工房の事務所
自然をうつす
 2021年5月11日(火

立夏に至り、日差しが眩しくなってきました。

山の暮らしは静かです。
野草を摘み、畑に種を蒔き、薪でお風呂を沸かしたら1日が終わります。
匠くんは工房の内扉と作業台を製作しています。

工房の事務所

いよいよWood&Canvasカヌーの製作にとりかかります。材料やパーツが日本にないため、海外から取り寄せるもの、素材を日本で探して自分で調合して試作するもの、国内の工場にオーダーして製作してもらうものなど、作り始める前段階の準備に時間を使います。

工房の作業台の設置

日毎に新緑が青葉に変わっていきます。
上溝桜(ウワミズザクラ)が咲き始めました。
町に降りることもなく、日々食べるものを採りに森の中を歩いています。

山菜採り

ウドは飛んできた種と移植したものとが自生して敷地内で収穫できるようになりました。クレソンは藤野に住む友人から分けてもらったものが根付き、今では採りきれないほどになっています。セリはセリご飯に、ヨモギは草餅やパン、パウンドケーキに入れています。ミツバやウルイ、ミョウガダケは汁の実に、シドケやワラビ、フキのおかずが食卓に並びます。

食卓に並ぶ山菜

今年はハコベで歯磨き粉を作ってみようと思います。野草には効能があり、薬草として用いることができます。種まきもお世話も必要とせず、季節になると元気に芽吹いて、これぞ地球という感じがします。

よもぎバナナケーキ

窓から見る景色は緑一色。虫が出始め、季節がどんどん動いていきます。このご時世のおかげさま、山で過ごす時間が増え、季節の動きや植物の芽吹きが1日ごとに変わっていくのを感じています。植物は静かですがその働きには確実性があり、まるでウサギとカメの物語のように、こちらがうかうかしている間にいつの間にかゴールに達しているので毎日観察していて飽きません。
畑はうって変わってこちらがコントロールしていかなければ育たないものです。水撒きしながら種が発芽するのを毎日観察しています。

はたけ

この森の生活の中から、「はからめ月の暦」が生まれます。
季節に咲く花、日々の食材の野草、もくもくとやるしかない土木作業や木工作業、今すぐ答えを見つけられなくても、継続してやり続けることで見えてくるもの、完成していくものがあります。
自然は待ってくれません。今を逃したらまた来年となります。上司も部下も納期もないので、決めるのは自分、今やるかやらないか、毎日が選択の連続です。ここでの暮らしはこれまでの選択の結果、今やらなければその結果が自分に表れます。半年後だったり一年後だったり、気づけば10年経っていました。日々それを意識して暮らすには1日とはあっという間に過ぎていきます。生きている時間を考えるようになりました。
はからめ月の暦に映し出しているものは私たちの旅や山の生活の中から生み出されています。自分たちが作っているのか、自然が作っているのか、わたしはただの代弁者として形に表しているだけなのかもしれないと思うところが多くなりました。時代とともに、暦のあり方や表現の仕方が変化していきます。それこそが生きている証なのかもしれません。

種まき作業
種まき
 2021年4月20日(火

お米の種まきをお手伝いしに里に降りました。
種まきマシーンがあるので作業は楽なのですが、一度スタートしたらノンストップでやった方がいいものなので、段取りして4人で流れ作業、手を止めずに動きます。
昨年もお手伝いさせてもらったので、手はずはなんとなく覚えていました。
今回はより軽量化と効率化が計られていて、作業もスムーズに終了しました。
これを育苗器に入れて発芽させます。

種まき作業

農家さんの所持する機械はとても機能性に富んでいて感心してしまいます。これをかつては人の手でやっていたのかと思うと、機械化がどれ程の農業革命を起こしたのかと慮ります。
効率化だけでなく、今の時代は食物の安全性にも重きが置かれます。無農薬、無肥料、自家採種、固定種、これまで当たり前だったことが当たり前でなくなった現代、それを取り戻すために様々な努力をしなければならなくなりました。
こちらの農家さんも無農薬でお米を作っています。年を重ねるとともに、できるだけ体に負担の少ないやり方を追求しています。若いうちはすべて手作業でも楽しめますが、体に無理がきかなくなっても同じように安心安全な食物を作るためにいろいろな工夫がされていて興味深いです。こちらの農家さんでは除草のための紙マルチを用いています。でもその紙マルチのロールが一巻き30kgくらいあって重たいので、運ぶお手伝いできますよ、から昨年スタートしました。

