朝のミーティング
OPEN JAPAN支援ベース 3日目
  2025年2月10日(月)

昨夜は積雪量が少なかったため、今朝の雪かきは重機1台ですませてくれました。
ミーティングは8時15分から、参加者は17名 。昨夜OPEN JAPANベースに宿泊した「災害NGO結」のメンバーゆいちゃん、「災害NGOうみ」のうみくん、「タビイク」のタクトさんシュシュさん、チェリーさん、 かさねさん。昨晩は他団体の若者たちと交流の場を持ちました。

石川さゆり
(能登町役場のロビー風景)

本日の活動、災害支援チーム代表のひーさーは佐賀へ県社協と打ち合わせに、重機隊は除雪作業、写真洗浄会を東京で開催するのでK1(ケーイチ)さんは東京へ、わたしたちは能登町の三輪福さんのお宅へ寄って除雪をしてから福島へ。

リュウノテッテ

重機を購入し「リュウノテッテ」という活動を始めた三輪福さんのところへ伺いました。昨日パトロール隊と一緒に寄らせていただいた際に屋根の雪が出入り口を塞ぐほど積もっていたので、何かお手伝いできることがあればと連絡を入れていました。

リュウノテッテ

昨年匠がロゴデザインした「リュウノテッテ」、そのステッカーが貼ってあるユンボに乗って、通路と駐車場エリアの除雪、雪で出せなくなっている軽トラまわりの除雪を行いました。玄関前の道は狭く、道路側は坂道なのでユンボでの除雪は熟練した技術がないと難しい作業です。
わたしはスコップでユンボの手を入れられない箇所の雪かきをしました。
今回の能登半島、雪かきに始まり雪かきに終わる、まさに一番の豪雪時に来たことを身をもって実感した日々でした。

リュウノテッテ

今回の能登での活動は雪の厳しい環境ではありましたが、その分仲間たちと過ごす時間や現地の方との繋がりを感じることができたありがたい時間でした。
現地に一年以上滞在している仲間たちは能登の生活が板についてきて、能登のよさを感じながら生活しているようで、ずいぶんリラックスした様子でした。一年前、半年前、そして今と経過を追って見ている私たちは、人の繋がりの継続がこの場をよくしていっているのだと感じ、粘り強さの大切さを感じました。地元の方々との交流もですが、他県から頻繁に訪れてくるボランティアがOPEN JAPANをベースとして活用し、その中で助け合い学び合うことが自然と行われているように思え、国や行政の支援の手が届かない、復興が遅いなどの報道よりも、できることをもくもくと行っていく個人の力が増えていることの影響力を感じています。災害が多ければ多いほど、関わるボランティアの数は増えていく訳で、支援を受けた側が次の支援者になるという循環が生まれています。

ストーンショップ日月

能登を後に、月のカレンダーのお取り扱いをしていただいている富山の「ストーンショップ日月」さんにご挨拶に伺いました。能登半島地震での災害支援にも心を寄せていただき、OPEN JAPANの活動を支えてくださっています。バウさん(阪神淡路大震災のときの支援活動神戸元気村の代表)の本も読んでいただき、活動している根底にある精神性なども知っていただいています。
店内にはOPEN JAPANの報告書も置いてくださっていて、読んでくれているんだと嬉しい気持ちになりました。

福島に戻ったら今制作している報告書を仕上げる作業に入ります。まとめ上げるのは大変ですが、読んでくださる方がいるのだと思うとやりがいも感じます。そしてその報告書が多くの方々の支援に繋がると思うと、わたしたちのできることを精一杯やっていこうという気持ちになります。今回短期間でしかもいちばんの豪雪時という環境ではありましたが、このタイミングで現地を訪れてよかったと思います。



関連サイト : OPEN JAPAN 災害支援  ・ 梅茶翁  ・ ストーンショップ日月

朝の雪かき
OPEN JAPAN支援ベース 2日目
  2025年2月9日(日)

朝の雪かき、気合いを入れて行ったら一番乗りでした。雪用スコップとママさんダンプという道具を使って雪かきをし、車を移動して効率よくユンボで除雪もしています
朝のミーティングは8時、参加者15名 。

朝のミーティング

本日の活動は、重機による除雪、これは住民さん方が自主訓練できるように重機講習会としても行っていくということ、輪島で動かない車の修理、 雪による被害のパトロール、写真洗浄会開催の広報活動などなど。

