アースデイ東京
ライダー&ライダー
 2024年4月16〜17日

はからめランドに強そうなバイクが2台。
遠方より会いに来てくれました。

アースデイ東京、OPEN JAPANの写真展示


バイクにもカヌーにも乗られる方々です。



アースデイ東京
アースデイ東京
 2024年4月12〜14日

13日14日、東京の代々木公園で開催されるアースデイ東京にOPEN JAPAN として出展しました。能登半島地震の災害支援として行っている炊き出しで主に作っている「元気鍋」と活動報告写真の展示、災害支援チームリーダーの肥田ひーさーの対談などが行われました。

アースデイ東京、OPEN JAPANの写真展示

Wood&Canvas Canoeをテーブルに、報告書を見てもらったり、今の能登での活動へ興味を持ってもらえるようお話をしたり、なつかしい友人知人やボランティア活動を一緒にした仲間たちも訪れてくれ、絶え間なくコミュニケーションが生まれていました。

アースデイ東京、肥田ひーさー

災害支援チームのリーダー、肥田ひーさーと「わかものと」という団体を立ち上げた若者とアースデイ東京のハッタさんの対談もありました。今の能登半島の空気感を感じ取っていただけたのではないかと思います。

「災害は支援ではなく学びの場」
「ひとりひとりが学ぶのではなく、国が学ばなければ」
「災害は常に起きている。避難所で毛布をもらう側ではなく、配る側になって欲しい」

そんなメッセージを伝えていました。

アースデイ東京、炊き出し

珠洲市から、能登への支援活動のために赤坂に来ていたタイミングで雅も来てくれました。
「珠洲で食べられない炊き出しが東京で食べられる!」
笑いながら話しますが、リアルな話でもあります。炊き出しはどんどん減って行き、家に戻って暮らしていても水はまだ出ず、再開しているお店まで行くのには遠すぎるという状態が続いています。未だ日常は取り戻せずに、炊き出しを必要としている人々が今もいるという現状があります。

2006年のアースデイ東京
(2006年4月22日に行われたアースデイ東京の写真)

かつて東京に住んでいたときに「アースデイ東京」に参加していたことがあります。企画も出して2006年のアースデイには「アースデイワークショップカフェ」というエリアを担当していました。月火水木金土日という7つのブースをつくり、月のこと(月のカレンダー)、火のこと(エネルギー)、水のこと(カヌー)、木のこと(木版画)、金(地域通貨)、土(コンポスト)を通して地球のことを考えようという企画でした。そのときに展示したカヌーが時を経て今、自作のカヌーになり、そのときに出会った人に再び今出会うという奇跡に感慨深いものを感じます。歴史は円を描くように螺旋状に繰り返していくのかもしれません。

ボランティア募集

アースデイ東京さんの方で、ゴールデンウィークの5月2〜3日にかけて、「天ぷらバスで行く!能登半島地震復興支援GWボランティアツアー」を企画してくれました。こちらのツアーに参加して一緒にOPEN JAPANで活動してくれる方を募集しています。



関連サイト :  OPEN JAPAN 災害支援  : アースデイ東京

OPEN JAPAN災害支援
能登から出発
 2024年4月11日(木)

今朝は情報共有のためのミーティングが7時45分、災害支援チームリーダーのひーさーの話からはじまりました。参加人数20人。8時からは外でラジオ体操、その後本日の活動のためのミーティングが行われます。

能登町では農林課が土砂の撤去をすることになったそうです。
今後の動きを社協とどう共有するか、町の復興はインフラの復興が主で、人の復興支援が弱いと指摘をし、NPOとの調整をしてくれる調整係の方を役場の健康福祉課の方にお願いしました。

仮設住宅にはJOCAが支援に入ることになりましたが、1団体だけではあきらかに人手が足りません。OPEN JAPANとしては仮設をほっておくことはできないので、どう支援していくかがこれからの課題でもあります。

大工系のボランティアも現調しながら社協からのニーズ調整もしています。
現在は重機よりも家屋系のニーズが多く上がっています。

支援活動はサロン活動と、大工や重機などの現場での作業があり、役割分担が必要とされます。ニーズをどう拾っていくか、そのニーズをニーズ表に記入して社協と情報共有していくことが大事です。

OPEN JAPAN災害支援

災害現場での支援活動はある意味、特殊な世界といえるかもしれません。
日々刻々と変わっていく町と人の動きにどうやって貢献していくことができるか、自分ができる最大限を毎日繰り返す日々です。