温泉

作業が終わってから温泉に連れて行ってもらいました。
近所の温泉に行くのかと思いきや、高速道路で北上すること2時間、飯坂温泉の情緒あふれる公衆浴場鯖湖湯に連れて行ってもらいました。
洗面器でかけ湯をしたら
「そうじゃない!」と注意を受けました。「すみません…。」
「熱っ。」と言いながらそっと入った湯船で(多分44〜45℃くらい)
「あぁ、いいお湯だぁ。温くもない熱くもない、ちょうどいい〜。」とつぶやくおばちゃん。
「あぁ、いいお湯だぁ。」
一つの湯船を囲んでおばちゃんたちは口々にお湯談義をはじめます。
「いいお湯ですね。」
縄張りがあるらしく、新参者のわたしは入り口に近い隅っこの方でここの温泉流儀を伺いつつときおり相槌を打って参加しました。1時間程経って、
「また来な!あたしゃ朝も来て夜も来て、毎日来てるよ。家は目の前だ。ほんといいお湯だぁ。」とお許しをいただきました。
温泉や銭湯のコミュニティは面白い文化です。地域性もありながら、新参者も同じお湯に入ることで一つのコミュニティに属することができます。その一時だけのコミュニティでもあり、常連という日々継続しているコミュニティでもあります。古と新の融合もでき分離もできる、同じお湯に入るということで繋がる何かがあるのですね。お湯も雰囲気もおばちゃんたちも、最高のエンターテイメントでした。

温泉

実は道中様々な温泉場を通り抜けて色々な温泉町があることを教えてもらいました。福島の温泉、すごいです。秘湯と思われる温泉場がいくつもありました。残念ながらこのご時世で日帰り入浴を制限しているところが多く今回は立ち寄れませんでしたが、その存在を知っただけでも大きな価値がありました。

ヤマザクラ

桜が散る頃に種まきするといいと教えていただいたので、そろそろ畑に種を蒔こうと思います。はからめランドでは山桜がピークです。

ランドの様子
土中環境
 2021年4月18日(日

春の土用がはじまりました。春土用があけると立夏、夏がやってきます。

見えているところの環境をよくするためには、見えていないところの環境を知ることが大切です。友人から「役に立つと思う」といただいた本を読んでそう思いました。先日その著者が話すウェビナーがあり、参加して話を聞きました。

川の護岸工事や山の法面工事など、ほとんどの大きな工事はコンクリートで固めて崩れないようにしています。一時はそれで防げるのですが、長い目で見ると土中環境が悪くなり、より崩れやすくなる環境を作り出してしまっているのだそうです。それに気づき土中環境を考えた工事をしていけば、大雨によるがけ崩れや川の氾濫を受けても大きな被害を防ぐことができます。空気と水の通り道が土の中にもあり、その道を塞がずに通すことで一気に崩れるのではなく、樹木による保水や逃げ水ができてその場所が保たれます。土中環境を考えて工事をすることが大きな意味での自然環境を保つことにつながります。

難しくとらえなくても、昔からずっと残っているものの中にその答えを見つけることができます。例えば、古来から残っている神社などは山の水源を守るような位置に建てられています。山を守ることで水が保たれ、その水が川から海へと注がれる要所にも社寺が建てられていることが多いのは水を守り暮らしの中で活かしてきた先人たちからのメッセージなのだとわかりました。

石組みや石畳による昔からの技は100年以上経っても残っています。それは土の中に空気と水の通り道があるからです。熊野古道が崩れずに残っているのも石畳と溝によって土中環境が保たれているからだそうです。

