりする予定だという。
夜、星空を見上げると肉眼で見られる星の集まり「すばる」。それをハワイ語でいうと「Makalii(マカリイ)」。そう、この星団の名前がそのままついたカヌーなのである。
ピータさんと
コナの泊めてもらっている家、そこのご主人の名前はピーターさん。先にも書いたのだが、 1968年5月14日、横浜港から船で海外に出てそのまま世界中を旅して、世界中で働き、そして今ハワイ島で暮らしている方だ。ピーターさんから出てくる話がとにかく面白くて、毎晩話を聞いたり話をしたりに夢中。とんでもない人と出会えた、とんでもない人と今話をしている、ただただその時間に感謝しながら夜はワインとチーズ、僕はビール。
昨日幹から切り離したバナナがだんだん黄色くなってきた。(匠)


コナにて

Kona 2017年4月4日(火)

世の中にはすごい人がいるものです。話を聞けば聞くほど旅の世界が地球規模で広がっていてこの世界は多様性に富んでいることが感じられます。1968年5月14日、横浜港から船で海外に出てそのまま世界中を旅して、世界中で働き、そして今ハワイ島で暮らしている方のところにお世話になっています。


パホアのファーマーズマーケット

3人旅の終わり。 2017年4月2日(日)

パホアの宿 最終日です。匠母雅子さんは明日コナの空港から帰国します。今日は宿からすぐ近くで開催されているファーマーズマーケットに行きました。野菜やフルーツ、クラフト、洋服や雑貨、多国籍の屋台が並びとても賑やかです。楽しい楽しい、欲しいものもいくつか発見したのですが、ものを増やすことを考えると買いたい衝動も押さえられ、お財布にもやさしくなれるものです。
パティオで食事
屋台も美味しそうでしたが、インド料理(カレー)、メキシコ料理(タコスとブリトー)、タイ料理(生春巻きとパッタイ)、フランス料理(クレープ)と味の想像のつくものだったので、家に帰って残っている食材を使うために自炊しました。( グリーンの野菜でパスタ)夜は庭のパティオで夕食です。
光の洞窟
翌朝は島の反対側の空港まで走るため、チェックアウトタイムより早く出発しました。出発一時間前まで観光します。マウナラニホテルの敷地にある王朝時代のフィッシュポンドと溶岩で出来た洞窟を見に。海を見ながら朝作ってきたお弁当を食べ、急いで空港へと走ります。無事雅子さんをお見送りし、ここから二人旅がはじまります。


夜明け前のキラウェア

April Fool 2017年4月1

朝4時に目覚め、お湯を湧かしてコーヒーとお茶を水筒に準備します。まだ夜は明けていません。キラウェア火山に再び向かうために早起きしました。暗闇で見る火山と朝日を目的に3人で向かいます。天候は雨。暑いと思われるハワイでもフリースやダウンジャケット、レインウェアが活躍します。寒くても雨でもこの光景にいつまでも見入ってしまいます。それくらい溶岩が吹き出ている様子はこの世のものとは思えない不思議な光景です。
ヒロのファーマーズマーケット
雲の中の太陽を感じながらヒロの町へ。朝からにぎわっているファーマーズマーケットへ向かいます。見た事の無いフルーツや新鮮な野菜、食べた事の無い地元のお惣菜などを購入して3人で海辺で朝食。やはり初めての地で初めての食べ物をいただく好奇心と楽しさは比例します。
PACIFIC TSUNAMI MUSEUM
ヒロの町には「PACIFIC TSUNAMI MUSEUM(津波博物館)」があります。なんと71年前の今日、1946年の4月1日、この町を津波が襲った歴史がありました。そんな訳で今日はOpen Day、訪れた人に無料で開放していました。中に入ると、スクリーンに映像を流して津波に関する説明や研究報告をしていました。館内には東日本大震災のときのコーナーも設けられていました。海に囲まれたハワイも何度も津波の被害を受けた記録が残っています。日本にも津波博物館のようなものが各被災地で作られています。津波について学ぶ事は、後世に起こる津波被害を最小現に防ぐために必要な学びとなると感じています。
パホアの溶岩
ヒロから南下、借りている家を過ぎて更に南に行くとパホア地区に入ります。ここは溶岩が流れてきて町を呑み込みそうになった場所です。上の写真の場所は随分前に流れてきた溶岩ですが、最近では2014年に溶岩が生活圏まで流れてきました。
エイプリルフールに感じた火山、津波、溶岩。自然というか地球は確実に生きているのだとあらためて実感した1日となりました。

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