ボランティア活動費会計報告 2018年8月30日(木) 8月に広島〜愛媛〜広島〜岡山へと西日本豪雨災害での支援活動を行った際の活動会計報告です。ご支援くださった方々、どうもありがとうございます。今後も被災地と繋がりながら、現状報告などしていきたいと考えています。 ・車関係(現地までの移動、現地での移動、燃料費等) 60,293円 (内OPEN JAPANから 31,840円) ・食材、調理器具費 21,953円 (内OPEN JAPANから 3,484円) ・被災家屋再建、大工仕事の木材、機材費 17,160円 (内OPEN JAPANから 6,522円) 合計 99,406円 以上、金銭的な報告とさせていただきます。ご支援いただきありがとうございます。 虹、帰ってからしばらく雨が続くなか、はからめランドではなかなか見ることができない虹がくっきりと現れました。レンズに水滴が見えるのが残念ですが・・・。
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TAD 2018年8月20日(月) 西日本に出発する前に書いた原稿が冊子になってポストに入っていました。 TAD(とうほくあきんどでざいん)夏秋号が発行されました。仙台近郊東北地方の情報誌です。わたしは巻末のタロットリーディングを担当させていただいております。 ご近所さんが家を見に来たり、野菜を持って来てくれた際に、「ボランティアいってたんかい、あっちでどんなことしてるの、あっちはどんな状態なの、」と聞いてきます。少しでも被災地を気にかけてもらえるように、私たちが見てきた被災地の状態とそこでの支援活動などを説明します。 今の日本、何が大切で何をするべきなのか、起きた事象から判断できると思います。 福島を経験した人はみな、人ごとではなく胸に響くものがあるのです。 さて、気にかけていたTADも完成し、いよいよ「はからめ月のカレンダー」の製作にとりかかっています。ここから先もノンストップ、見て経験して感じたことも込めて、2019年版月のカレンダーを仕上げます。
関連サイト とうほくあきんどでざいん塾
はからめランドにて思う 2018年8月18日(土) 自分たちの家に帰ってきた。8月4日の早朝にここを出発して約2週間、太田、八ヶ岳、広島、愛媛、広島、笠岡と。いつも僕たちが旅に出る前に話すことは「次に戻ってきたときは今の自分たちじゃないね」と、そんな感じのこと。 人はどんどん変わっていく、変われない、また変わらない人もいるけれど・・・。変わるには変わる柔らかさを持っていなければならないし、常に自分がどのように変わればこの世の中がより良くなるのかを考え探し続けなければいけない。自分はこういう人間だから・・・と決めてしまい、自ら変わることを拒否するような人、世の中にはたくさんいると思うが、そういった方々は必然と生きている間の「学び」は少なくなってしまうだろう。 変われない、変わらない、といった大きな一つの要因として僕が感じるのは、自分が他人よりも優れている、上にいる、勝(まさ)っているといった感覚を身につけてしまっているということだ。僕から見るとこれは非常にもったいないと感じてしまう。その感覚は逆にこれから先の魂の成長過程で苦労を伴うだろう。 逆に何かを感じようとする、身につけようとする、知ろうとする、こういった感覚は常に低い姿勢からの方が掴みやすい。自分は何もわかっていない、とまではいかなくても、自分ができることは少なく、知っていることも自分の興味の範囲内であって、自分の知らないほとんどのことは他人の方が、そのことに関しては長けている、と、そのような姿勢で生きている人のところには次から次へと自分を成長させるためのミッションがやってくるに違いない。 「素人(しろうと)」の感覚は知ろうとするし、「玄人(くろうと)」の感覚は苦労を引き寄せるという訳だ。 話が変わるようだが、「働く(はたらく)」の語源は側(はた)を楽(らく)にすることであるという。「側から見れば〜」といった使い方をするように側とは自分以外の存在、他人のことである。そう、「働く」とは労働や、それによって賃金を得られるといったイメージではないのだ。自分以外の存在が楽になり、喜ぶための行動というのが本来の「はたらく」という意味なのである。