先日お隣さんからいのししに掘り返されてしまった道の法面をユンボでならしてほしいと頼まれました。土を掘られたところに掘り返された土を盛って元に戻しました。

翌日はからめランドの敷地の法面が同じように掘り返されました。
いのししが土中の木の根っこやミミズを食べているようで、それが道の斜面だったりするので、そこから土が流れて道が崩れてしまいます。崩れたところがいのししの通り道になるとスコップで掘ったり埋めたりできるような規模ではなくなり、重機でならさなければ埋められないくらいになってしまいます。

杭を打って土留め

「杭を打って埋めて崩れないようにしたらどうかな。」
以前切った杉の間伐材を杭にして、さらに細い間伐材を積みあげて土止めをしました。
土中環境を考えて工事をすれば、大雨が降って小さく崩れることはあっても大きく崩落するようなことにはならないかなと思いながら。

山での生活には人間の通る道以外に水の道、獣の道を考えることが大切なのだと経験からわかってきました。
この間伐材の法面工事、しばらくこの状態で様子見しています。土用があけるまでそのままにして土が固まるのを待つことにして、水と獣の通る流れを見てから整えていこうと思っています。

水
薄めて海に流す
 2021年4月17日(土)

ここに1本の毒があるんだけれど、どれだけ、何倍にでも水で薄めてもいいから1本全部飲んでね。こんな感じ、だよね・・・。
なにも地上で頑張って薄めなくたって、汚染水を原液のまま海に流してもすぐに何兆倍以上に薄まるし。薄めるって何のこと言っているのか分かっているのかな・・・?

みんな、考える力を失う前に聞いてもらいたい。
どうもラジオからこの問題を聞いていると、どこに問題点があるのか、その焦点を分散させて、1点に集中させないようにされているのを感じる。
まず、これだけ薄めるから大丈夫、なんてことが理にかなっていないのはこの文章の冒頭1行で感じていただけるはずだ。自分が飲む水では無いと思っている人しかそれはできない。本当は自分が飲む水なのにそれに気がついていない人である、ということになる。

そして福島に流すというのは別の問題だ。どんなことがあっても風評被害を食い止めなければいけない、なんて言葉がラジオから聞こえてくるが、それならば方法はある。
10年前の原発の爆発による風評被害は、風評被害ではなく実害だったので、その被害はまのがれることはできなかった、というか今でもその被害が続いている。が、今回の件で福島の風評被害(これも実害だが)を食い止めるのは簡単だ。47都道府県で47等分して”薄めた安全な汚染水”をそれぞれの圏内で分担して流せば良いのである。現時点でみんなで分けあることが可能な状況のに10年耐え続けた福島(耐えられなかった人もたくさん)にもう一度押し付けるのだろうか?
だからまず本当に47等分(できれば福島を除いて46等分にしてもらいたいところだが)して自分のところで味わってみる、こうしたら不評被害はなくなり、実害だということにに気がつくか、やっぱりみんな平等がいいよねと笑いながら暮らすか、それだけの問題となる。

でも46都道府県の人たち、それ、嫌だよね?でも原発を日本から無くさないという選択肢はそういうことなのは考えればわかるでしょ?
考えちゃダメなのか・・・「心の声を聞けばわかるでしょ?」かな。

Don't think. Feel.

僕が自信を持って「間違っている」と言えるのは、過去の政策や原発を推進してきたことではなく、今違う道を選ばない、ということだけだ。(匠)

やっとテーブルソーが・・・。
使える使えない。
 2021年4月11日(日)

電気の話をしていたら、電気屋さんが来てお願いしていた工房の電気を通してくれました。これで購入してから使えずにいた機械が回るようになりました。
大きな機械を回すためには、その機械にあった電圧の電気が必要です。100vか200vか単相か三相か、知らないで使うと機械が動かなかったり壊れたりしてしまいます。電圧の高い電気を引くにはそれに応じた工事が必要です。その工事のためにはその電圧で動く機械が必要とされます。機械がないのに高い電圧の工事はしてもらえません。電柱から遠いのか、動くはずの機械が動かずにいて、電圧を上げてもらうお願いをしていたのですが、そう簡単にはできないことだったのだと知りました。

