畑の大根 2026年3月23日(月) 如月: 旧暦二月のこと。立春を迎えたとはいえ、まだ寒さが残っているため、衣をさらに着る月で衣更着(絹更月)、また陽気が更にやって来るので気更来との説もあります。(はからめ月の手帳より) 冬の間、使いきれない量の大根を畑に埋めて保存していました。 使う分だけ掘り出していたのですが、どうやら小動物が食べているらしく、ほとんどすべての大根の頭がかじられていました。 春になり、暖かくなってくると保存もきかなくなってきます。 傷んでしまう前に掘り出すことにしました。 コンテナ一つ分の大根。 どうやって使いきるか、どうやって保存するか。 まずは切り干し大根にしてみます。 大根サラダ、ふろふき大根、大根のお味噌汁、大根の漬物。 そもそも大根は一つのサイズが大きいので、一本でたくさんの料理が作れてしまいます。 以前は大根の丸干しなども作ってみましたが、あまり使い道がないことがわかりました。 人にあげようにも、頭がかじられた大根なので、誰かにあげるようなこともできません。 しばらくは大根料理が続きます。 忙しくて取りに行けなかったメープルの樹液タンクを片付け、木に開けた穴を埋めました。 樹液の採取できる時期を過ぎ、最後に溜まっていた樹液が濁ってしまっていて土へと還しました。 次から次へとやってくる頼まれ仕事が優先され、やらなければならないことや自分の仕事が後回しになっています。 自分軸でなくなると不和が生じてきます。易の本に書いてある通りです。 ものごとが始まりやがて盛んになると驕り高ぶり転落し終焉するそしてまた始まり繰り返す 、なんだかそんなことを感じています。
山形からゲスト 2026年3月21〜22日 山形県からお客様がいらっしゃいました。 昨年の暦のお話会&カヌーツアーの企画をしてくれたmanosubeさん、そしてカヌーをご注文くださったよしみさんのお二人です。 ご注文いただいたカヌーの色とパドルを選んでいただきました。 5月頃、鶴岡でW&C カヌーの進水式をすることになりそうです。 昨年始めてカヌーに乗った経験から、今回の流れへと至りました。 カヌーが初めての人たちのコミュニティです。 東北に新たなカヌーのコミュニティが生まれつつあります。
春分の日、大福茶 2026年3月20日(金) 春分:太陽が真東から昇り真西に沈み、昼と夜の長さがほぼ同じになる日。「自然をたたえ、生物をいつくしむ」という趣旨の国民の祝日です。季節の分かれ目である春分と秋分のことを二分といい、天文学上では春分の日から夏至までを春としています。また、太陽が春分点から次の春分点まで戻る時間を回帰年(又は太陽年)といいます。 (はからめ月の手帳より) 二十四節気 春分:昼夜の長さが等しくなる頃。 七十二候 雀始巣(すずめはじめてすくう) 春分の日に向けて仕上げた「大福茶(おおぶくちゃ)」が能登から届きました。 こちらの「大福茶」は石川見能登町の梅茶翁(ばいさおう)さんがつくられました。 梅茶翁さんからのご依頼で、企画・パッケージのデザインを担当させていただきました。 「大福茶」 新しい節目の”満福”と”無病息災”を祈念する祝い茶。 大福茶の起源は平安時代。 都に疫病が流行した際、空也上人がお茶を人々に施したところ、多くの病人が快癒し、疫病が鎮まったと伝えられています。 その功徳にあやかり、村上天皇が毎年元旦にこのお茶を服するようになり、「王服茶(皇服茶)」と呼ばれるようになりました。 元旦・立春・春分など節目のほか、新しい「事はじめ」にもふさわしい、言祝ぎの一服です。 (大福茶の説明書より) 一煎用の包みと三煎用の箱ものがあります。 お茶とともに、能登で育てられた真菰のしめ飾りも入っています。 三煎用には絵馬が付きます。 今回は梅の紋様を施したちょっと珍しい絵馬を作りました。 春分の日の新たな始まりにふさわしいおめでたいお茶セットとなっております。 今シーズンは予約販売で終了されたようです。 次のシーズンの大福茶をご期待ください。
新月 2026年3月19日(木) 新月の日に願い事をすると叶うと言われています。 そのやり方を紹介している本もあります。 この本には願い事の叶え方は書いてありますが、なぜ叶うのかの理由は書いてありません。 新月の願い事はなぜ叶うのでしょう。 新月の女神様がいて、叶えてくれるのでしょうか。 暦の観点から考えてみると、その理由がわかるのです。 そもそも暦は誰が何のために作ったのか、というところから考えていかないと説明がつきませんが。 ときどきそういうお話会をしています。 もしも新月の願い事をするとしたら、どうやって願い事をしますか? 私は、新月の日、新月ちょうどの時間を調べて、月の星座も調べて、誰にも見られないように、一人で、静かに、願い事を紙に10個書いています。 