ひーさー

ひーさーの1日 2017年7月31日(月)

僕は丸1日、OPEN JAPANの現地責任者ひーさーと同行。今日はひーさーという人間1人の1日の活動を書いていこうと思っている。ひーさーは被災地からFacebookを通して自身の言葉を発信しているが、その人間が普段さらに何をしているのかを客観的にみんなに伝わればと思いながら書く事とする。
まず朝、ラジオ体操をしようと僕が起きたらもうひーさーはいなかった。朝の8時15分から行われるミーティングでスムーズにボランティアを送り込めるようにするための現場調査にすでに向かっているという。
ボラセン局長と
8時15分のミーティングの後、ます東峰村災害ボランティアセンター(以下ボラセン)の局長に会いに行く。昨日から東峰村入りしている茨城県常総市の市役所職員であるヌマジリさんとハマノさん(一昨年の鬼怒川の決壊のよる水害でひーさーと活動を共にした方々)を紹介する。 
現場で作業内容の確認
ヌマジリさん、ハマノさんを連れて本日の作業現場へ向かい、地元の方とボランティアを繋ぎ、どのように進めていくかの確認。本日は重機1台で生活排水の側溝の上に溜まった土砂を取り除き、溝の中は重機の爪が入らないので後からボランティアが人力でかき出すという段取り。
常総市からのメッセージを村長にヌマジリさんとハマノさんが、常総市の市の職員さんから東峰村の方々への応援メッセージと支援金を東峰村の村長に直接手渡す。この日程の調整やプレスリリースなどの段取りをひーさーが事前にしていた事は言うまでもない。このヌマジリさんとハマノさん、昨日は1ボランティアとして床下の泥を掻き出す作業にあたってもらった。もちろんその段取りもひーさー。
村長と直接打ち合わせ
ちょっとしたセレモニーの後、村長と直接これからの作業計画についての打ち合わせ。現段階で手が付いていない現場を、どこまでを地元企業が入り、どこまでを地元の村民が入り、どこをボランティアが手助けするのかといった事を具体的に決めていく。過去に土木関係の仕事をされていた村長は話が早くすぐに実行したがる方。色々な立場の人、そして色々な能力を持つ人と直接話ができるようになるまでの関係作りはひーさーの大きな得意技のひとつ。
農林観光課の方々と
次に向かったのは東峰村の農林観光課の事務所。実はヌマジリさんとハマノさんは常総市の農林課に務めていて常総市の水害の時にその中心となって活動をされていた方々。被害にあってから復旧するまで、地元の農家さん他沢山の方々とのやり取りや、被災直後の話、少し落ち着いてから必ず出てくる問題、住民の声など自分たちの経験からのアドバイスや、お決まり事に対しての抜け道などなど、全く同じ立場の方だからこそ伝えられる事が本当に多くあるのだなと、みんなの専門用語が飛び交う話を聞きながら感じた。
水の道を通す作業
朝一で段取りをした現場にボランティアさんが入ってくれ、午前中で作業完了したとの報告がひーさーの電話にあった。そのままボランティアさんを帰って頂くのはもったいないので、その近辺で新たなニーズをその場で見つけ作業に入ってもらう。
ボラセンを通して来てくれるボランティアさんは、1日、もしくは数日の休みをとりやる気満々で来られる方も多い。そのエネルギーを無駄無く住民さんの笑顔に変えられるようにするためには、日頃からの住民さんとの付き合いや、現場を見る目、そしてそれを覚えておく事などが重要となってくる。それは日々自分の足で回ってでしか繋がっていかない世界なのだと感じる。その人の持つエネルギーを流す、流すために繋げる、これもひーさーの大きな得意技のひとつ。
宝珠山ボラセンで打ち合わせ
ひーさーが次に訪れたのは宝珠山(ほうしゅやま)ボラセン。東峰村には2つのボラセンのサテライトがある。ひとつはOPEN JAPANがベースを構えている小石原ボラセン、もうひとつは宝珠山ボラセン。現在2つのボラセンは車だと20分ほどの距離なのだが山が崩れ道が寸断されてしまっていたため災害直後は行き来するのには片道2時間半かかっていたとの事。
ここではボランティアの作業内容の打ち合わせ。個人宅での作業はどこまでやって完了とするのかという共通の線をみんなで認識しなければいけないねという話。ボランティアが入って作業完了した写真を見るとそれぞれに大きな差があるのが分かる。まだ床に土が残っている状態で終わりというところも。他、養生をするしない、消毒をするしない、ちゃんと乾燥させてから床を張るまでの説明の有無などなど。それをコーディネートできるリーダーがいるかいないかが要なのだが。本日の話し合いの結果、OPEN JAPANのチームがコーディネートする現場にいちど一緒に入ってもらい、OPEN JAPANの作業内容を見て覚えてもらう機会を作るという事に。OPEN JAPANにはこのはからめ暦にも何度も名前が挙がるジョッキーという人間がおり、彼の描くラインを越えなければ作業が完了しないというジョッキーラインという線がありそれを他のボランティアが見て感じてもらうのは、住民さんの笑顔にも繋がる事になるという訳だ。
大雨
宝珠山ボラセンで話をしていると大粒の雨が降り出して来た。「今帰らないとやばいかも」とひーさー。土が落ち着いていないので村全体を茶色の水が流れている。途中、車のタイヤが半分水に浸かっているような道を通過し小石原に近づくとパトカーが待機、すでに今通ってきた道が通行止めになっていた。「良かったぁまだ感が残っていた」とひーさー。そう、もし5分ほど出発が遅れていたら通行止めになってしまい2時間半かけて回り道をしなければいけなくなっていたのだ。
また被害が・・・
通行止め区間を抜けてすぐ鼓の里(つづみのさと)という、飲食店などいくつかの店舗が入っている施設で車を停める。「ありゃ〜、ここ昨日ボランティアが入って奇麗に掃除した所なのに〜。」とひーさー。じつはこの鼓の里、災害後の復旧作業のため全店舗しまっていたのだが、明日が再オープンの日なのだ。店舗の裏を流れる沢水が濁流となり、また店舗や事務所が浸水してしまった。また雨が降ったら同じ事になっちゃうね、とひーさーと僕とで根本的な解決策を考え、明日は僕がここの現場を受け持つ事を決めてベースに戻った。
ベースに戻った後、ひーさーはスマホに入っている何十件ものメールやメッセンジャーなどの返信をやっとはじめる。
これが今日のひーさーだ。何か作業を人に振れないのかと思ったりもするのだが、ひーさーが回しているエネルギーは、短期のボランティアでは抱えきれないことがほとんどだ。今、オープンジャパンでは長期のボランティアを募集している。現地で動く事は直接住民の皆さんの喜びに繋がるという答えはすでに出ている。「人生の中の10日間を見知らぬ困っている人のために使ってみる」そんな選択肢をひとつ、みんなの心の中に加えてみてはくれないだろうか。 (匠)