能登町にて除雪作業

私はパトロールチームに同行させてもらいました。
能登町付近の集落の中で、雪が玄関を塞いでいるお宅を伺い、お困りごとなどを伺いました。
一人暮らしの体の不自由な高齢者の方に出会い、雪かきができず玄関前が雪で塞がっていたところを3人で雪かきし、玄関から道までを啓開していきます。毛布などの防寒具や非常食をお届けし、状況を仲間に伝えました。

車のレスキュー

実際に足を運ばなければわからないことがありました。大雪で一人でどうすることもできずに孤立している方々がいるということ、社協や地域の方々の支援の行き届かないところへ手を差し伸べる活動も大切だと感じました。仮設住宅へも足を運びましたが、仮設住宅は集合住宅なので人が出入りしているのがわかり、助け合って雪かきをしていました。地域の方々に話を聞いたり、雪でスタックしている車を助けたり、外に出ると助け合うことがいくつも出てきます。

能登町にて除雪作業

匠くんは重機チームと一緒に行動し、ダンプで雪を運んでいました。

活動のあと、仲間と温泉に行きました。ありがたいことにボランティアへ無料で入浴を提供してく れています。(入浴には活動団体のチケットの掲示が必要です)

災害から一年以上が経過し、時の流れを感じる場面と時が止まったままの姿とを目にしています。

能登町にて除雪作業

ボランティア活動は体が資本なので、食生活には気を遣っています。
OPEN JAPANの食事情は基本自炊でみんなの分を作ります。白米は毎日炊いています。
活力鍋を持参したので、わたしたちがいる間は毎日小豆玄米を炊いて保温ジャーに常備し、白米と玄米とを選べるようにしてみました。
食卓には梅干しを置いています。基本調味料となるものもできるだけ自然発酵されたものや天然だしを用いています。地元のスーパー「どんたく」では手頃な価格で自然派のものが手に入ります。
共同生活なので食事はみんなの分を作りますが、 苦手なものやこだわりのある方、ヴィーガンの人が来ても自炊できる環境です。
能登は魚が美味しいのでお刺身などの食材も手に入り、ときどき地元の魚屋さんに旬のものを注文していただくということもあります。長期ボランティアに希望を聞くと、肉料理が喜ばれるようでした。料理好きのボランティアの方が食事作りをしてくれることも多く、食が豊かだとみんなの士気もあがります。

今夜は災害支援チーム代表のひーさーが他団体の若者を招待し、地元の魚屋さんにお刺身を注文し、秋田から送ってもらったきりたんぽで鍋を作ってくれました。
「こういう時だからこそ(大寒波で豪雪が続く)美味しいものを食べて元気出さなきゃ。いつもこんな豪華な食事しているわけじゃないよ。」
活動現場のことだけでなく、仲間たちのこともねぎらってくれます。OPEN JAPANのベースが長く続けられるのはこういうチームワークを作ってくれるからなのだと思います。



関連サイト : OPEN JAPAN 災害支援

朝の雪かき
OPEN JAPAN支援ベース
  2025年2月8日(土)

朝6時頃からベース駐車場の雪かきが始まります。夜の間に降り積もり、明け方除雪車が入ってくれたそうですが、もう道も車も真っ白です。早起きチーム7、8人で車の雪下ろしと駐車場の雪かき、ユンボも出動して除雪しました。
朝のミーティングは8時から。参加者14名&能登町役場の小川さんも参加し、町内の除雪の要請を受けます。雪で車が出られなくなってしまったところの除雪とその雪の運搬など、道が通れるように誘導しながらの作業です。
能登空港の飛行機も欠航となり、今日来るはずのボランティアも次々とキャンセルとなりました。長期組と神奈川から来た重機オペレーター親子、わたしたち二人の静かなOPEN JAPANベースです。
本日の活動は写真洗浄、輪島での大工作業、重機による道の啓開作業、活動報告書の製作会議など。

スーパーで買い物

自炊しているボランティアベース、足りない調味料や食材をチェックし、午前中に買い出しに行きました。途中坂道で車がスタックしていたり、慣れない雪道運転は乗っているだけでもちょっと怖かったです。駐車場で車を前に移動させるだけでも、雪を越えられずなかなか発進できませんでした。
地元のスーパーにはたくさんの食材が並んでいます。この天候でも地元のお店は通常営業していました。地元の人曰く、ここまでの悪天候は4年ぶりくらいだそうです。雪には慣れているようで、常にスコップや防寒着などを車に装備していると伺いました。