誰にも見られていないと思っていますが、誰かに見られているかもしれません。 なぜって、紙に書いているのですから。 これは、この世があの世であるとの考え方に基づいてのお話です。 生きているわたしたちと亡くなった霊存在とが同時に存在しているという観点に立って考えてみたとき、その謎が解けるんです。 例えば、もし私が死んで、大切な人が新月の日に願い事を紙に書いているのを見たとしたら、霊になった私はどうにか力になろうとすると思います。 霊となって大切な人のことを見守っていたとしたら、大切な人の役に立ちたいと思いませんか? ではなぜ、新月の日なのでしょう。 願い事はいつ願っても叶うのでは?と思いますよね。 そうです。新月でなくても、願い事は叶います。 けれど、その願い事を自分以外の存在に知ってもらわなければなりません。 どうすれば伝えられるでしょうか。 願い事をするのは新月の日にしようと決めたのです。 誰が決めたのか。 それは、何回もこの世に生まれてきた魂であるわたしたちです。 わたしたちは何度もこの世に生まれてきた経験から、生きている存在と死んでしまった霊存在とがあり、姿、言葉はわからなくてもどこかでつながっていることを知っているのです。 そして、その霊存在に自分の願いを伝える日を新月の日にすると決めたのです。 時間帯も決めて、見えない存在の霊も、生きている存在のわたしたちも、お互いが認識できる願い事をするときを特定したのです。 これは、何度も何度もこの世に生まれ、そしてまた肉体を離れという経験を繰り返してきたわたしたちがみつけたコミュニケーションのかたちです。 新月の日、ちょうどの時間から8時間以内、星座の特徴もふまえて紙に書いたら、これはもう本当に叶えたい願い事だということがわかります。 1つではなく10個、というのもわかりやすいですね。 全知全能の神が叶えてくれるのではないのです。 わたしたちのことを気にかけてくれる霊存在にできること、10個すべては叶えられなくとも、そのうちの一つくらいだったらお手伝いできるかもしれません。 だから新月の願い事は叶うんです。 でも、叶わないこともあります。 それは、今その人にとって叶わない方がいいことなのかもしれません。 今叶ったらせっかくの他のチャンスや学びを逃してしまうか、大きなリスクを背負ってしまうなど、今叶わない方がいいことなのかもしれません。 この世もあの世も一緒になってこの世界があるのですから、わたしたちにとっていい方向へ向かうよう、新月の願い事を知った見えない存在はサポートしてくれているのです。 と、私は考えています。
春彼岸入り 2026年3月17〜18日 彼岸:春と秋に行われる先祖の霊を供養する仏教行事、彼岸会のこと。また、煩悩を脱した悟りのことで、西方に沈む太陽を礼拝し、遥か彼方の極楽浄土に思いをはせたのが彼岸の始まりといわれれいます。(はからめ月の手帳より) 福島県の森を出て、できるだけガソリンを使わずに、電車で東京まで向かいました。 社会情勢はわたしたちの生活にまで影響を帯び、価格の高騰だけでなくいずれ安全にまで忍び寄ってきます。国会で審議されていることに注目していきたいと思います。
東京は渋谷、かつての渋谷公会堂へと足を運びました。 満員の観客の中、ライブが始まります。 MCの方が、「ロックで日本を震撼させましょう、みなさんできますかー?」と投げかけると、みんな大きな歓声で答えていました。 ゴリゴリのロックの音に歌詞がのると、家で聞いていたのとはまったく違う新しい音が聞こえてきました。さまざまな出来事を思い出しながら、改めて詩の意味を考えました。言葉は同じでも、どう感じ取るのかは自分次第、音も言葉も感じ方は人それぞれだということがわかりました。その瞬間に自分だけに響くメッセージが受け取れたらそんな幸せなことはありません。人も蛇のようにいつも脱皮しながら新しい自分を発見できたらいいな、と思ったライブでした。 遅くまで飲んでタクシーで帰る(横浜まで)という、私たちが住む山の中では考えられない、大都会の夢のような時間を過ごしました。 日本では春のお彼岸の入り、アイルランドではSt.PatricK's Day、アイルランドの祝日となっています。 お彼岸にお墓参りに行けずとも、故人を忍ぶことはできます。 それぞれのかたちで、それぞれの思いで。 ライブに行く直前、カレンダーを発送しに郵便局を探し歩いていたとき、江原啓之さんとすれ違いました。 振り返ってみれば、あの世とこの世をつなぐお仕事をされている方との交叉は、まるでわたしたちへのメッセージのようにも思えました。 小さなメッセージをたくさん集めたら、大きなメッセージに辿り着けるかもしれません。 詩の意味も人それぞれ受けとり方が違うように、出会いや発見も人それぞれに意味を持ったり持たなかったりします。 あの世とこの世のゲートが開き、あの世とこの世がつながる期間といわれるお彼岸。 この期間に出会った人とは、何かのメッセージを通して交流しているのかもしれませんね。