自転車で移動するよし子
午後3:30、激しい雨により東峰村全域に避難勧告・避難指示が発令されました。すでにボランティア活動は雨が降る前に天気予報によって活動中止との指示が入っていました。道が通行止めになり、今日到着のはずのボランティアさんも入村できず近くの町で待機中です。午後7時、避難勧告は解除になりましたが、通行止めは続いています。土砂をきれいに片付けたところにまた土砂が流れ込んだところもあり、精神的にも疲れが堆積していきます。
昨夜は夜中まで長期組と今後のオープンジャパン緊急支援の体勢について話し合いました。その日の活動が終わり、次の段取りや細やかな連絡事項を終え一息つくと、やっと仲間たちと話す時間を持てます。災害直後から走り続けている長期ボランティアメンバーですが、この先も無理無く継続していくためには彼らを支援することが必要とされます。休む間もなく動き続ける毎日、緊急支援の活動に緊急性がなくなったからといって支援の手が必要とされなくなった訳ではありません。今後も活動を継続していくためには責任を持って動いてくれる人員が必要です。よく聞かれます、「ボランティアやっててお金とかどうしているの?」気になることですよね。みなさんからの支援金は現地の復興のために役立てているので、活動している人のお給料のようなものになるわけではありません。彼らの生活をどうするか。ボランティア活動に専念している人が経済的なことを悩まずにすむようなシステムづくりが必要とされています。 (よ)