これって今僕たちがイメージしている「ボランティア」という言葉がぴったり当てはまるのではないだろうか。 色々なボランティアの形があるのは過去にこの「はからめ暦」でも話しているし、みんなもちょっと想像すればわかることだと思う。僕を含め、今回の災害で共に支援活動を行なっているOPEN JAPANの仲間たちの理念は「縁の下の力持ち」という言葉であると。縁の下から支え続ける・・・、表に立ちみんなにその姿勢を見てもらうべきなのは日常を取り戻そうとする実際に被災された地元の方々であるのだから。 縁の下で動くということは、低い姿勢であるということがどうしても必要となってくる。実際に水害にあった住宅の支援では、縁の下(床下)に潜って泥をかき出す作業をしている仲間がいるので、この「低い姿勢」というイメージは、精神的、抽象的でもあるのと同時に現実的、具体的でもある。 災害ボランティアに限らず、低い姿勢を持ちながら人と関わると、側(他人)の喜びを感じることができる。そして他人の喜びそのものが自分の喜びであることを感じることができる。何か物を支援してあげる、家を綺麗にしてあげる、心を落ち着かせてあげる、など「〜してあげる」は、自分が持っている物や技術、知識をあげておわりとなるが、「〜させてもらう、〜させていただく」という気持ちで接した時、人の感謝の気持ちや喜びをもらう、頂くことができる。それが自分の成長へとつながり自分がどんどん変わっていくプロセスなのだろうと僕は確信している。 いつも思うのだが、OPEN JAPANの災害支援は、支援者、被災者、それに関わる人々全てにとっての学びの場である「人の学校」だなと。被災地において縁の下からの支援を始め、長期ボランティアの役割、集まったボランティアでの共同生活、活動を終えて日常に戻った後の生活、などなど全てが学びの場であるのだと、そして瞬間瞬間ごとに感じることができるのだよと教えられているようである。 ぜひ、そのような仲間たちが集まるOPEN JAPANを時々気にしてみてほしい。そして機会があれば一緒に活動を共にしてみることも考えてみてほしい。きっかけはもうすでに手の中にあることに気がついてほしい。 ちょいと長くなったが今被災地を離れて山の中で思うことはこのようなことである。この世の中で縁のあるみんなと一緒に学びあえているということが何よりも嬉しい、ありがとう全て。(匠)
岡山県笠岡市 2018年8月16〜17日 今朝の広島、坂ベースのラジ体参加人数4名。朝食、昼食を作り、残された時間でできるだけのことをしてから広島に別れを告げて岡山県笠岡市に向かって車を走らせます。 笠岡の「あるでばらん」も床上浸水の被害に合いました。 こちらの社長の俊一さんは実は「OPEN JAPAN」の名付け親。自らが被災するとは思いもしないのが災害なのです。あなたも、わたしも、これまでもこれからも。 大工道具持って来ています、と言うと 「相談があるんだけど…。あがりかまちをどうにかしてほしい…。」 「アガリカマチ?」「他にも…、」 状況を見て今日出発は無理だと判断し、一泊して大工作業をしてから帰路に着くことに決めました。あるでばらんの俊さんふみさんは月のカレンダーも扱ってくれていますが、それ以前からのおつきあいです。広島で「太田川水の祈り」を行う経緯も俊さんからの流れです。 何か力になれることがあれば、との思いで立ち寄ったところ、大工ニーズがありました。 来週で笠岡のボランティアセンターが閉鎖となるそうです。シルクの薬効染めの製品を製造販売している「あるでばらん」、染め部門はまだ再開していませんでした。従業員のみなさんは出社していて、片付けながら仕事も再開していました。 さまざまなボランティアのかたちがありました。水に浸かってしまった布の洗濯ボランティア、製品を買って応援ボランティアなどもこちらの製品が愛されていることのあらわれのようでした。汚れを洗濯しカットして販売する用の布のサイズをはかるお手伝いをしたのですが、製品の品質の高さと作り手の丁寧さ、心のこもったものづくりという仕事は、水害にあってもゴミにはならない(しない)のだと実感させてもらいました。普段からどう生きるか、何を選択するかというかたちが災害を通して見えた気がします。
関連サイト OPEN JAPANのWEBサイト ・ あるでばらん