ロッコク・キッチン 2026年3月14日(土) 福島県の国道6号線沿いを巡る食を通した人々の物語、ドキュメンタリー映画「ロッコク・キッチン」を観に、いわき市にある映画館「まちポレいわき」に行って来ました。 舞台は東日本大震災後の2024年、福島第一原発から程近い大熊町、双葉町、浪江町、南相馬市小高区に住む人々の暮らしている日常の風景の中にあります。 未だ帰還困難区域が残る中、自分たちの住んでいた町に戻って来た人、新たに移住した人などへのインタビューから町の風景へと物語は展開していきます。 原発災害があった福島の現状を訴えかける強いメッセージを打ち出すものではなく、静かに語りかけるロードムービーのようでした。 淡々と綴られる人々の声、日常の営み、包丁で刻まれる野菜や鍋からのぼる湯気を見ていると、どこにでも誰にでもある日々の食卓を感じます。 でも何が違うのかと考えてみたとき、かつて当たり前のように過ごしていた時間は当たり前でなく、この日常をおくることを自分で選んで過ごしているということなのかということでした。 そこには暗い雰囲気はなく、笑顔や笑い声がありました。 人との出会いや助け合いなど、美しい物語もありました。 けれど画面に映っていないところには悲しみや苦しみがあるはずで、その目に見えない部分を想像することで、わたしたちは震災のことを考えることができるのだと思います。 震災から15年という年月が経過し、だんだん過去のこととして忘れ去られていく出来事があります。そこから新たに生まれる物語もあります。 その転換点を知ることで、今わたしたちはどんな世界に住んで何を選択していくのか、それを考えるきっかけになる映画だと思います。 映画という記録を通してわたしたちは記憶することができるのだということにも気づかせてもらいました。 人間は忘れていくものです。 けれど、思い出せるものがひとつでもあれば、そこから時間を越えることもできるのだと思います。 ニュースや社会情勢は暗く重苦しいものばかりですが、そこから生み出されてくるものの中には美しいものや楽しいことがあったりもします。 音楽や映画、アートやアクションなど、わたしたちが伝える受け取るメディアはたくさんあります。 この映画はその一つだと思います。 ロッコクを訪れたことがない方々へ、ぜひ観てもらいたいです。 2時間があっという間です。 面白いですよ。
アサイラム 2026年3月11〜12日 東日本大震災から15年目の3月11日、福島県いわき市にあるライブハウスSONICで開催された「アサイラム」ライブを観に行きました。 震災復興支援「東北ライブハウス大作戦」と題して、いろいろな街へとロックやパンク、ハードコアを届けていた友人がいました。 2011年3月11日14時46分、地震による津波とそれに伴う原発災害が起き、たくさんの方が亡くなり被害を受けました。 各地でいろいろな支援がありました。 炊き出しや片付け作業をともにやっていた友人は、音楽を届ける活動もしていました。 音楽でみんなを勇気づけようとしていたミュージシャンやその仲間たちと東北にライブハウスを作ったり、ライブハウスを支援をしたりといった活動をしていました。 昨年その友人は旅立ちましたが、きっと今日ここで会えるだろうと思って来ました。 魂の存在が言葉で語りかけてくることは稀だと思いますが、何らかのアクションや人を介してメッセージを伝えてくることはできるのだと思います。 そう思っていたら、やはりそんな出来事がありました。 「アサイラム」とは英語で避難所とか保護という意味を持つ言葉です。 2012年から続いているこのイベント、いろいろな意味を感じとります。 その友人が紹介してくれた片平里菜さん、能登の震災支援で一緒だったALKDO、こうして繋がりをいただきライブを通してその活動やスピリットを感じる機会があるのはありがたいことです。 ライブの良さはやはり行ってみなければわかりません。そしてその箱となるライブハウスの存在はとても大きいなぁと思います。ホールやイベントスペースとは異なる独特の空気感があるのです。 出演者以外に知っている人はいないだろうと思いきや、福島に来てから知り合った人たちに会えたりと、ライブハウスを通して小さなコミュニティが生まれていることにも気づかせてもらいました。 残念なことに今年いっぱいでこのライブハウスSONICは幕を閉じるそうです。数々の物語が生まれた街は、次への可能性へと向かっていくのだと思います。 ライブの後は平コノイエさんで友人たちと朝まで語りあいました。 復興って何だ、支援って何だと思いながら活動を考える15年でした。 3月11日をこうして過ごせるようになったことが大きな意味での復興のひとつといえるのかもしれません。
