結婚式@オンライン。 2021年5月30日(日) 今日は結婚式に参加します。 挙式は軽井沢ですが、参列者はオンラインでそれぞれの場所からの参加となります。 現地に行く必要がないので、午前中はお風呂場作業を継続しています。 脱衣所の杉板の壁を張り終え、今日は洗い場の壁の施工です。 ヒノキ材にガラスの塗料を塗って使用します。 お昼時間、結婚式が始まりました。 結婚の誓いと式のあと、新郎新婦から画面を通してみんなにメッセージがありました。 「両親にこの姿を見せることができてよかった。」 新郎がお話していました。本当にそうですね。 お元気なお二人の晴れ姿が拝見できてよかったです。 タケちゃんサット、おめでとうございます。 雨が降ったり止んだりしていますが、再びお風呂場の壁張りをします。 脱衣所の杉板は横に張り、洗い場のヒノキは縦に張っています。 露天で入っていた時の森の景色がとてもよかったので、間柱を抜いて窓を増やすことにしました。 毎日森を見ながらお風呂に入っていると、壁が張られてしまうのがもったいないような気になります。普通は場所が完成してからお風呂に入るので、施工途中でやっぱりこっちの方がいいからといって変更するなんてことはしませんが、作りながら使っているとこういうことが起こります。 「構造上問題がなければ間柱2本を抜いても大丈夫。」 ここに窓を入れます。 でも購入した窓のサイズが合わないみたいです。 さてどうするのか。 ヒノキの端材の活用法。 防虫効果があるそうなので、洋服の収納にひとかけら入れてみようと思います。 市販の防虫剤の代わりに用います。 端材のままでも使えますが、テーブルソーで形を整えます。 カンナをかけて角をおとします。 香りがしなくなったら紙やすりでこすればまたヒノキの香りがするので何度も使えます。 京都のボートビルダーの奥さんオトキさんから教えてもらいました。 焼印を押してみました。 おがくずも不織布に入れてパッケージすれば使えます。 お風呂に入れればヒノキ風呂の香り。 アイディア次第、木はいろいろ活用できます。
再び、お風呂場の施工。 2021年5月29日(土) 「カヌーをやるか、お風呂場をやるか、考えどころだ…。」 雨が続くとお風呂場の作業はできません。 よって、晴れの日が続けばお風呂場作業を優先した方がいいと判断。購入した壁材がカビる前に張りたいです。いつまでにという期限がない自分たちのための作業は、いつやるかを決めるのが弱みで、つねに後回しになりがちです。梅雨も近づき、天候との兼ね合いで着手しました。 作業台は軽トラの荷台、あっという間に森の中に簡易作業場ができました。 脱衣所の壁は杉材、お風呂場の壁はヒノキ材にしました。 山から引いてきた水のパイプが結露するのを防ぐために、パイプに断熱作用のあるペンキを塗りました。果たして効果はいかほどに。 晴れの日には植物も太陽に向かって開きます。 毎年こぼれタネで芽生えてくるカモミールの花を摘みました。かわいいお花、いい香りがします。摘んでは乾かし、カモミールティーに。 今年もタケノコスルメを作りました。 ほんとうにスルメのような味わいで、お酒のつまみに出来たそばからついつい手が伸びます。 ヴィーガンスルメとも呼ばれるタケノコスルメは、湯がいたタケノコに下味をつけて乾燥させたもので、一年間の保存ができます。 このまま食べても、お料理にも使えます。 テント生活時代にホームセンターで購入した干しザルが壊れてきました。壊れない竹ザルを購入すればいいのですが、なかなか欲しいものに出会えません。同じものを買う気もしないので、麻紐で補修してまだまだ使い続けようかと思います。 壊れた籠に紙を貼り、柿渋を塗って使っています。 <匠くんの作業着はハギレで補修。> 壊れないものを購入するのが一番いいのですが、壊れたものを直して使うのが山の生活には欠かせないことのように感じています。すぐに買い物に行けるわけではないので、ネットで購入するか直して使うか、山暮らしではものを捨てるのにも手間がかかります。 簡単な手直し作業で創意工夫を楽しめるといいですね。