愛媛〜広島@終戦記念日 2018年8月15日(水) 朝のラジオ体操中に大雨、今日は第一のみで作業開始です。 朝当番さんのお味噌汁づくり、コーヒーのスタンバイ、だんだんベースの共同生活にもリズムが感じられるようになりました。 朝のミーティング後に広島に向けて出発します。途中、内子の友人のカフェに寄りました。 先日ボランティアのみんなにと、美味しいサンドイッチを届けれくれた「FFC(Finger Food Cafe)」のレイちゃんとパートナーのマスターのお店です。レイちゃんは「月のカレンダー」の一番はじめのデザインをつくってくれた東京時代の古い友人です。今は旦那様と子どもたちと一緒に愛媛県内子町でカフェを営んでいます。集めてくれた野菜とサンドイッチでベースの食事がまかなえました。どうもありがとう。 FFCはかなりおしゃれなカフェでした!12年ぶりに再会したマスターのセンスはあいかわらず素敵で素晴らしい。 今治を経由してカヌー仲間、OPEN JAPAN仲間のがってんと。 防災ジャパンにコラム載っています。それぞれの立場で活躍している仲間は心強いです。 時間を気にしながら広島に到着。広島のベースはみんな作業中のため誰もいませんでした。今日はみんなの食事づくりボランティア、今日何人いるのかわかりませんが作り始めます。 OPEN JAPAN、DRT-JAPAN、災害NGO結のメンバーとボランティアに来ている方々と夕食を囲みます。全員重機のオペレーター、今日の作業も重機作業。話題は「重機あるある」だったりしてついていけない内容でもありましたが、みんなでご飯はいいリラックスでもあるようです。厳しい現場なので、夜の時間はジョークも飛び交うくらいがちょうどいいのです。 明日の朝、坂町、小屋浦をあとに岡山県笠岡市へ向かいます。
関連サイト OPEN JAPANのWEBサイト ・ FFC ・ TEAM防災ジャパン(リレー寄稿)
つながるメッセージ@野村町ビアガーデン 2018年8月14日 朝4時30分、まだ薄暗く日が短くなってきているのを感じます。毎日暑くても季節は秋に向かっているのですね。今朝はロバート率いるIDORO JAPANのメンバーが旅立ちます。ロバートは広島に寄って現状を見てから再び被災地入り、今度は広島での活動を組む予定とのことです。わたしたちも明日広島へ向けて出発します。 今日は野村町の若者によるビアガーデンが「乙亥の里」で開催されます。この地元の若者が中心となって進めてきたビアガーデンは、オープンジャパンの緊急支援プロジェクトリーダーのひーさーとの出会いがきっかけのようです。 例年ならば、プールや花火大会等の夏の楽しみがあったはずの夏休み。子どもたちだけでなく、大人も遊ぶ機会がなくなってしまった、そんなときに企画されたビアガーデンです。 賑わうビアガーデンの向かい側に静かな祈りの空間をつくりました。 災害を経験した被災地から野村町の方々へとメッセージが届いています。宮城県石巻市、岩手県岩泉町、福岡県東峰村の方々が土嚢袋にメッセージを書いて送ってくれました。野村町の方々も土嚢袋に思いを書いて吊るしていきます。つながるメッセージの奥には花を飾り、ろうそくを灯しました。水害により野村町では5名の方が亡くなりました。大きな花のまわりには5つの花を、そして名古屋の仲間から送ってもらったろうそくに火を灯します。 祈りの空間には静かに手を合わせる人たちの姿が絶えませんでした。ぽつり、ぽつりと人の輪ができていきます。みんな話したいんですね、きっと。そういう場がほしかったんですね。 目に見えるように町が元通りになり、建物がきれいになっていっても、人の気持ちは目には見えないところで何かを失ったり得たりしているのです。被災した地へ行くと、自分も含めみなその経験を経て強くなっていくことを感じます。 撤収を終えてキャンプベースに着くと23時、さすがにへとへとです。今夜中にダンプの機材も片付けて、ベースのテーブルと椅子を組み立てて…。明日は最終日、まだまだやれることを。
関連サイト 西日本豪雨災害支援 OPEN JAPANのWEBサイト