Stay Happy。 2026年3月10〜11日 東京下北沢でカフェを営む友人夫婦が福島の森の中、「はからめランド」に遊びに来ました。 彼らは温泉巡りを趣味としています。 趣味が昂じて温泉ソムリエにまでなりました。 今回は福島の温泉を巡る旅の道中に寄ってくれました。 温泉ではありませんが、山の水で沸かした五右衛門風呂を堪能してもらいました。 「これpH高いよ!ツルツルする。」 「いや、ふつうの山の水です。水道と同じ、今飲んでるお水ですよ。」 「いや、絶対pH高いよ、温泉入りまくってるから肌で分かるんだ。」 そう言われるとわたしも温泉に浸かっているような錯覚を覚えます。 温泉ソムリエがそういうのですから。 意識一つで世界が変わる、その一片を感じた瞬間です。 福島に来たからにはと、おすすめの日本酒を用意しておきました。 ワインソムリエでもあるクラトさんはワインを持参してくれました。クラトさんとわたしはワインを、サチと匠は日本酒を。 二人で4本、二人で一升、夜はいつまでも続きそうな勢いです。 四毒抜きの本を読み実践してみるとの投稿を見たので、四毒抜きの食事でおもてなしをしましたが、実験はすでに終えたとのことでした。 カフェを経営しているので四毒抜きは無理があるそうです。 健康な人には必要のない食事法かもしれません。 お二人はいろいろな健康法を試しているようでしたので、まだ知らぬという快医学や飲尿療法などをお伝えしました。 旅をするということは、新しい何かを知るということでもあります。 彼らは筋金入りの旅人で、地球を三周だか四周だか、とにかく毎年旅をしています。きっといろいろな世界を見てきていることでしょう。 最近は旅した海外の温泉にも行っているそうです。海外の温泉は水着着用で入るのがマナー、世界にも温泉がたくさんあることを教えてもらいました。 下北沢にある彼らのお店「cafe Stay Happy」ではわたしたちが作っている月のカレンダーを取り扱ってくれています。お店は16周年を迎えたそうですが、カレンダーはその前から使ってくれています。長いお月愛となりました。 カフェでは「こよみのお話会」も開催してくれています。 今回はその話に出てくるこの場所で時間を過ごしていただき、わたしたちの森の生活を通してこよみの世界観を感じ取っていただけたのではないかと思います。 常にステイハッピーな生き方をしているクラトさん、サチさんご夫妻。 旅の話、温泉の話、ワインの話だけでなく、いくつもの話の引き出しを持っているそうです。 「ネタはいくらでもあるんだ、その話をするためにカフェをやっている」と言っていました。話好きの店主です。 お二人はこのあと二つの温泉に入ってから東京まで帰るとのこと。 それでも日本中の温泉全てには一生かかっても入りきれないほどこの国には温泉がたくさんあるのだそうです。
カヌーの修復。 2026年3月9日(月) 修理しているカヌーのリブを入れ直しました。 ここまでできれば先は見えます。 このあとプランキング、キャンバス張り、塗装、仕上げとなります。 ここまでできれば同時進行で次の一艇にとりかかることができそうです。
五右衛門風呂の床板。 2026年3月8日(日) 五右衛門風呂の床板を張り直しました。 木が朽ちてしまったので、急遽ある材で直しました。 本当は山のヒノキを切って使おうと思っていましたが、切って製材して乾かしてとの工程をふむと半年以上かかることになります。 春になり、お客様が来始めるこのタイミングで一気に修理することにしました。 朽ちた木を外して、製材した杉とサワラの材を並べて張っていきます。 「こんなに早くできるなんてすごい。」 「頭の中でどうやるかをずっと考えていたから早いんだよ。」 木を加工すれば棚や床張りなど素早く作ることができますが、水場の材は朽ちるのも早いのです。また数年後には張り替えることになるのですから、そのときにはヒノキで作りたいなぁと今から算段しています。