ペンキを塗った棚

使えなかったものが使えるようになると嬉しいです。
早速棚を作ってもらいました。
使われないものが使える、というのも嬉しいことです。
捨てずに取っておいたケースを再利用して、ガラスの部分だけを活かし集成材の部分を古材で作り直し、壁に打ち付けました。珍しくペンキを塗って仕上げました。

いつも水拭きしています。

「お米のとぎ汁で床を拭くとツヤが出るって言うよね。」
「研ぎ汁が役に立つなんていいね。」
その言葉を信じて、お米を研ぐ度に研ぎ汁で床の雑巾掛けをしています。
捨てずに使えるということがやる気の源になっています。

「ツヤは研ぎ汁じゃなくて、足の垢なんじゃない。」
キッチンの床が一番光っているのを見て、そう言われるとそんな気にもさせられますが。
4、5年経つと米糠効果なのか生活の垢なのか、無垢の床もだんだんと光沢を帯びてきました。
初めは蜜蝋ワックスを塗っていたのですが、雑巾掛けをしていたらワックス効果が失われてしまいました。木の床は雑巾掛けをする方が清潔で心地いいので、今はワックスを塗っていません。

「研ぎ汁には糠の油分があるからツヤが出るんだって。」
実際のところ、水拭きと研ぎ汁拭きとで比べてみないと分かりません。
捨てるものを役に立てるということに興味があるのです。
タケノコのアク抜きや大根を湯がくときにも米糠や研ぎ汁を使います。
要は使い方や役割を知っているかどうかです。
人間だって、「あの人は使えない」とか「役に立たない」と言われるよりも、「ここには使える」「こうすれば役に立つ」と適材を見出してもらえると救われます。
お米の研ぎ汁から人の行動まで考えてしまいました。

床のツヤ

研ぎ汁の活用法を教えてくれたのは母ですが、家の雑巾掛けは研ぎ汁ではなく水拭きでした。はじめからツヤ加工してある床だったからかもしれません。
この家の床板はツヤ加工されていないので、最初は蜜蝋ワックスで光らせていました。今では光沢より清潔感と歩き心地優先で雑巾掛けに至っています。お寺の廊下くらいピカピカになれたらすごいな、と思いますが、修行じゃないので気楽にその日の気分でやっています。でも研ぎ汁は翌日まで持ち越せないので、その日にその場でやるしかないという先延ばしにできない行為が輝きにつながっているのかもしれません。

ロフティングの準備

機械が使えるようになったところで、匠くんはカヌーの設計図を解読しています。
当時教えてもらったことを思い出しながら数字を形にしていきます。使っていなかった能力も使えるようになると嬉しいですね。

手練り
再びコンクリート
 2021年4月8日(木)

五右衛門風呂の施工再び。
排水箇所のコンクリート作業をしています。
規模が小さいので手練りです。

木が支え

お風呂場にも電気、水道が必要です。
電気は家まで引いているので、そこから繋げれば引けますが「どこに何箇所必要か」を考えなければなりません。
「脱衣所には必要、浴室にも必要、2つは確実に必要。」
ホームセンターに行って電球を購入しました。
オシャレなインテリアショップで素敵なライトを、的な発想はいつも頭の隅にあります。
山奥の何もないところからスタートすると、インテリアショップでオシャレなライトというのは遠い世界への旅のようなもの。この山の生活では今手に入るもので今使うという現実的な旅の連続です。幻想はいつまでも幻想のまま、現実になることはありません。なぜなら現実にするためには努力をしなければならないからです。努力を惜しまずやることとは、インテリアショップのオシャレなライトを手に入れることではなく、お風呂を沸かして入ることであり、今日ライトをつければ今日から使えるということです。

電球、ホームセンターでもオシャレなのあり。

都会で暮らしていたときに享受していたオシャレな世界はこの山の中で幻想のようにはかなく思い起こされます。その幻想も大好きな世界なのですが、今は制限のある中でいかに工夫して素敵な空間を作れるか、その中で生きるための人間力が培われます。