田植え手伝い。 2021年5月25〜26日 田植えが始まりました。 お手伝いに四季彩菜工房さんへ。 福島県塙町で、農薬を使わずにお米を作っている農家さんです。ワークショップやエコツーリズム、農家民宿もされています。 昨年経験していたので、なんとなく段取りを覚えていました。 こちらの農家さんはハイブリッドな無農薬農法で、紙マルチを敷いて田植えをしています。紙は活性炭でできていて土に還るので、紙マルチのおかげで除草剤を用いる必要も草取り作業の手間も省くことができます。紙マルチ専用の機械に専用の紙のロール(30kg)を運んでセットするのが匠くんの役目です。田んぼの形に余すところなく田植機を動かすために、距離を測ってガイドを打って見当をつけます。今年は匠くんがガイド係もお手伝いしました。わたしは稲を並べたり、トレーを差し込んだり回収したり片付けながら、機械で植えられなかったところに苗を補植していきます。 長靴で田んぼの中に入っていくと、そのぬかるみの深さで長靴ごとはまってしまいます。今年はゴム留めをおかりしました。田植え用の長靴やゴム留め、手袋など、田植えをしない人は持っていないものがあります。シンプルな用具一つひとつにきちんと機能があって感心してしまいます。 補植作業は手で植えていくのですが、これがけっこう楽しいのです。ふだん食べているお米のことを考えながら、こうしてお米は育てられていくのか、これで何粒できるのか、今日の手植え分でどれくらいの量のお米になるのか、などいろいろなことを考えます。その思いで、一つの苗を大事に大事に扱います。お米を作るとは尊い作業ですね。 最後の最後で雨に振られましたが、無言になりながらもくもくとピッチを上げ、ずぶ濡れになりながらも無事に終えることができました。残りの補植作業は明日に持ち越しです。 二日間の作業ということで、通える距離なのですが今夜は四季彩菜工房さんに泊めていただきました。今夜は隣町の田植えのお手伝いのために東京からのゲストが宿泊予定とのこと。ゲストさんの田植えのお手伝い先は鮫川村のひるてぃ農園さん。こちらも無農薬でお米を作っています。 採れたて野菜の手料理と美味しい飲み物で初めましての夜の宴が思いがけず盛り上がってしまいました。共通の知人がいるので話も進みます。旦那様のご職業はオーケストラ奏者だそうで、私たちの知らない世界のお話を伺うことができ、とても面白かったです。この出会いをきっかけにオーケストラのクラッシックコンサートに行ってみたいと思います。 近年は農家さんだけでの田植えから、体験型農業として一般参加の方々を募るお米作りもさかんに行われています。田植えをイベントとして楽しむのはとてもいいことだと思います。大変な作業もみんなでワイワイやることで楽しく継続できますね。 都会に住んでいてお米作りはできないと思っていても、地方の農家さんと繋がることでお米作りに参加できます。地方に住んでいて田んぼや農機具を所有していなくても、農家さんと繋がることでお米作りに参加することができます。今のようなご時世だからこそ、ワークシェアリング、パラレルワーク、パラレルキャリアの一片として農業に携わってみることもいいきっかけになるかもしれません。土に触れる、植物に触れるというのはいい気分転換にもなります。 5月の満月、田植えを終えた疲労感とともに、たくさんのエネルギーが大地に注がれた喜びも味わうことができました。 太陽と月と地球が一直線上に並ぶ月食、皆既月食が見られた地域もあったようです。次に見られるのは11月19日。その頃には収穫の宴ができるといいですね。