愛媛県西予市オープンジャパンベース 2018年8月11〜12日 オープンジャパンのボランティアベースは活動拠点から10kmほど離れた集落にあります。廃校になった幼稚園の敷地をおかりしてキャンプをしています。キッチンはもちろん野外です。 現在ここで30人以上の人が寝食を共にしています。 朝6時30分、ラジオ体操を開始しました。 ラジオ体操はわたしの日課となっており、オープンジャパンベースでも自由参加で行っています。 ベースの管理をしつつ、やってくるミッションに対応しています。 野村町に7月31日に再オープンした野菜の直売所に寄り、地元野菜を購入させていただきました。「レシート出ないんです、いいですか?」「いいですよ。」売り上げは以前の1割になってしまったと聞きました。復興までの道のりは一歩一歩です。 マルシェの仲間の支援金を直売所のお野菜に充てさせていただきました。 同時進行でいくつものことを考えて行動していくことが大事、鍛えられる現場です。 直売所の奥のスペースをコミュニケーションの場にしようという打ち合わせ、地元イベントのお手伝い、地元の方々と一緒に行う炊き出しのサポート、 お盆が近づくと人が集まってくるような企画が自然と出てきます。災害により拠り所を失くした人々へ、小さくてもいいから拠り所を作っていこうとい う気持ちが町の人たちとのやりとりを生み出し、地元の方々のやる気につながっています。 IDORO JAPAN ロバート率いる多国籍チームによる「インターナショナルカレーフェスティバル」では支援でいただいたヤっちゃんファームの野菜を使わせていただきました。(よ) ロバートが支援に入っているお宅のサポートをしながら近所を歩いてまわる。すると橋に大きな巨木が引っかかっているのが目についた。豪雨の後、1ヶ月間そのままになっているということである。ご近所の方と話をすると、市の人が他の流木は橋から外すことができたのだが、これだけはさわれず、もし外してもらえるならば外してほしいとのこと。 というわけで外してあったチェーンソウの刃をセット。どこを切れば橋から外せるかは考えればわかる。作業にかかると、周辺で片付けをしている住民の方、ロバート率いるIDORジャパンのみんな、たまたま通りがかったテレビ愛媛の撮影班などなどギャラリーが橋の上から見ているという思っていなかった状況に・・・。緊張感は木を切るという事よりも、これで刃が咬んだらかっこ悪いなぁ・・・と、かなり慎重に物事を進める。何十年生きた木だろう・・・と、刃を入れるとヒノキの香りがあたり広がる。無事に橋にかかる丸太を落とすとちょっとだけざわざわ。復興に向けてひとつ何かが進んだのかなと。 翌日、コミュニティスペース内に設置予定のモニュメントを作るために木が必要というので、それならばと、昨日切り倒したヒノキの木を使わせて頂くことになった。玉切りした丸太を引き上げついでに、「昨日はありがとうございました」と挨拶しにきてくれた住民の方に丸太を椅子っぽくして使ってもらうことに。1ヶ月間引っかかりっぱなしだったこの木の記憶がこの地に残るのかなとと思うと少し気持ちが前向きになった。
愛媛県西予市オープンジャパンベース 2018年8月10日(金) 朝7:30ミーティング参加者30名。 初めてのメンバーの自己紹介、今日活動を終え旅立つメンバーの挨拶からスタートします。 ひとりひとりが感じた生の声が心に響きます。 「ここで経験したことを、帰ってからみんなに伝えていきます。」 壁はがし、床下の消毒、床下の水拭き、敷地内の土砂撤去、床下のブラシ掛け、 ロバート率いる国際色豊かなIDRO JAPAN(イドロジャパン)のメンバーも共に活動しています。 町では仮設住宅の建築が進んでいました。 コンクリートで基礎を打ち、在来工法で建築中。 かなりの数の職人さんが働いていました。 栃木県那須塩原の友人、那須野が原生きものネットワークの飯沼さんからお野菜が届きました。飯沼さんは無農薬で野菜を育てており、「大日向マルシェ」の仲間たちと今回の震災支援をしてくれています。こうしたサポートのお陰で現地で活動する仲間が日々笑顔でがんばることができるのです。 広島から愛媛に着いて早々、WEB関係の報告業務です。新たな現場での野外の事務環境に慣れる間もなく時間に追われます。デザイン、報告、データ作成、昨日までのチェンソーや重機はPCに変わって作業、作業。 広島とはうってかわって、大人数での共同生活です。食事は30人前以上、内ベジタリアンが2名います。ここでのベースキーパーが必要です。