OPEN JAPANとともにボランティア活動をする仲間たちは誰かの縁でつながる仲間たちが多く、今回の能登半島地震の支援で集まる方々の中には、過去のなつかしい友人知人との再会も多々起きています。10年ぶり、20年ぶりという声や、ここでまた会うとは!という出会いがあります。
この偶然と思えることはすべて必然であり、被災地に関わることで生じる出来事は大きな意味を感じさせてくれます。

三輪福さん

個人的なつながりもあります。
以前福島で会った三輪福さん。能登町在住、山の上の方にある日本家屋に住んでいます。お家は無事で、山の水と薪の生活をされているので被害は少ないそうですが、まわりの状況を復旧するために資金を集めて重機を購入されたそうです。グッドタイミングで訪れたようで、今後わたしたちも協力させていただくことになりそうです。

ボランティア、待っています。
(ボランティア、待っています。)

代々木公園で開催されるアースデイ東京に出展するため、荷物の積み込みをして能登町役場にて高速道路の無料措置の申請書の印鑑をもらって出発します。
大鍋による炊き出しと能登での支援活動の報告、そしてボランティアの募集に行ってきます。
現場を離れてイベントに参加することとなりますが、能登の現状を伝えることだけでなく、東京で災害が起こったときにどうするか、現地の災害支援だけではないOPEN JAPANの活動としても意味があることだと考えます。



関連サイト :  OPEN JAPAN 災害支援

瓦プロジェクト
瓦プロジェクト
 2024年4月10日(水)

本日は快晴にて、朝8:00にミーティングは外で、ラジオ体操からスタートしました。参加人数20人。
ミーティング後はそれぞれチームごとに現場へ向かいます。
本日の活動は公民館でのサロン、家の片付け「瓦プロジェクト」、白山神社の重機作業の3チームです。

私たちは珠洲市のお宅の瓦を降ろす作業「瓦プロジェクト」9人のチームで動きます。
匠くんは重機を使って大きなものを片付け、みんなで手作業で分別しながら片付けていきます。

わたしはみんなのお昼ご飯の賄い準備もさせていただきました。
キャンプ道具を使ってみんなの食事エリアを作ります。
今回のチームはカヌー仲間も参加してくれて、いつも使っているキャンプ道具を手際よくセッティングしてくれました。
災害時でも、キャンプ時でも、同じ道具が役に立ちます。

瓦プロジェクト

社協からのボランティア8名も加わり作業スピードも早まります。

金沢で避難生活をしている家主さんご夫妻も一緒に作業をしました。
ご友人方もお手伝いに来て、みんなで一緒にご飯を食べたり休憩したり…。
3月に市場が再開したとのことで、魚屋さんで能登の魚が手に入るようになり、今回初めて能登の魚を食べました 。

こういう時間が大切なんだな、と感じます。
作業はもちろん早く進んだ方がいいのですが、同時に心の整理ができるような環境もすごく大事なことで、それなしにはこれからどうやって前に進むのかを考える余裕が持てないのではないかと思います。

ランチ準備

わたしたちはこちらの家主、荘吉さんけいこさんご夫妻を2006年に訪れたことがあり、まさにそのときにセルフビルドで建てていたお家が今の地震で倒壊してしまったのでした。少しでもお二人の力になれたら、との思いで今回作業をさせていただきました。
荘吉さんけいこさんとは四万十塾のとーるくんとのご縁で知り合いました。今回の「瓦プロジェクト」はとーるくんがリーダーとなってみんなを集結し、段取りや作業まで力を注いでいました。

どの現場でも思うことですが、片付けが進むことによって、家主さんの気持ちも前に進める兆しを見出すことができるということ、動かしているのは体ですが、それによって動かされるのは心です。

ランチ

現場作業が終わってから、2月の給水支援で入ったコインコインランドリーを運営している雅に会いに行きました。先日4月1日東京での対談で会ったばかり、
「ほんと会える時はすごいタイミングで会えるね。」
被災地で行動していると、偶然ではなく必然によって動かされていることを感じます。
雅は正院という地区のほとんどが全壊しているような場所に奇跡的にほぼ無傷に近い状態で建っている大きな一軒家をお借りしていました。電気は来ていますが、水は出ません。食事やお風呂など、まだ不便な生活が続いています。ご飯作るの大変そうだな、と思い今日の現場のご飯の残りを渡すと、「やったー!これで明日の朝の分にもなる!」と自炊できるとはいえ、やはり食事は不便しているようでした。
炊き出しはどんどん減っていますが、こうして水の出ない環境で片付け作業をしながら暮らしている人もいるのだと思うと、まだまだ炊き出しを必要としている方々もいるのだという現状を知ります。

食洗機カー
(バーベキューに合わせて食洗機カーのデモンストレーション)