カヌーを作るための準備。 2021年5月19日(水) 注文していた材木を納品してもらいました。 製材所へ行きサワラの丸太を購入、全て柾目でひいてもらいました。 「木を選んで丸太で購入し、注文通りにひいて納品してもらう」 一見普通のことのように聞こえますが、大工でも木工家でも会社組織でもないシロウトの個人が、木を選んで丸太を購入し、注文通りにひいて納品してもらうのには時間と関係性、知識や見通しなど、それができる準備が整わなければ難しいことだと思います。普通はホームセンターで材を購入するか、材木屋さんで製品となっている材を購入するか、知人から分けてもらうかなどだと思います。 家を建てるときに材を購入しようとしたときにも、どのような材をどのように注文すればいいのかわかりませんでした。今お付き合いしている製材所の先代に教えてもらい、今の社長さんとのお付き合いで育まれてきました。 持ち込んだ古材をひいてもらったり 少数ロッドで注文したり 展示会でまとめ買いしたり などなど、木を扱っている方々との関係性で、「こういうことができるのか」「こういうことをやってもらえるのか」ということがわかっていくわけです。 今回匠くんはサワラという木の特性を知り、カヌーの材料として用いてみたいという思いからサワラ材でW&Cカヌーというチャレンジをします。製材所にサワラ材が入手できるかを聞いたところ、ちょうど丸太で入荷したと聞き、丸太で買って柾目でひいてもらうということにしました。 サワラは水に強いのだそうです。でもサワラで舟を作るのは聞いたことがありません。ましてやカヌーを作っている話も聞いたことがありません。これまで杉、ヒノキで作ったことはありますが、サワラはそれよりも軽い木なので、重量を軽減させることができるのではないかと思っています。 理想は女性でもかつげるカヌー。 植物の勢いが増してくる季節です。 旅先から持ってきた植物を植えたり、畑の草を取っていたら1日が終わってしまいました。 野草、山菜に加えて、野菜という人の手で育てる植物も食べられるといいですね。
時間を超える。 2021年5月15〜18日 大工さんに材木を分けていただきに静岡へ行きました。 新茶の季節、お茶どころの道中はきれいに整列した茶畑が青々と光を放っていました。 大工のヤっさんとの出会いは熊本地震の支援活動の現場でした。大工さんしかできないような現場で大工さんもやらないような危険な作業を一緒にやらせていただいたことが縁となりました。ヤっさんはその後も千葉の台風被害の現場にも支援に行き、そこで出会った若い大工ご夫妻とのご縁も伺いました。場所や作業の垣根を超えて、人生の先輩は後輩を育ててくれます。作業や技術だけではない教えです。本来、親方とはこういう人のことをいうのだな、と感じています。 それを支えている奥様の順子さんはお料理上手で育てているお花も色とりどり素晴らしく、思いやりの深い方で社会へのご奉仕もされています。このお二人だから人との繋がりが育まれるのだなと思います。人生の先輩たちから学ぶこと多しです。今回も材木だけでなく、たくさんのエネルギーをわけていただきました。 車に材木を積んだらかなりギリギリの積載量になりました。 10年以上倉庫で保管されていたオーク材です。カヌーの部材が作れます。 この木は多分アメリカで育ち、何十年か前に製材されて日本に運ばれ、静岡の大工さんのところに迎えられました。さらに10年の時を経て今福島へと運ばれてカヌーの材料となります。 この木が生まれたのは私たちの親よりもっと前の時代かもしれません。私たちが生まれる前から存在している命を使わせてもらうことになります。木の命は切られて終わりではありません。数十年経って建材として次の生を全うし、古材となり薪となり灰と化して最後は土へと還ります。そしてその土は次の命を育てます。木の終わりはいったいいつなのか、考えてみるのも面白いですね。 今回匠くんは横浜の実家でひとつの封筒を見つけました。20年前以上前に学生時代の友人に宛てたもので、封筒には封がしてあります。 「多分写真だと思う。持って行こう。」 帰りの道中、その友人を訪ねました。 山暮らしを始めた東京時代の友人ミネのセルフリノベーションした部屋でその封筒を開けました。 