災害支援ボランティアについて。 2026年3月7日(土) ボランティア仲間のジョッキーさんが石川県能登町から宮城県丸森町へ行く道中に、はからめランドに寄ってくれました。能登半島地震の支援に行った際に、わたしたちがOPEN JAPANに持って行った道具を返却しに来てくれたのです。 能登での仲間の話や、片付けと改修を手がけているOPEN JAPANの丸森ベースのことなどを聞き、災害時でないときのボランティア活動を継続している仲間のことを考えました。 「ボランティアをしている人たちはどうやって生活をしてるの?」 これは各地で常々よく聞かれることです。 答えは人それぞれで、仕事をしながら通う人、リタイアして貯金を使っている人、リモートで仕事をしながら活動している人、支援金等でやっている人などなど…さまざまです。 活動が長期になると自己資金だけでは経済的に回らなくなるので、自分の団体を立ち上げて助成金や支援金を募って活動を継続していくケースや、現地で働く先を見つけて仕事をしながら支援活動をするということもあります。 いずれにしても、活動をしているボランティアの人たちは経済的にはあまり余裕がないことが多いです。 今支援活動をしている災害ボランティアの主だった人たちは、東日本大震災のときに活動していた人たちが多くいます。個人で支援を続け、その後自分の団体を立ち上げて支援活動を継続しているというのをよく聞きます。団体といっても一人だったり数名だったりで、決して大きな組織ではありません。助成金や支援金でぎりぎり経費が賄えるというのが現状です。 彼らは就職をせずにこの生き方を十年以上も続けているのですから、筋金入りの災害支援ボランティアだと思います。 OPEN JAPANの仲間たちもそういう個人の集まりであったり、連携団体として一緒に活動してもらったりと、助け合いながら一緒にやっています。 中には家を持たずに、車で寝泊まりしながら現場で活動している仲間もいます。家があっても帰ることがないので、家賃を節約して解約してしまうのです。 経済的な柱はありませんので不安はつきまといますが、自分の意思で活動し、好きでやっているので社会的な従属感はありません。人のために活動し、感謝されることが多々あります。 被災地となるいろいろな土地へ行き、その土地の人と深い絆で結ばれることもあります。地域と人との繋がりが年々積み重ねられていき、お金や条件でなく、人との縁で活動をしていくことが喜びとなり、お金を稼ぐことよりも人のために働くことを選択するようになるのです。 発災直後はインフラも整わない厳しい環境下に身を置くこととなるので、自己完結できる場馴れした人たちが集まることが多く、現場に入ると顔見知り、いつも被災地で見る人が集まっている傾向があります。同じ目的を持つ仲間意識が生まれていくので、協力し合うことも多いです。 仮設住宅や復興住宅への支援が始まるとまた次のフェーズとなり、新たなボランティアたちがやってきて、ともに活動をしていきます。ボランティア拠点での共同生活や、仲間たちへの細やかな気遣いなども必要とされます。災害現場だけに集中するのでなく、仲間たちとの拠点を維持管理してくことも大事な活動内容になってきます。 こうして長期に渡って現地で生活をしていくなかで、地元の人たちとの触れ合いや、仲間たちとの共同生活による学びが人間を成長させてくれます。 ボランティアにはまる、という言い方はおかしいかもしれませんが、この道15年、という人たちが多々います。ボランティア業界、もしくはボランティアのコミュニティというようなネットワークが生まれています。 そんな人たちにも悩みはつきもので、活動の余裕が出てくると自分の身の心配をする余裕もでてきます。経済的なものから人間関係、住むところや将来への不安などなど様々です。 見ていると、ひとつひとつを解決していけるような兆しはほとんどありません。 悩んでいるうちに次の災害が起き、考える間もなく体が動いてしまうということばかりです。 このような生き方は一般的ではないかもしれませんが、社会の役に立つことのひとつだと思います。 災害が起きた時に、こういう支援活動をしてくれる人たちがいてくれるのはとても心強いことです。ボランティアのスキルが向上すればするほど、年々現場でやることが増えていきます。経済目的の仕事ではありませんが、みな責任感から精一杯を尽くします。誰かの力になっていることが目の前で実感できるのです。 だからこそ、生きがいやりがいに繋がっていきます。 ただし、ボランティアに生活の保証はありません。活動資金も食事代も自分たちでなんとかしなければなりません。 「そこがボランティアのつらいところよ…。」 なんて声が聞こえてきそうです。 決して飢えたりはしていませんが、いつの日にかこういう人たちが心配をしないでも暮らせる社会になったらいいな、と思います。 そのためには政治の世界にもアプローチしていくことが不可欠で、社会的に必要とされているということを知っていただいて、ボランティアを支援する動きに繋がっていってほしいなと思います。 そもそもボランティアに頼らざるを得ない社会は脆弱です。 ボランティアとはあくまで自主的に動く人たちのことですから、必ずしもこの現場、あそこの現場と、行って欲しい災害現場に行ってくれるかどうかはわかりません。 「ボランティアさんを待ってます…」では、復興が遅くなるばかりです。 