暗くなってからベースに戻ると、緊急支援チームのリーダーのひーさーが金沢での打ち合わせから戻り、「今日はバーベキューだ!」とみんなをねぎらってお肉やお魚を用意してくれていました。 「サザエ買ってきたよ。宇出津の魚も買ってきたから。」
わたしがお肉を食べないことを気遣ってくれ、戻りが遅い仲間の分もちゃんと残しておいてあげるという気遣いも。こうやってお互い助け合って高め合って、OPENJAPANのメンバーは今の日本を縁の下から支えているのだと感じています。



関連サイト :  OPEN JAPAN 災害支援

オープンジャパン能登ベース
再び能登へ
 2024年4月9日(火)

昨夜能登に着きました。
2ヶ月ぶりの能登半島、能登町にベースを構えるOPEN JAPANにて活動しています。

本日のミーティング8:00、参加人数18人。
雨のため、予定していた屋根の瓦降ろし作業は明日に延期となりました。
報告書が仕上がり、その発送作業をしております。

酒垂神社 加藤宮司

前回ご縁をいただきOPEN JAPANで倒壊した鳥居の撤去作業をさせていただいた酒垂神社の宮司さんにご挨拶に伺いました。加藤宮司さんには報告書にも寄稿していただきました。
酒垂神社の片付け作業がきっかけとなり、他の神社の片付け支援が始まっていったという経緯もあり、町の依代が復興していくことでまつりの準備へと続いていくという流れができています。

宮司さんから伺う話は見えない世界の話でした。
前回わたしたちが能登から伊勢に向かう話をしたあとに他の方からも伊勢神宮へ行く話があり、その後京都のお寺からご縁をいただいた方から「伊勢神宮へ行ってください。」というメッセージをもらい、3月5日に奥様と伊勢神宮へ参拝されたと伺いました。

酒垂神社の御祭神は大山祇命(おおやまづみのみこと)、山と海と酒の神だそうです。
話は古事記から本居宣長の玉勝間、おちょうめちょうの話へと続きます。
興味深いお話に時間を忘れて聞き入ってしまいました。

封入大会

熊本地震のときのボランティア活動で会ったミユキさんもOPEN JAPANのベースで活動していました。ミユキさんはサロン活動(お茶会)をしながらニーズを拾い、お困りごとを伺う以外に、発災当初のことを聞き取り、今後の災害に生かすための活動もされているそうです。災害時女性支援プロジェクトを立ち上げ、今回初めて能登で女性支援に行政を巻き込む前例を作れたことが大きな成果だと話していました。

今日まで活動していた沖縄から来たボランティアの方からも話を伺いました。沖縄は台湾地震の影響で津波の心配があったばかりです。こうして被災地で活動することによって、沖縄での防災意識や災害が起きた時にどう行動するかなどを考えたと伺いました。

緊急支援からフェーズが変わり、今現在の支援活動だけでなく、これからのことへと繋げていく動きが見えはじめています。

デザイン作業

現場で作るデザイン業務もあります。
夜は夜で遅くまで作業が続きます。





関連サイト :  OPEN JAPAN 災害支援

残りのプランキング
キャンバスを張る
 2024年4月5〜8日

カヌーを型から外し、デッキを取り付け空白を埋めていきます。

クリンチング大会

クリンチングアイアンを使って釘を締めていきます。
使っているのは真鍮の釘2000本。

サンディング大会

サンディングしてオイルを塗って、いよいよキャンバスを張る準備が整いました。

((( 月とカヌー の Instagram )))

キャンバス張り

一枚の大きなキャンバス生地の中にカヌーを入れて包みこみ、
テンションをかけてしわなく伸ばして余分な生地を切っていきます。
キャンバスを釘で止め、いよいよWood&Canvas Canoeっぽくなってきました。

キャンバス張り

防水の下地塗料を塗って2週間ほど乾かします。

フィラー塗り

この乾かしている間に能登へ行ってきます。

ボランティア保険という制度があり、ボランティア活動をする人は活動中の怪我や事故に備えて事前にこの保険に入っておくようにといわれます。社会福祉協議会で入るのが一般的ですが、インターネットクレジット決済でも手続きができるようになりました。
補償期間が決まっており、入ったときから3月31日までとなっています。いつから入っても期限は来年の3月31日。早めに入っても遅く入っても金額は変わらないので、ボランティア活動を考えている人は早めに入ることをお勧めします。



関連サイト : 月とカヌーのInstagram

カヌーを型からはずす
カヌーを型からはずす
 2024年4月4日(木)

2月からずっと取り掛かっていたOPEN JAPANの報告書を昨夜入稿し、再びカヌー製作に着手します。ああ、ここまで長かった…。
あとは印刷の仕上がりを待つのみ、能登のOPEN JAPANベースと石巻の事務所から発送予定です。