「写真じゃない!手紙だ!」 「読む?読むよ。」 本人と匠以外の3人も聞かせてもらうことになり、手紙の朗読が始まりました。 書かれたのは1999年6月22日昼の3時。 22年前に匠くんがミネに宛てて書いたことは、まさに今の自分たちへのメッセージとしか思えない内容でした。 「時間を超えるって、こういうことなのかもしれない。」 今ここでみんながこのメッセージを聞くことになるとは誰も予想していませんでした。この手紙は22年前に書かれましたが、読まれるのは書いてから22年の時を超えた今だったのです。そこにいたみんながそれを確信した夜でした。 <ミネがアートディレクションした雑誌<SDGs特集>と歯磨き粉パッケージ。> 翌日ミネに一山超えたところに住むリョージさんのお家に連れて行ってもらいました。 以前画家が住んでいたというその素敵な家は、リョージさんのセンスでさらに素敵な空間になっていました。 山で暮らしていると、植物や水、土の話になります。自然の中で暮らしているので、目の前にある自然との暮らし方を工夫するようになります。それぞれの環境に応じた創意工夫がとてもおもしろいです。 美しい眺めの中に溶け込んだ畑やガーデンを見渡せる移動式コンポスト、これはかなり興味を引くものでした。 <ヒノキとオレガノの蒸留水。飲んでいた空き瓶に入れてくれました。> リョージさんは私たちが訪れたときにヒノキの葉を蒸留していて、滞在している間にヒノキの蒸留水ができました。その場で瓶詰め、コルクを削って栓をしてくれました。 ペットボトルじゃないのがオシャレです。さすがスタイリストさん。 ダイニングにはリョージさんが作家の田渕義雄さんのところで作ったという木の椅子がありました。田渕さんが愛用していたというアラジンのランプを灯して、昨年亡くなった田渕さんの話をしました。 私たちも一度だけ、信州で山暮らしをしていた田渕さんの家を訪れさせていただいたことがあります。田渕さんの家にはプラスチック製のものがありませんでした。 バケツの取手についていたプラスチックまでも外し、自分で木で持ち手を作り直してしまうほどのプラスチック排除。徹底していました。 「俺は貧乏だから、高いものしか買わない。」 安いものはすぐに壊れてまた買い換えなければならないから、高くても最初から長持ちのするいいものを買うのだと、そう話してくれました。山暮らしの先輩、かっこいい大人でした。 体はなくなっても、このランプを灯したらその人の話ができる。時を超えてまた繋がれたような気がしました。アラジンの魔法のランプ、リョージさんの山の生活によく似合っていました。 今回帰った時に、横浜の家の垣根の手入れをしました。南伊豆に住んでいた時に移植したアロエベラが根付き十数年、何株にも増えたものを一株まで間引きました。すべて処分するのはしのびないので、葉を採取して福島まで持って帰ってきました。 薬用とされる苦いキダチアロエはよくありますが、食用にされる苦くないアロエベラは当時珍しかったのです。 早速食べてみることにしました。 一般的な食べ方はスーパーでも販売されているアロエヨーグルト。 葉のトゲトゲを落とし皮を剥くと、透明のゼリー状の果肉がとれます。このままでも食べられますが、青臭さを消すために2分弱ほどお湯で湯がきました。かなり粘性があります。さらに食べやすく(美味しく)するために小さくカットして梅酵素シロップを垂らして冷蔵庫で冷やしました。 ヨーグルトを食べるときにこのアロエをよく混ぜます。アロエの粘性でまるでカスピ海ヨーグルトのような質感になりました。我が家は自家製豆乳ヨーグルトなので豆乳っぽさが残るのですが、アロエ効果により豆乳っぽさもわからなくなり、これなら毎日美味しく食べられると感じています。 切ったアロエの皮と湯がいたお湯はお風呂に入れました。お湯がつるんとした感じになり、美肌効果のある温泉のようになりました。