A Moon Calendar of the people

壮吉さん(左)と桂子さん(右)2006年5月 能登半島 珠洲 高島さん宅

2006年4月29日、富山アースデイが終わり、ふと自分たちがいる所を再確認。当たり前だが富山である。日本海だ。「これは能登も近いぞ」と思い、以前四万十で出会った壮吉さんと桂子さんの高島さん夫妻に連絡。それから数日後に伺わせてもらうことになった。
富山から能登、近いと思ったら大間違い。しかも高島さんの家は能登半島の先端の街、珠洲というところだ。走っても走ってもなかなかたどり着かない。やっとたどり着き、壮吉さんが迎え入れてくれた場所は、辺りを見回しても人が住んでいる家が見えないくらい広く、緑に囲まれた素敵なところだった。後で話を聞くと、この広い場所は、人の手が入っていなかったところを何年もかけて開拓した土地だという。初め2,3年は草刈器などの機械を入れられず、手で刈っていったという話しも聞かせてもらった。すごい。さっそく来る途中で購入した瓶ビールをポンと開けた。

高島さん夫婦は半球のドームハウスで生活をしている。天井に五角形の明り取りがあり、驚くほど中は明るい。普段僕たちが生活している部屋は四角く仕切られているにもかかわらず、なぜか落ち着く半球の壁なのか天上なのか分からない三角形を組み合わせたこの空間。

外に生えている植物を見ていると、壮吉さんがアスパラをつんでさっと火を通して出してくれた。甘い、美味しい。それから始まり高島家の食べ物は美味しく驚かされるものばかりだ。美味しい魚が食べたいと思って能登にやって来た高島さん夫婦。僕たちがいるからお刺身とか、手の凝ったお料理を出してくれているのではなく、これが日常だと言っていた。とにかく何品も出していただいた。ホントすごいなぁと思い、しつこく「ほんとに毎日こんな料理なんですか?」と聞いてみると、「やっぱり1、2品多い」と言っていた。

五角形明り取りと「月のカレンダー」 最近は芋焼酎の湯割りと言っている壮吉さん、少ししてから帰ってきた桂子さん、そして僕も佳子もこの日は飲んだ。話もはずみ、どんどん出てくる話題はやはり生活の事だった。とにかく魅力的。自分たちで作ったこの家の話、絞った醤油や作ったソース、味噌に関しては黒豆の味噌、栗の味噌などとにかく面白い事ばかりだった。桂子さんは草木染をするところから洋服や帽子にするところまで全て手作業で物を作ってしまう。以前その桂子さんが作った帽子が僕の頭にもやってきた事があったのだが、今は残念ながら四万十川から太平洋、そしてアラスカ、アメリカあたりを旅している頃かと思われる。今回の訪問はその報告も兼ねていた。帽子は頭から離れてしまったのにその記憶はなかなか離れない、そんな素敵な帽子だった。

四万十経由で能登にやってきた高島家の「はからめ月のカレンダー」は、居間に座っている誰もから見えるところで使われていた。「どうですか?このカレンダー・・・」と聞いてみると「いつも夜に外出ると月見えるじゃん、うちらにとっては当たり前なんだよね。」と。確かに、ここに住んでいる人には、外に出ればもっと大きなそしてもっと正確なカレンダーが空に広がっているんだよなぁ、と大きな気持ちで考えてみた。

ドームハウス 高島さん夫妻と話をしていて思ったのが、「あれもやってみたんだけれど、やっぱりこっちが良かった。」とか「ずーっとこうだと思っていたんだけれど、やっぱりこっちのほうが良かった。」などといった、経験があって今を実感している、本物の意見と言うか、毎日の生活が全て明日に生かされているような、全てに意味があるような、そんな事だ。僕たちも意識はしなくとも、明日へつながる生活をしていきたいと思った。

次の日もお世話になり、とてもゆっくりとした時間をプレゼントしてもらった気分だった。帰る日にたくさん頂き物をした。セロリ一株、藍(藍染の藍)一株、レモンバーム、青海苔、壮吉さん手製のソース、などなど。一番大きな頂き物はやっぱり一緒に過ごした時間。人に時間のプレゼントができる人になりたいと思った。さっきから〜したいとか、〜になりたいとか言っているが、本当に僕にとっては欲が増えて仕方ない日々だった。 (匠)

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