東日本大震災のときには自衛隊の方たちとも一緒に活動をしました。 お互いのできることで助け合わなければ現場が立ち行かないくらい大変な状況下だったからです。 能登半島地震のときにも自衛隊の方々が支援活動をしていましたが、国からの要請で動くのと自主的な支援活動との間で大きな隔たりがあり、歯痒思いを幾度となくしました。 炊き出しでも重機による道の啓開でも、自衛隊の装備は民間の規模を超えています。民間の組織には地元の人たちとの細やかなやりとりができ、どこに何がどのように必要かをすぐに把握できるような経験を積んだ災害ボランティアネットワークの強みがあります。いつの日か、立場の違いによる制限を補い合って、必要なときには一緒に活動できるようになれたらいいなと思います。 まもなく東日本大震災から15年、各地で慰霊祭や追悼イベントなどが行われます。 今も支援活動を続けているボランティアのことを知っていただき、彼らが生きやすい社会になっていくようにボランティアの支援もしていただきたいと思います。
啓蟄、「天赦日」「一粒万倍日」「寅の日」「大安」。 2026年3月5日(木) 菜の花(なばな)はアブラナ属植物全般の呼び名で、日本だけでも300種類あります。花、茎、葉とも食べることができ、アルカリ度が高く、カルシウム、ビタミンBを多く含んでいるため、ストレスや精神の安定に効果があるといわれています。(はからめ月の手帳より) 二十四節気 啓蟄:虫も目覚める頃。 七十二候 蟄虫啓戸(すごもりむしとをひらく)土の中で冬籠りしていた虫たちが春の気配を感じて土を啓いて姿を現し始める頃。 雪の中から小松菜の菜花を収穫しました。 昨年いただいた小松菜を畑に植えてビニールをかけて越冬させていたところ、春の陽気で花蕾がついていました。再び雪に覆われてしまいましたが、雪をかきわけ初収穫しました。 暦の話題を目にしました。2006年3月5日が68年に一度の最上の日だというのです。 4つの吉日が重なるとのことで、その確率は25000分の1、約68年に一度の確率だと話題になっていました。 その吉日とは以下の4つです。 ・天赦日 ・一粒万倍日 ・寅の日 ・大安 まず「天赦日」とは、「天が万物の罪を赦す日」とされ、年に5〜6回しか訪れない最上の大吉日とされています。天赦日の決め方は二十四節気と日干支の組み合わせで、春は「戊寅」、夏は「甲午」、秋は「戊申」、冬は「甲子」の日です。 「一粒万倍日」とは、「一粒種を蒔くと万倍になって返ってくる大変おめでたい日」とされ、こちらも二十四節気と日干支の組み合わせで決められます。だいたい6日に一回、年に60回くらいあります。 <<< 一粒万倍日の決め方 >>> 立春〜啓蟄前日(2月): 丑・午の日 啓蟄〜清明前日(3月): 寅・酉の日 清明〜立夏前日(4月): 子・卯の日 立夏〜芒種前日(5月): 卯・辰の日 芒種〜小暑前日(6月): 巳・午の日 小暑〜立秋前日(7月): 午・酉の日 立秋〜白露前日(8月): 子・未の日 白露〜寒露前日(9月): 卯・申の日 寒露〜立冬前日(10月): 午・酉の日 立冬〜大雪前日(11月): 酉・戌の日 大雪〜小寒前日(12月): 子・亥の日 小寒〜立春前日(1月): 子・卯の日 「寅の日」とは日干支の寅の日で、十二支のひとつなので12日ごとに巡ってきます。 「虎は千里往って千里還る(かえる)」という故事から、無事に帰るという意味で旅立ちや、使ったお金が返ってくるという意味合いに用いられます。 「大安」とは六曜のことで、「大いに安し」の意味で用いられます。 旧暦の1日から「先勝→友引→先負→仏滅→大安→赤口」の順で繰り返して決められます。順番に巡るので6日に1回は大安です。 <<< 六曜の決め方 >>> 睦月(旧暦一月)・文月(旧暦七月): 1日が先勝 如月(旧暦二月)・葉月(旧暦八月): 1日が友引 弥生(旧暦三月)・長月(旧暦九月): 1日が先負 卯月(旧暦四月)・神無月(旧暦十月): 1日が仏滅 皐月(旧暦五月)・霜月(旧暦十一月): 1日が大安 水無月(旧暦六月)・師走(旧暦十二月): 1日が赤口 暦には迷信と思われることが多々あります。 何を起源とするかがわからないことや、起源から随分と飛躍したものまで、信じるか信じないかはあなた次第、といったところでしょうか。 例えば六曜、みなさんにもお馴染みの「大安」「仏滅」「友引」など、結婚式やお葬式の日取り決めなど、気にする方々も多いと思います。 なぜ多くの人が知りたがる六曜をわたしたちの暦には入れていないのか。 「六曜」はもともとは中国の「六壬」が変化したものであると考えられています。 時刻の吉凶を占うものから派生した「小六壬」から転じて今の日本の「六曜」が作られたようです。