カヌーを型からはずす

プランキング作業も順調に進み、いよいよカヌーを型からはずします。
これでようやくカヌーの形が見えてきました。
ここから先は細かい作業の連続です。

((( 月とカヌー の Instagram )))

インスタグラムに動画をアップしました。
だんだんカヌーが形になっていく様子を見ることができます。






関連サイト : 月とカヌーのInstagram

UNIVERCITY of CREATIVITY
UNIVERCITY of CREATIVITY
 2024年4月1日(月)

東京赤坂、ビルの23階、このアート系オープンオフィスのような空間はUoC (UNIVERCITY of CREATIVITY)という場所で、多分野の方々の対話や学習、研究というコミュニケーションを通して社会に貢献していくためのイノベーション型の実験場です。以前見学させていただいたサンフランシスコのGoogle社の遊び心ある仕事場を思い出しました。このUoCは博報堂が出資しているNonProfitの事業だと伺いました。

UNIVERCITY of CREATIVITY

今回はここで行われる対談にゲストとして伺いました。 能登で出会った染色家の室生雅さんと文化人類学者の竹村眞一さんとの4人での対談、60分間のウェビナーです。

テーマは「能登・珠洲発!震災を通ってひらいていく未来 〜水水水 被災地に水を引くとは〜」。
(↓こちらからアーカイブをご覧になれます。)

YouTube
能登・珠洲発!震災を通ってひらいていく未来 〜水水水 被災地に水を引くとは〜


能登半島地震での支援活動の中で、雅さんが立ち上げたコインランドリーに水を引くお手伝いをさせていただきました。長きに渡り断水していた被災地での水支援について、被災地で起きている問題を話すだけでなく、そこから何を学び未来に生かしていくのかということがテーマです。

水道が壊れ生活用水確保の必要に迫られた能登半島珠洲市の現場には水のことを考えた最先端のものが支援としてやってきました。
例えば、すすぎの必要のない生分解性の洗濯洗剤や水の濾過装置のシステム、汚れのつかないお皿など、いかに環境に負荷をかけずに限られた水を使うかということをみんなが本気で考え行動していました。

「もしも」から「いつも」へ。

災害時の「もしも」の時だけでなく、日常の「いつも」にも生かされていくことが災害から得た学びです。復興して終わりではなく、被災地だけでなく常日頃からのフェーズフリーな状態となっていく未来を想像するためのウェビナー3日間の第1日目のトークでした。
明日2日目、明後日3日目と竹村さんと雅さんの対談がウェビナーで続きます。
(↓こちらからアーカイブをご覧になれます。私たち月とカヌーは出ていません。)

YouTube
能登・珠洲発!震災を通ってひらいていく未来 〜もしも のために いつも を大切に〜



UNIVERCITY of CREATIVITY

福島の山の中から東京日帰りという非日常感、博報堂のビルの中につくられたUNIVERCITY of CREATIVITYという取り組みを知ったことも新鮮でした。

4人の対談にUoCのディレクターの方がカメラを回して、タイムキーパーがサインを出して進行していきます。かつてNPOで制作していたイベント「BeGood Cafe」のトークを思い出しました。あの当時に仲間と作っていたことが20年の時を経て、今や当たり前のようなメディアとなり、時と場所を超えて伝えることができるようになりました。
時代は繰り返し螺旋を描くように同じところを辿ります。それは過去と同じところにいるわけではなく、上昇して次の螺旋を描くのだということを感じています。

少し前に読んだ本に、いつの時代でも革命を起こすのは若者、世代交代で社会は変わっていくとありました。今回の能登半島支援に関わって、リアルにそのことを感じています。

参考文献
『僕は君たちに武器を配りたい。』『2020年6月30日にまたここで会おう』瀧本哲史著

かつての若者は今の若者を応援するかたちで革命に参加することができます。
今回の対談、水というキーワードもわたしたちを動かしたのだと思います。
災害から何を学ぶかは自分次第、日常をどう過ごすのかも自分次第です。

UNIVERCITY of CREATIVITY

4月8日から再び能登へ行きます。
今回は倒壊した家屋の瓦屋根の撤去と片付けをする予定です。震災から4ヶ月経ち、変化していく町の様子や支援のかたちを報告できればと思います。
能登から直接東京へ、13日14日は代々木公園で開催される「アースデイ東京」にOPEN JAPANの仲間たちと参加します。炊き出し「元気鍋」の出店と写真の展示をする予定です。
入場無料の環境イベント「アースデイ」。お近くの方はぜひ見に来てください。
それまでにOPEN JAPANの報告書を仕上げる予定、カヌー製作の手を止めて集中しています。