暗くなっても焦らなくて良い

水は山から引いています。
外に設置した五右衛門風呂に水を引く上で、冬に凍結しないようにするにはどうすればいいかを考えなければなりません。

流しっぱなしにする→まわりが凍ってスケートリンクのようになりそう
水抜きをする→毎回お風呂のあとにする→1日でも忘れたら凍って水道管が破裂するというリスク
保温用の電気コードを巻く→すごく長い距離のコードを購入して電気を使うので電気代がかかる

これらのことを考えて水道をつなぐ距離と場所を決めます。

水はこのレバーで。

浴室とは別に脱衣所にも洗面台をつけるかどうか。
「なくてもいいんじゃない?家の中にも洗面所あるし。」

配管

日々の暮らしを考えると作業の工程は少ない方が便利、行き着くところはシンプルに、となっていきます。
世の中の電気屋さん水道屋さんはこの工程を経て今に至っているのです。どこに何箇所どの大きさでどんな工事が必要かを、はじめからわかっている人に設置してもらえるなんてとてもありがたいことです。自分でやってみるという経験を通してわかることがあります。自分ができないことをできる誰かがやってくれるという世界は本当はすごく思いやりにあふれているのかもしれません。


作業前
何のため?
 2021年4月2日(金)

工房の床はコンクリートを敷いているのだが、ボコボコしているので、いつかそれを水平じゃなくても良いので平らにしたいなぁと思ってから何年たっただろう。
なぜか今日、このタイミングでそれをやる日がやってきた。この日を自分で選んだのだろうか・・・どうもそう思えない。
この話は、「コンクリート」と「モルタル」と「セメント」の違いを知っていないと訳がわからないのでちょいと説明させてもらおうと思う。
まず、セメントと砂をある比率で混ぜたものが「モルタル」だ。モルタルは、イタリアンジェラートのような細かい粒子だけによる滑らかな仕上がり。そして「コンクリトート」とは、混合比率は違うのだが、モルタルに砂利を混ぜて強度が増す仕上がりになっているものだ。
「モルタル」は、セメント+砂、「コンクリート」はセメント+砂+砂利、によって作られるという訳だ。
今回は、数年前にコンクリートを打った下地が凹凸が激しく、床として使い勝手が良くなかったためモルタルを一面に敷き直し、水平が出ていないとしても、てせめて平らにというのが僕の願い。

砂を詰める作業

午前中は、家の排水掃除と、トイレのウンチを堆肥化作業。これに関しては別の機会に改めてお伝えできればと思う。排水に関してだけでも長くなり、トイレ・ウンチ・堆肥だけもだ長くなってしまうので。
午後一でモルタル作業がスムーズにいくようにお昼ご飯を食べたらのんびりせずに、よし子には13時に現場集合と伝え、できることを。まずは、作業後に必ずお風呂に入りたくなるのが分かっているのでお風呂を沸かし始める。それから色々準備をして13時を迎える。

セメントを練るのはマシン

セメントを練るのはご近所さんからお借りしているミキサーマシン。今まで何度と手練りでやってきた分、マシンのありがたさが分かって嬉しい。それでも25Kgのモルタルや砂をマシンの中に持ち上げて入れる作業を繰り返すとさすがに「コシが・・・」となる。これをもし手練りでやっていたら・・・なんて想像するのはやめようかなって思うほど。
僕もよし子も何度とセメント作業を行ってきているので段取りや、今何をするべきかが分かってきているのを感じる。何も言わなくてもわかるあの感じ。

「スタートしたら休まず動き続ける」、これがセメント作業の一番後悔しない方法だ。できるだけのことをやる。ただそれだけ。だからもちろん写真を撮っている暇もないしオシッコする暇もないくらい、大げさだけれどそんな感覚だ。

一番上の写真と下の写真、これが作業前と作業後。何が変わったのかと思うかもしれないが、ここにはモルタルが約600Kg流し込まれて、コテでならされているのである。

作業後

さて、この作業、なんのためにやっているのか?
それは、カヌーを作るため。
では何でカヌーを作るのか?
それは、カヌーに乗って自然の中に身を置くことが必要な時代がやってきているため。