意味も名称も決め方も、伝わってきたものとは変わってきています。そもそも規則的な順番で大安や仏滅が巡ってくるのですから、これは迷信とされ、旧暦から新暦へと暦が変わった明治時代、明治政府には禁止されていました。暦に用いることを禁止されたことにより民間信仰として残り、今へと続いています。 一見、暦の一つのように思われている六曜ですが、「六曜のような科学的根拠のない迷信を信じることは差別的行為につながる恐れがある」などの理由から、部落解放同盟から廃止を求められていることを知りました。 六曜が記載された行政のカレンダーの配布が中止されるなど、人権の観点からも見直しを指摘されているものなのです。 「そうはいってもみんなが使っているから…」の考えが、「そうはいってもみんながそうしているから…」「そうはいってもみんなが差別しているから…」へとつながるとは思いもかけませんでした。この連鎖が差別がなくならない原因のひとつなんですね。 以前にカレンダーをお使いの方からこのような六曜へのご指摘をいただいたことがあり、2006年のカレンダーには入れていた六曜を2007年のはからめ月の暦から外しました。 そうなると、25000分の1の確率ではなくなります。 が、みなさんが信じたいのは「今日がいい日だ」ということです。 今日をありがたく過ごせるのであれば、それは暦をも越えるものであると思います。 そもそも寅の日がなぜいいのかの理由が、故事にまつわるお話だということからして、わたしたちは縁起を担いだりいいように解釈するのが好きなのです。 本来は毎日が特別な日であり、同じ日は二度とないかけがえのない日なのですが、当たり前のように毎日が訪れると思っている人にとっては、「今日は最上の日」というその日を特別視させてくれるものが欲しいのかもしれません。
雪、停電とAIについて。 2026年3月4日(水) 昨日から降り続いた雪が積もり、辺り一面銀世界となりました。 春が来たと思っていた矢先に、季節がまた戻ってしまったかのようです。 雪の影響か、しばらく停電が続きました。 薪ストーブと山の水で生活はできます。 日中は明るいので電気がなくとも本が読めます。 一昨日から匠が寝込んでおり、自分で「インフルエンザ…」と言っています。 休むべき時ということで、安静にしています。 どれだけインターネットが暮らしの中にあるのかということを実感しています。 今、突然インターネットが使えなくなったとしたら、どうしますか。 ここは携帯電話の電波が届かないので、普段から電話を使うことはありませんが、ネットへの接続ができないことによる不便さを感じました。 調べるのも探すのも、ほとんどすべてネットによる検索です。 動画を見るのにも映画を見るのにも。 ただここで、一昨日に報道された戦争に関するニュースなど、情報に気持ちを左右されることがなくなりました。 知りたくても知る手立てがないのですから。 つながりたくてもつながれない状況になったことによって、世界の情勢に一喜一憂することがなくなったのです。 このタイミングでの停電は必要な時間だったのかもしれません。 電気が復旧してすぐに、友人が薦めていた動画を見ました。 それはなんと、AIに関する内容でした。 今回の戦争にはすでにAIが使われていて、その戦争利用への倫理観が問題となっていました。 もはやAIのない社会は成り立たなくなっているところまできていました。 携帯も、信号も、医療もインフラも、すべてにおいてAIが使われていて、すべてはネットワークで繋ぐことができます。 しかも、AIはすでに人の知性を超えたところまできているようです。 今私たちが使うことができるAIは意図的に知能を抑えているのだとか。 さとうみつろうさんの動画を見て知りました。 知らないことがありすぎます…。 停電したことによる不便さと、戦争のニュースを契機に、今この世界がどこへ向かっていくのかを考えることとなりました。 21世紀は情報の時代だと言われます。 それでも農家はお米を作り、作家は作品を生み出し続けます。 けれどそれはもはや人の手だけで行われる作業ではなく、機械を操作するのにも 、作品を作るのにもAI が使われています。 では、AIを使いこなせない類の人たちは同じ土俵で競っていくことができるのでしょうか。 生き残りを賭けて、といわれる現代の効率や速さを求める社会の中では難しいと言わざるを得ません。 すでにAIがシンギュラリティを超えたのだと感じます。 AIは人間にとって脅威になるものではなく、人間と同じくらい愛を持って共存していくべき存在となりました。 社会すべてのものの中にAIが存在しているからです。 ※ シンギュラリティ AIが人間の知能を遥かに超える転換点 2045年頃だといわれていた。 