関連サイト : UoC (UNIVERCITY of CREATIVITY)

プランキング製材
プランキング、プランキング。
 2024年3月28〜29日

カヌーのパーツであるプランキング材を作ります。
カヌーを作るというとよく聞かれるのが、
「一本の丸太から作るのですか?」という質問です。

>月とカヌー Instagram

答えはyesなのですが、多分イメージしているのは一本の丸太をくり抜いて作っているのだと思われていると思います。アイヌの丸木舟などそうやって作っているものもありますが、わたしたちが作っているカヌーはwood and canvas canoeといって、一本の丸太から製材した木と、釘と帆布で作っているものです。
今作っているデザインは今から123年ほど前にアメリカで作られたインディアンガールという型のカヌーです。形がとても美しく、湖や川を旅する操作性にも長けています。

丸太購入
(昨年、サワラを購入した時の写真。同じ服の組み合わせ、しかも同じ手ぬぐいをしている。)

使う木は国産材の杉とサワラとヒノキ、外国産のタモとオーク。
杉とサワラは丸太で購入しています。

プランキング製材

今日は先日スチームベンドしたリブの上に張っていくプランキング材を作ります。
板材をさらに薄く引いてサイズと厚みを整えていきます。
手押しカンナ、テーブルソー、バンドソー、自動カンナを使って一枚の板が3/16インチになるまで製材します。3/16インチと言われても、センチメートル法に慣れているとイメージわきません。1インチを16分割してその3分目のサイズまで、定規を充てて正確なサイズを測っています。

カヌーで漕ぎ出す

一本の丸太が山から切り出され、カヌーになって水の上を旅するまでもうしばらくかかります。



関連サイト : 月とカヌーのInstagram

雪のはからめランド
リブとリール。
 2024年3月26〜27日

雨が雪に変わり寒い日となりました。
今日は先日製材したカヌーのパーツであるリブをスチームしてカヌーの型に張っていきます。

フキノトウ in はからめランド

インスタグラムにリールの練習を兼ねてカヌーの製作動画をアップしています。
どうやってスチームベンドしているのかが見えると思います。
リブとはカヌーの肋骨のようなもので、この後ここにプランキング(製材した板材)を張っていきます。



関連サイト : 月とカヌーのInstagram

梅の花 in はからめランド
春を探しに。
 2024年3月25日

如月の満月、旧暦2月16日です。
新暦3月になってからも雪が降る日が多かったのですが、ようやく春らしさを感じられるようになってきました。
七十二候では「櫻始開(さくらはじめてひらく)」 。
はからめランドでは梅が開花しました。

万葉集でも梅、桜を詠んだ歌が多く残されていて、古来から日本人に愛でられています。
昔から桜の開花は農作業の目印とされ、地方によっては田打ち桜とか種まき桜という言葉があるんですね。

フキノトウ in はからめランド

春になると虫や動物たちが動き出すように、人も動きはじめます。
わたしも春を探しに森の中に入る機会が多くなりました。まず探すのはフキノトウ。フキノトウは毎年同じところに出るので見つけやすいです。
東北以北では「ばっけ」と呼ばれます。これはアイヌ語の「ばっかい」からきているそうです。アメリカやヨーロッパにはなかった野草だそうで、アジア原産の植物です。この地では縄文時代から食べられてきたのだとか。

葉わさび in はからめランド

ワサビの花が咲きました。
これで花わさび漬けを作ります。
この花を見て亡き友を思い出します。

食在庫の屋根を張る

先日着工した食品庫の屋根にルーフィングを張りました。 この上に張る屋根材の注文をしなければ…。大工仕事は段取りが大事です。

能登関連の連絡が続きます。
4月の予定を組んでいます。


帆杜inはからめランド
15の夜。
 2024年3月20〜23日

「自然をたたえ、生物をいつくしむ」という趣旨の国民の祝日、春分。
天文学上では春分の日から夏至までを春としています。

そんな春のはじまりの日に15歳の青年がやってきました。
高知県在住、名前は帆杜(ハント)。
以前高知でお世話になった友人ご家族のご長男、中学校を卒業した春休みの期間です。
今日から3泊4日、はからめランドに滞在して過ごします。

帆杜と話し合って、
朝6:30ラジオ体操、7:00朝食、夜8時〜9時就寝ということになりました。
学生生活を送っていたので規則正しい生活です。

帆杜inはからめランド

春の始まりだというのにまさかの雪。
準備していたことはいきなり天候によって左右されました。まぁそれが山の生活というか、そのときにできることを考えるというライブ感、わたしたちの経験値も鍛えられます。