関連サイト OPEN JAPAN


朝のミーティング前のミーティング

オープンジャパン小石原ベース 2017年7月30日(日)

いつものように6:30にラジオ体操、参加人数2名(今朝は匠と二人ぼっち)、オープンジャパンのミーティング7:30、参加人数8名、ボランティアセンターのミーティングが8:15、参加人数26名。ベースや現場など少しずつ環境が見えて来たので、自分ができることを考えます。
今日は長期にわたる支援活動に従事する仲間が少しでも活動しやすいようにと、私はベース内の環境を整えることにしました。現在東峰村でのボランティア活動は一般ボランティアは15時活動終了となっています。オープンジャパンのメンバーは15時に一般ボランティアを送り出し、その後の後片付けなども含め16時くらいまで現場にいて、それからボランティアセンターに戻って活動報告、道具の返却清掃後、次の現調に赴いたり打ち合わせや引き継ぎ等々、ベースに戻るのは18時以降になることが多いです。汗や泥を洗い流し、それから夕食を作るというのが続くとだんだん疲れがたまってきます。
朝のミーティング
今日はベースのみんなのために一日を使うことにしました。お借りしているコミュニティセンターの中も片付けつつ、自分がいなくなったときのベースもイメージして作業をします。
オープンジャパンに協力してくれている地元議員さんが茨城県常総市から来た方を連れてベースに寄られたり、長期メンバーがベースに戻って必要な道具や差し入れを持って現場に向かったりと、今日は日中のベース内の動きも活発でした。誰かのために一生懸命に動く人たちがいたら、彼らをサポートする人もいたらいいといつも思います。誰もが自分のできることで動いているのがオープンジャパンの活動です。(よ)
天井を落とすヤッちゃん
今日の僕は,、先日少しだけ作業をさせていただいた「やまめ山荘」さんのキッチン部屋の作業。オープンジャパンから一緒に作業に入ったのは北九州から参加している大工のヤッチャンと同じく北九州からの便利屋さん、そして僕の3人。
落とした天井を運ぶ作業そして剥がした壁や、落とした天井などを運び出してくれたのは、家主さんが声がけしてくれた地元の方々3名。普段何をなさっているんですかと問いかけると、「皿屋です」と。んん?皿屋・・・、そう陶芸家。しかも13代目の方や、14代目の方など歴史を背負っている方々だった。次から次へと出てくる廃材をスゴイ勢いで運び出してくれた。
休憩時間
やまめ山荘でのお料理は全て小石原焼きを使っていて、しかも常連さんを飽きさせないようにと2〜3年でお皿を入れ替えたりもするとの事。
本日でボランティアが入れるような作業は一応完了したが、お店をスタートさせるにはまだまだ力を注ぎ込まなければならない。すでに前向きな気持ちのご主人だったが、少しでもこれからのやる気に繋がってくれたらいいなと思いながらの作業だった。(匠)


関連サイト OPEN JAPAN


集合写真

みずみちプロジェクト MIZUMICHI PROJECT 2017年7月29日(土)