坂町にて活動 2018年8月8日(水) 「ここはどこだろう…。」朝目覚めると場所を確認するところからはじまります。 今朝は広島県安芸郡坂町にあるボランティアベースの拠点にて目覚めました。 昨日も書きましたが、ここはOPEN JAPAN、DRT-JAPAN、国際学生ボランティア協会ivusa、災害NGO結によるボランティア連合ベースです。わたしたちは連携して共に活動する機会も多く、また得意分野やネットワーク等もそれぞれに個性があるので、一緒に活動拠点を設けて協力し合っています。 キャンプ地のテントサイトは災害NGO結が整えてくれています。 テント、バケツ、蚊取り線香が置いてありました。バケツは主に洗濯用、早速活用させてもらいます。 長期スタッフが自炊ができるようにキッチン環境を整えました。ごはんを焚いて夕食を囲みます。 「うわぁ、お米の炊ける匂い、久しぶり〜!」との声。 DRT-JAPANのクロさん、結の事務局アスキーをはじめ、災害現場での経験豊富な仲間たちが一緒に食事をとりながら情報交換をします。ときには注意を喚起され、ときには笑い、災害現場ならではの学びがここにはあります。 手持ち分で足りない食材を栃木県那須の仲間「大日向マルシェ」で募ってくれた支援金で購入させていただきました。私たちを信頼してくれ、私たちが行うことを支援してくれる仲間たち。まずはこちら広島のベースの長期ボランティアのための食材を購入させていただきました。 朝日が昇る前に遠方から重機を積んだトラックが到着します。夜中の移動で早朝に間に合うように調整しながら来ています。三重県からヤマキさん、岐阜県からギフノトオルクン。重機のプロフェッショナルが続々と集結します。災害支援で会う頼もしい仲間です。 匠くんはギフノトオルクンと坂町の森浜公民館の土砂を重機を使って撤去しています。 本日の活動場所は坂駅前、小屋浦三丁目通り、小屋浦保育園。小屋浦は行方不明者の捜索が続く中での作業です。自衛隊や県警の方々が捜索している中での重機作業は気を使います。 朝6時に出発しても、8時の時点でもうすでに暑い広島です。 できることをひとつひとつ。 特に重機の扱いの上手な人の活躍が望まれています。土砂と共に流されてきた丸太を玉切りするようなケースも多々あります。チェンソーを使える人も大助かりです。 坂町、小屋浦、天応地区、時間はかかるかもしれませんが、地域の方が穏やかな日常をおくれるようになるまでみんなで頑張ります、一緒に頑張りましょう。
広島県安芸郡坂町。坂ボランティア連合ベース 2018年8月7日(火) 市内のコインパーキングで目覚め、安芸郡坂町を目指します。 災害の影響で国道31号線は早朝から大渋滞しています。 坂町(さかちょう)にあるB&G海洋センターの駐車場をおかりして、OPEN JAPAN、DRT-JAPAN、国際学生ボランティア協会ivusa、災害NGO結の4団体のボランティア連合ベースとさせていただいています。 OPEN JAPANでは主に重機を使った土砂の撤去をしています。現場はかなりの土砂の量、復旧までには相当な時間がかかると予想されます。 午前中は坂、小屋浦、呉の天応地区をまわりました。先に作業をしていたOPEN JAPAN理事の助さんが案内してくれ、今日明日の作業場所の見当をつけます。それから坂町のボランティアセンターに伺いました。 午後、わたしはキャンプ地のキッチン環境づくり、匠くんはチェンソーを持って現場で流木等を玉切りして撤去する作業をしています。あまりの暑さに頭がぼーっとします。(上の写真:助さん撮影) 土砂災害の現場は暑さも相まってかなり厳しい環境です。人々の思いやりが清涼剤となります。 この町の人々の心が休まりますよう、今自分ができることをさせていただきたいと思っています。
灯籠流し。 2018年8月6日(月) オープンジャパンのメンバーが広島に集まっています。 このタイミングでミーティングすることになりました。 夕方はドーム前に集まって、今年も灯籠流しのサポートをさせていただきます。 このメンバー、集まるべくして集まったとしか思えません。約束しても予定を組んでも集まらない人たちが自然発生的に広島にいるということ、災害やボランティアというくくりだけではない、何かの力が働いています。