工房でストーブを焚いて暖をとりながらカヌーのパーツを作ります。
リブの製材、カヌーを作るための準備です。
これは他ではできないはじめての経験だと思います。
趣味などではなくWood&Canvas Canoeを製作販売している人は日本に二人しかいませんから。

帆杜inはからめランド

薪割り薪積み体験。
さすが剣道部。
きれいにできました。

ミミズは完璧だった

大工仕事。
メープルシロップの作り方とケーキの作り方。
薪風呂。

帆杜inはからめランド

夜はバックギャモンというゲームで匠くんと勝負しました。
15歳にしてバックギャモンデビュー。

木工や山の生活などいろいろな経験ができたと思いますが、夜に覚えたこのゲームほど人生の役にたつものはないかもしれません。その可能性は無限大、いつか旅に出ることがあればこの夜の経験が生かされる、そんな日が来るでしょうか…。

帆杜inはからめランド

4日目最終日、磐城塙の駅までお見送り。
水郡線に乗ってお父さんの待つ千葉まで帰ります。

いつか帆杜が大人になって誰かの面倒をみるとき、今日のことを思い出してください。
pay it forword,
経験したことはいつか誰かの役にたちます。


ミミズは完璧だった
全力で生きる
 2024年3月18日(月)

この日の夜に集まり一つのテーブルを囲んだ8人。みんなが椅子に座ると、そのうちの1人が僕に「がっかりさせてやるよ」と、ひとこと。その隣に座る女性が「この人いつもこう言うんだよ」とつづいた。そこからみんなで話がはじまった。

テーブルにやってくる美味しいお料理と美味しいお酒を頂きながら話題は次々と流れを乗り換える。アイルランドのセントパトリックスデーの話。草と野菜、セルロースの話。千両みかんの話。フリチンで冬を過ごせない人間の話。ナナフシやオトシブミの話。ジョンソンさんやウォーターズさんの話。ジャガーさん、リチャーズさん、ヤングさんの話。とにかく話は尽きなかった。

結果、がっかりどころか、いろいろな話を聞いた僕は、自分の体の中で一回それら全てをミックスして分かれ目のない液体にし、それを環境に合わせて形成し直して表に出す、その作業が自分の中ですでに始まっているのを感じた。

先人や虫や発明品が教えてくれるのは、一歩一歩目の前にあることに対して全力をだして生きるということ。 ただそれができれば他には何も・・・。
そ〜か、そ〜なのか、そ〜いうことなのか。

関わる全ての魂にありがとう! 


SPRING LOVE 春風 2024
SPRING LOVE 春風 2024
 2024年3月16〜17日

東京代々木公園で行われているイベント「春風」に行ってきました。「春風」のはじまりは仲間内のお花見で、だんだん規模が大きくなってステージと出店者が連なる春のイベントとなりました。関わっている人や参加する面々も時の経過とともに変化していきますが、実行委員長となったカドマンさんとその仲間たちが今も変わらずこの春の代々木公園での集いを続けてくれています。東京に住んでいたときには毎年遊びに行っていたイベントに久しぶりに足を運びました。

カヌーを積んだ車で焼酎バーをやっている「四万十塾」のまわりに仲間たちが集っていて、わたしたちもお仲間に入れていただきました。
懐かしい友人知人に再会でき、時が過ぎイベントの雰囲気が変わっていっても「ああ、春風に来たなぁ、」という感覚を思い出しました。

SPRING LOVE 春風 2024

この会場に「アースデイ東京」の実行委員と能登支援を継続している仲間たちが集まっているので、4月13日、14日に代々木公園で開催される「アースデイ東京」でのOPEN JAPANの活動報告&出店の打ち合わせを行いました。
発災から3ヶ月経過し、現地での活動を知ってもらうことで関心を持ってもらうこと、活動を支えてもらうことも大事な役割となってきました。時の経過とともに新しい情報で埋め尽くされていく時代です。現実はまだ解決していない問題が取り残されていて、誰かの力を借りたいという状況があります。それをどう伝えていくのか、どう関わることができるのかを発信していくことで次の段階へと進めていくこと、変化し続ける世の中で、わたしたちができることを考えます。

SPRING LOVE 春風 2024

PEACE STAGEでは今年12年ぶりに開催される「いのちの祭り」の対談が行われました。
1988年8月に開催されたいのちの祭りでは、ビートニクやヒッピームーブメント、カウンターカルチャーの流れをイメージする人たちが多いと思います。
1986年にチェルノブイリ原発事故が起こり、日本でも原子力に変わるエネルギーや地球環境へのメッセージが込められたアートやまつりが生まれていきました。
2000年、2012年、そして2024年と、ドラゴンイヤー(辰年)に開催されるいのちの祭り、今年は主催が世代交代します。