全ては、なるようになるしなるようにしかならない。わかっている。

おそいおそい、いつになったら・・・ってな声が僕にも聞こえているのだけれど、心配せず、あせらず、ただただ、その思いに向かって毎日手を、足を動かし続けるだけしかない。必ずその日はやってくると思い描いている。 (匠)

エイプリールフール
エイプリルフール
 2021年4月1日(木)

4月になりました。

先日ラジオで、「コロナの影響による貧困で、女性が生理用品を購入できない」と取り上げていました。「買えない人はキッチンペーパーなどで代用しているらしいですよ。」と言っていました。
キッチンペーパーよりもいい代用品があります。ハンカチやハンドタオル、布があれば洗って何度も使えます。ゴミも出ません。洗って使うことを躊躇するようでしたら、着なくなったTシャツやタオルを切って使い捨てることもできます。コットンは肌にもやさしく、可燃ゴミとして捨てられます。
さらにレポーターの人は「生理痛の薬を買うのにも躊躇しているらしいですよ。」と話していました。薬を飲むほどの生理痛が起きるようでしたら、なおさら布ナプキンに変えた方がいいです。毎月薬を飲み続けて痛みを抑えることがどれだけ心と体に影響するのか、なぜ布ナプキンのことを話さないのか疑問でした。布ナプキンを使えば毎回購入しなくてすみますし、生理痛の改善にもなります。貧困問題よりも生活改善して健康を取り戻すように促すべきで、生理痛の薬を飲んでまで学校や仕事に行くのが当たり前のような社会を変えていくようにしていきたいですね。

布ナプキンは各社が個性ある逸品を販売しています。
オススメはあるでばらんの薬効染めの布ナプキン。人も商品もコンセプトもとても素晴らしいです。
布ナプキンは自分で作ることもできます。
野菜の皮や薬草で染めたりして薬効と色を楽しむこともできます。
もしキッチンペーパーで代用している人がいるようでしたら、布ナプキンキットを差し上げます。

布ナプキンキット

自分で縫って仕上げるタイプのものなので、縫いたくない方は既製品を購入するか、ハンドタオルで代用してください。
手作りキットが欲しい方、必要な方はInfo@hacarame.comまでメールしてください。
ヘンプコットンか無漂白ネル生地のものになります。

「コロナ貧困により女性の生理が影響を受けています」という報道に対して、わたしができることを考えてみました。必要な方に届きますように。

足拭きマット

「お風呂場に足拭きマットが必要だね。」
必要な場面で使えるようにとTシャツをためておきました。
今がその時です。
色はあるもので組み合わせることにして、Tシャツを切って紐にして、早速編み始めました。友人がマインドフルニッティングという言葉を使っていましたが、もくもくと作るこの作業はまさに瞑想的。
心がモヤモヤしている方、引きこもりがちな方にもオススメします。タンスの中からTシャツを出してきてハサミで3cm幅に切って端と端を結んで紐状にします。別れた恋人、亡くなった家族、過去の思い出も一緒にチョキチョキ、断捨離しつつものづくりにも没頭できて一石二鳥です。

足拭きマット

必要は発明の母、必要にせまられたらあるものでなんとかするものです。
頭は使うためのもの。
切羽詰まっている場合と、工夫を楽しむ場合とがありますが、日頃から工夫して役立てるように訓練しておくことをおすすめします。

さくら

エイプリルフールは四月馬鹿と訳されます。
嘘をついてもいい日として知られていますが、由来は諸説あり、どれも嘘をついていいとはありませんでした。日本に伝わってきたのは大正時代のことらしく、それまでは「不義理の日」として、日頃義理を欠いている人やご無沙汰してしまっている人に手紙を書いたり義理を詫びる日だったそうです。フランスではプワソン・ダヴリル(四月の魚)と言って、子どもたちが紙に描いた魚の絵を人の背中にこっそりと貼るといういたずらがあったり、インドでは春分の日から3月末までの仏教修行を終えても4月になれば俗人のように修行を忘れてしまう人をからかう「揶揄節」というものがあるなど、4月の陽気が人々にもたらす影響も千差万別です。近頃はフェイクニュースが流行っているので、あえて嘘のニュースは流してはいけないと言っているようです。

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