だからといって、いきなり森の生活が変わるわけではありません。 今日も薪を焚き、食事を作ります。 頭の中にある「AIによる脅威」を、「AIと愛を持って共存していく」に書き換えていくこと、それが日々の暮らしから、大きく見れば戦争に至るまで、これからずっと影響していくことになるのだろうと思うのです。 意識を変えるだけで世界は変わるのかもしれません。 停電とAI、対極にあると思われるものが突然にやってきた1日、それはまるで社会の一片を感じさせてくれたかのようでした。 世界の縮図は自分の身の回りに起こることの中にある。 それはまだ見ぬ未来か、パラレルワールドの一つかもしれませんが、確実に可能性を持った世界でした。 でもここで学んだことは、恐怖や脅威から生まれたものはいずれ脅威となって現れてくる、愛から生まれたものは愛に戻る、という誰もが聞いたことのあるお話でした。まるで昔話やおとぎ話の結末のようです。 その誰もが聞いたことのある物語が現実の世界と一致するかどうかは、AIではなく人間にかかっているということは言えます。 AIの作った物語に感動し、今の人生を豊かに過ごすことが脅威ではなくなるように、人間の側から愛を持ってすべてのものに接すること。 究極、すべては愛から生まれるということを実施する以外ないのだろうと思います。
雛祭り、月食、小正月、そして戦争。 2026年3月3日(火) 3月3日、グレゴリオ暦での雛祭り。 春の陽気に女児のお祝い事、ご家族で過ごす時間は特別なものだと思います。 旧暦で見ていくと、今年の旧暦三月三日はグレゴリオ暦4月19日です。 この時期でもよさそうな気もしますが、何が一番異なるのかというと、旧暦三月三日は必ず三日月だということです。古来雛祭りは必ず三日月の行事だったということがわかります。 かつて日本では、月の満ち欠けと行事とが繋がりを持っていたということです。 雛祭り:「桃の節句」「上巳の節句」ともいいます。平安時代に貴族が自分の厄災を代わりに引き受けさせた人形を流す流し雛が発展して雛祭りとなりました。菱餅、ひなあられ、ちらし寿司、はまぐりのお吸い物、白酒などでお祝いします。この邪気を払う行事は、桃太郎が鬼退治をする民話のもととなったといわれています。(はからめ月の手帳より) 月には引力があります。 その月の引力のもとで行われていた行事だったということがわかります。 <初めて作った柚餅子、美味しく出来ました。> 今日は満月、月食です。 月食とは、月が地球の影に隠されて見えなくなる現象です。月全体が隠される場合を皆既月食と呼びます。(はからめ月の手帳より) 満月の時は、大潮を迎えます。 海の干満の差が一番大きくなる時期です。 これには月と太陽の引力が関係しています。 海をも動かす大きな力が、わたしたちにも働いています。 物理的に、大きな力がわたしたちを引っ張っているのです。 体調に変化を感じる人もいるかもしれません。 精神的な影響が大きく現れる人もいるかもしれません。 気持ちも心も行動も、いつもよりちょっと敏感になったり、深く感じたりしやすい時期です。 <2003年イラク戦争 アメリカ軍による劣化ウラン弾使用に抗議した人文字> アメリカとイスラエルが2月28日、イランを攻撃し、戦争を始めました。 イランの最高指導者とその家族は殺され、小学校が空爆されました。 このニュースに心を痛めない人がいるでしょうか。 アメリカではエプスタイン文書が公開され、大統領ほか政府関係者、財界人の関与が議論されています。エプスタイン氏は自殺したとされ、公開された文書の追求が行われている最中に戦争が始まりました。 日本では政権が変わりました。 刻々と、わたしたちに及ぶ影響は、わたしたちの精神から行動にまで現れてきます。 国内問題、外交問題はいずれ、個人間の問題へと関わりを持ってきます。 できることはあります。 意識を持って、自分の意思で行動すること。 結果はその先にあります。 どんなときも諦めずに、自分の意思をはっきりと持つこと。 それは音楽でも芸術でも仕事でも掃除でも、どんなに小さなものごとも、すべては社会の縮図となるからです。小さなことから始めて大きな世界を動かしていくこともできるのだということを証明していかなければ、小さな声はかき消されてしまいます。 小正月:旧暦一月十五日のこと。一年で最初の満月として、小豆粥を食べて豊作を祈りました。元日を男正月、小正月を女正月ともいいます。雪国では水神を祭るための伝統行事「かまくら」が行われます。「かまくら」の語源は神が鎮座する神座ともいわれています。 (はからめ月の手帳より) 旧暦で暮らしていた時代だったら、今日は小正月を祝っていました。 いつの時代も変わらぬものは月の満ち欠け。 いい時もよくない時も、月の光は地球上のすべてに降り注ぎます。