活動報告書製作

OPEN JAPAN の活動報告書を製作しています。
事前に内容と台割までをzoom打ち合わせし、細かい詰めを現場で話し合っています。

今日はみんなの食事作りをしました。
OPEN JAPAN のベースとしてお借りしている建物にはキッチンがないので、コンテナに簡易キッチンを作って日々の食事を賄っています。コンテナ内に簡易水道を通していたのですが、この寒波で水道が凍ってしまい、水が使えません。水タンクに水を汲んで、水の出ない頃を思い出しながら節約しながら料理をしています。
水タンクを運びながら、
「一年前の水が出なかったときと一緒だね」と匠くん。
20リッターのタンクを持ち上げるのが大変なので、タンクを乗せる台を作ってもらいました。

夕食の時に仲間から、現場から戻る途中で車がスタックしてしまったと連絡が入ります。技術のある何人かが食事を中断してすぐにレスキューに向かいました。
無事にけん引できベースまで戻ってきましたが、気をつけて行動していても何が起こるかわかりません。食事のときも今日の現場の報告や次の案件などの情報共有をしています。



関連サイト : OPEN JAPAN 災害支援

和倉温泉
能登入り
  2025年2月7日(金)

大雪の長野を出発し、能登半島に入りました
雪で通れない道もあり、思ったよりずいぶん時間がかかりました。


半年ぶりの能登半島です。
道中、以前お休みで入れなかった和倉温泉に立ち寄りました。
大雪のため人がほとんどいませんでしたが、通常営業していたので入浴させていただくことができました。能登で入る初めての温泉です。
雪がどんどん激しくなり、穴水町を越えたあたりから車の数もぐっと減りました。雪の轍でスリップし、徐行運転で能登町のOPEN JAPANベースを目指します。

オープンジャパンのベース

事故もなく無事に到着。吹雪と雷、こんなに荒れた天候の中を移動するのは初めてでちょっと怖かったです。今週末来る予定だったボランティアの方々も悪天候によりキャンセルとなり、能登の自然を肌で感じています。



関連サイト : OPEN JAPAN 災害支援

雪雪雪
初午、長野から能登へ
  2025年2月6日(木)

2月最初の午の日のことを初午といいます。その年の豊作祈願をしていたものが稲荷信仰と結びつき、稲荷社の祭りの日となりました。農業の繁栄と地域の発展を祈願するものとして広められました。
いじわるばあさんにて

長野経由で能登半島へ向かいます。
長野では月のカレンダーをお取り扱いいただいているレストラン「いじわるばあさん」に寄らせていただきました。AP Sorazoraというブランドを立ち上げイギリスで月のカレンダーのお取り扱いをしてくださっているHIromixさんが帰国中で、「いじわるばあさん」で展示会をしているというのでこのタイミングで会いに行きました。
Sorazoraは草木染め天然素材の衣服ブランド、Hiromixさんがネパールで糸染めの工程から生地作り服作りに至るまで一貫して制作しています。
長野県茅野市にある「いじわるばあさん」は地元ジビエ料理とSorazoraのブランドも置いてあるレストラン、こちらの伊藤絵美さんにもお会いできました。
集まってくるご友人に共通の友人がいたり、偶然のような必然の出会いでした。
能登へのご関心もいただき、OPEN JAPAN の活動もお話させていただきました。ひとりひとりの力は小さくても、ひとりひとりの意識は広がっていきます。とても有意義な楽しい時間でした。

ヒューマンシールド神戸の報告書

長野市まで向かい、「ヒューマンシールド神戸」代表の吉村誠司さん(通称助さん)
とお会いしました。助さんは阪神淡路大震災の頃からずっと継続して各地へ赴き災害支援活動をしている方で、今のOPEN JAPANの災害支援の形を作ってきた大先輩です。ちょうど「ヒューマンシールド神戸」の報告書も制作していて、直接お会いして最終校正などしながら、豪雪時の現場での注意点や心構えなども伺いました。

諸先輩方のおかげで今のOPEN JAPANがあります。
同時期にOPEN JAPANの報告書の制作もあり、能登で現地の仲間たちと過ごしながら現場の声を伝えられたらと思います。



関連サイト : Sorazora  ・ いじわるばあさん  ・ ヒューマンシールド神戸  ・ OPEN JAPAN 災害支援

セリを頂く
旧人日
  2025年2月4日(火)