東峰村二日目。
土砂が堆積して水が通らず、住民さん方の力だけではどうにもできないと諦めかけていたところにボランティアの力を注ぎます。東峰村小石原地区の住民の生活用水&排水の道を通すプロジェクト、名付けて「みずみちプロジェクト」。100名以上のボランティアさんを受け入れて作業をするため、昨日の夕方地元住民の方々と現場の下見と打ち合わせをして入念に準備をして今日を迎えました。
作業前の作業
ボランティアセンターの朝ミーティング前に直接現場に直行します。奈良から来ているオープンジャパンのテクニカルボランティアの西岡さんに早朝に重機でできるところの作業をしてもらいます。
作業開始 狭い水路で100名以上の一般ボランティアが作業をするため、安全上重機作業は早朝のみで終了。あとはひたすら人力で堆積した土砂を出す作業です。
みんなで知恵を出し合って
灼熱の太陽のもと、住民さん、ボランティアさん、社会福祉協議会の職員さんが一緒になって汗だくになりながら、無理かもしれないとあきらめかけていたことが、みんなの力で成し遂げられるという気持ちを味わえた活動現場でした。
どのように動けば効率が良いかみんなで考えながら
ハードな現場にもかかわらず、みなさん笑顔で無事に終了。現場の近くの消防署ではボランティアさんのために消防車を移動して車庫の中の日影ズペースを提供してくれ、ご近所さんはガレージやトイレをかしてくれました。
チョトずつ進めていきます
作業が終わって最後にみんなでおつかれさまでしたの挨拶をしようとしていたとき、一緒に作業をしていた地域の方々が「今日皆さんが土砂を取り除いてくれた通してくれた水路に水が流れている姿を見てもらいたい」とまだ開ける予定ではなかった取水口の扉を開けてくれました。
自分たちが奇麗にした水路沿いに立つボランティアの皆さんは流れてきた水に拍手拍手。みんなの心の中に達成感を感じさせてくれた地元の方々からのプレゼントのようでした。
取水口を開けてくれました
地域の方々と一緒に地域の復興のためにエネルギーを注ぐ、その気持ちがみんなに伝わりみんなのエネルギーになりました。最後に地元の方々から感謝の言葉をいただいたボランティアさんたちも嬉しそうでした。人と人が助け合うきっかけはいろいろ なところにあるのだと感じた瞬間でした。
最後にお礼の言葉を頂きました
オープンジャパンのベースでは朝食夕食を自炊しています。日中は全員現場に出て行くので昼食をつくる時間はありません。お弁当を注文したり、カップラーメンだったりカロリーメイトだったするとのことですが、食べなかった、という声聞いたので毎日おにぎりをつくっています。コンビニの無い村は素晴らしいのですが、 食事を作る余裕の無い長期ボランティアにとっては調達物の入手が困難です。気力体力精神力が必要な災害ボランティア現場です。(よ)


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やまめ山荘での作業

福岡県東峰村 2017年7月28日(金)

7月5日から九州北部を襲った豪雨。その被災地のひとつ福岡県の東峰村に来ている。ここに到着したのは27日の夜、途中、関東、関西でお世話になった方々どうもありがとう。

福岡県東峰村小石原、ここは陶芸の村。車で走ると〜窯、〜窯、〜窯と窯だらけ。窯元が直接販売をしているあたりまえと言えばあたりまえだけれど不思議な風景。

ベースの風景
オープンジャパンでは小石原地区の中心近くにある使われていなかったコミュニティーセンターをお借りしてベースとさせて頂いている。近所を歩く近所の方々は「どうもご苦労様です。」とみんなが声をかけてくれる。

朝のミーティング
朝、車で数分のところにある東峰村災害ボランティアセンターにて8時15分からミーティング。ボランティアセンターに行くと、ひーさー、なおちゃんをはじめ、地元の方々との会話がとてもいい感じ。良い関係性が作れているんだな、さすがだなと。朝のミーティングの司会をしているのは美味しいコーヒーを入れてくれるリョウシュウ。
ボランティアセンターには「チーム村民」という地元のチームがいて、地域の情報や現場へのボランティア送迎など、地元の人の得意分野に特化したチームがいる。「ソンミン」という響きをみんな気に入っているようで笑顔があふれる方々だ。

窯元での作業
午前中、現在オープンジャパンがボランティアで入っているお宅をひーさー、なおちゃんと一緒に回った。1軒は陶芸の窯元さん。小さな沢沿いに窯、土作り小屋、工房、展示販売棟、母屋、その建っており、その小さな沢が氾濫、裏山が崩れ土石流、目の前の別の沢が氾濫した後が痛々しく残っている。今日は裏山が崩れて道を塞いでしまっている重機が入っていけないところを人力で道を造る作業。ここの窯は16代続いているとのこと。
他、いくつかの作業場を回らせてもらった。