市販の入浴剤にもアロエエキスが含まれているように、保湿効果があり肌にもよいそうです。 焼酎漬けにすればアロエ酒に、グリセリンを加えれば化粧水になるそうです。 捨てるところなく使え、活用法もたくさんあります。 ヤケドに効くのは有名ですが、化粧水や入浴剤としてお肌に使用でき、食すことによって胃腸や便秘にも効果があります。 植物の恵みは山の中だけではありませんでした。 都会の片隅にも、ベランダのプランターにも、土のあるところであればどこでも何かが生えています。住むところにはその人に必要なものが生えてくるといいますが、植物のテレパシーはもっとすごいのではないかと思います。種から始まり成長し、あらゆる手段で遠いところからもやってきます。距離も時間も環境も超えて、その人に必要なときにやってくる(ことができる)、植物は時間を超えることができるのだな、と数十年前の南伊豆のアロエを福島でいただきながら考えています。
自然をうつす。 2021年5月11日(火) 立夏に至り、日差しが眩しくなってきました。
山の暮らしは静かです。 野草を摘み、畑に種を蒔き、薪でお風呂を沸かしたら1日が終わります。 匠くんは工房の内扉と作業台を製作しています。 いよいよWood&Canvasカヌーの製作にとりかかります。材料やパーツが日本にないため、海外から取り寄せるもの、素材を日本で探して自分で調合して試作するもの、国内の工場にオーダーして製作してもらうものなど、作り始める前段階の準備に時間を使います。 日毎に新緑が青葉に変わっていきます。 上溝桜(ウワミズザクラ)が咲き始めました。 町に降りることもなく、日々食べるものを採りに森の中を歩いています。 ウドは飛んできた種と移植したものとが自生して敷地内で収穫できるようになりました。クレソンは藤野に住む友人から分けてもらったものが根付き、今では採りきれないほどになっています。セリはセリご飯に、ヨモギは草餅やパン、パウンドケーキに入れています。ミツバやウルイ、ミョウガダケは汁の実に、シドケやワラビ、フキのおかずが食卓に並びます。 今年はハコベで歯磨き粉を作ってみようと思います。野草には効能があり、薬草として用いることができます。種まきもお世話も必要とせず、季節になると元気に芽吹いて、これぞ地球という感じがします。 窓から見る景色は緑一色。虫が出始め、季節がどんどん動いていきます。このご時世のおかげさま、山で過ごす時間が増え、季節の動きや植物の芽吹きが1日ごとに変わっていくのを感じています。植物は静かですがその働きには確実性があり、まるでウサギとカメの物語のように、こちらがうかうかしている間にいつの間にかゴールに達しているので毎日観察していて飽きません。 畑はうって変わってこちらがコントロールしていかなければ育たないものです。水撒きしながら種が発芽するのを毎日観察しています。 この森の生活の中から、「はからめ月の暦」が生まれます。 季節に咲く花、日々の食材の野草、もくもくとやるしかない土木作業や木工作業、今すぐ答えを見つけられなくても、継続してやり続けることで見えてくるもの、完成していくものがあります。 自然は待ってくれません。今を逃したらまた来年となります。上司も部下も納期もないので、決めるのは自分、今やるかやらないか、毎日が選択の連続です。ここでの暮らしはこれまでの選択の結果、今やらなければその結果が自分に表れます。半年後だったり一年後だったり、気づけば10年経っていました。日々それを意識して暮らすには1日とはあっという間に過ぎていきます。生きている時間を考えるようになりました。 はからめ月の暦に映し出しているものは私たちの旅や山の生活の中から生み出されています。自分たちが作っているのか、自然が作っているのか、わたしはただの代弁者として形に表しているだけなのかもしれないと思うところが多くなりました。時代とともに、暦のあり方や表現の仕方が変化していきます。それこそが生きている証なのかもしれません。