いのちのまつり2024

ポストカードのチラシはワラの紙で作られています。どんな祭りになるか、カレンダーを早く完成させて参加しようと思います。


関連サイト :  SPRING LOVE 春風 2024  ・  四万十塾  ・ OPEN JAPAN 災害支援

薪、薪
薪、薪
 2024年3月15日(金)

今日はカヌーのパーツを作る予定でしたがご近所さんから連絡があり、ユニックを使わせてもらえるとのことで、急遽木を運ぶことになりました。
軽トラにも乗せられない、ましてや手で運べない大きさの木です。そのままではユニックからもはみ出してしまうのでチェーンソーで乗せられる長さに切って、ワイヤーで吊って積み上げます。
うっかり木を落としたり指を挟んだら骨折どころか潰れてしまう重さなので、作業は慎重に行わなければなりません。疲れてくると気を抜きがちになるので注意しながら作業をしました。
一人がワイヤーをかけて一人がユニックを操作します。二人で2往復、最後に残った木とゴミ拾いに軽トラ一往復で作業終了。なんとか今日中に運び切ることができました。

薪、薪

運んだあとのここから先も大仕事となります。
この木を薪のサイズに切って割って積んで乾かさなければなりません。
この木を使えるのは来年以降、山の暮らしは季節のめぐりとともにあります。


関連サイト :  OPEN JAPAN 災害支援

アサイラム
アサイラム
 2024年3月11日(月)

東日本大震災から13年目。
これまで追悼イベントなどに行くことはなかったのですが、今日は縁あっていわきのライブハウスに行くことにしました。
能登半島地震の災害支援で出会った「橋の下世界音楽祭」の永山愛樹(ながやまよしき)さんがALKDO(アルコド)という音楽ユニットでいわきのライブハウスに出演するというので、会いに行くことにしました。
出演者の中に「じゃんがら遊劇隊」とあったので、友人も出演するとのこと、3.11にライブハウスというのは予想外でしたが、今年は行ってみよう、と決めました。

会場に入って最初にお会いしたのは本日のイベント「アサイラム」の主催者でもあるタテタカコさん。東日本大震災の後に須賀川にある「銀河のほとり」で開催のお手伝いをした「星野道夫写真展」で弾き語りをしてくれた方でした。13年という月日が流れて今こうしてここにいるという不思議を思います。

出演者の方々が思い思いの言葉でメッセージを伝えているのを聞いて、こういうアンダーグラウンドな世界では熱い想いを発信し続けているのだと知ることができました。

club SONIC IWAKI

いわきの念仏踊り「じゃんがら」を見たのも初めてで興味深かったです。
見える魂も見えない魂も一緒になって踊った夜、こうして13年という月日が記憶を呼び覚まし、今をどう生きるかというメッセージを伝えてくれます。


関連サイト :  OPEN JAPAN 災害支援

はからめ月の手帳&カバー
新月
 2024年3月10日(日)

如月となりました。
魚座の新月、旧暦二月一日です。

今日は手帳カバーを作ってくれているLittle Eagleかおりこさんと次の手帳カバーのデザインについて、愛知県西尾市のアトリエと福島のはからめランドとでオンラインミーティングを行いました。
素材や色などを決め、サンプルを作ってもらうことになりました。
手縫いでひとつひとつ製作してもらうので、今から素材を決めていかないと秋に間に合いません。Little Eagleさんは主に女性の洋服を作っている会社です。今期の流行りや売れ筋などを伺い、当初こちらが考えていた色や素材とは異なるものに決まりました。手帳を作るのは月とカヌーですが、カバーを作るのはLittle Eagleさん。ひとつのものに対して、他分野の方々とこういうやりとりができるのはとても面白いと感じています。自分たちの思っていたものを超えたものができるという醍醐味、2025年の手帳カバー、どうぞお楽しみに。

はからメモ

夜は能登半島地震で支援活動を続けているOPEN JAPANのメンバーと報告書ミーティングを行いました。毎年3月11日発行予定でOPEN JAPANの年間報告書を作るスケジュールを組んでいるのですが、ここ数年予定を大幅に過ぎてからの発行となっています。なぜかというと、原稿の締め切りを過ぎても原稿が集まらないという理由からです。編集・デザインをしている側としてはたまりませんが、忍耐強く取り掛かっています。原稿の催促をしたら急遽ミーティングを行うこととなりました。これで決まるといいのですが…。