ボタンティアがどのようの作業ができるのかを説明しているところ
ボランティアがどのような作業ができるかを家主さんと相談。

午後はやまめ山荘というギャラリー&レストラン。すでに床は剥がされていて溜まっている泥を取り除く作業。ここには15名ほどの一般ボランティアが入っていて勢い良く進んでいる様子。オープンジャパンから現場に入っているのは、先日はからめランドのコンクリ打ちを手伝ってくれたジョッキー、そして長野からケイスケさん、長期で関わってくれているリョウショウ、そして山梨からニイちゃん。15名のボランティアの勢いをうまく回すのが彼らの役目だ。
床下に潜るケイスケさん
床下に潜るのはケイスケさん。

笑いながらケイスケさん
「スゴイです」とみんなに言われると「まだまだです、私が尊敬している女性は一日中床下で作業しているんですよ」と笑いながらケイスケさん。

ジョッキー
「まだ泥が残っている・・・」とジョッキー。これが家主さんを満足させるジョッキーラインという線を超えるかどうか。「自分の家だと思って作業する」これがジョッキーの信念。

匠もちょっとした作業。
家主さんが1人でキッチンの棚を取り外していたので、僕はこちらの棚外し、壁剥がしを手伝っていた。キッチン周りの作業は今日中に終わらないので後日改めて伺う事にした。家主さんは、何でも自分でやってきた方。話をしながらの作業は色々と勉強になる。

最後は消毒でシメ
最後は消毒。オスバン消毒液という物を希釈して散布。

地元の方々と打ち合わせ
夕方、地元の方々と明日の作業の打ち合わせをする。明日は田んぼに流れる水路兼生活排水路を復活させる作業だ。その水路が土砂で塞がってしまっているために、田んぼに水の供給がなされず、また生活排水路も塞がってしまっているのが現状。今日もみんなローリータンク(よくある黄色い大きなタンク)を軽トラに積んで水を運んできて田んぼに水を流している。

ここの水路を通すのが明日のミッション
写真右のような土に埋まった水路が数百メートル続いている。明日は100人規模のボランティアを受ける予定だ。ベースに戻り、水路に水が流れている絵を想像しながらバタンキュウ。 (匠)


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ログハウス仮設見学

仮設住宅の移築 2017年7月11日(火)

311のあと、各地に設置された仮設住宅。ほとんどの仮設住宅は、解体して処分されるという道を辿っている。仮設住宅に入った事がある方ならご存知だと思うが、仮設という名前がついているが人が住める家だ。多くの人が、毎年のようにどこかで災害が起っている日本の現状を考えたら、壊して捨てるなんてもったいない、次の被災地で使い回せば良いのに・・・と思っている事だろう。しかしそれでは建設会社が儲からないから、と、僕たちはこんなアホな意見の方が通ってしまっているアホな世界に住んでいるのは言うまでもない。
そんな仮設住宅の問題に一石投じた人達が建てた仮設住宅がある。最初から撤去するのが分かっている仮設住宅を解体後も材料を使えるログ組み工法で建てたのだ。震災から6年経ち仮設住宅としての役割を終えたログハウスが「待ってました〜!」と言っているよう、第3の人生じゃなくて木生を送る時にきたのである。第1は山に根を張り水を回し酸素を作ったりと地球の一部としてのお役目、そして第2に仮設住宅として被災された方々の一時的な住処に。そしてこれから旅立つ先が第3のお役目だ。
今回このログハウスを石巻のOPEN JAPANの新ベースとして移築する案があり、本日福島県二本松市の仮設住宅を見学させていただいた。OPEN JAPAN代表でもあり日本カーシェアリング協会の代表でもあるタケちゃん&スタッフのサットこと里美ちゃん。石巻在住の建築士ブンさんとフキコさん夫妻、そして僕たち。このプロジェクトのスタッフでもある田中さんの案内で移築までの手順などを説明を受けながらの見学。
ちょうど解体中の現場を見る事ができたのがラッキーだった。ココは何故こうなっているのか?何故ココはこうじゃないんだろう?など考えながら見ていると、そうか!うわ〜、すげ〜、そこまで考えて建てたんだぁ〜。と、設計時、そして建てる時に何を考えながら建てたのがジンジンと伝わってくる。バラしやすいように、次なる場所でできるだけ応用が効くようになど色々なところに工夫が見られるのが嬉しかった。
ただこの移設プロジェクト、多くの希望者がいた場合「抽選」となる。ってことは競争率が上がらないようにするためには、できるだけみんなに知られないようにしなきゃ・・・ってことはここで紹介するのも矛盾しているなぁ・・・、という訳なので今これを読んでいるみんな、読まなかった事にしておいて頂きたい。(匠)