広島。 2018年8月5日(日) 広島に到着しました。 太田川へ献水するため、福島から水を持ってきました。 今年も全国から水を持って集まってきた方たちと「太田川水の祈り」、お水合わせを行いました。 みんなが持ってきた水をひとつに合わせて、太田川に献水します。 今年は豪雨災害があったこともあり、上流から原爆ドームまでのカヌー下りは中止しました。 祈りのサークルを囲むためだけにドーム近くの通称「ポプラ」前に赴きます。 アメリカミシガン州の水、 シチリア島の水、太田川源流の水、青森三内丸山の水、長野県大鹿村の水、四万十川の水、福島の水、毎年いろいろなところからお水たちが集まります。 夕暮れ時、静かな祈りの時間です。 明日は灯籠流し、今年も広島で過ごします。
出発。 2018年8月4日(土) 朝4時起床、水を汲んで出発します。 まずは用事のある群馬県を目指します。途中、近くを通りかかったのでご挨拶。 山梨県でレストランを営む山戸ご夫妻を訪ねました。山戸ご夫妻とは東日本大震災のときのボランティア活動で一緒に過ごしました。その後お二人は東京から山梨に移住し、セルフビルドで住居兼お店を建て、5年目となるレストラン「DILL eat, life.」を経営しています。 山遊びに長けているお二人に是非使っていただきたいものがあり、渡しに行ってきました。 ユカさんが「シゲさんすごく近くにいますよ、呼んでみよう〜。」とキッチンから電話をかけてくれ、久しぶりにアウトドアイベントでも震災ボランティアでも一緒に時を過ごしたシゲさんとも会えました。地に足をつけたいい暮らしをしているんだな、と刺激を受けるひとときです。 「広島、気をつけて行って来てくださいね。」 みんなの気持ちもつなぎながらの長旅です。10時間の運転、車の中には機材や荷物が満載で眠れないので、真夜中すぎに広島付近のPAでテントを張って仮眠中。
関連サイト DILL eat,life.・西日本豪雨災害支援 OPEN JAPANのWEBサイト
ルーフィングフェルト張り。 2018年8月2日(木) 「今日中にルーフィングフェルトを張り終える」これが本日のミッション。ルーフィングフェルトとは屋根の下地材のこと。これさえ張れれば、しばらくは雨をしのぐことができる。 まずは張るための準備として、破風(ハフ)と鼻隠し(ハナカクシ)というパーツを屋根の周りにくっつける。妻側と軒側、どっちが破風でどっちが鼻隠しだっけか・・・といつも迷うのだが、その答えを調べる時間すらもったいないと思うほど時間を切り詰めての作業。 ルーフィングフェルトは結構重たい。全部で10ロールあるのだが、最初の3本は手で持ってハシゴで屋根上まで運んだが、ん?待てよ・・・と。少しでも余計な体力を使わないように使えるものは使うことに。 ロールを広げてタッカーでトントン打っていく作業の繰り返し。日陰ゼロの中、ルーフィングフェルトを1列ずつ敷いていく作業。 ミッションコンプリート。日にちギリギリ、身体クタクタ。なんとかこれで安心して西へ行くことができる。 ちなみに今回購入したアスファルトルーフィングは10本中6本、1本は母屋を作った時のあまり、残りの3本は西予市他、今回の西日本豪雨でボランティア活動中の”ギフノトオルクン”から以前頂いたもの、やっと使う日が来た。他、まだ完成していないけれど、たくさんの方々のサポートのおかげでとりあえず今日、雨仕舞いまでたどりつけたことを記しておく。みんな本当にありがとう。気持ちを形にするからね〜。
屋根板張り。 2018年7月30日〜8月1日 30日、インパクトドリル片手に私も屋根に上ります。 下で材を刻み、上で屋根を打ちつける作業をもくもくと。 大工のやっさんからいただいたインパクトドリルが役立っています。 一箱(400本入り)のビスが空になり、次の箱を開けます。 さすがに手が痛いです、親指に豆ができました。 手を休めている余裕はないので痛みをこらえてひたすら打ちつけます。 スパルタ式上達法かもしれません。 31日、朝練の時間を5時にしました。 今日も屋根張り作業です。 突然のスコールにすべてが中断されます。 張りかけた屋根の継ぎ目から水が滴り落ちています。 西へ向かう日程を調整しなければなりません。 毎日ぎりぎりまで作業です。 8月1日、朝5時、インパクトとスライドノコの音が森にこだまします。作業の手を止め、6時半のラジオ体操も継続中。 日が落ちる頃、なんとか屋根板を張り終えました。 日程を遅らせて遅らせて、作業ができるのはギリギリ明日が最後。 雨仕舞いまでできるかが最大のポイントです。