旧暦一月七日の朝に食すと邪気を祓い万病を除くといわれています。平安時代には米、粟、黍、蓑米、胡麻、小豆の7種の雑穀を用いていました (はからめ月の手帳より)

セリ・すずな

人日(じんじつ)とは古代中国に由来します。正月元旦(一月一日)を鶏、二日から順に狗、猪、羊、牛、馬の日とし、動物に見立てた占いを行ってその動物を殺さないようにしていました。七日目は人の日として、人への刑罰(死刑)を行わないとしました。この日には無病息災を願って7種の野菜を入れたあつものを食する習慣があり、それが日本に伝わり七草粥となりました。
奈良〜平安時代に伝わったこの習慣は江戸時幕府では公式行事となり、武士も七草粥を食していたそうです。

七草粥

雪原を歩いて春の芽吹を収穫し、3種の野草と4種の穀物で七草粥を作りました。
この美味しさは味覚だけでなく、大地からのエネルギーをいただいている超感覚にも働きかけます。薪ストーブの上で土鍋で炊けば、木火土火水のエネルギーも加わり七種と五行、立春正月を迎えた新年らしい兆しを感じます。



関連サイト : 「暦と暮らす こよみのクラス 2025 春」のページ

立春大吉
立春、飛天双○能(ひてんふたわのう)
  2025年2月3日(月)

立春は陰陽五行説では1年の始まりとされています。よって、雑節の八十八夜、二百十日などは全て立春から起算しているものです。立春には昆布(よろこぶ)、節分に撒いた豆(まめに働く)、梅干し(梅は縁起が良い)の入った福茶を飲み、1年間の無病息災を願う習慣があります。

立春の早朝禅寺では「立春大吉」と書いたお札を門に貼る習慣があります。立春大吉は縦書きすると左右対称となり、紙の裏から見ても立春大吉なため、家の中に入ってきた鬼が「まだ家の外だったのか」と勘違いして家の外へ出て行くという言い伝えがあります。 (はからめ月の手帳より)

二十四節気の立春、暦の上では春、日脚が徐々に伸びる頃です。
七十二候では「東風解凍(はるかぜこおりをとく)」、春を感じる暖かな風が氷を解かしはじめる頃です。
立春正月といって、立春を1年の始まりとする考え方もあります。これは春の始まりを1年の始まりとしてとらえる暦で、二十四節気、七十二候など、現在も暦の起点として用いられています。

チーム飛天双○能(ひてんふたわのう)

能楽士の大倉正之助さんと映画監督の川瀬美香さんがはからめランドを訪れてくれました。
山形県鶴岡市の黒川能を観に行かれた帰りの道中でお寄りくださいました。
お二人から伺うお話はまるで映画を観ているかのようで、一舞台ごとのエピソードを伺えば連続もののドラマのようにも思えてきます。
12年かけて12箇所で能舞台を奉納される「飛天双○能(ひてんふたわのう)」、今年は3月8日に広島県鞆の浦で奉納されます。関わる方々のことを「千年チーム」とよんでいましたが、見えない存在と一緒に作り上げていく舞台は千年の時を超えるものとなるでしょう。
立春の日に思わぬ楽しいお話を伺うことができました。
3月8日の鞆の浦で奉納される「飛天双○能」、能の拝覧だけでなく、シンポジウムも無料で参加できるとのこと、これは嬉しいですね。
こよみのお話会ツアーの道中、わたしたちも参加させていただきたいと思います。



関連サイト : 飛天双○能  ・ 大倉正之助さんのWEBサイト  ・ 川瀬美香さんの関連作品<映画.com>

雪景色
節分
  2025年2月2日(日)

節分は二十四節気の立春、立夏、立秋、立冬の前日と決められています。太陽の動きにより日付が変わるので、今年の節分は2月2日となります。(はからめ月のカレンダーより)

節分はそれぞれ四季が移り変わる時のことをいい、年に4度訪れます。立春正月の考えでは立春前日の節分が大晦日にあたるため、一年最後の日として福豆を撒き邪気を払う儀式など幸せを願ういろいろな行事が行われてきました。(はからめ月の手帳より)


二月の絵はカモスイ?

節分には豆を撒く、恵方巻きを食べるなどの節分行事があります。当たり前のように行われているその行事にはどんな意味があるのでしょうか。なぜそれを行うのかということを考えると、見えてくるものがあると思います。



関連サイト : 「暦と暮らす こよみのクラス 2025 春」のページ
 >2025年1月