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open japan

助ける 2017年7月7日(金)

悲しんで困っている人が目の前にいたら助ける?助けたい?
悲しんで困っている人が10m離れているところにいたら助ける?助けたい?
悲しんで困っている人が100m離れているところにいたら助ける?助けたい?
悲しんで困っている人が1km離れているところにいたら助ける?助けたい?
悲しんで困っている人が1000km離れているところにいたら助ける? 助けたい?

手で触れるかどうかなのか?
目に見えるかどうかなのか?
耳で聞こえるかどうかなのか?

今、殻を破る芸術的な感性と、どこまでも広がる想像力を使うときなのではないだろうか。九州北部の豪雨被害の現場に仲間たちが集い支援活動を始めている。こちらは福島から後方支援。

今日は新暦の七夕。会えるのは年に1度といわれているけれど、その間毎年ずーっと心を通わせているのであろう織り姫と彦星。いつもは結構な川幅のある川の向こうとこっち。「いつもは」と言ったけれど、7月7日だけいきなり星がビューンと移動してくっつく訳ではないので、本当に「いつも」川の向こうとこっちなのだ。けれど今日会える、ってことは、「想い」ってやつに距離は関係ないということだ。(匠)


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上杉家と一緒に

カヌーという乗り物。 2017年7月4〜5日

関東からの帰路、私たちの北海道旅の報告と土産話を積んで上杉ご夫妻に会いに行きました。ちょうど北海道のカヌー仲間から季節の恵みが届いていて、ミエさんがお料理してくれた北海道の味をいただきながら話をしていると、時間も場所も越えて高崎と北海道が繋がります。カヌー仲間とは水の上を旅するだけでなく、時と場所を越え繋がることができます。
高崎から北海道へと上杉家のOldtownの赤いカヌーは仲間たちの手で磨かれ送られ海を渡り、生かされていました。そのお陰で上杉さんが北海道で作ったWood&Canvas Canoeは大きな瀬を越え波を越え、お二人と一匹と共に今も旅を続けています。カヌーがカヌーによって導かれたかのようなお話。ここまでくるとカヌーとは確実に意思を運ぶ乗り物だということがよくわかります。そのカヌーに意思を乗せて運ぶ人と目的を持って旅を続ける人がいれば…。
虹が突き抜ける
今回の北海道旅のゴールには虹の橋がかかっていました。(よ)


じぶこんへそ祭

じぶこんへそ祭@藤野芸術の家。 2017年7月1〜2日

神奈川県藤野芸術の家で開催される「じぶこんへそ祭り」に参加しました。今回の私のお役目は「タロットリーディグ」。ミュージシャンじぶこんのお二人と全国から集まった仲間たちとのライブは素晴らしく、参加者の方々との一体感はまさに同じ宇宙の渦からつながるエネルギーを日本の中心に集めたへそ祭りとなったと思います。
この祭りと時を合わせたように匠の祖母が他界しました。祭りに向かう道中に危篤から奇跡的に生還したタイミングで言葉を交わすことができ、祭りが終わったタイミングで葬儀に出席することができました。
「じぶこんへそ祭り」からの帰路の途中、国道に大きなカメがいるのを発見しました。「なぜカメがなぜここに?」車を路肩に止めてカメを道路から森に運びました。匠の祖母のお名前は「かめ」さん。奇跡とは、絶妙なタイミングで私たちのところへやってきます。(よ)


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