関連サイト :  リトルイーグル  ・ OPEN JAPAN 災害支援

倒された木
 2024年3月5

2度目のスチームベンドをしたそばからご近所さんから連絡があり、
「え?今からですか?すぐ行きます。」
「今から道の木を切りに行ってくる、」と匠くんがチェーンソーを持って出かけました。
強風で道に木が倒れたのかと思いきや、昼食に帰ってきて「午後は二人で行ったほうがいい。今日じゃ終わらない量だから。」とのこと。午後からはわたしも手伝いに行きました。
見通しが悪かったところの木を営林署の人が切ってくれたそうで、河川にかかっている木の片付け作業をしました。伐採した木は処分するそうなので、わたしたちが薪としていただくことになりました。かなりの量です。

倒された木

木が切られて川に降りられるようになったので、気になっていたゴミも拾うことにしました。多分何年もの間ずっと残されていたものだと思います。まだまだこの倍量くらいはありそうですが、雪が激しくなってきたので今日の作業はここまでとなりました。

拾ったゴミ

木がなくなると随分と見晴らしが変わります。
綺麗になって見通しがよくなれば、ゴミを捨てる人もいなくなる…といいな、と思います。

雪が降る

公道にかかっている場所なので、雪が溶けたら急いで薪作業にとりかからないといけません。
カヌーに報告書に確定申告、山の暮らしは休みなしです。



関連サイト :  OPEN JAPAN 災害支援

スチームベンド
カヌー製作
 2024年3月3

先日アイロンで行ったスチームベンドが気温が低すぎたためかうまくいかなかったので、今回はスチームボックスに火入れをして再度チャレンジすることにしました。

氷点下の工房の中での作業は通常の気温のときとは異なりうまくできないことがあります。
蒸し曲げしていく最中に木が冷え切ってしまい割れてしまったり、ニスなどの塗料がうまく塗れなかったりします。だからといって暖かくなるのを待つほどのんびりとしているわけにもいかないので、製材などできる作業を行ったり、アイロンでできる少量の蒸し曲げ作業をスチームボックスで時間をかけて蒸してみることにしました。

スチームベンド

今日はカヌーのパーツであるデッキとステムとガンウェルをスチームベンドします。

スチームベンド

蒸し時間を長めにとったこともあり、うまくいきました。

OPEN JAPANの報告書の原稿が締め切りを過ぎても集まらず、3月11日に発送することを目標にスケジュールを組みましたが、肝心の原稿が来ないと編集ができません。その間待っていても仕方がないので、カヌー製作をちゃくちゃくと。できるときにできることをやる、当たり前のことですが、自分で決めないと何一つ進まないのが山の生活です。


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メープルの樹液を採取
メープルシロップ
 2024年3月1

楓の樹液を集めて薪ストーブで50分の1になるまで煮詰めます。

メープルの樹液

フィルターで濾して、琥珀色のメープルシロップが出来上がりました。

メープルの樹液

昨日は福島テレビの方が訪れ、能登半島地震の災害支援についての取材を受けました。
発災から2ヶ月経ち、支援の仕方も、そして報道の頻度も変化していきます。
現地に行ければ行って支援活動をすることで直接お役に立つことができますが、行けなくても力になれることがあります。現地に行っている団体や個人を支えること、能登に気持ちを寄せること、そして今暮らしている自分の生活を見直すこと、小さくても日々の暮らしの中の防災意識を育てていくことも大きな意味での災害支援につながると思います。
災害支援は今だけの問題ではなく、半年後も1年後もそのもっと後になってからも必要とされていきます。壊れた町やコミュニティが半年や1年で再生されるはずもなく、何年も経ってからでも誰かの手助けがありがたいということがあります。今だけの問題でなく、ずっと長く気持ちを寄せ続けることが大きな意味での支えとなっていくと思います。
そして災害は能登半島だけの問題にとどまらず、今後いかなる場所で起こるかもしれません。普段から水の使い方や使う道具のことを考え、まずは自分たちの暮らしから見直していくことも災害からもたらされた学びだと思います。



記事はこちら
福テレ《能登半島地震から2カ月》「水のことばかり」福島県のボランティア夫婦が感じた違い 自分の事として


放射能汚染というレッテルをはられた福島という地だからこそ発信できるメッセージもあります。原爆が落とされ被爆国といわれた国が災害により再び被爆したという事実は、これからの暮らし方への大きなメッセージを投げかけられているのだと気づかなければ、次の災害で原子力発電所がどうなるのかという怯えを抱ながら暮らすことになります。
まもなく3月11日がやってきます。
人によって捉え方が異なると思いますが、わたしは放射能という目に見えないものが自分の身に降りかかってきた日として忘れることができないでいます。10年以上経ってもきのこからは放射性物質が検出され、原子力発電所からは放射能が含まれた水が海洋放出されています。この事実がすべてだと思うのですが、世の中は2011年3月11日前とどれくらい変化したのでしょう。



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